第四十四話『襲撃者』
「答えろ」
ブランクは、突きつけられた白刃に喉を鳴らした。まかり間違えば、それが人生の終止符を打つと知って。
「何故敵国の人間が此処に居る。目的を言え」
(こいつ……強い!)
眼前にあるは黒髪に血色の目をした青年。涼しげな顔は酷薄なまでの殺意を宿し、今にも襲いかからんと、ブランクを真正面から睨みつけていた。
彼の青年の矛先が向くまでを、ブランクは振り返った。
……ブランクは、エレノアの従者にして私兵である、ランツの走らせる獣車で、キッシュベルクの北西へと向かっていた。
道中立ち寄る場所があると、エレノアの発案による──いわゆる寄り道であったが、にべなく断る術もなく、ブランクは、連れられるがままに、ただ獣車に揺られていた。
(僕の記憶が確かなら──ラーゼンヴァルグ領の北西は確か、グッシルヴァッハだ。ツェールドマルク伯爵が治める領地で、確か伯爵は稀代の発明家だとか……)
屋敷で過ごす時間が増えたブランクは空いた時間を使って、真っ先に地理について調べた。ナハクの残した言葉である『マルシェ』がどこにあるのかを調べるためであったが、しかしどうやらマルシェとは都市や地名などではなく、話によればそれは闇市そのものを指し示すらしく、この国の暗部にして汚点でもあるその存在を、エレノアは反吐顔で教えてくれた。
そんな経緯もあり、調べ物自体は肩透かしを食らったわけであるが、何も得た知識の全てが無駄になるわけではない。
(この辺りにも、栄えてる都市がある。ここにある可能性だって、ないわけじゃない)
視界を去るものの一つも見逃さないと、顔を窓に貼り付けたブランクは、外をひた走る木の葉の、一つ一つにすら気を削った。
「みっともないからおやめなさい、はしたないわよ」
「だって……」
流れる景色を名残惜しそうに見ながら、ブランクは、窘めるエレノアへ視線で訴えた。
「この辺りはよくよく調べたわ、他より念入りによ。絶対にないと言い切れるわ」
「なんでそう言い切れるのさ」
ブランクがむっと口を尖らせてそう聞くと、エレノアはゾッとするほど冷めた目で、窓の外を見た。
「こんなところにそんなもの、あってはいけないからよ」
低く鋭い声は、それだけで皮膚や鼓膜を裂きそうで、ブランクは、一拍遅れて自分の毛が全身粟立っていることに、ようやく気がついた。そうして圧倒されて言葉を失ったのも束の間、ブランクは、それから「あれ、変だぞ……?」と疑問を覚えた。
(なんで自分の領地でもないのに、わざわざこんなところまで出張って……?)
聞けばエレノアは、大きな買い付けや領主同士の会議、支援要請など、領主としての仕事もこなしながら、隙があれば、マルシェの末端狩りをしているらしかった。
初めに聞いた頃はなんて仕事熱心なのだろうと思ったものであったが、ブランクは、次第に疑問を覚え始めていた。
あまりにも執念深すぎる。睡眠時間を削って、わざわざ他の領主が治める土地まで調べているのだから、これはもはや、領主の責務がどうこうなどといったものなどではなく、何か私怨のようなものが揺らめいて見えるようで、ブランクは、恐る恐ると口を開いた。
「昔──何かあったの?」
何が、とは言わなかった。それでマルシェだと伝わらないはずが、なかったからであった。
「……」
しかし少女はその身に余るほどの凄まじい眼力で、余計な首を突っ込むな、と、ブランクの好奇心を押さえつけた。一瞬、尋ねたことを心底後悔したのであったが、口をついて出た言葉はもう戻らず、ブランクは、ここで引いては男が廃ると、弱腰な自分を、生唾と一緒に喉の向こうへ引っ込めた。
「はあ……」
そうして、忠犬のようにまっすぐな瞳で言葉を待たれてはエレノアも弱いらしく、とうとう小さなため息をついて、少女は角を折った。
「あなたって人は、本当に遠慮というものを知らないのね。よく空気が読めないって言われないかしら?」
エレノアにそう言われて、ブランクははて、と考え込む。
「どうだろう。あんまり意識したことないけど、面と向かって悪口を言う人なんて、いないんじゃないかな」
ブランクが真剣に悩むと、少女は亜麻色の髪をくしゃりと潰して「そういうところよ」と、呆れて頭を抱えた。
「特に聞いて楽しい話ではないし、親友の触れられたくない過去を楽しそうに語れるほど、わたしも恥知らずではないわよ」
それでも言葉を待たれて。エレノアは観念したようため息をついた。
「あなたと……あなたと同じよ。わたしの親友は、マルシェの被害者なの。かどわかされて、買い付けられて、人としての尊厳を踏みにじられて。なんとか見つけた時には……もう何もかもが手遅れだったわ。わたしの親友は、明るいお日様みたいな笑顔は、永遠に失われてしまった」
生きているだけ、ありがたいことだけれど、と、付け足されて。ブランクは、明日は我が身である話に、到底他人事などとは思えず、気づけば言葉を失っていた。
「代われることなら、わたしが代わってあげたかったわよ……」
拳と唇がギュッと泣き、その計り知れない心の痛みが悲鳴となっていることが、傍目からでも容易に見て取れた。なんと言葉をかけるべきかと悩んでから、ブランクは「僕にできることはある?」と尋ねた。すると、エレノアは「余計なお世話よ!」と角の立ったように怒り、眉を吊り上げた。
「絶対にこの件には関わらないでちょうだい! 彼女、男性はもう見たくないのッ!!」
暗に全てを赤裸々と語ってしまって、エレノアは、今さら遅い口の蓋を、ハッと手で覆い隠す。それからバツの悪そうな顔をして「マルシェは──」と切りだした。
「マルシェは、絶対に許さない。わたしが、この手で……」
必ず、と。燃ゆる殺意を目に宿し、少女は会話を打ち切った。
それから、一言の会話もなく、獣車は走った。沈黙は苦痛ではなく、考える時間となった。彼女が躍起になっている理由が判明して、ブランクはようやく得心がいったのだった。
(彼女の友達が、マルシェの被害者なのか。そりゃあ、我がことのように怒るはずだよ)
仏頂面で窓の外を見遣る少女の目は、まさに狩人そのものだ。窓辺に張り付きやしないものの、その瞳は、鷹の目のように鋭く、獲物を見逃さんとばかりに、ギラギラと輝いている。
一つ明かされた真実に、ブランクは彼女の、妄執的なまでのこだわりに苛まれる、理由の一つを垣間見た気がしたのだが、なぜだかブランクは、エレノアという少女がここまでマルシェに固執している理由が、それだけではないような気がしていた。
「着いたわ」
そうやってふと黙考に耽っていると、獣車がゆるやかに停車し、エレノアは、ゆっくりと席を立った。すると扉はゆっくりと開かれて、ランツが中の様子を伺い、一礼した。
「あなたはここにいて」
おもむろに自分も続こうとすると、ブランクの進行は、拒絶を示す手のひらに阻まれた。
「あなたは服装こそ召使いだけれど、そのように振る舞う必要はないわ。そもそも教養も何もあったものではないのだから、よそ様に立てるはずがないでしょう?」
「うっ……」
確かに、とブランクは言葉を詰まらせた。ブランクの今の状況はまさにハリボテであり、見かけ騙しも甚だしい。所作や作法など、本の噂にしか聞きかじったことがないのに、一体全体、どうやって自分がそのように振る舞うことができるのか。
ブランクが思うに、クロエが連れ回されない理由もきっと、作法などを重んじる場に適していないからなのだろう、と、納得させた。素人目に見てもそれだけ黒猫の侍女の所作は、杜撰であった。
「いいこと? 大人しく待ってるのよ。絶対に外には出ないでね」
「そんな、子どもじゃないんだから……」
そう言いかけると、エレノアはブランクの頭から爪先まで見た。
「見たまま子どもだけれど? 背丈も小さいし」「うぐっ」
ブランクは自分の年齢がまだまだ子どもであることを理解していた。ヴリテンヘルクでは十五で成人かもしれないが、グランヴァレフでは十八でいっぱし扱いである。
言い返すこともできないその様子に、勝ち誇ったように頬をゆるめたエレノアは、満足げに背中を向けた。その少女の華奢な背へ向かって、ブランクはぼそりと呟いた。
「ちぇっ、自分だってそんな変わらないくせに……」
かなり小さく呟いたつもりだった。それなのに、少女は亜麻色の髪を踊らせながら、振り返り、緑青色の瞳で、ブランクの心臓を凍りつかせた。
「何か──……言った?」
「いえ、あの、べつに!!」
ブランクは背筋を正し、気をつけをしたまま、どことも分からない天を仰いだ。生存本能が促すがまま取らせた行動は、果たして正しかったのか否か──、
「そ」
と、小さな言葉だけを残して。少女は、ついと立ち去っていった。
(なんだろう……なんで、あんな──)
ブランクは、その横顔が忘れられなかった。季節はすっかり春だというのに、その面持ちには秋特有の寂寥感のような、まるで時化る寸前のような、そんな物悲しさが煮詰められていて、ブランクは、とうとう閉ざされた扉を前にして、追いかけることのできない自分に、歯がゆさを覚えて、知らず知らずのうちに、唇を噛み締めていた。
「よっ」
「あっ……」
そこへ。同じく留守を言い渡されたランツが現れて、無遠慮にどっかりと、車内のソファに、面と向かって腰掛けた。
「よぉ、ひっさびさだべな」
「そうだね、最初に会って以来、かな?」
ぼんやりとそんなことを思っていると、ランツはニヤリと笑った。
「おめの言う通りだった!!」
「え?」
突然そんなことを言われて、ブランクは何が何やらさっぱりだった。上機嫌に「またまたぁ!」と歩み寄られて、肩を叩かれても、記憶の澱はさっぱり起こらない。
「おで、付き合えたで!!」
「えっ、はあ……ああ!?」
それを言われて、ブランクは初めて思い出した。口から出まかせの勢いばかりのハッタリであったのだが、後で埋め合わせをしようとしていて、ブランクはすっかり忘れていた。あんぐり口を開けた顔をしていて、いかにもうっかりなのだが、ランツの機嫌は鰻登りの有頂天であり、そんなものはお構いなしだ。
「おめの言う通り、おでにもめんこい彼女ができたで! ありがとな!!」
手放しで喜ばれれば喜ばれるほど、ブランクには後ろめたい気持ちがあった。もはや乾いた笑いで誤魔化すにはあまりに胸が痛み、ブランクは実は──と、切り出した。
「嘘をつくつもりじゃなかったんだけど……僕は、あれは、適当なことを言ってしまったんだ」
本当に、ごめんなさい、と。ブランクは頭を下げて謝った。頭の上の先、彼はどんな顔をしているのだろうと、続く沈黙の長さを怖がった。するとランツは「何言ってんだ、おめ」と、ブランクの肩をがっしりと掴んだ。
「そんなことどうでもいいべっ! おでとあの子が付き合えた、それが全部だっ!!」
屈託のない笑みは一つの翳りもなかった。騙したことに対する憤りや、嘆きなどというものが、とんと見えやしなかった。
「許して……くれるのかい?」
「おめが何言ってるのかわがんね! おでは何も気にしてねーし」
いししと笑うランツに、ブランクは、今度こそ違えないと誓った。
「ランツさんって、いい人だね。僕、最初に見た時、犬の顔してるから、怖い人だと思ったよ」
「犬じゃね、狼だ!」
がう、と威嚇して、ブランクは初めて「うはっ」と、戯れに笑った。
そうして男の友情を深めていると、ぎぃ、と音が鳴った。不意に意識を取られて見れば、ぬっと、ぬばたま色した棒が見えた気がして、あっと思った頃には、ブランクの首にそれが食らいついていた。
そうして衝撃を身に受けて。地面を二転、三転したかと思えば、ブランクは、気がつけば獣車を引きずり降ろされていた。
「な──何をするんだ!!」
咳き込みながら訴えたブランクの喉元には、鈍く光る白刃が突きつけられていた。うっ、と凍る声門に「答えろ」と、凍てつく声音が響いた。
「何故敵国の人間がここにいる。目的を言え」
果たして──その男は、血色の瞳でブランクを見下していた。




