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The Alter Story《ジ・アルター・ストーリー》  作者: 水落護
第三章『あなたを信じてあげる』

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第三十二話『水の流れるように』

 ブランクは奴隷たちに混じって、小綺麗にされた、乗り合いの獣車で搬送をされていた。流れる景色は既に雪山ではなく、どちらかと言えば、緑の多い原っぱである。


 ガタガタと揺れる車内には、開かれた窓から、清らかな雪解け水の冷たさに加えて、少しの若草の香りを乗せた、春を思わせる風が、ゆるりと吹き抜けていく。


 車内には隅っこで膝を抱えて座るブランクと、何人かの奴隷がいた。当然、他国の人間と乗り合わせているのだから、ブランクは、奇異の視線に晒されている。完全に場違いだ。


 そんな中、御者席側の小窓がぱたんと開かれた。そこからするりと身を乗り出した少女は、亜麻色の髪を踊らせながら、颯爽と客室へと舞い降りる。


「乗り心地はどう?」


「最悪だよ」


 腕にされた大きな手錠を見せつけるようにそう言ってやると、エレノアは、ジトっと目を遣ると「あなたには聞いてないわよ」と釣れない態度を取った。


「彼のことは気にしないで。武器は全て取り上げてあるから」


 にわかにざわつく奴隷たちへ、エレノアは、そう微笑みかけた。すると奴隷たちは、不安そうな面持ちなままも、どこか安心したようだった。


「今まで、最低限の麦粥ばかりだったでしょう? 今向かっている目的地へ着いたら、お腹いっぱい食べられることを約束するわ! 楽しみにしていてね!」


 えへへっ、とはにかむ少女は、もはや先ほどの彼女とは、まったく別人だ。


(こうしてるとかわいいのに……)


 自国の人々と語らう姿は、さながら聖女のようだ。


(けど──)


 一皮剥けば、慈悲がない。一応あれから、奴隷たちの保護を終えたトートードたちが弁護をしてくれたが、取りつく島がなかった。しかし、目隠し、猿ぐつわ、拘束と、仕入れ人や奴隷商人ほど窮屈な思いをしていない以上、扱いとしては比較的マシなのかもしれない。


 むしろ敵国の人間としての扱いとしては妥当な扱いか、と、無理矢理納得しようとはしてみるものの、やはり思うところはあるもので。


「はあ……」


 小さくため息をついた少年に、今度は少女がムッとする。


「陰気臭いわね。それ、やめてくれる?」


 この幸せな空間に水を差さないで、と、そんなことを言いたげな視線が冷たく突き刺さる。しかし、ブランクにだって、我慢できないことの一つや二つはある。


「命を助けた相手にこんな扱いをされたんじゃ、そりゃ、ため息の一つや二つも出るよ」


「……あなたって器が小さいのね」


「なんだと!?」


 ぷいっと顔を背けられたらそれまでだ。しかしブランクにとっては、あまり好ましくない状況であるのは事実である。先ほど言った言葉も、心の底から出た言葉であった。


 ましてや、ブランクにとっては二度目のことなのだ。一度目はヤラグ族で、二度目はこの少女で。さらに口を開けば、こんなに気が強いのでは、知らぬこととは言えど、今まで思いを寄せていたのがまるでバカのようだ。


(こんな子だって知ってたら、僕は──)


 ちらっと横目に、少女を見遣る。奴隷だった子どもたちと分け隔てなく語らう姿は、傍目に見ても、あまりに美しい。それは、横面から見える美醜だけの話ではない。


 ブランクだって、同じ車内にいるのだから、気づかないわけがない。少しだってまともな嗅覚をしていれば、顔をしかめてもおかしくない異臭が、車内には立ち込めている。開いた窓が必死に外との橋渡しをしているが、焼け石に水だ。充満した悪臭は、元凶がある以上、切っても切り離せない。


 それなのに、彼女は嫌な顔ひとつせずに接している。ブランクが反応した時に「そんな顔しないで」と注意するくらいなのだから、鼻が詰まっているわけでもないはずである。


「すごいな……」


 だからか、思わず、そんな言葉を漏らしていた。


「何がすごいの?」「うわっ!」


 意識していなかった場所から、突然声が、降って出て。ブランクは、心臓の飛び出す思いをして、それから、声の主である黒髪の少女──クロエに、いたの? と問いかけた。


「そりゃあ、メイドがご主人様の近くにいるのは、当たり前のことだよね〜」


「そ、そっか……」


 愛くるしい声で無邪気に返す少女であるが、ブランクが苦戦したあの巨大な魔物──ベルベントを、容易く仕留めている。あまりに人間離れし過ぎていて、ブランクは、どこかよそよそしい態度を取った。


(この人、ちょっと怖いんだよな……)


 出会い頭にためらいなく急所を狙われたこともあるし、何より、人物像が掴みづらい、というのが、ブランクの中にあった。


 今もそうであるが、時折、彼女は喋り方が変わる。すると、纏う空気も変わる。その時の殺気たるや、まるでよく研がれた刃物を首に当てがわれたようなのだから、その傍にいれば、決して心休まることがない。そんな不穏な空気を、常に纏っている。


 ちらと視線を見遣れば、にゃ? と、無垢な青い瞳が傾き、頚椎から伸びた尾がゆらゆらと、横揺れする。


(この人、何考えてるか分からないんだよな……)


 ブランクがそんなことを考えていると──。


「──それはお互い様にゃ」


 隣にいた少女の声が──転調した。ブランクが、え? と、聞き間違いかと思って、一拍置いてから問い直すと、その少女──クロエは、海溝のように暗い溝を縦に裂いた猫目で、ブランクの臆病に揺れる瞳を、捉えて映した。


「聞き間違いじゃないにゃ。敵国の人間が、どうしてこんなとこにいるにゃ? 目的を言うにゃ」


 こいつ、僕の心の声を──。ブランクがそう思いかけると、その少女は、目を通した先にあるものを見据えるように、真っ向からブランクの姿を収めた。


「読めるから、隠し事は無駄だにゃ」


「なん──」


 あらゆる思考が巡った。中でもあり得るのは、魔法(ルーン)の存在だ。得体の知れない、あるいは人智を超えた力というのは、それくらいしか思い当たらない。一度(ひとたび)言葉を誤れば、お前に命はない。横並びにある二つの青月は、そんな明確な殺意を孕んでいて、ブランクは、突如として眼前に振って湧いた死の予兆に、思わず生唾で喉を濡らした。


「これから、いくつか質問をするにゃ、絶対に答えるにゃ」


 なんてことだ、と、ブランクは肝を冷やした。しかし、自分に後ろめたいことなどない。そう思い、この少女──クロエの尋問に応じることとした。決意を固めれば容易いことで、ブランクは、生真面目な顔して、青眼の少女の鋭い視線へ挑んだ。


「お前は間者(カンジャ)かにゃ?」


「……違う」


「密入国者にゃ?」


「ちが──……わないな。そうだ」


 まさか、二つ目から出鼻をくじかれるとは思っていなかったブランクだが、こうなっては、下手に嘘をつくよりはいい、と、素直に非を認めた。


「魔術師にゃ?」


「補助だけだよ」


 首を傾げるので、ブランクは「攻撃系統は何も使えない」と、補足する。すると、ふむん、と、クロエは尾をおっ立てて、それから、最後の質問にゃ、と、おそらくは、彼女にとっての本題の、その口火を切った。


「お前は──エレナお嬢様の敵かにゃ?」


「エレナお嬢様……?」


 一度疑問を覚えてから、その視線がなぞるようにエレノアへ向かえば、ああ、愛称なのか、と、ブランクは腑に落ちた。きっと仲がいいのだろうと思いながら、ブランクは「僕に害意はないよ」と言い放ち、続けた。


「この国には、本当に家族を探しに来ただけなんだ。神に誓って、嘘は言わない」


 思えば、ダザンについた嘘も、謝った今ですら、尾を引いている。それぐらいブランクにとって、嘘をつくことは、とてつもなく後ろめたいことなのだ。


 嘘も方便とは言うが、出来うることなら、極力使いたくはない。ましてや、こういった人の信用に関わる場面であるならば、なおさらだ。


 その思いが伝わったのか否か。クロエは「ふむ、ふむ、ふむ……」と尾を波打たせながら、その海色の瞳でブランクをもう一度見た。その目は、猫目ではなく、青い月のようだった。


「まあ、キミの国の神サマなんて、どうだっていいよ」

 なんなら自分の国のも、とさえ付け加える少女の声は、凪いだ海のように穏やかで、ともすれば、嵐の後の快晴に晴る空を思わせた。


「あの子が──エレノアが無事なら、ボクはそれでいいんだ」


(ボク……?)


 纏う雰囲気がまた変わった。ブランクが気づいた頃には、少女は、ブランクに対する興味を失っていた。くわっと大口を開けて行われるあくびは、もはや、ブランクに対する脅威を思わせない。完全に敵として度外視されている。信用してくれたのか──あるいは、取るに取らない存在だと思われたのか。


 そう考えてから、ブランクは──情けないことに、きっと後者だ、と思った。しかし──。


「別に、キミのことはもう疑ってないよ」「え?」


 あっけからんとそんなことを言われて、ブランクは途端に拍子抜けをした。それじゃあ、と、期待を込めた目で見つめると、クロエは、すげない瞳でブランクを見返していた。


「勘違いしないでよ。ボクがキミのことどうでも良くなっただけで、別に、ボクがエレノアに取りなしたりだとか、そーいうのは、全然考えてないから」


「あ……そう……」


 ブランクの期待は、いとも容易く砕け散った。


(やっぱり、取るに足らない存在なのか……)


 ブランクがそう思っていると、クロエは、不服に口を尖らせた。


「キミは……ずるいよね」


「えっ?」


 不意にそんなことを言われて。ブランクが疑問を覚えていると、クロエは、苛立ちに尾を揺らしながら、言った。


「ボクじゃ、あの子の心の奥まで掬えない。そんなところに、キミは、スッと入っていくんだもん。やっぱり、ボクじゃもう無理なんだって、気づかされるなあ……」


「えっと……何の話?」


 脈絡もないので、ブランクは、八つ当たりのようなこの苛立ちに、どう言葉を返していいかを言いあぐねていた。すると、クロエもそれを察してか否か、一つ目に蓋をすると、それから夢から覚めるように、首を左右へ振った。


「なんでもないよ」


「……」


 その目はそれ以上聞くなと明確な拒絶を語り、けれど、少しの嫌悪感も含んではいない。本人が何でもないと言うのだから、ブランクは返す言葉を失った。そうしてしばらく。会話が終わったと思った頃──、


「あの子を──」


 ポツリと。そんな言葉が、少女の口からこぼれた。


「あの子を守ってくれて……ありがとう」


「どう……いたしまして?」


 殊勝な態度で──まさかお礼を言われるなどとは思っていなかったブランクからすれば、この謝意を素直に受け取っていいものかと悩み、しかし、悪い気はしないので、やはり受け取るのだが、どんな顔をすればいいのか、ブランクには、分からなかった。


「……腹立たしい顔にゃ」


「あは、あはは……」


 初めて歳近い少女から向けられた好意に、気恥ずかしさのようなものが少しあって。ブランクは、調子を狂わされて、自分が火を吹きそうなほど、顔を真っ赤にしているという自覚があった。


「クロエ」


 その様子を──まち針さながらに鋭く視線をくぐらせているエレノアと、目がかち合った。低い声は、ブランクに対する威圧だろう。しかしその緑青色は、次の瞬間にはついとクロエを見ていた。


「暇なら手伝ってちょうだい。この子たちにお菓子を配ってあげるたいの。そこの『それ』は放っておいていいから」


「はいはーい!」


「そこの……それ!?」


 あまりに雑な扱いに、ブランクは、戸惑いを覚えた。しかし、今の自分にはどうすることもできやしない。ブランクも、それは重々承知している。焼けるほどの怒りも不満も、その全てを飲み込んで。どかっと楽に壁へもたれかかったブランクは、ガタガタと小刻みに揺れる獣車の揺れに、その背を預けた。


(もう……こうなったら、身を任せるしかないね)


 ブランクが好きな言葉だ。


 成るように成る。水は、低いところへしか流れないのだ。あるがままに、その身を委ねて。


 そうして耳を澄ますと、和気藹々(あいあい)と楽しそうな会話に混じって。ブランクの耳には、春のせせらぎが届いた。


 ブランクは、周囲にある奴隷たちの奇異の目や、興味の視線、あるいはそのささやき合う姿に目もくれず、鼻歌の一つでも歌ってやるのだった。

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