四十七話『過去の断片』
明くる日、ブランクはまんじりともせず朝を迎えた。目は腫れぼったく、ひと目に夜ふかしをしたと、顔に書いてあった。
「ひどい顔だにゃ。おみゃー、これから出立するって、分かってるにゃ?」
「……わかってるよ」
うるさいな、と思いながら、ブランクは顔を洗いに相部屋を出る。
「あらクロエ──」
「あ」と、二人の少年と少女の声が重なった。ブランクの目の前にいる少女は亜麻色の髪を揺らしながら、緑青色の瞳を廊下の隅へ投げやった。
「おはよ」「……おはよう」
面と向かえば挨拶を無視することはないようで、しっかりと受け答えてくれたものの、顔はずっと背けられたままだった。辺りには途端に気まずさが立ち込めて、窓についた朝露が、たらと冷や汗をかいている。
その空気を振りまきながら、気まずそうに見える横顔は、心なしかすこしやつれていて。目の下のクマは、よく目立って、元々透明感のあった肌は、さらに病的に青白くなっていた。ブランクが心配になって声をかけようとすると、エレノアはむすっとしながら言った。
「どうしてここにいるの?」
眉根が寄り、口が尖り、目が鋭くなって。あからさまな嫌悪感を全面に出されて、ブランクの心も、ガタガタと吹く風のように、すこし荒れだした。
「この部屋を僕にあてがったのは、君の方だろう?」
発端をほじくり返せば、エレノアは赤っ恥をかいたと言わんばかりに顔を上気させて、それなのに、それが有無を言わせぬ正論なのだから、とうとう何も言えずに不貞腐れて。少女は再びそっぽを向いた。
「言われて素直に女の子の部屋に入り浸ろうなんて。あなたって、ほんと節操がないわね。とんだ色ボケさんですこと」
「身に覚えのないことで蔑まれたって、僕に痛む腹はないからね?」
清廉潔白に胸を張れば、少女はむむむと口を尖らせて、ひん曲げた。
「あなたって妙に理屈っぽいわよね。そういうところ、お子様っぽくてわたしはきらいよ」
「君は、とても感情的だね。僕も人のことは言えないけど。ただ、君のは頭一つ抜けてる」
「……なんですって?」
売り言葉に買い言葉になってしまって。ブランクとしては、もう少し冷静になろうという心づもりであったのに、それは二人の間に敷かれた亀裂を押し広げる致命的な失言となっていた。
「せっかく見送ってあげようと思ったのに、あなたって、とっても失礼な人ね!」
「出会い頭に皮肉を言ってくる方が、よっぽど失礼だろ!」
ぐっと唇を噛んで、エレノアが叫ぼうとした時だった。
「いてっ!」
ブランクの頭が、何者かに叩かれた。じんじん痛む頭を押さえながら、ブランクはその痛みを作った張本人を見た。クロエだった。いつも通りのほほんとした顔をしているのに、ブランクは、初めてクロエに叩かれたことで、困惑していた。
「バカはおみゃーだにゃ。散々世話になっておいて、ご主人様に楯突くとは何事にゃ」
「楯突くって、僕はそんなつもりじゃ──」
言いかけて、ブランクは思った。目の前の少女は今にも泣き出しそうで、それは、今日まで見ていた強気な少女ではなくなっていた。
(僕が……追い詰めてたのか)
開きそうになった唇を噛み締めて、再び結び直した。自分がやりたいことを見失っていて、そのための手段を履き違えて、目的を誤って。これでは、ネロと何が違うのかと、ブランクは、心の中で自分の頬を叩いた。
「……ごめん。僕が言いたいのは、僕は、色々と良くしてもらったから、何か恩返しがしたかったんだ。そのために、君に喜んでもらいたくて、焦っていたのだと思う。こんな、本末転倒な……君を追い詰めるつもりは、まったくなかったんだ」
だからごめん、と。ブランクは、ようやく自分の気持ちに素直になれた。頭を下げながら、いつかにウィルに謝った時のことを思い出していた。昨日は扉越しだったのでよく聞こえていなかったのかもしれない。ブランクはそう信じて、再び自分の思いを伝えたのだ。しかしそれに対して少女は「お為ごかしなこと言わないでよ……」と唇を震わせた。
「わたしはそんなこと、一度だって頼んでないじゃない!!」
「あっ」
少女は、亜麻色の髪を荒く揺らしながら立ち去った。扉は乱暴に開閉され、残された静けさがそのまま気まずさに変わった。
「今のはおみゃーが悪いにゃ」
「ええ!? ……いや、そうだよね」
はあ、と深いため息をついてから。ブランクは、気がついた。
「えっと……あれ、クロエさん?」
喉元に白刃が添えられて。ブランクは、生きた心地のしないまま、それを構える人物へ、その真意を問う。
「遺言は済んだ?」と、ニコニコ笑うのは澄んだ瞳のクロエで。これはどうやら、いつもの皮肉屋ではなく、あの純真な方の人格であるようだった。その澄み切った瞳の人格から向けられる殺意は百パーセント純粋で、偽りのないものだと思わせて。ブランクは、ぶんぶんと首を横に振りながら、ちょっと待ってよと弁明する。
「どうせ手篭め? にしようとしてたんでしょ。ピノちゃんが言ってたよ」
「違うから! ちゃんと説明させて!!」
ブランクは、昨日あった出来事を、事細やかに説明した。
獣車の中での出来事や、ネロの襲撃や、花畑での出来事。それから、屋敷に帰ってからの出来事や、自分の思いを含めて。赤裸々と語り終えると、クロエはうんうん、と頷いた。
「とりあえず死んどく?」
「なんで!?」
ブランクがそうやってたじろぐと、クロエはウソウソ、と、クスクス笑った。
「理由を聞くまではそれも考えてたけど、よくよく考えたらボクにそんな権利はないし」
(考えてたんだ……)
不意に。アルトリウスと蜘蛛男の関係性が頭に浮かび、ブランクは、西の国は生死観念が、いささか軽視されているように思えてならなかった。そうやって生真面目に国民性の考察をしていると、クロエは、まあ、と言葉を切り出した。
「それにしても……またあいつかあ。ホーエンハイム家の人だっけ」
「知り合いなの?」
ブランクが尋ねると、クロエはどうでもよさそうに「知らない」と首を掻く。
「あの人のエレノアに対する執着の仕方はおかしいし、ちょっと覚えてただけかな。ダルカマルダと殺り合う時には手伝ってくれたけど、ボク、あの人きらいだなあ」
くはっと大口開けてあくびをするクロエ。普段、あまり人への執着がない彼女にしては、珍しく拒絶の意思が見て取れて。ブランクは、あの気難しい青年が誰に対してもああいった対応をしているのだろうと、その難儀な性格に苦笑を浮かべるより他がなかった。
「よく分かんないけどさー。お互い熱くなってるから、離れられてちょうど良かったんじゃない?」
「それは……そうだけど……」
クロエの言う通りである。時間が解決することもたしかにあって、言葉を交わせば交わすほどすれ違うのなら、顔を合わさない方が良いはずであって。その意見に誤りなどあるはずもないのだが、ブランクの胸の内には、何とも言い知れない胸騒ぎがあった。
(このまま放っておいていいのか? なんだか、すごく嫌な予感だけが膨らんでいくんだ)
その気持ちは、クロエと会話してからどんどん加速していく。もうすぐ出立の時間が近づいているからだろうか。ブランクは、いてもたってもいられずに、少女の去った扉へ向き合った。
「やっぱり、もう一度話し合ってくる」
「ええー……やめなよー」
殺すよー? と甘ったるい声が途端に鋭くなって。ピリピリと痛くなる空気にブランクは「でも──」と食い下がる
「もしこれが余計なお節介だとしても……手を差し伸べる人が誰もいなくなるっていうのは、それこそもっと寂しいよ」
「……にゃあ」
張り詰めた空気は途端に柔らかくなり、クロエは、呆れたようにため息をついた。
「キミは……呆れるほどばかで、お人好しだね。そんな恥ずかしいことを、心から言ってる人、初めて見た」
「恥ずかしい!?」
ガーンと鐘の突かれたような衝撃を受けて膝をつくブランクに。クロエは「ねえ──」と優しく声をかける。
「キミはエレノアを……ボクのトモダチを、助けてくれる?」
その覚悟はある? と尋ねる彼女の澄んだ瞳は、一つの嘘も許さないと言っている。自分が次に何を言葉として発するのかを試されていると知りつつも、ブランクの偽りのない気持ちは、一つしかなかった。
「もちろん。まだ知り合って日は浅いけど……僕は、少なくともあの子が、哀れまれる価値すらない人だなんて、一つも思っちゃいない」
強情で見栄っ張りで、かわいげのないところもあるが、真摯に領民と向き合い、誠実に人と関わろうとする彼女が、彼女の言うように、そんな価値すらないだなんて、ブランクには到底思えなかった。
その答えは、空色の瞳をする彼女の求むる答えに足るものであっただろうか。褐色の目蓋がゆっくりとブランクの言葉を噛み締めて。やがて──、
「分かったよ。ボクが知る限りでもいいなら。あの子が抱えてる秘密を、少しだけ、キミに話してあげる」
あの子は──。
そう続いた言葉を受けて。ブランクは、いても立ってもいられずに、亜麻色の髪をした少女を探していた。
『あの子は昔、お父さんを失って、親友を奪われて、国から幼馴染を殺されて──その何もかもの責任が自分にあるから、自分を許せないんだ』
そして──と続いた言葉を話した黒髪の少女は、どんな思いでその真実を語ったのだろう。
『そのお父さんを殺したのは、ボク』
己の罪と向き合いながら、願いを託してくれたその少女の祈りが、ブランクの自責の念を、騒がしく責め立てた。
「ばかだ、大バカだ僕は……!!」
どういう因果があるのかは分からない。クロエとエレノアが何故今の関係に至ったのか。ブランクには、皆目見当もつかない。どういった経緯でその結果へ至ったのかも分からない。
ただ──大切な人たちを奪ったであろう自分を。あの責任感のある少女が、果たして許すことなどできるであろうか。答えはノーである。ブランクは、すぐにその解へ至った。
それを。自分はなんと言った?
『何があったかは知らないけれど……君のせいじゃないよ』
まさに彼女の言う通りであった。何も知らないくせに、知った風な気で首を突っ込んで、そのくせ偉そうに高説を垂れて、礼節まで説いている。
あまりに馬鹿げている。どのツラ下げて?
どれだけ鉄面皮であろうとも、事情を知ってなお顔に泥を塗り重ねるほどの恥知らずならば、救いようがない。少なくとも、ブランクはそうでなかった。
「エレノア!!」
煙たがるように自分を避ける屋敷の侍女たちをすり抜けて、ブランクは、執務室へと飛び入った。
「いない……? どこへ──」
言いかけて、ブランクは「あっ!!」と声を上げた。
「エレノア、エレノア!」
机の傍には椅子が倒れていて。その先に、少女は倒れてうなされていた。
「ひどい熱だ……」
触れた額はすこぶる汗ばんでいて、しかし体表は汗で冷えていて。ブランクは急いで少女を抱えながら、部屋の外へ出た。
「誰か、誰か来てくれ!!」
近くにいる侍女へ呼びかけ、ブランクは、少女をその寝室へと運んだ。




