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The Alter Story《ジ・アルター・ストーリー》  作者: 水落護
第三章『あなたを信じてあげる』

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第三十六話『助ける理由はないけれど」

『遺言なら聞いてヤるぜ、串刺しにする前ニな』


(実際に言うんだ……)


 周りを見れば、厄介ごとはごめんだと言わんばかりに、孤児たちは姿を消していた。あるいは幻だったのかも、と思いながら、ブランクは「あはは……」と笑いながら、背中を向けて駆け出した。


「……ばいばい!」


『コロす、絶対コロス』


 わずかながらに残っていた理知的な品性も、その大牛は、全てを捨て去っていた。もはやほとんど魔物と成り果て、血走った(まなこ)は、常に本能のまま逃走する獲物を捉えていた。


(詠唱する時間がない!!)


 つい最近まで、自分がどれだけ魔法剣に頼っていたかを思い知らされ、ブランクは、下唇をきゅっと噛み締めて、走り続けた。


(もうすぐ路地を抜ける。そうすれば──)


 広場へ出れば、やりようがある。回り良ければ、憲兵団が駆けつけてくれるかもしれない。ブランクが、そう思いながら走っていた時だった。


「え」「あ」


 曲がり角から現れたのは、亜人の親子だった。二人は刹那の時間に、ブランクの背後から迫り来る危機を見遣ると、途端に目をふやけさせ、紛うことなき死の予兆に、終生の(おとな)いを、容易く受け入れたようだった。


(くそっ……!)


 ブランクに、他の手立てはなかった。ここでこの二人を見捨てられるほど非情なら、ブランクは、もう少し上手く立ち回れているはずだからである。


「ゴアドッ!!」


 ブランクは振り返り、精霊の力を借りて、迫り来るツノを握りしめた。


(重……痛ッ……!)


 普段ならばプロテマと併用して使うゴアド。膂力が増したとて、受ける衝撃がそのままであるならば、その衝力が逃れる術などなく、そのとめどない重量が、一点、ブランクの体を圧し潰さんと、一身に降り注いでいた。


「逃げ──」


 ブランクは言いかけて、それが不可能だと気がついた。顎が浮いたぶんだけ、頭が下がる。しかし、その意思が通じたのか──はたまた、巻き込まれまいとしたのか、いずれにせよ、ブランクの思惑通り、二人の家族は脱げた靴を放り捨てて、まさに裸足で逃げ出した。


(良かった。いや、良くない……!)


 ブランクは、自分が普段どれだけプロテマに頼っているのかを、思い知らされた。歯が、骨が、関節が潰れそうで、そうはさせまいとする筋肉の全てが剥離しそうで、全てが軋る音に、ブランクは、とうとう自分の人生の終わりを見た気がして、一寸の隙間もないほど息が体を満たして、体からは、魂が抜け出ていくようだった。


(ツブ)レロ、チブレロッ!!』


(だんだんと言葉が──)


 思いかけて、ブランクは希望の光を灯した。この悪人は、果たしてどれだけの時間、変身し続けることができるのだろうか。力には代償が伴うのが、世の常である。火を燃やすのにだって、燃料がいるのだ。魔術に魔力が必要なように、これだけの圧倒的な暴力、何か代償があるはずだと、ブランクは少ない酸素で、必死に脳を働かせた。


(どうする? どうする!)


 今更プロテマを発動させたとて、もはや衝撃どうこうというものではない。ゴアドの膂力も、衝撃を受け止めたことで、かなり消耗してしまった。我慢比べは、とっくに出来レースとなってしまっている。もしこの怪物が、ずっと変身できるなら、どうなる?


(ダメだ、僕がなんとかしなきゃ……!)


 外的要因へ過度な期待を抱くのは、ただの希望的観測だ。それは油断や慢心を生み、即座に命を脅かす存在となる。ダザンに口を酸っぱくして教えられたことだ。


(それに──)


 ここでこの化け物を野放しにしたら、何が起こるか分からない。先ほど同様に、何の罪もない人が傷つけられるか、この美しい町並みを破壊して逃げ去るか、いずれにせよ、碌でもない結果になることだけが、明々白々である。見逃すという選択肢は、当然ない。しかし、かと言って、逃げ出すという選択肢も現実味がない。刻一刻と差し迫る死の足音を聞きながら、ブランクは、ハッとした。


(もしかすると、あれなら──!)


 ブランクは、迷いながらも、その時間がないことに気づけば、即座に行動へ移した。当然悠長に詠唱などしている時間はない。無詠唱である。失敗すれば、命の保証はない。今更だ。これまで幾度もこのままでも既に、命の保証がないのだから。


「ラズンッ!」


 ヒュッと、喉の鳴るように。視界が一瞬落ちそうになると、なんとかそれを持ち直して、ブランクは、この大牛と対等とまでは行かなくとも、自身の体重が、軌道を逸らすことならば可能であるくらい増していることに、気がついた。まだまだ質量差はあるが、ひとまず、爪の皮一枚程度の呼吸をする余裕ができただけ、めっけものである。


「うぁああああッ!!」


 それから、ブランクは、力任せに一度押してから一気に引きつけた。そうして大牛が石畳を砕きながら顎を打つと、赤枯れ色の髪したその少年は、ありったけの力を込めて、大牛の眉間に拳を打ち込んだ。


「これで、どうだッ!!」


 一発、二発では足りないと、ブランクは、三発目をかましたところで、一度、死にはしないかと不安が過って。ブランクは、彼の牛の目玉を覗き見た。少しその視界に濁りが見えたか。意識のないことを確認するやら否や、大牛の体は、徐々に小さくなり始めた。


(良かった……ゴアドによる負担も考えれば、限界だった)


 ブランクが、ふう、と一息つくと、そこへ「おい、そこのお前!」と、声がかかり。ブランクは、いっ!? と虫の断末魔のような声をあげて、振り返った。


「これは何事だ、それに、貴様、ヴリテンヘルクの人間ではないな!?」


「あ、憲兵さん。これには事情(わけ)があって──」


 ブランクが、そうやって弁明に気を抜いた──その時だった。


気付(きつ)けにちょうど良かったぜ、お前のヘボいパンチは』


 不快な低い声が響いたかと思うと、ブランクはあっという間もなく異変に気がついた。


「なっ──にッ!?」


 ブランクの体を、大きな手が掴み取った。それは見るに不潔で、爪は黄ばんで白みがかり、赤黒い。咄嗟に突き飛ばした憲兵は、その光景に尻込みして、脇目も振らずに逃げ出していた。


「プ……プロテ、マ──」


 息苦しさに苛まられながらも、これを通せば先がない。ブランクは、なんとか発動させたプロテマで、それ以上の体を潰さんとする圧力を分散させて、一命を取り留めた。


 しかし、それはただの気休めでしかない。窮地は依然変わらず、ブランクは、あれほど気をつけていたはずなのに、と、その不意打ちをかました薄汚い悪党を、力なく睨みつけた。ただしそんなものは、もはや、ただの強がりでしかなかった。


 その悪党は、ゲヒゲヒと笑って、それから、ブランクの前で、大見得切って、これでもかとその青い心を煽り立てた。


『甘ぇなァ! ガキはバカで、ほんっと助かるぜェ、えぇッ!?』


 その大牛だった悪党は、少しばかりこぢんまりしたものの、未だ大柄な体は、人としての要素を残して、それから、剛腕を以って、ブランクへ襲いかかったのだ。


 ブランクは、なんとか身をよじらせながら、一呼吸できるほどのゆとりを肺へもたらすと、息も絶え絶えに、脱出が困難であると認めると、歯痒さに、とうとう口で抵抗するしかなくなった。


「おま、え……ほんと、卑怯だぞ……!」


 ブランクは途切れ途切れにそう言った。この悪党には、正々堂々と言う言葉がない。同じ悪党でも、この男は、ナハクとは比べるべくもない、恥という概念が欠如しているように、ブランクには見受けられた。現に、男は言う。


『青臭ェこと言うなよ。オレぁ、テメェのことをソンケーしてるんだぜ?」


 と、牛男は、まるで恭敬の念など一つも抱かずに、言ってのけた。


『今まで散々バカだバカだと思う奴らは見てきたが──その中でもテメェは、ぶっちぎりの、クソミソのバカだぜ!』


 でっはははは! と嘲りに嗤う男に、ブランクは、自分でもその理由を考えた。しかし、その理由は、意外にもすぐに見つかった。


『他人なんて踏み台を助ける気持ちが知れねェよ、どういう脳みそしてたら、そんな考えに至るんだ?』


 理解が及ばない。あるいは、理解したくもないと言わんばかりに、牛男は、ブランクへと唾を吐きかけた。生臭い。吐き気がする。けれど、ここで言い返せねば、その心すら負けを認めたことになる。少なくとも、ブランクには、そう感ぜられた。


『あァん?』


 だから、ブランクも唾を吐き返してやった。この唾棄すべき悪党に、言い返してやった。


「助ける理由はないけれど……助けない理由は、もっとない。お前にへは、一生かかったって分かるもんか」


 ブランクはそうやって言葉にしながら、ようやく納得した。腑に落ちた。これまであった自分の行いを、ようやくうべなうことができた。


 言ってしまえばそれは本能のようなもので、持って生まれた(さが)なのだ。だからそこに大層な理由などなくて、我が身かわいさだとか、そんなものは二の次で、気がつけば、いつの間にか助けに行ってしまっている。自分で自分をバカだとは思う。


(でも──)


 少なくとも、この気持ちを他人がバカにする権利は、一つもない。ブランクの強い意志を受けた仕入れ人は、


『死ね』


 感銘を受けるわけでもなく、何の琴線に触れることもなく、悪辣な言葉と共に、ブランクを地面へと叩きつけた。


『青臭ェ芋虫みてぇなもん吐きやがって。気持ちわりィんだよ、ダボが!』


 ブランクの体に、そんな雑言と、巨大な拳が叩きつけられる。ブランクは、せっかく解放されたというのに、なす術もなく、床と拳の板挟みになる。それもそのはずで、ブランクは、最初に打ち付けられた時に既に、脳に過度な衝撃が走っていた。


 あまりに打ちどころが悪く、常ならば致命傷であったが、プロテマがそれを拒んだ。だが、その代償はあまりに大きく、もはやブランクは、まな板の上の魚そのものであった。牛男は『気色(ワリ)ィんだよ、テメェら偽善者は!』となじりながら、大振りの拳で、ブランクのいた石畳へ向かって、立つ砂煙の中を、ひたすら殴打し続けていた。


『綺麗事だけ言ってりゃ、世の中が回ると思ってやがる! バカは光が強くなれば、その分影が濃くなることを知らねェ!』


 もはや牛男は、ブランクすら見ていない。その盲目的なまでの怒りは、社会の仕組みそのものへ向けられている。


『テメェらが綺麗事を言えば、そのぶん割りを食った奴らがまんまを食いっぱぐれんだ! 今で手一杯な奴らのことを何にも考えてねえ!』


 牛男は、肩で息をしながら、言った。


『オレは、帝都で油商人をやってたんだ。税率が上がったから、そのぶん油の値段を値上げしてやったのよ』


 ところがどうした、と牛男は続けた。


『他の油屋が値段をバカみてぇに釣り上げるから、お前も上げろと、脅されたのさ。それに逆らえばテメェのとこの油を、全部燃やしてやるってな!』


 だかよぉ──と、牛男は、辛抱たまらんと言わんばかりに、声を震わせた。


『市民に言われたさ。高すぎるってな。オレもそう思ってたさ。だから、その日、こっそり店に来た奴らにオレは、油を常相場で売ってやったのよ』


 すると、牛男は歯を怒りに軋ませ、吠えた。


『その夜、オレの店は燃やされ、それ以前に高額で買った客に、オレは刺された!!』


 怒りが天を衝き、牛男は、額に青筋立てて声を荒げた。


『真面目にやりゃバカを食う──そんな世の中で、偽善ぶった奴がいるのが、オレは絶対に許せねェ! 死ね、全員死ね、テメェは死ねッ、オレが殺すッ!!』


 止んでいた拳の嵐が、再び拓けた土煙の中へと向けられた。


『何ィ!?』


 だが──そこにブランクはいなかった。代わりに、


「そう──。なんだ、彼、いい人なのね」


 鈴鳴りに澄んだ、よく通る声が、響いた。声に誘われるままに、牛男が奥手の屋根の上を見ると、そこに、小さな人影があった。


『テメェは……!』


 牛男は、一驚飛んで、それから歓喜に震えた。牛面のままでも分かる醜悪に歪んだ笑みは、亜麻色の髪した少女へと向けられた。少女は赤枯れ色した少年を近くの煙突へ寝かせると、そのまま屋根の上から飛んだ。


「まっ──」


 待ってと言いかけて。ブランクは、プロテマをかけようとするのに、思考が飽和して、上手く呂律が回らず、少女の勇姿をただ見守るしかできなかった。


 だが──。


『げっへへへ、テメェだ、テメェさえ捕まえれば、オレはまだ帰り咲けるのさッ!!』


 牛男は、まるで蝶でも掴むかのように、左右から大きく手を振りかぶって、少女を素早く掬い取った……ように、思えた。


『は……待て、なん、ちょ──』


 牛男は、目に見えて狼狽した。自身の指一本ぶんくらいの背丈しかないその少女に、自身の巨大な手が、容易く押しのけられているのだから。この大柄な牛男の鹵獲


少女は、涼しい顔をしたまま、左右から挟むこもうとする指を握りしめ──砕いた。


 汚い断末魔が響いた。あひあひと苛む痛みに悶え、苦しみ、慟哭(どうこく)し、のたうち回り、えづいた。


「汚い手で触らないでいただけるかしら。未来の旦那様に失礼よ」


 予定もないけど──と続ける少女は、牛男が泣き叫ぶ姿を見下しながら、その動きがないことを確かめると、ボソボソと小さく、何かを呟き始めた。


『て、テメェ……一体何もんだ!! ただの領主じゃねえな!?』


 牛男の言葉に、少しの呟きを続けてから。少女は、名乗った。


「エレノア・ラーゼンヴァルグよ。領主の名前も知らないだなんて、あなた、商人としては落第よ、非常識もいいところだわ」


 ラーゼンヴァルグ。その名を繰り返す牛男は、記憶の中から、そそりを掻き立てられ、顔を青ざめさせた。


『ってぇことは──テメェが〝英雄の忘れ形見〟か!!』

 そう聞こえて。


「ええ……そうよ。そして──その責務はしっかり果たさせてもらうわ」


 ブランクは心なしか、少女の怒りに震えた声の中に、寂寥感にも似た、自罰的な、およそ同じ歳の頃とは思えない、重みのようなものを感じていた。そして──、


()かせ小娘がッ!!』


 牛男が最後の足掻きをする頃には、ブランクは、周囲の異変に気づいていた。魔術反応である。巨大な魔法陣のようなものが、その照準が、牛男の全身をしっかり包んでいることを。


降り注ぐ魔王の眼光イーディルヴァイト・アバルティアッ!」


『なんッ──』


 それが、男の最後の言葉となった。短い断末魔だった。


 魔法陣からは雲間から差す日柱のように強い光が立ち込めて、それが男の体に触れると、ゾッとすることに、男の体は、頭からどんどんと色()せては忘れ去り、固まり、ひび割れ、吹く風に侵され、お終いにはとうとう砂となり、それは、もう命として成り立たなくなってしまって。


 もはや素人目にも高位の魔術を見届けて。


 ブランクは、全てを見届けると、フッと意識を途絶えさせた。

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