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The Alter Story《ジ・アルター・ストーリー》  作者: 水落護
第五章『心の椅子に腰かけて』

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第四十六話『誰が為の朽墓』

「いッ──てててッ!!」


「我慢して。男の子でしょう?」


 ネロの去った後、ブランクは、ランツに運ばれて、エレノアの獣車に揺られていた。いつまでも人様の敷地内にいるわけにも行かず、移動をしながらの消毒をされている最中である。


「そんなこと言ったって、痛いもんは痛いよ!」


 ヒリヒリとする傷口に、消毒液が染み渡る。聞けば貴族の間で使われている蒸留酒であり、触れた傷口は燃えるように熱く、涙が滲むほど痛い。ブランクは悲鳴を上げなかった自分を褒めたいと思っていたのだが、エレノアは違うらしい。


「情けないわね。そんなことでいちいち根をあげていたら、いつまで経っても大人になんかなれないわよ?」


 とにかく角の立つ言い方ばかりで、ブランクは思わず「自分だって一つしか違わないくせに」と小さくこぼした。咄嗟に口をついたので、また噛みつかれるかと思うと、ブランクもハッと顔を青ざめさせたのだが──、


「そうね……ごめんなさい。彼への説明をしていなかったわたしが、至らなかったのだわ」


 その少女は、珍しく殊勝な態度で謝り、ブランクは、肩透かしを食らったような気持ちで、思わず拍子抜けをしてしまった。


 濡れた子犬のように俯く様がどこか気の毒で、ブランクは「あのネロって人は……いつもああなの?」と、違った切り口で会話を続けた。もしそれなら交友関係を洗うべきでは、という思いもあったのだが、エレノアは首を左右へ振った。


「彼とは、幼馴染で。昔から捉えづらい人柄ではあったのだけれど、彼も今ほど直情的ではなかったわ。敵国の人間だからと言って、理由もなく痛めつけるような人ではなかったのに……ほんと、どうしてこうなってしまったのかしら」


 今にも泣き出しそうな顔がどうにも目に毒で、ブランクは「そ、そういえばさ!」と会話の方向性に面舵をいっぱい引いた。


「ノワール領ってさ、クロエと同じ名前だよね、すごい偶然!」


 ははっ、と身振り手振りで慌ててしまい、傍目に見ればなんと下手な方向転換であるかというほどなのだが、少女は気にしなかった。それどころか、


「ええ、偶然なんかではないわ。彼女は元々、伯爵令嬢ですもの」


「なーんだそっかぁ、道理で、ははっ──……って、えええぇ!!?」


 そんな爆弾発言を投下して、ブランクは、目玉が飛び出るかと思うほど驚いて、それが傷に響いて悶絶した。


「ちょっと何してるのよ! ばかね、ほんと……」


「いや、だって、君が珍しくそんな冗談言うから……」


 いてて……とうめきながらブランクがそう言うと、エレノアは「あら」と小首を傾げた。


「本当のことよ。クロエはノワール領の伯爵家の血統を受け継ぐ、正真正銘、正統的な実継よ」


 嘘でしょ、と言いたい口が、外れそうで動かない。あんぐり空いたままの口を見て、エレノアはとうとう呆れてため息をついた。


「あなたって、結構失礼よね。言いたいことは分かるけれど」


「いや、だって……いや、そうか」


 ブランクは、一人で納得した。あれだけズボラで生活能力のない人間が、普通の人であるはずがない。だからこそもらった給金にも関心がなく、あれこれが欲しいという物欲もないのだ。点と点が線で繋がったようなスッキリした形に収まったかと思いきや、ブランクには、まあ新たな疑問が生まれた。


「あれ、待ってよ。そんな身分の人がなんで君に仕えてるのさ。平民の僕だって、さすがにそれがおかしいのは分かるよ」


 エレノアのように両親が亡くなって、のっぴきならない理由があれば、若くして領主──なんてこともあるだろう。しかし、そうとまでは行かずとも、さすがにそろそろ放蕩ばかりではいられない年齢であるはずで。まさか勘当されたのでは……と、心の中で面白おかしく想像を掻き立てていると、エレノアは思わずクスリと笑った。


「あなたって、本当に顔に出やすいのね」


 初めて素直な笑顔を見た気がして、ブランクは言葉を失って見惚れていた。それを知ってから知らずか、エレノアは「あなたの国ではどうかは分からないけれど──」と続ける。


「この国では伯爵家以下の身分からは、社会勉強も兼ねて、より尊い身分の屋敷へ、奉公に出ることを許されているわ。だから彼女がわたしの屋敷で働いていることは、何も不思議ではないのよ?」


 聞き心地の良い澄んだ声色か優しく諭すように並んでいく。しかし。


「ただ──」と続く言葉に添えられた声は、白んだ空より曇っていた。


「彼女の場合──家には戻らない方が、幸せなのかもしれないわね」


 ブランクはハッとした。時折、彼女はこういった表情を見せる。玻璃細工のように繊細な、下手に触れれば壊してしまいそうなほど、儚げな顔。薄らいだ双眸が映しているのはきっと酷薄な過去で、言葉にしなくても、易々と触れてほしくないという訴えの秘められた、言葉なき拒絶。


「このまま、ノワール領に行くのかい?」


 何も喋らなければ会話が終わってしまいそうで、ブランクは、場繋ぎ的に会話を続けた。それを汲み取ってか否か、エレノアは「いいえ」ときっぱり断った。


「そんな備蓄は用意してないわよ。今日の予定はお墓参りをして、それから一時帰宅。ノワール領へは、あなたとクロエで行ってちょうだい」


「ええっ、君は!?」


 ポカンと間の抜けた顔で尋ねると、エレノアは「バカ言わないで」と一蹴した。


「わたしも暇ではないの。あなたとクロエには、買い付けという名目で向かってもらうのだから、しっかり役目は果たしてもらうわよ」


「……そういえば、僕はいつから君の召使いになったの?」


 話の流れで忘れそうになっていたが、エレノアの言葉に、ブランクは、先ほどのネロとの応酬を思い出して、真意を尋ねた。するとエレノアはまた珍しく、うっと言葉を詰まらせて、気まずそうにおずおずと言い出した。


「仕方ないじゃない。ああでも言わなきゃ、彼、本当にあなたを殺しそうだったんだから」


「うっ、たしかに……」


 静かなる殺意を宿した血色の瞳は、あまりにも冷徹だった。思い返せば、ブランクだって腕が震えた。細身な体であるのに、振るわれた力はあまりに強すぎた。本来であればゴゲラやヤラグ・モロゾフのような、大質量が持つような力を、あの痩身に宿しているのだ。


 どんなカラクリがあるのかは分からないが、プロテマを突き抜ける衝撃は、並大抵の方法では凌げない。剣で受ければ、それこそ折れるか割れるか、はたまたねじれるか。いずれにせよ、無傷で済まないのが目に見えるようで。ブランクも思い返せば今ここに命のあることが不思議に思えて──。


「あっ」


 不意に、思い浮かんだことに。ブランクは、エレノアに膝を揃えて向き合った。


「なに?」


「いや、まだ言ってなかったなあと思って」


 そうして頭を下げるとエレノアは「ま!」と声を上げた。


「ありがとう、君の機転で助かったよ」


 ブランクにしてみれば、ただ感謝を伝えただけなのだが、そこはかとなく微妙な空気を感じ取って、ブランクはその面をあげた。


「男の子がそうやってすぐに頭を下げるのは感心しないわ。あなたは平民だから関係ないのかもしれないけど」


「またそうやって……貴族って、めんどくさいね」


 言ってから、またズケズケとした物言いをしたかと思ったのだが、少女の反応は、また思ったものと違った。


「そうね。貴族の社会は面倒ごとばかりだわ」


 はあ、と窓際で憂う姿はこれまでとは打って変わっていて。疲れの色がありありと見て取れた。


 今日という日は変化が多く見て取れる少女に、詳しく聞きたいことが多く増えたのだが、


「さ、着いたみたい」


 その時、獣車が止まった。


「少し待っていてちょうだい」


「着いたって……」


 言いかけて、ブランクは固まった。貴族の寄る墓なのだから、どれだけ荘厳な墓所なのだろうと思っていたのだが、窓の外に見えるのは、墓地などではない。墓石も無ければ墓標の並ぶこともない、見晴らしの良いだけの、ただの花畑である。


 唖然とするブランクの傍を通り抜け、エレノアは獣車を降りた。手にしていたケースから花束を取り出し、近くの巨木へ歩いて行った。


「この花──メヒロスの花か!」


 地質によって色が変わってこそいたが、その花の見た目は、よく見た覚えがあった。故郷のグレフ村でよくよく見かけていて、繁殖力の強さからここにあるのも不思議ではないが、濃紺に葡萄色の花は、ここでは桜色に、白のグラデーションがかかっていた。見るに可憐なそれがメヒロスの花であると思ったのは、形や匂いである。春風に運ばれてくる優しい香りは、どこか懐かしい気持ちを掻き立てていた。


「おめさ、待ってろって言われだべ」


「あっ、ランツさん……」


 後ろから声をかけてきたのはランツだった。どこか気まずそうに後ろ頭を掻いていて、視線が浮ついている。それがどこか気がかりで、ブランクは「どうかした?」と思わず尋ねた。


 するとランツはポカンと間の抜けた顔をしていて、それがブランクの首を、一層不思議に傾げさせた。

「いや、おで、おめを見捨てたでねーか」


 気にしてねーのか? と問われて、ブランクは「え?」と記憶を辿った。思い当たることといえば、ネロとの時くらいで、たしかにブランクが反撃して以降、ランツはどちらに与することもなかった。しかし、ブランクはそれを見捨てたとは思わなかった。


「うーん……あれは見捨てたとかじゃないでしょ。ランツさんにも立場ってものがあるし」


 それに、とブランクは言葉を続けた。


「ランツさんがいなきゃ、僕は今頃ここに立っていない。それどころか、お墓参りされるのは僕だったかも」


 なんてね、と冗談めかして言えば、ランツは目を驚きに瞬かせる。


「ほんとに、怒ってねっが?」


「ランツさんは怒ってほしいの?」


 純粋に覚えた疑問に、ランツはまさかと首を振る。


「おめは、なんか、変わってんなあ。今時珍しい、ああ、漢だ!」


「いや……うん。僕は男だけど」


 知ってるよ、と言えばランツは男泣きしながら、ブランクの肩をがっしりと掴んだ。


「いや、おめは漢だべっ!!」


「いや、うん、女の子になったつもりはないよ?」


 何が何だか分からないまま、ランツは一人で納得して、感心していた。


(まあ、嬉しそうだしいっか)


 そう思いながら、ブランクはちらとエレノアを見た。遠目に見てもそれがフラフラと、ひと風吹けばその少女がどこか黄昏の闇に攫われそうに見えて、ブランクは、居ても立ってもいられずに、


「ランツさん、ちょっとここで待ってて」


「なっ、おい!」


 そうやってランツに言いつけると、ブランクは、急いで先ゆく少女の背中を追いかけた。


「やあ、僕もいいかな?」


「……なんで」


 ぐしっと目元を袖で拭った瞳には、薄い煌めきが膜を張っていて。ブランクは、何故か余計なお節介と知りつつも、駆けつけて良かったと、胸の内を撫で下ろした。


「ほら、男手がいるかなあ、なんて、思ったりして」


 言ってから、ブランクは下手を打ったことに気がついた。もし本当に男手が必要なら、ランツを連れていくはずだからだ。


「ばかね、それならランツを連れて行くわよ」


「うっ……ですよねー……」


 ははっ、と、ブランクが気まずそうに後ろ頭を掻いていると、エレノアは少し迷ってから、花束を手渡した。

「え?」


「エスコート。してくれるんでしょう?」


 違うの? と首を傾げられて。ブランクは、花束を受け取り、少女の跡について行った。


(これは──)


 ブランクは、驚愕した。果たして、これは墓と呼べるのだろうか。


 花畑にあったのは、ボロボロの木だった。風雨に曝されて見すぼらしく風化したそれは、およそ墓と呼ぶにはおこがましく、しかし、手前に置かれた大石は適度によく磨かれていて、苔も生していない。その死者への敬意が、唯一墓と呼ぶに値するものであった。


「少し待っていて」


 エレノアはそう言いながら、墓の形骸を保つ部分の清掃を始めた。


 貴族の墓というよりは、平民の墓のようで、目立つことを(はばか)られる様は、罪人を悼むようでもあった。増える疑問に応えるように、墓前に花を添えたエレノアは、小さくこぼした。


「このお墓は──わたしの幼馴染のものなの」


 さらりと石の表面を撫でながら、少女は言う。てっきりエレノアは、父の墓参りに来たのだと思っていたものだから、ブランクは、思わず面を食らった。それならばこの有り様にも納得できるものがあるのだが、彼女の財力を以ってすれば、この墓をもう少し見栄えを良くすることなど容易いはずであるのに、ブランクは、どこかボタンをかけ違えているような、小さな疑問を覚えていた。


「特にお互い思いを寄せあっていたわけではないのだけれど、きっと──生きていたら、彼が婚約者になっていたのでしょうね」


 どんな思いで、誰を思って、どこを見つめながら、少女はこの話をしているのだろうか。ブランクは、しばらくかける言葉が見当たらなかった。だが、間が開けば語る時を見失うと判断して。ブランクは「大切な人……だったんだね」と、小さく続けた。


「……そうね。惜しい人を亡くしたのだわ、たくさん」


 たくさん、の中には、恐らく彼女の両親も含まれていて。その全てに、エレノアは、心のねじ切れそうな、痛みを訴えるような、その壮絶な苦しみと、あるいは、己の罪を贖うための告白をする、神への懺悔をするような──そんな様々な嘆きの色が見て取れて。


「何があったかは知らないけれど……君のせいじゃないよ」


 ブランクは、そうやって元気づけようとした。間違いなく、これは確実に、善意で言ったつもりだった。


「わたしのせいじゃ、ない……?」


「あ」


 すると──ブランクは、言葉を誤ったのだと思った。


「何も知らないくせに……勝手なこと言わないでよッ!!」


 少女は、背を向けて駆け出した。まるで逃げ去るように。この場にいるのが辛いのだと、顔に書いて、悲しみの雫をひとつ、ブランクと共に、花畑に置き去りにして。

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