第三十九話『嫌いの反対は』
ブランクはひとまず、吐かせた大男を裏手へ続く家の寝屋まで運び込むと、手始めに、床に広がる吐瀉物を片付けて、それから、鍛冶場の掃除を大々的に始めた。
(こんなの、見てらんないよ……!)
ブランクが男に対して強気に出られたのは、ひとえに、この鍛冶場の惨状だった。環境が人を腐らせるとはよく言うが、彼の者の杜撰さを鑑みるに、卵が先か鶏が先かなど、もはや論ずるまでもない。職人の端くれである自覚を芽生えさせたブランクにとって、それは到底我慢のできないことであった。
「目を覚ましたら、一言文句言ってやんなきゃ……!」
そうやって身を粉にして清掃に勤しんでいると、ブランクは鍛冶場の入り口に、誰か人影のあることに気がついた。
「あっ」
「えっと……お客さんかな?」
ブランクが掃除の手を止めてそう尋ねると、二十そこそこの、背の高い若者がいた。見るからにどこか頼りないその青年は「いや、あの……」と、見るからにてんやわんやと不審に手をバタバタと騒がせて。それから、
「なんでも、ないっ!!!」
ピューっとそのまま、大股でどこかへ立ち去っていった。
「行っちゃった……」
なんだったんだろう、と疑問を抱えたまま再び掃除をしていると、ブランクは、裏手の扉がキィと寂しげに鳴いたのを聞いた。
「いてて……あん?」
どうやら家主である男が起きてきたようで、男は記憶がないのか「なんだ、オメェ」と、二日酔いにしかめっ面をしながら、不躾に睨みつけてきた。
ブランクは、それが介抱してくれた人にする態度? と、口を尖らせて。それに対して、大男は「ケッ、誰も頼んでねぇよ」と、不遜な態度で目も合わせやしなかった。
なんだと! と、食ってかかろうとしたものの、ブランクは、この手の輩にまともに張り合ったとて、埒の明かないことを知っていた。
「一応掃除もしたんだけど?」
ほら、と自分の成果を披露すれば大男は、まるで小姑のように埃を探し始めた。それから、指でつうっと埃のないことを確認すると、ちっ、と小さく舌打ちをして。
「無駄なことをしやがる」
「……は?」
ブランクは耳を疑った。しかし、それは聞き間違いではないらしい。
「使わねえもんをいくら掃除したって意味ねえだろうが」
そうやって憎まれ口を叩くものだから、さすがのブランクもカチンときた。
「あっそう。じゃあ、これも無駄なことしてるんだ?」
ブランクがそう言って見せたのは、油布に包まれた、鍛冶道具一式だった。見るに、それだけはずっと手入れをされていて。大男はそれを認めるや否や、血相を変えて「返せ!」とひったくり、我が子をかわいがるように抱き寄せた。
まだ鍛冶場に思い入れはあるらしく、未練がましく道具の手入れをしているところを見るに、何か理由があるのは明々白々であった。
「どうしてこうなっちゃったの?」
「……何にも知らねえくせに、偉そうに聞いてきやがって」
そう言われるとブランクは「そうだね、何にも知らないよ」と強気に出て。
「だから聞かせてって言ってるんだよ。一体全体、何があったの?」
何か力になれるかも知れない。ブランクがそう思って、良かれと声をかけたのだが。男は、ただ静かに男泣きをして。それを見てブランクは、まさかと驚き、ギョッとした。
「一番弟子が、女房と懇ろになって出ていかれた野郎の情けねえ気持ちが、小僧っ子のお前に分かるってぇのか、えぇッ!?」
「うっ……」
思いの外重たい情事を掘り起こしてしまったブランクは、早々に言葉を詰まらせて。そればかりではなく「その上──」と男は続けた。
「もう一人の弟子にも八つ当たりしちまって、それから、二度と来ねえしよぉ。俺はもう、おしめぇなんだよ……!」
「わっ、わっ……ほら、あの、落ち着いて、ね?」
大の大人が恥も外聞もなく目の前で泣いてしまって。思わずたじろぐブランクが、必死になって宥めること小一時間が経って。大男は、ようやく鼻っ柱を赤くしながら、泣き止んだ。
「小僧ぉ、俺はよぉ、まともに弟子の目も見たことねぇような不器用だけどよぉ……こんな仕打ち受ける謂れはねぇぜ、ほんとに、情けねぇったらねぇよ……!」
弟子の目くらいは見ようよ、とは思ったものの、人のことだ、とブランクは話が進まなさそうだと思ったので、特別口にはしなかった。
聞けば彼の名はガランドというらしく、この鍛冶屋の親方らしかった。その昔は帝都からの仕事も受け持つほど、この鍛冶屋も賑わっていたようである。それが今では閑古鳥が鳴く有り様で、とうとう嫁も弟子も、手紙一つ残していなくなったらしい。
「それで──もう一人のお弟子さんはどうしたの?」
弟子はもう一人いたはずだ、と。一番弟子と嫁との不貞なんかを尋ねれば、また泣き喚くことは目に見えていたので、ブランクは、違う切り口から尋ねてみることにした。しかし、
「アイツは、出来が悪いんだ。それをクソミソに怒鳴り散らしてたら、とうとう来なくなりやがった」
情けねぇ、と息巻く親方の容赦のなさに、ブランクは、苦笑以外の反応ができなかった。
(なんか同情しちゃうな……かわいそう)
顔も知らないその人物に、一年前の自分を重ねて。ブランクは、思わず同情をしていた。そう思えば、目の前でへそ曲がりに威張り散らしてあーだこーだと、弟子の欠点を並べ立てている親方など、自業自得なのでは、と思うのであるが。既に彼も不憫なほどの罰は受けていると思うので、ことさらそこを咎めようとは思わなかった。
しかし、
「アイツはよぉ、聞く気がねぇんだ! 一回言ったことを何遍も聞いてきやがるし、第一、何よりも声が小せえのが気に入らなねえ!!」
「へえ〜」
「アイツみてぇな半人前、何人いても、変わりゃしねぇよ!」
へっ、と息巻く親方。ブランクは調子良く語る彼に水を差すのは忍びないと、語り出しの頃こそ感じていたが。今ではその気持ちは真逆にある。
「でもさ。実際問題、鍛治仕事には人手がいるよね?」
「うっ……」
「それで今現在、仕事になってないわけだし」
最後の砦(崩壊寸前であるが)とも言える弟子を、親の仇かと思うほど貶し続ける不毛な語りに終止符を打つべくして。ブランクは、とうとう強烈な一手を放り込んだ。
「僕はその現場を見ていないけど、あなたの言動を見るに、あなたの教え方にも問題があるような気がするけど」
「ぐっ……う、うるさいな! 他人にどうこうと口やかましく言う権利があるってのか!」
声高に攻められども、ブランクは冷ややかな顔して正論一つを振りかざす。
「そうやって怒鳴ってまくし立ててるから、残ってくれたお弟子さんもどっか行っちゃったんじゃないの?」
「うっ……」
「意地張っても時間をかけるだけだよ。素直に謝りに行こうよ。ね?」
そうやって、なんとか宥めるように諭していると、ガランドは突然「うるさいな!!」とブランクの提案を突っぱねて、ブランクを明確に拒絶する指を差した。
「親方が弟子に謝るなんざ、そんな恥ずかしい真似ができるかってんだ!!」
生意気な小僧め! と背中を向けて敵意を剥き出しにされては、ブランクももはや、手の施しようがなかった。
「この──分からず屋っ!!」
帰れ帰れと、手であしらわれて。ブランクは、そのふてぶてしい背中へ向かって、そんな捨て台詞を吐くと、憤るままに、鍛冶場の出口へと向かった。すると、
「ん?」「あ」
ブランクは先ほどの客のような男がまた逃げるのを見て。あっと一声上げると、頭の片隅にあった小さな違和感が、先ほどのガランドの会話から、ようやく線で繋がったのを感じる。「もしかして──!」と、期待に胸を膨らませ、急ぎ足にその背中を追いかけた。
「ねえ、待ってよ!」
「くるな、ついて、くるな!!」
その人物は、脇目も振らずに、必死になってブランクを撒こうと走り続ける。ハオディを使うか否かで、一時悩むのであるが、経過観察されてる身である自分が魔術を使うことなど、あまり褒められたものではない。ましてやこれは、相手を屈服させる類いのものではなく、心を通わすための追跡であるのだ。
「根性ぉオオッ!」
自分の足腰を信じて、ブランクは己を鼓舞するためにそう叫ぶ。その声に過剰に反応した前の男は、肩を飛び跳ねさせ、走るリズムを崩し、目の前にあった木板に足を引っかけ、
「あ」「ちょっ──」
盛大に、すっ転んだ。全力で走っていたブランクも、それに巻き込まれ、辺りには砂煙が舞い上がって。ブランクは「いてて……」と、打撲箇所をさすりながら、起き上がる。
「うっ、おお……」「わっ!」
自分が追っていた青年を下敷きにしてるのだと分かれば、ブランクは、急いで飛び退いて、ごめんと謝るのであるが、その青年は、一向に立ち上がる気配が見えない。
もしかして、骨でも折ったのでは、と、ブランクが肝を冷やしていると、
「お前は…………だれだ?」
「え?」
それは、アイデンティティや哲学的な意味を含むのか。どういった意味合いがあるのか。ブランクがどう答えていいものかを「えっと……」と時間を稼ぎながら頭を働かせていると、青年はむくっと起き上がり、それから一考を挟んで。
「お前は……だれだ?」
(間が、独特……!!)
青年は再び間を取り持ちながら、しかも変わらぬ文言で問いかけてきた。どうやら聞こえなかったと判断したようで。ブランクは、ひとまず名を聞かれているのだと判断して、会話を切り出すこととした。
「僕はブランク・ヴァインスター。訳あって、今は領主様の家で厄介になってる。君は?」
「弟子、か?」
「……」
絶妙に会話が噛み合わない。ブランクは頭の中でスイッチを切り替えるように、一つ冷静さを含ませて。相手の真意を手探りで、言葉一つ放れば眉一つ見逃さずと、そうやって心に決めて、この青年との会話に臨んだ。
「僕はガランドさんの弟子じゃないよ。あの人はまだ、誰も弟子は取ってないみたいだよ」
「……」
「あなたは……ガランドさんのお弟子さん、で、いいんだよね?」
相槌すらも一拍遅く、ブランクは間を持たせるべく矢継ぎ早に話してしまったと、自責の念に囚われるのだが、それも後の祭りである。だがしかし、これ以上を語ればさすがに話しすぎだ。ブランクは、返ってくる言葉をひたすら待った。
「……そうだ」
「うん。名前を聞いてもいいかな?」
「……ドマ、だ」
(う〜ん……)
ずっと出鼻をくじかれ続けるような間ではあるが、ブランクは、この独特のリズム感に、どこか既視感を覚えていた。
(あっ)
そうして脳裏に浮かんだのは、もこもこの白い髪をした少女である。
(メルに似てるのか)
姿や言動、取り持つ間などは全く以って違うものの、人としてどこかマイペースなところが、出会った頃の彼女に似通っているのだ。そう思うと、ブランクは途端に親近感を覚えた。そればかりか、先ほどまでは不快に感じていたはずのこの独特なリズム感も、今ではパズルの嵌まるように心地良い。
(なんか……不思議だなあ)
突然思い出した故郷の少女に、どこかノスタルジックな思いも潜ませながら、今は目の前の青年と語らうべく、短いながらもある、積愁の思いを断ち切った。
「ドマさんは、どうして鍛冶場に行かなくなったの?」
「もう……顔も見たくない、と、言われた」
「うわぁ……」
前髪に目が隠れているので、感情の機微を読み取ることが難しい顔であるのだが、ドマは、見るからに肩を落として、暗い声で話した。ブランクは、原因がガランドにあると分かれば、それすらも忘れている、彼の者に残っていたわずかながらの同情が、途端に吹き飛んで。
「おれ……どうすれば、いい」
そう尋ねられると、一つ脳裏を過った案を通すことにしてみた。
「ドマさんは、鍛冶の仕事を続けたいんだよね?」
ブランクが尋ねると、ドマは少しの間を置いてから、しっかり頷いた。
「鍛冶の仕事は……好き?」
「……分から、ない」
ただ──と続く言葉に添えられた口元は、ブランクの気のせいでなければ、きっと──、
「火の近くはぽかぽかして、きらいじゃない。とだけ、おもう」
「そっか……」
笑っていたような──ブランクは、そんな気がした。
「ドマさん、僕も人に物を教えられるほど、大層な見識を深めているわけじゃないけど……このままやられっぱなしじゃ、悔しいじゃないか」
そうしてブランクは手を差し伸べた。
「ここは一丁、あの偏屈な親方の鼻を明かしてやろうよ!」
ね! と開かれた手は握り返されるのを待っていたのだが──、
「うん……うん、ドマさんらしいね」
ブランクは、差し伸べた手を擦るドマに、また出鼻をくじかれてしまうのだった。




