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The Alter Story《ジ・アルター・ストーリー》  作者: 水落護
第三章『あなたを信じてあげる』

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第三十四話『郷に入っては郷に従え』

「……なんでこうなったの?」


 ブランクは心にある疑問を、口にせずにはいられなかった。


 ブランクが連れて行かれたのは、ヴリテンヘルクの北東に位置する『キッシュベルク』と呼ばれる町中だった。そこは大きな町ではなく、生糸や生地から布地や服を作る、町工場(こうば)、そんな人々を応援するパン屋や、農家の人々、寂れた鍛冶屋などが主な町の顔を果たしていて、ここへ至るまでの間に、ブランクは様々なものを見てきた。しかしブランクは、お世辞にもこの町が栄えているとは、到底思えなかった。


 栄えた町には猫のいるのが常であるが、この町にはそれがおらず、目につく木の板には、ネズミのかじった痕がいたる所に見え隠れしている。


 途中、商人や仕入れ人は憲兵団に引き渡され、尋問を受けるようだった。自分もそうなるだろうと腹をくくっていたブランクは、肝を冷やしていたが、実際のところそうはならずに拍子抜けしてしまって。しかし、すぐに解放とはいかないようだった。


 今、ブランクは小さな小屋の中で、肉の塩漬けをしている。それも一人前だとか、そんな中途半端な量ではない。


 ちらと見上げれば、雪崩そうなほど高積みにされた切り身の肉が、文字通り山ほどあり、ブランクは、その肉を干すための、下処理を任されたのだ。


『いいこと? タダ飯食らいを養えるほど、この国も豊かではないの。自分の食事は自分で用意してちょうだい。この中のお肉のどれかを、あなたに食べさせるわ。毒なんて盛ったら、承知しないんだから!』


 ──と、眉を釣り上げて息巻く少女の姿を振り返って。ブランクは、肺の底で渦巻くやりきれない心のもやを燻らせ、深いため息をついた。


「そんなこと、頼まれたってしないのに……」


 自分はそんなに人でなしに見えるだろうか。できうる限り、相手の要求を呑んできたはずである。それにも関わらず、そんなに信用ができないのか。そう思うと、その心の奥に突き刺さる痛ましいほどのささくれは、ブランクの心を、これでもかと苛み、それから苦しめた。


 少女はといえば、これから出かけなければいかないからこの場を任せたと、それっきりだ。クロエに見張りをさせるから、サボったり、怪しい真似をすればすぐにでと分かるのだと、しっかり釘を刺して。


「はあ……」


 再三の深いため息がこぼれ落ちると、ブランクの背後から、するっと影が忍び寄ってきた。これに気づかないブランクは、今頃温かな食事をきっと食べている、解放された奴隷たちの姿が、ありありと目に浮かぶようで、それを、ひどく羨ましく思っていた。


「手が止まってるにゃ」


「わぁっ!?」


 突然後ろの暗闇から愛くるしい声が聞こえて。ブランクは、心臓が飛び出すかと思うほど、飛び跳ね、驚いた。いや、事実飛び跳ねたように上下左右へ、肋骨という壁に阻まれているような心臓に、落ち着けと言い聞かすように、ブランクは胸板に手を当てて、しばらくいた。


「いたの……?」


 そうやって、二つの意味合いを以ってハラハラとしている自分の気持ちなど知る由もなく、その黒髪の少女──クロエは、一切の容赦を含まない平坦な顔をして、言ってのけた。


「なんでこうなったの? とか独り言を言ってるあたりからはいたにゃ」


「ほぼ最初からじゃん……」


 もはや恥ずかしさよりも、嬉しさが先立った。こんな薄暗な倉庫に、いつまで肉の塩揉みをすればいいのかと、口寂しさが、ひとしお強くなったからである。


 相手がいかに人間離れした手練れであろうとも、言葉を交わせる以上は、無聊をかこつ今よりはマシだ、と、期待を込めた瞳でブランクは振り返った。しかし──、


「げっ!」


 その視線は、クロエの後ろに立つ、緑青色した少女の瞳とぶつかった。振り返ったところではまともな顔をしていたのに、ブランクが反射的にそんな反応をしてしまったからなのか、その小さな口は、不服につんと、とんがった。


「げっ、とはご挨拶ね。あなたのお気持ち表明に適した、とても下品なお言葉ですこと」


 まさに失礼な対応だったとバツの悪い顔をしながら、ブランクは、自省の気持ちから少女の皮肉を真摯に受け止めることとした。


「出かけたんじゃなかったの……?」


「出立前に様子を見に来てあげたのよ」


 眉根も寄せてしっかりすっかりご立腹な少女は、ちらと、少年の戦果を見遣った。すると「まあ!」と呆れたように目をかっ開き、それから、これは冗談よね? とでも言いたげな、よくよくかわいそうなものでも見るような目で、ブランクのことを、しっかり哀れんだ。


「まだ全然できてないじゃない。これを今日中に終わらせてほしいのよ?」


「……この量を?」


 あまりに馬鹿げてる、と、大袈裟な身振り手振りで肉山の存在感を引き立てるブランクに、少女は「そうよ」と、忖度のない、まっすぐな言葉で、あっけからんと言い放ってみせた。


「当然でしょう? お肉には、鮮度があるのだから」


 もし腐らせたら承知しないわよ、と言う彼女の意思は、たとえてこでも曲がらないだろう。とブランクに思わせた。こうなったら、もう相手の気の済むようにした方がいい、と約束を取り付けるに思い至ったブランクは、「もし──」と言葉を繋げて、ついと問いかけた。


「もしこれを終わらせたら、僕の荷物を、返してくれるかい?」


 あれはただの剣と魔導書ではない。賢者が託してくれた魔道具と、叡智を以って打ち上げられた、かけがえのない、大切なものなのだ。必死な願いを胸に、少年ががそう尋ねると、少女は「さあね」と背中を向けながら、亜麻色の髪を躍らせた。


「少なくとも──あなたがまともな仕事をしてくれないのなら、食費の補填に、何かを売り飛ばさないといけないわよね?」


 ことさら性悪な笑みでくすくすと笑う少女は小悪魔的で、その何かが自分の荷物を指しているのが分からないほど、ブランクだって、察しの悪いわけではない。悔しさにきゅっと唇を結んで、やっぱりと、それでも下がらない溜飲を言葉にして、言ってやった。


「君って……ほんと、いい性格してるよね」


「あら、よく言われるわ。悪い大人たちには、特にね。あなたもそうなの?」


 見定めるような視線でじぃっと見つめられると、気恥ずかしさよりも、苛立ちが先立った。このままでは売り言葉に買い言葉で、不毛な応酬に、身をやつすばかりだと、ブランクは、諦観の念を胸に抱き、それから、怒気をたっぷり含んだ乱暴な息に、言葉を乗せた。


「わかったよ。やればいいんでしょ、やれば」


 ブランクがふて腐れて口を尖らせると、少女は「あら」と嬉々とした声をあげて喜んだ。それは、待ってましたと言わんばかりで、その言葉尻に含まれる息遣いは、せいせいした、だとか、言い負かしてやったという、そんな思いがちらちらと、見え隠れしていた。


「最初からそう言ってくれれば、あなたもわたしも、どちらも不快な思いをせずに済んだのだわ。働かざるもの食うべからず、という素敵な言葉を、あなたに贈ってさしあげるわね」


 それはまさに勝利を確信した、勝ち(どき)とも言えるような、そんな捨て台詞であった。


 それじゃあ、さよなら、と、そう言って立ち去る様は、貴族らしく優雅で、誰が見るわけでもないのに、しゃなりしゃなり堂々としていた。それなのに、皮肉を言い合えば、ダザン仕込みのブランクですら負かすほど、彼女は気がとても強い。ゴゲラより荒々しい。


(ここでジャンの名前を出せば、すぐに解決するかもしれないけど──このままじゃ絶対に引き下がれないよ!)


 むすっと口は、女の子にいいように言いくるめられた自分に、しっかり、腹を立てている。このまま腐るようじゃ男の名が廃ると、ブランクは、憤懣遣る方ない気持ちに背中を押され、持ち前の負けん気を思い出すと、心に風を通し、塩漬け作業へ臨んでみせた。


(絶対にやり遂げてやる……!)


 釈然としない思いを燃料として、やる気を見せた少年を尻目に、クロエは、きゅっと拳を絞って立ち去る主人の背中を見ながら「素直じゃないにゃあ〜」と、小さく言葉を漏らした。


「まだいたの?」


 エレノアの毒気に当てられてか、ブランクも、どこかつんけんとした態度で邪険に扱った。するとクロエは「お前も大概にゃ」と呆れたように言い放ち、しばらく近くの椅子に腰掛けて、それから、ブランクの作業を見つめていた。


「何か用なの?」僕はサボらないよ、と続けて。


 暗に君も早く行ったら、という意味も含むブランクの言葉に、クロエは、どこ吹く風で。周囲にあの少女のいないことをきょろきょろと確認すると、ブランクの隣に立ち、耳元で、クロエはこっそりくすぐったい声で、ささやいた。


「本当は、あの子、さっきのことを謝りにきたんだにゃ」


「……どういう風の吹き回しで?」


 肉についた余分な塩気を怒り任せにはたきながら、ブランクは手を休めることなく、顔を見ることもなく尋ねる。すると、クロエは「にゃ〜ん……」とどう言い繕えばまとまるかを考えるように、ブランクの下処理作業を眺めながら、三度(みたび)頷いてから、言った。


「この食べ物は、ここに住んでる領民たちの、冬場の備蓄にゃ。それを任されてるんだから、おみゃーは結構信頼されてるにゃ」


「気休めならいいよ……」


 ブランクが肩を落としながらそう言うと、クロエは「にゃ〜ん」と、春の陽気に水を差すような、湿っぽい声を漏らして、再び人目をはばかりながら、こそこそと「ここだけの話にしてほしいにゃ」と言った。


「あの子は貴族で、親は、ずっと昔に死んでしまったんだにゃ」


「ふーん、そうなんだ。それで? それがどうしたの?」


 気の毒だ不憫だとは思えども、それだけでは、このはらわたに収まる気持ちは鎮まらない。人でなしとなじられようと、この気持ちに偽りようなどなかった。しかし。そこに続く言葉が、妙にブランクの心に、尾を引いた。


「あの子は、失脚を望む他の貴族勢力から睨まれて、昔、信頼していたメイドの一人に、毒を盛られたことがあるのにゃ」


「えっ」


 ブランクが乱雑に肉に塩を付けていると、そんな、聞き逃せない言葉が耳を掠めて。それから、動揺で震えて落とした肉を拾って、もう一度塩を揉んでから所定の位置へ置き直すと、疑いを孕んだ目で、じっとクロエを見る。その目は、凪いだ海のように揺らぎない。話した言葉の信憑性を、たったそれだけで裏付けてみせた。


「だからか、自分の食事も、あの子は自分で作るにゃ。オイラも作ったことがないくらい、あの子にとって食事というのは、とってもとってもデリケートな問題なのにゃ」


 口に含むものの安全性が、どれだけ大切か。彼女は、身を()って理解している。それを、あれだけ領民に寄り添う領主が任せるのだから、その信頼は、推し量れるものではないと、ブランクは、気付(きつけ)の一発でももらったかのような衝撃に、視線の落ち着く手元へと、自然に目を向けていた。


「あの子も不器用だけど、ほんとは、誰かの信じ方が分からないのにゃ。オイラも昔、到底許されないことをしたにゃ。それでも手元に置いてくれるくらい、あの子は優しい子なんだにゃあ〜。そこを、分かってやってほしいにゃ」


 そう言われて、ブランクはハッとする。本来敵国の人間で、密入国していて、自国の民を不安にさせる存在を、拘束もせず、わざわざ仕事まで与えてくれているのだ。武器こそ取り上げられているが、そんなものは、安全保障上の問題で、当然のことである。それを自分は、自分本位な都合で、ことさら目くじらでも立てるように、あーだこーだと喚き立てて。


 思い返せばあの強引な武器の押収も、奴隷たちがことの顛末を見届けるために戻ってきているのに、気づいてからの話だ。そうとは知らずに売り言葉に買い言葉、あの無様な応酬に、彼女自身も辟易としていたに違いない。そうとは知らずに、ブランクは、殊勝な態度で歩み寄ろうとしてくれた彼女に、とんでも失礼な対応で信頼を踏みにじってしまったのだ。


 誤解や手違いがあったとはいえ、ブランクはそうなると、とうとう申し訳ないことをしたな、という気持ちが先立ったのである。


「オイラは──あの子が嫌われ者になるのは、嫌だにゃ。また顔合わせてやるから、今度はしっかり受け止めてやってほしいにゃ」


 憎まれ口を叩いているのも、体面を保つためだろう。領主が敵国の人間と親しげに話しているなんて、民が不安に思わないはずがなく。それは、彼女の立場を思えば、まさに必然とも言える話であった。結局のところ、つまりは、現実をよく見ていなかったのは自分の方で、そう思うと、ブランクは、自然な切り口で「ごめん……」と()いた言葉を口にしているのだった。


「さっきの僕、嫌なやつだったかな?」


 ブランクがそうやって問いただすと、クロエは「おみゃーがどう思われてるかなんてどうだっていいにゃ」と、バッサリ切り捨てた。それにがっくりとうなだれているブランクに、クロエは、ことさら面白おかしく指差すようなこともなく、(きびす)を返して言った。


「見返したいなら──結果が必要じゃないかにゃあ〜」


 そう言いながら倉庫を後にした黒髪の少女の言葉に。ブランクは「そっか。そうだね」と得心して、誰にともなくこぼした言葉に頷くと、その首を震わせた。


「ようし……!」


 ブランクは、山となった肉と、仕上げた肉とを見比べた。労力としては無限を思わせる量でも、しっかりやれば、目に見えて終わりへと向かっていく。口を動かしても数が減らないのなら、あとは手を動かすだけだ。


「やれるところまでやってやる!」


 ブランクは、心機一転して、肉の下処理を進めた。

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