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The Alter Story《ジ・アルター・ストーリー》  作者: 水落護
第三章『あなたを信じてあげる』

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エピローグ『あなたを信じてあげる』

 ブランクは薄らぐ意識を覚醒させ、重たくのしかかる目蓋を、ゆっくりとこじ開けた。


「ここは──」


 見たことのない光景だった。それもそのはずだ。ブランクは『庶民』なのだから。


 まず身の沈むほど柔らかく大きなベッドで寝た経験などブランクにはないし、ましてや、天蓋から降りるカーテンの意味など、理解が及ばなかった。薄い白布から透けて見える室内には、しっかりと朝日が差し込んでいて、目に映る物々はいかにも高そうな調度品ばかりで、よく磨かれたそれらは、朝の訪れをキラキラと喜びに語り合っているようだった。


「あら。起きたの」


 ブランクは、その澄水(すみず)のように肌に染み入る声のする方へ、心と体を向けた。


 見るにその少女は、今まで読書をしていたようで、パタン、とその分厚い本を閉じると、その翡翠のごとく美しい緑青色で、じぃっと見つめ返してきた。


「ここは……?」


「開口一番で気にするところがそこなのね。まあいいわ」


 呆れたように本を近くの机の上に置いた少女は、膝掛けをたたんで、それから窓辺のカーテンを開くと、窓を開けた。


「ここは、わたしの邸宅で、客間。あなたが気を失ったから、わざわざ運んできてあげたのよ」


 感謝してほしいものね、と、続けられると、ブランクの喉から出かかっていたお礼の言葉は、容易く声門に蓋された。


「……何それ」


 ブランクがなんとか難癖つけようと目に留めたのは、縁のない銀色の眼鏡だった。少女は「ああ、これ?」と気がついて、幸せそうに顔を綻ばせながら、言った。


「この眼鏡(がんきょう)は、お母様の形見なの。似合うでしょう?」


 そう言われると、ブランクも下手な言いがかりは言えない。何せちょっと気になったから取り上げただけで、実際様になっているのだから、ブランクには「ふーん」と、言うまでの時間を稼いで、とうとうもう褒める以外の選択肢がなくなってしまった。


「まあ、似合ってるよ」


「含みがあるわね……まあいいわ」


 その少女──エレノアは、改まってブランクの横になっている寝台近くの椅子へ腰かけると、膝を正して、かわいらしい膝の上で手のひらをまとめると、少し悩んでから、その頭にのしかかる悩みごとを吐き出すように、大きく息を吐いて、言った。


「誠に遺憾(いかん)なのだけれど、わたしの留守の間、わたしの領民を守ってくれたこと、下手人(げしゅにん)の逃走を阻止してくれたこと、改めて、お礼を言わせてもらうわ」


 ありがとう、と殊勝な態度で言われると、ブランクは、ためらいがちに「えっと……」と、返す言葉を探した。しかし、言葉の中に引っかかる部分があると「ちょっと待ってよ」と物申す。


「誠に遺憾って何さ?」


「本当に不満や残念だと思う気持ちのことよ」


「そんなこと分かってるから!!」


 僕が言いたいのは──、と、ブランクが声を荒げて身を乗り出すと、エレノアは、つんとすました横顔一つで、それ以降の追撃の全てを突っぱねた。


「この──! まあ、いいよ別に。感謝されたくて助けたわけじゃないから!」


 ブランクが、そうやって顔をぶいっと背けると、エレノアは「あ、その……」と、少し間を嫌ってから、どこかバツの悪そうな顔を一つ浮かべて、ごめんなさいと、素直に謝った。


「あなたに、謝りたいと思っていたのだけれど、わたしったら意固地になってしまって……本当に、いけないわ」


 そうやってうやうやしく振る舞われると、ブランクにだって、思うところがあった。ブランクは「僕の方こそごめん」と、切り出して、話を続けた。


「君の立場を思えば、君の言動はどれも納得のいくことだった。それなのに、僕は君に嫌な態度を取ってしまったように思う。それを謝らせてほしい」


 すまなかった、と言うと、エレノアは「あら」と気楽に返してみせた。


「別にいいわよ。見た目通り嫌味っぽいのだから」


 気にしないで、と、あけすけにけなされて、ブランクは顔だけ取り繕いながら、額に青筋を浮かべた。


「君は、着飾るなら身ばかりじゃなくて心にも気を配ったら? 歯に衣着せぬ物言いばかりじゃ、人付き合いの妨げにしかならないよ」


「あら。あなた以外には問題ないのだけれど、肝に銘じておくわ、ありがとう」


「なんだよ、その言い方!」


 嫌味ったらしくそう言われて。ブランクは、自分のことを棚に上げるエレノアを、ひどく厚顔無恥だと思った。


「僕が悪いのかよ!!」


「ええそうよ、と言ったら、謝ってくれるの?」


「なんだと!」「なによ!」


 バチバチと視線で火花を散らせる中、入口のドアがキィと開き、嗅ぐに気持ちの落ち着くような、豊かな茶葉の香りが運ばれてきて。ブランクの意表をついて現れたその少女は、愛くるしい声で言った。


「盛り上がってるにゃ?」


「そんなわけないでしょ!」


 一字一句(たが)えずに声を揃えた二人の様子に、その茶を運んできた少女──クロエは「盛り上がってるにゃ」と、満足げに、頭を上下に揺らして頷いた。


「ちょっと、ウチの侍女を勝手に懐柔しないでくださる? 少し見ない間に、何やら、打ち解けているようだけれど?」


「気のせいにゃ」とクロエが口を挟む。


「ふんっ。僕が誰と仲良くなろうと勝手だろ」と、反発心を見せて跳ねっ返るブランクに、エレノアは「あら」と意外な反応を見て、手で口に蓋をした。


「ただならぬ仲なの? いやね、ほんと。男はすぐにそういう情欲に走ってしまうのだから。クロエの次は、わたしを手篭めにしようと、そういう魂胆なのね?」


 いやらしいわね、と非難の視線を浴びたブランクは「は?」と苦い顔で戸惑いをあらわにして、冗談でしょ、と言わんばかりに「いやいや──」と、半笑いで言葉を返した。


「思えば君ってさ、そういう発想ばっか出してくるけど、君のことをどうこうしようなんて思ったこと、これっぽっちもないからね? 耳年増もいいところだよ」


 なんですって、と言いかけた少女を手で制し、ブランクは「ていうか」と追撃を果たした。


「すぐそういう発想が出てくるって、相当ムッツリスケベだよね。君が呼んでる本なんかも、もしかして、そういう類の本なんじゃないの?」


「なっ──!」


 ちらと視線を見遣ってそう言ってやると、エレノアは、返す言葉を失って、しどろもどろに顔を沸騰させながら、上気した。


「こ、これは──」


「これは?」


 あう……と言葉を詰まらせていたところに、ブランクが問い詰めると、エレノアは、覚悟を決めたように拳をキュッと、固く結んだ。


「これは、今帝都で流行ってるから、流行りものを読んでみただけだから! わたしの趣味じゃないから!!」


 顔を真っ赤にさせてそう言うと、説得力に欠けるのが常である。ブランクはとうとう見つけた少女の鉄面皮の綻びに、ニヤリと勝利を確認し、小さくほくそ笑んだ。


「なんだ、図星じゃんか。本当の変態は、君だったようだね」


 ここぞとばかりに。ブランクが鬼の首を取ったようにそう言い放つと、エレノアは、目を潤ませながら、言い淀んだ。しかし、追い詰められた小動物さながら、少女は、キッと眉を吊り上げて、即座に噛みついてきた、


「大人の恋には──こういった濡れ場が必要なのよ! お子様には、絶対絶対、分からないんだわ!!」


 自分の趣味でないと言いながら、エレノアは、恥も外聞もなく擁護し始めたものの、ブランクだって、ここまできたら、言われっぱなしでは収まらない。


「なんだよ、お子様お子様って。どうせ歳も、大して変わらないだろ!」


「わたしは今年で十と五、帝国では、立派なレディだから!」


 今度はブランクがそう言われて押し黙った。それを好機と見てか、エレノアの目が光った。


「ほら言ってみなさいよ。あなたは一体いくつなの?」


「…………十四」


 嘘を嫌うブランクにできる抵抗は、間を持たせることだけだった。それを受けたエレノアは、イタズラに口角を歪ませ、くすくすと笑った。


「ほーらごらんなさい、あなたはお子様なのよ。そうでなければ、わたしにこうも噛みつくはずないわ」


「うるさいな、一つくらい、大して差がないだろ!!」


 そうしてわーわーと喚き立てていると、ブランクは、運んできたお茶をずずずとすする、黒猫の侍女へ待ったをかけた。


「ちょっと、なんで君が飲んでるの!?」


 僕のだよね? と確認するも、クロエは素知らぬ顔だ。


「お茶が冷めそうだったからにゃ。他意はないにゃ」


「言いたいことはたくさんあるけど……ごめん、一杯もらえる?」


 叫んでたら、喉が乾いちゃったよ、とブランクが言うと、クロエは手にするティーポットから、ドバドバと雑にカップへ注いだ。


「うっ……」


 そして。ブランクは、カップの中身を見て、一等顔をしかめた。


「何、これ……」


 室内には、絢爛豪華な調度品たちにおあつらえ向きなほど、上品な香りが立ち込めていた。その香りを立てる白いカップの中には、見るに鮮やかな青色の液体が、なみなみと()がれてある。それは本能的に求むる嗅覚とは裏腹に、視覚的に口に含むことを容易くためらわせた。傍目に見ても分かるほど躊躇(ちゅうちょ)していると、エレノアは「あら、蒼茶は初めて?」と助け舟をわざわざ出してくれた。


「そういう色なの。毒ではないわよ、高級品なの」


 美味しいわよ、と続いたものの、その青い液体に映る自分の顔は、絶対に飲むなと言っていた。


「そうは言っても……」


 ブランクがそうやって遠慮を見せていると、エレノアは「じれったいわね」とその手からついとカップをひったくると──。


「あ」


 クロエとブランクの声が重なって。相手に用意されたものを口に含む。それは貴族としては褒められた作法ではないが、万国共通の、無毒の証明たり得る行為であった。


 少女は一瞬の戸惑いと葛藤を見せたものの、くいっと、それを口に含んで見せた。そして、


()っ、つぅ……!」


「ええ……」


 ひりひりと痛むであろう舌を大気に晒しながら。エレノアは、人前であることを思い出したかのように、その愛らしい舌をぴゅっと引っ込めて「これれ分かっられひょ」と、何一つ要領を得ないであろう喋りに続けた。


「絶対に、毒じゃにゃいかりゃ」


 舌ったらずにそう言うエレノアに、お互い目を丸めて。ブランクはくすっと笑いをこぼし、エレノアは、熱々の蒼茶よりも熱を帯びた赤色に、顔を染めた。


「ごめん、猫舌なのに無理させて」


「べ、別にあなたのためじゃにゃいし……」


 お高く止まっていた少女が、大真面目にクロエのように喋るのだから、ブランクは、それがどこかおかしくて、この国に来て初めて、腹の底から笑っていた。


「本っ当に……失礼な人だわ!!」


 ようやく痛みと熱の引いた舌で怒りをあらわにした口は、次には「でも──」と、別の思いを乗せて運んだ。


「あなたに助けられたのは事実だわ。あなたは仕事もしっかりやり遂げてくれたみたいだし、あの二人の家族も、あなたを罰さないでと嘆願してきたくらいなのだもの」


 だから、その……と口ごもる少女は、己の非を認めるように、言った。


「わたし、少しだけ……少しだけだけれど、あなたを信じてあげる」


 それだけは、分かって? と、つんと澄ました態度は、未だ崩さないまま。


 しかし、ブランクは、この光景に、ようやっと──と、この気高き少女の心に起こりが垣間見えたことに、至上の喜びがあった。


 ブランクは、この国に来て幾度か朝日を見たというのに、初めて朝を迎えたと思った。


 窓から差し込む朝日は、とても眩しかった。


「改めて名乗ります。わたしはヴリテンヘルクの貴族で、今の身分は伯爵。ここ、ラーゼンヴァルグ領内にあるキッシュベルクに邸宅を構える、大英雄クロノア・ラーゼンヴァルグの一人娘にして忘れ形見──エレノア・ラーゼンヴァルグよ」


 あなたは? と尋ねられて、ブランクは、鼻の奥に通る喜びに、名乗りを乗せて。


「僕の名前はブランク・ヴァインスター」


 ただの平民さ、と、差し伸べられた手を、とうとう固く結んだ。

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