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第四話『きみと分かつ勇気』

 森の中は、先に進むにつれて、鬱蒼(うっそう)としていた。木漏れ日もあまり差さない木々の下では、およそ食用に適してはいないと思われる謎の植物が、怪しく風に(なび)いている。


(ウィル、どこ行ったんだろ……)


 魔物の死骸も数を減らし、とうとうウィルの痕跡は見当たらなくなった。代わりに増えたのは、恐らく(くだん)の大熊のものと見られる、木の幹を引き裂いた裂傷だけだ。危険な場所だけに、ウィルの行方がもう一つ気になる。


(猟犬ここへ帰らず、か──)


 西の賢者の言葉を借りるなら、と言った具合のこの状況に、ブランクは、自分がミイラにならないようにと生唾を飲み込み、一層気を引き締めた。


(そもそも、一人でこんな森の奥まで来るものかな)


 北の森にいるかもしれない。そうは言ったものの、それは結局ブランクの憶測でしかない。確固たる自信があったわけでもないのだ。ブランクは、もしかするとメルはここにはいないのかもしれないと思った。


(うん? あれは──)


 ブランクは、突然奇妙な既視感にも似たようなものを感じた。傍目に見れば、道中幾度も見てきたどうってことのない木の並びなのに、記憶の底に映し出された自分は、誰かの腕に抱かれながら、その先へと向かっていくのだ。その光景を辿るように獣道を抜けていくと、


「ここは──」


 拓けた花畑がブランクを出迎えた。中心には大きな木があって、熟れた赤い果実がいくつも実を生らしている。


「メヒロスの花がこんなに……」


 メヒロスの花とは、旅人や冒険者が好んでお守りに使う、魔除けの花だ。濃紺(のうこん)葡萄色(えびいろ)のグラデーションが非常に美しい花で『繁栄』を象徴している。ブランクも図鑑で見たことはあったが、実物を見るのは初めてだった。


「ん、あれは──」


 一際目立つ、花畑の中央にある大きな木の下で。遥か上の赤い果実へ向かって懸命に手を伸ばしている、羊髪の少女の姿がそこにあった。


「メル!」


 ブランクが、一層大きな声で呼びかけると、無警戒だったその少女──メルは、小動物のように肩を飛び跳ねさせて、おっかなびっくりに振り返った。


「さっきの、にーちゃ……」


 バツの悪そうな顔をして目を伏せるメルに、ブランクは慌てて駆け寄った。


「ダメじゃないか、こんなとこまで来ちゃ」


「あぅっ、あ……」


 ブランクが詰め寄ると、メルはキョロキョロと辺りを見渡した。それからすぐ後ろの木を目に(とど)めると、急いでその身を隠す。それからひょっこりと頭だけを覗かせて、じぃーっとブランクを見つめた。何かを訴えかけるような眼差しに思わずたじろいだブランクは、近くに脅威のないことを確認すると、腰を低くして、目線の高さをメルに合わせた。


「どうしてここまで来たの?」


 ブランクが諭すような優しい口調でそう尋ねると、メルは幹の上を見た。その目線を辿ると、先ほどブランクも見た赤い果実があった。


「もしかして、あの実を取りに来たの?」


 ブランクがそう尋ねると、メルはこくこくとしっかり頷いた。


「やっぱり……みんな心配してたよ。早く帰ろう?」


 ブランクがそうやって手を差し伸ばすと、メルはブンブンと首を横に振った。明確な拒絶の意思に、ブランクは「参ったな……」と後ろ頭を掻く。


「それじゃあ、あの実を持って来たら、一緒に帰ってくれるかい?」


 ブランクが尋ねると、メルは左右の手で何かを数えてから、しっかり目を見て頷いた。


「わかったよ、ちょっと待っててね」


 よっと一声上げてから、木の幹に手足を引っ掛けて、器用によじ登っていくブランク。


(ウィルと鍛錬してた頃を思い出すな……なんだか懐かしいや)


 あの頃は実力差とか、そんなものを何も考えなかった。いつからウィルへの劣等感を抱き始めたのかは覚えていない。けれど、気がつけばブランクは本の方が楽しいと言い訳ばかりして、人の良いウィルに雑用を押しつけて、家に引きこもるようになっていた。


「そりゃ、トトスおじさんも雹が降る、なんて言うか……」


 揶揄(やゆ)されたこと自体はムカっ腹が立つが、それ以前に、あまりにも自分が外に出なさ過ぎだったのだ。ジャンもきっと、それを心配してくれたのだろう。


(帰ったら、ジャンに謝ろう)


 それはそれとして、やっぱりあの本のことも、もう一度謝ってもらおう。そう思いながら、ブランクは赤い果実を手にした。熟れた果実は、まるで手に吸い付くようで、皮がなければすぐに原型が無くなりそうだった。


「メル、取れたよー!」


 ブランクが赤い果実を上にかざして自慢げにそう言うと、とてとてと歩み寄ってきたはずのメルが、何かに気を取られたようにハッとその視線を逸らした。それにつられてブランクも視線の先を追うと────それは、いた。



 立ち上がりながら鼻を鳴らしていたそれは、全長三メートルは有にあろうかという巨体をしている。黒光りする毛皮は、並大抵の鋼を拒みそうなほどゴワゴワとしていて、指の先に揃う大爪は、まるで命を刈り取る死神の鎌のようだ。


 その大熊が持ち上げていた前脚を土床に着けると、ドスっと重厚な音が鳴り響く。それは、遠巻きに聞いてもその身に有する筋肉が大質量であることを示すほどずっしり重たく、命を脅かす天敵の登場に拍動が早鳴りし、本能が警鐘を促すには十分すぎるほどだった。


 そして、その標的となったのは、ブランクではない。


「あっ──メル!」


 当然、無防備にいる無力な小動物さながらの少女──メルだ。


 四つ足で走り出した大熊は、そこまで速くはない。しかし、それを補って余りある巨体が、歩幅でカバーをしていく。


(間に合わない……!?)


 ブランクは、思わず木の枝から手を離していた。落下するまでの時間に──否、落下したとて、自分にいかほどのことができるというのか。しかし、賽は投げられた。


 詠唱──間に合わない。刹那的にブランクに求められたのは、


「プロテマ!!」


 魔術の無詠唱である。強く意識した。ただ本能が求むるがまま渇望し、咆哮した。そして、その声に精霊が応えてくれたのだとブランクが気付いたのは、地面を二転、三転とひっくり返ってからだった。


()ぅ……メル、無事!?」


 その身で覆いかぶさるように包み込んでいた少女の顔を覗き込むと、恐怖に震える瑠璃色と視線がかち合った。メルは、歯の根の合わないまま息を漏らして頷いて、それを確認したブランクは、それからすぐに大熊へと目を見遣った。


「メルが無事でよかった」


 一息ついてそう言うも、ブランクは脇腹に走る痛みに、表情をひどく歪めた。


(あばらが二本、かな。きっと、折れてるね、これ……)


 呼吸で肺が広がるたびに、居場所を追いやられた骨が悲鳴をあげる。プロテマは、斬撃と衝撃の緩和をする魔術である。不完全だったのかは定かではないが、一応無詠唱魔術は成功を治めたらしい。らしい、というのは、肋骨への影響である。単に失敗していたなら、今頃は大熊が不思議そうに見つめている大爪に、二人揃って八つ裂きにされているはずだからだ。背後にあった木が、芯までぱっくりと抉られているのだから、それは確実だ。


(無詠唱だからか……完全に衝撃を殺せてない? それとも──)


 考えられるのは、無詠唱故に効果が不完全であることか、はたまた大熊ゴゲラの持つ力が、プロテマによる緩衝力で庇護しきれていないことが考えられる。無詠唱魔術の強みは発現の早さであるが、効力はその限りではない。もちろん発音の良さだとか、魔力の練度によってある程度カバーはできるが、残念ながら、ブランクはまだそのレベルの魔術師ではなかった。もちろん魔法剣ならば、浅慮に無詠唱しても、完全に発現する。いずれの場合にせよ、このままメルを庇って戦うということが、あまりに現実的でないことだけは確かだった。


「メル、動ける?」


 ブランクがそう尋ねると、みすてないで、と言わんばかりの瑠璃色が、水気を帯びて左右に振れる。腰を抜かしたようで、下半身に力が入っていないようだった。


「そっか……わかった」


 そうなると、ブランクには抱えて走る以外の術がない。震えるメルをしっかり抱き抱えると、ブランクは、鼻を鳴らす大熊の一挙手一投足に警戒しながら、詠唱を始めた。


此方(こなた)より彼方(かなた)へと足を運べ、クセス・レグ・ラレータ──ハオディ!」


 刹那──ブランクの足元に魔法陣が浮かび上がる。その魔法陣が放った閃光に反応してか、大熊は、思い出したかのようにブランクたちの元へと駆け出した。


「メル、しっかり掴まってて」


 固く目を閉じて三度頷いたメルが、自分の首の後ろへ向かってするりと手を回したことを確認すると、ブランクはら大熊から逃げるべく、花畑の外へ一気に駆け出した。


 ハオディは、俊敏性を高める魔術である。本来であれば一足駆ければ倍々に、跳躍ならば身の丈ほどは軽々と、翔んで跳ねてを可能とさせるものだが、今のブランクは、まるでいつもと変わらない速度である。


(重い──なんて、口が裂けても言えないな……)


 メルの体は、意外にも筋肉質であり、少女らしくずんぐりとしているようだった下半身は、恐らく全て筋肉なのだろう、と思わせた。こんな森の中で、どうやって魔物たちを撒いたのだろうか、という疑問は、容易く紐解かれた。恐らく、この脚力がそれを成させたのだろう。けれど、それならば今メルがひとりでに逃げてくれば、どれだけ助かることだろうか。そう思いはするものの、胸の内で震えている少女にそれを強要できるほど、ブランクという人間も酷ではない。


(でも──どうやってアイツを追っ払えばいいんだ!)


 現状は非常に厳しかった。ブランクは、メルを抱えたまま戦えるほど器用な人間ではないし、そもそもゴゲラは、そんな片手間に戦えるような相手でもない。このまま逃げ回るのも難しい。ハオディにも有効時間があるため、逃げ続けることは不可能であるし、逃げる先もない。村へ行くことは論外だ。ゴゲラにしてみれば、新たな狩場へ案内されるのと同義だ。


(やっぱりここで食い止めなきゃ──)


 花畑を抜ける寸前で、ブランクがそう思って振り返った矢先、メルの重さに肋骨が軋んで、走る激痛に赤枯れ色の髪が大きく振られたその時だった。


「あっ──」


 ゾリっと背筋の凍る音が背中を掠めた。頭上を通過した大熊の爪が、ブランクより大きな木を抉ったのだと、その軌跡を視線で辿って、ようやく理解した。こんなもの、もしもまた当たれば、今度はメルだってひとたまりもないだろう。それからブランクは、木の倒れる音を背中で聞きながら、大熊の股下を器用に潜り抜けて、全速力で駆け出していた。


(絶対無理だっ、なんで今助かったのかも分からない!)


 そしてブランクは、ここにきてようやく気づいた。自分はプロテマがあっても骨にヒビを入れられている。我が身を呈して守ったとはいえ、メルも相当な衝撃を受けたはずだ。メルは今、腰を抜かしているんじゃない、体を痛めているんだ。震えているのは怖さと、痛みを堪えるためだ。自分の足を引っ張らないために、懸命に痛みを堪えているのだ。背丈なんて自分の半分ほどしかないのに、なんと健気で強い少女なのだろう、とブランクは思った。


 それに引き換え、自分は今、他力本願で、ここにウィルやジャンがいれば、と願っている。ジャンが──いや、せめてウィルがいれば、この状況を打破できるだろう。自分一人では何もできやしないと、(はな)から決めつけている。なんと情けない。ブランクの中に、そんな思いが燻った。


仕方ないじゃないか──だって、自分はメルを抱えていて、使うことができるのも補助魔術ばかりで、攻撃魔術は何一つ持っていない。鍛錬もなおざりになれば空いた時間はただ本を読むばかりで、頭でっかちになってる。何もかもが中途半端な生き方だ。そんな自分が──あんな怪物に勝てるもんか!


 頭の中で、誰に向けたわけでもない言い訳を並べ立てて、ブランクは振り返った。すると、その視線の先──ブランクは、奇妙な光景を目の当たりにした。


「なんだ、あれ……何してる?」


 逃げるのに夢中で気付かなかったが、ブランクは、その背にしていた大熊が、実は自分を追っていないことに気が付いた。生態系の頂点に座すと言わんばかりの悠然とした構えこそ様になるが、最初に視界に捉えた時と同様に、その大熊は、鼻をしきりに鳴らして、小さく頼りない耳を懸命におっ立てている。そうしてじっくりと観察していると、その大熊の目が、わずかに濁っていることに、ブランクはようやく気がついた。


(そうか! あのゴゲラは、目が悪いんだ!)


 思えば床に敷き広がる花にも注目する余裕が生まれた。メヒロスの花は魔除けの花であり、その花が放つ臭いは魔物に忌避されているという。そんな花畑の中にいれば、魔物にとって獲物の(にお)いなど、嗅ぎ分けることそのものが困難を極めるはずなのだ。


(ゴゲラがここに来たのは、僕を追ってきたからだ。花畑の中まで入ってきたのは僕が木の上にいたからで、きっと、メヒロスの花の効果が薄れたからだ。そのまま僕が木から降りたから、その臭いを辿って横薙ぎに攻撃をしてきたんだろう。僕が引き裂かれずに吹き飛んで、そこでせっかく見失ってたところに、僕が魔術を使ったもんだから、その光に反応して追跡してきた。ゴゲラが狙ってたのは、ずっと僕だったんだ!)


 この推理が正しいかはまだ分からない。ただこのままでは埒が明かないことだけは、火を見るより明らかだ。


「メル、ここにいて」


 赤い果実の木の幹にメルを寝かせようとすると、メルは、暗にいやだいやだと首を左右に振りながら、今にも泣き出しそうな目でブランクに訴えかけた。


(見捨てられる──と思ってるのかな?)


 袖口を掴んだ必死な形相のメルを見て、ブランクは、努めて優しく微笑んで、ふわふわの髪をくしゃっと潰すと、それから少女の頭を優しく撫でて、その頬まで手を滑らせる。


「大丈夫だよ、泣かないで」


 木漏れ日に吹く春風のような、柔らかな声音(こわね)で。目尻から溢れそうな涙を、優しく親指で拭いてあげたブランクを、メルは不思議そうに首を傾げて見つめる。


「……悪いくまさんをこらしめてくる、ちょっと待ってて!」


 ぽっこりと力こぶを見せながら、ブランクはニカっと笑った。それがうまく笑えていたのかは、ブランク自身分かってない。けれど、メルを勇気づけるために行った全てが、自分を勇気づけていることに気づいた。


(不思議だ、あんまり怖くないかも)


 撫でたメルの頭に、こぶのあったことを思い出しながら。少し余裕が生まれたブランクは、無事に帰ったら、それを冷やしてあげようと思った。そうしてメルのいる木からゆっくりと離れてゴゲラに近づくと、大熊の鼻先が、ブランクへとついていった。思った通りの反応で、ブランクの中の推理が立証されると、それは大きな自信へと繋がった。立ちはだかる大熊が、見た目ほど大きくないように感じた。


(今なら──行けそうだ)



 腰元から剣を引き抜き、ブランクは、臨戦態勢を取った。

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