第五十一話『立ちはだかる者』
「ねえ、わたしたち、ノワール領に向かっているのよね?」
「えっ……ああ」
道すがらそんなことを尋ねられて。ブランクは、しまったと思った。
(僕の予測が確かなら、必ずアイツと鉢合わせるはずだ)
今にして思えば、ノワール領へ行くに当たって、ホーエンハイム領は、普通に向かえば避けては通れない位置にある。外の国から来たブランクならまだしも、内に住む彼が、それを分からないはずもないはずであった。
もしかして──これはただの罠だった……?
と。信じたくはない。しかし、これが罠であれば、情報に嘘が混じっていても、なんら不思議はない。
「ごめん、止まって」「え?」
騎獣の手綱を引き、二人はその場で留まった。街道の林を吹き抜ける風が二人の間を一時隔てると。ブランクは、胸の内に秘密を抱えたまま駆け抜けることについぞ耐えきれず、どこか躊躇いがちに、心の内にある思いを打ち明けた。
「これから……たぶん、僕は、君の幼馴染──ネロと戦うことになると思う」
「え……?」
少女の瞳が戸惑いに揺れた。ブランクは、琥珀色の瞳を少しも逸らさずに、少女の瞳を真摯に見つめる。
「さっき、僕は君に嘘をついた。いや、ついてしまった。本当は……クロエが昨日、僕の話からネロのことを聞いて、顔色を変えたことを、僕は知っていたんだ」
だから、と言葉を続けて。目端に視線を泳がせる少女に、ブランクは言う。二度目はないと思って。剣を打った師へと思いを馳せながら、魔法剣の柄を、ブランクはしっかりと握りしめた。
「その事実を伝えずに君に付いてきてもらうのは……僕はずるいと思った」
ネロがエレノアを意識していることを、ブランクは知っている。知っていて、黙ってこのまま連れて行くのは、その気持ちを楯にするようで、卑怯者になる気がした。何より……嘘をついたままでは、自分を許せなかった。
案の定、とでも言うべきか、エレノアは困惑したまま答えを出せず、ブランクは、彼女の好意を捨て置く言葉を伝えなければならない。
「君は……ここで待っていてくれ」
「そんな、だってクロエはわたしの──!」
言いかけて、少女はブランクの視線を受け止めきれず、言葉を呑んだ。
「君が、彼に対して何か特別な思い入れがあることは……見ていれば、なんとなく分かるよ。それに、クロエとのことも。理由を聞けば、君が彼女に対して複雑な思いを抱いていることだって、想像に難くない」
面を上げないのはきっと、その予想が当たっているからに他ならないのだろう。ブランクは、葛藤する少女の背中を押すべく、心の内を打ち明ける。
「人がいがみ合うのは……とても醜いことだ。それが親しい間柄の人同士なら、目にするのは、きっと酷なことだろう。だから……クロエのことは僕がなんとかしてみせる。君はここで待っていてほしい」
「なんとかしてみせる……ですって……?」
当惑に揺れる声は唇と共に震え、それから一度悔しさに結ばれる。
「僕は、君が傷つくところを見たくないんだ。君はずっと頑張ってる。頑張りすぎている。これはきっと、君が背負わなくてもいい重荷なんだ」
だから、ここは僕が──、と言いかけた時だった。
「わたしがッ!!」
突然、目の前の少女の肩と声が大きく震えて。ブランクは思わずたじろいだ。少女を慮る言葉はその大声量に押し潰された。肩を上下させながら、冷めやらぬ興奮が瞳に宿していたのは、明らかな怒りだった。
「わたしが……その程度のことで退くとでも思ってるの?」
「いや、それは……」
「クロエは、わたしの友だちなの。だから、それをあなたに任せて指を咥えて見てるなんてこと……絶対にできるはずがないわ。それと──」
誤解のないように言っておくわ、と。少し躊躇いがちに目を伏せて。しかし次の瞬間には、決意を矯めて。少女は緑青色の目から、琥珀色の瞳へ、真っ向からぶつかった。
「わたしが彼に対して抱いてる気持ちは──……罪悪感よ」
「罪悪感……?」
ブランクが聞き返すと、エレノアは頷いた。
「あなたは知らないのでしょうけれど、彼の顔、わたしの父に、よく似ているの。昔は気にならなかったけど、最近では、まるで生き写しのようだわ。これは記憶が混濁してるだとか、そういうものじゃなくて、本当に、そっくりなの」
「そっか……そっか……」反芻するかのようにもう一度頷いて。ブランクは、エレノアが彼の黒髪の青年に特別な思い入れがないということを聞いて、何故かホッとしていた。しかし、そうなるとまた次の疑問が浮かんでくる。
「でも、どうしてそれが罪悪感に?」
「それは……」エレノアは、一度視線を外してから、目を伏せた。しかし逃げないと決めて。再びブランクと顔を合わせた。
「わたしが──父を殺したからよ」
「え……?」
ブランクは、困惑する。エレノアの父は、もしかして二人いる?
そんなはずはない。しかし、エレノアの話を信じるならば、クロエが嘘をついていることになる。しかしブランクは、どちらの少女も嘘をついていないように思えた。
その疑問の機微を読み取ってか。エレノアは言う。
「今は──時間が惜しいわ」
慰めるように顔を寄せてきた騎獣の、その頬を撫でると、一行の行くべき先を見た。
「帰ったら……全てを話すわ。だから、今はクロエを追いましょう」
その横顔は儚げで、しかし決意めいていて。無理には聞くまい、と水を差すのも違うような気がして。
「分かった」
ブランクは、騎獣の頭を撫でると、そのまま発進の合図を促した。
(どういうことだ……? クロエが嘘をついてる? それとも彼女が?)
いや──、とブランクは降って湧いた邪念を振り払い、先ゆく少女の背中を見た。
(彼女が話すと言った以上、僕にできることは、その言葉を信じることだけだ)
もうすぐ国境を抜ける。そうすると、森を抜けた先にある、ドゥロワー湿原に着く。辺りの木々はいつの間にか枝打ちのされていない、伸びっぱなしの木々ばかりで、栄養を奪い合い、どれも自分のことばかりで。下にある草花は、辟易として、くたびれてばかりであった。
「もうすぐ関所に着くわ」
そしたら──と、続いた言葉の先を、ブランクは聞き取れなかった。
「うっ、くっ……!」
否、聞く余裕がなかった。なんとか引き抜いた剣に三叉の刃が噛みついて、そのままブランクの体を、騎獣の上から押し退けた。
「プロテマッ!!」
なす術のない空中で。ブランクは、このまま地に落ちては頭を打つことを考慮して、真っ先に得意の防御魔術で、先んじて自衛の一手を打った。
「くっ……!」
誰だ、などとは問う必要もなかった。忍び寄る嵐のような声が、ただただ静かに告げる。
「言ったはずだ、次に見える事があれば……タダでは済まさない、と」
「ネロ・ホーエンハイム……」
立ち上がり睨む先──そこには、黒髪赤眼の青年が立ちはだかっていた。




