第三十二話『最悪な出逢い』
「なんだテメェ!」「これを解け、私は部外者だぞ!」
「なっ──!」
汚ねえぞテメェ! と、仕入れ人と奴隷商とが、口汚く罵り合い、それぞれの我を通そうと喚き立てている。
「クロエ」「はい」
それを。亜麻色の髪の少女は、うんざりだ、とでも言わんばかりの、雪氷でも詰めたような冷たい声色で、あるいはそのような目で、三人の背筋を伸ばさせて、それから、クロエと呼んだ黒髪の少女へ、最後通達でもするかのように、無情を告げた。
「この二人はシメていいわ、どうせお話にならないし」
この男の子だけ残して、と。二人の男が弁明の声を上げようとするのも虚しく、
「はーい!」と、明るく愛くるしい声が、二人の男を鎖で締め上げた。大の男二人が、泡を吹いて倒れる中、その無慈悲を示した緑青色が、危険な色香を振り撒きながら、ブランクの琥珀色を真正面から見据えて、捉えた。
「あら、あなた、やっぱり──」
その少女は、ブランクのことを頭から爪先まで、品定めするかのように、じっと見つめた。その熱視線に堪えきれず、ブランクが赤らめた顔を逸らすと、少女は「ま!」と、やり場のない怒りを、声にして露わにした。
「失礼しちゃうわ! ねえクロエ、今のみた?」
「ばっちりと!」
何が、と疑問を覚えてから、もしや、何か文化の違いがあるのかと思っていると、少女は、果たして言った。
「彼ったら、やっぱり何かやましいことがあるのだわ」「い!?」
身も蓋もなく、突然そんなことを言われて。ブランクは、すっとんきょうな声を上げて、肩を飛び跳ねさせた。
「だってそうでしょう?」と、続く言葉に。少女は、山中に吹く乾いた風よりもなお冷たい緑青色を添えて。赤枯れ色の髪した少年の琥珀色を、真正面から捉えると、頚椎のひっくり返りそうな声色で、ブランクを脅かした。
「そうでなければ、敵国の、年端もない男の子が、この地を統べる領主であるわたしの顔を見れないという道理が、他に──何かあるというのかしら?」
「うっ……」
理路整然と並べ立てられた言葉は、傍目に見れば、なんと説得力のある言葉なのだろう。ブランクは、このままではいけないと、一つ物申そうとして。しかしそれが言葉に出るよりも早く、一つの疑問を覚えて、
「──……って、領主? 君が?」気がつけば、それが先に、口を衝いて出ていた。目先にいる少女は、お世辞にも人生経験が豊富な、聡明な大人には見えない。むしろ、歳の頃など見るに、ブランクとさほどの大差がないはずで。現に目の前にいる少女は「まあ!」と年相応にほっぺを膨らませて、ブランクのことを、にべもなく睨みつけている。
端的に言えば、ちゃんちゃらおかしいと。ブランクが、すぐ近くにいたクロエに助け舟を求めていると「本当に失礼しちゃうわね!」と、少女は我慢ならない気持ちをことさら隠す気もなく、トサカを立てて、怒りをあらわにしたものだから。ブランクは「ごめん……」と吃りながら、口ごもり、うつむいた。
「女が領主なのが、そんなにおかしいかしら?」
「いや、そっちじゃ……いや、それもあるけど──」
ブランクは、言いかけて、言葉を飲み込んだ。これ以上機嫌を損ねるのは得策ではない。何が彼女の逆鱗に触れるか分からない以上、軽はずみな言動は、それそのものが、たちまち自殺行為になりかねないからであった。
そうやって気持ちを落ち着かせると、ブランクは、目の前の少女が、再三見ていたというのに、改めて見直せば、やはり、とその美しさに一息呑んで、密かにうっとりとしていた。
(相変わらず、綺麗だな──)
華奢な見た目ながらもたおやかで、手足はすらっと長く、しかし、背丈はちょこんと低い。大人顔負けであるのは、その起伏に富んだスタイルくらいのもので、その体を意識すれば、ブランクは、洞窟での出来事を思い出して、もぞもぞと身じろぎしながら、前屈みになった。
「ねえクロエ、今のみた?」
「ばっちりと……」
そう言いながら──黒髪の少女クロエは、白い綿毛をふわふわとさせて飛ぶ、雪虫を目で追っている。見てないじゃないか、とブランクが思っていると、気がつけば、目の前にいる亜麻色の髪の少女は、侮蔑を込めた瞳でブランクを認めていた。
「こんな人畜無害そうな見た目をしているけれど、中身は立派なケダモノね。わたしのことを、そのおぞましい脳内で、これでもかと辱めているのだわ。顔を見れば分かるもの。彼はきっと、大層な変態よ」
「ひどい言いがかりだよ!!」
まるっきり否定できないのが手痛いところではあるが、風前の灯火にある世間体の窮地を救うべく、ブランクは、なけなしの名誉の証明に打って出た。
「僕がここへ来たのは、連れ去られた家族を助けるためだ!」
このまま相手のペースに乗せられては堂々巡りであった。ブランクが、毅然とした態度でそう言い繕ってみせると、少女は「へえ」と、興味深げに眉を持ち上げて、それから、どこか疑い深そうに目をひそめた。
「彼らには、捕まった時にそう言うように仕込まれていたの?」
「違う!!」
情に絆されない、冷ややかな瞳がブランクの瞳を静かに撫ぜる。しかしここで退いては、もはや後がない。ブランクは、勢いを殺せばたちまち火を消されると理解して、慎重に言葉を選んだ。
「僕は、彼らの所業が許せなくて、トートードさんとランツさんに、協力しただけだ!」
「あら、わたしの兵士の名前まで。最近の悪人は賢いのだわ」
驚いたわね、と、舌を巻く彼女は、まるでブランクの言葉を信じていない。打てど叩けど響かない、水に金槌を打つ様相を思わせるその姿は、ブランクの頭をこれでもかと悩ませて、心のゆとりを奪っていく。
(どうしよう。どうすれば信じてもらえる……?)
せめてここにトートードかランツがいれば──そう思うのに、この場にいるのは、二人の少女と、気絶した悪人たちだけ。いや──厳密には、他にもいる。
「あっ──!」
ブランクが声を上げると、目の前の少女も異変に気づいた。いや、気づかない方が難しい。見上げるほど大きな黒い犀──グラングドが、不機嫌に立ち上がり、目の前の獲物を仕留めんと、鼻息荒く睨めつけているのだから。
「エレノア、だめ!!」「プロテ──」
守ろうとした彼女は、ブランクの配慮など見向きもしないで。言い切るよりも早く、駆け出し、撥ねのけ、グラングドの巨体を、容易く蹴散らした。触れるか触れないかのところで、プロテマは少女を守ったが、それは果たして必要だったかと、ブランクに疑問を覚えさせた。
「すごい……」と、言葉にすれば容易いが、ブランクは思った。魔術も使わずにそんなことをやってのけるのだ。どれだけ人間離れしているのかなど、ブランクには、およそ計り知ることなどできやしない。その反射的行動は、プロテマなどなくともやってのけるだと言う、確固たる自信があった。
「エレノア!」
少女が何かを言いたげに目配せすると、クロエは、ついと手を口に運びながら「ごめん、つい……」と何かを謝った。
それよりも、と──鎖を放って駆け寄ったクロエの心配を他所に、その少女──エレノアは「ねえ」と、訝しむような面持ちで、ブランクのことをじぃっと見つめた。
「今のはあなたがやったの?」
今の、というのは恐らくプロテマのことだろう。かけられた防御魔術は、微力ながらも役には立ったらしく、その確認といったところだろう、と、ブランクは推察し、
「そうだよ」と、堂々肯定してみせた。
「プロテマは防御魔術だけど──どうやら、君には必要なかったみたいだね」
先ほどの流麗な手さばきを見るに、勝算があったことは明白だったからだ。余計なお世話だったかもしれない。ブランクが思っていると、エレノアは、あら、そうでもないわよ、と、手首をぷらぷらさせながら、顔色一つ変えず、あっけからんと言ってのけた。
「いつもなら、手首くらい折れてるもの。原理は分からないけれど、大したものだわ」
さも当たり前かのようなそんなことを言うものだから、ブランクは、顎が外れるかと思うくらい、あんぐりと口を開けて、衝撃を受けた。
「本当よ?」「嘘じゃないにゃ」
「頭がくらくらする……」
ゆるんだ鎖から抜けた手で頭を支えると、ブランクは、自分が拘束から抜けていることに、ようやく気がついた。そして「あ、ごめん」と謝りの断りを入れると、その両手を差し出し、自ずから「もう一度縛ってくれるかな?」と、言ってのけた。
二人の少女の顔は、もはや唾棄すら躊躇う汚物でも見るように。虫すら寄せぬと言わんばかりの忌避顔で、ひそひそと、二人して陰口を叩き合った。
「ねえ、クロエ……今の聞いた?」「ばっちりと」
何が、と問うよりも早く、二人の少女は言った。
「やっぱりとんだド変態だったわ」「救いようがないよね」
「違うからッ、絶対違うからっ!!」
はたと気がついてから弁明するも、必死になればなるほど怪しい。しかし、無実の証明をするならば、相手の思うように振る舞うのが常であった。ブランクは、やはりと自分の両手を縛るように差し出し、促すしかなかった。
「君の言葉はもっともだと思ったんだ。僕を怪しむ気持ちも、君の立場を思えば理解できる。煮るなり焼くなり、好きにしてほしい」
ブランクが決意を矯めた瞳でそう告げると、エレノアはますます怪しいと、目をすぼめて、
「大きく出たわね。虚勢かしら?」
と、不審を深めた。足先は地面を叩き、疑念が濃くなったことに、苛立ちをあらわにしている。けれどブランクはすねに一つの瑕もないと、堂々たる立ち振る舞いで、言ってのけた。
「僕は清廉潔白だし、証人がいる以上、僕にも勝算があるのさ。探られて痛む腹なんてものは持ち合わせてない。僕は、必ず君の信頼を勝ち取ってみせるよ」
「……」
その目は、意外に目を見開き、薄口を開けて、堂々たる様に物申そうとして。それから、失った言葉を探しては、寒空へ逃れる。そうして話すべき相手であるブランクの琥珀色へと立ち戻ると、その馬鹿真面目な優等生面に、はあ、と、呆れたように、ため息をついた。
「もういいわよ。なんか、あなたって愚か者っぽいし」
「愚か者ッ!?」
あけすけにひどい物言いをされて、ブランクは「いやちょっと待ってよ!」と、これ以上の我慢はならないと、物申す。
「僕は君の恩人なんだぞ、なんでこんな仕打ちを受けなきゃならないんだ!」
「……うん?」
もっと早くにこの手札を切れば、事態はもう少し早く収まったかもしれない。ブランクはこれを言ってしまえば、見返りを求めて助けたように思われて、それをひどく嫌っていた。対してエレノアは、怪訝に眉をひそめては、じーっとブランクの顔を見遣った。──やがて「ごめんなさい」と、彼女は、その記憶の軌跡に、ブランクの顔が見当たらないことを他人顔で突きつけた。
「まったく身に覚えがないわ。わたしとあなた、どこかで会ったことがある?」
「どこかって、それは──」
言いかけて、初めて気がついた。ブランクは、意識を持った彼女と面と向かって話すことは、これが初めてなのだ。そうなると、この情報が、状況の改善に一躍買うなどということはない。恩着せがましいと思われるかも知れず、言わなくてもいい情報だったかもしれない、と、ブランクが思い悩んでいると、
「あ」
少女は突然、目蓋にしまっていた緑青色をパチっと見開いて、もう一度ブランクの全貌を捉えて眺めた。
「赤い髪に……琥珀色の瞳」
確かめるように呟かれた言葉は、ブランクの特徴である。それを反芻するように毛先から爪先までを見定めると、エレノアは──桜色の唇から、小さくこぼした。
「……いやよ」
「……は?」
少女のボソリと呟いた言葉が、ブランクの鼓膜を揺らした。それが気のせいか、と思うほど脈絡なく放られて、ブランクは、気づけば言葉を尋ね返していた。しかし、
「いやよ! わたし、もうちょっとカッコいい人が助けてくれたと思ってたのに!」
「なっ──!」
あまりにあんまりな物言いに、ブランクは言葉を失った。しかしそれは、ブランクの屈辱の序章に過ぎなかった。続く言葉はもっと酷い。
「こんな──いかにも愚鈍で、女々しくて、頭でっかちで、背も低い、頼りがいのない人に助けられたなんて、恥さらしもいいところだわ!」
「な、なん──」
失礼な言葉の殴打を受けて、ブランクは、覚えた眩暈に、陸に打ち上げられた魚のような口でぱくぱくと空気を食みながら、ハッと腹の底についた火に、気がついた。
「せめてもう少し背が高かったら良かったのに、顔だって、いかにも根暗で──」
これを言い切らせてはもはや面目が立たない。ブランクは「いやいやいや」と名誉挽回のための異議を申し立てた。
「背なんか僕とほとんど変わんないだろ!」
それに──それを君が言うか? と続けて。
「君は、鏡を見たことがないのかい? 君だって、ちんちくりんもいいところだよ!」
「なんですって!? わたしのは、愛嬌があるからいいのよ! わたしはいつ白馬の王子様が迎えに来てくれるかって、ずっと待ってたんだから! どうしてくれるのよ!」
もはや、それはただの癇癪に近かった。ブランクは、なんだこの生き物は、と、突然理解の及ばない生き物になったみたいな少女に、一切の遠慮を捨てた。
「そんなの知るもんか! 勝手に期待してただけだろ!! いい歳して白馬の王子様とか、そんなの、いるわけないじゃないか!」
ブランクがそうやってまくし立てると、エレノアは「なんですってぇ……!?」と、静かにわなないた。騒ぎを聞きつけてか、周囲の木の陰で、隠れて様子を窺っていた奴隷たちが、なんだなんだと、にわかにざわめき立って。
それをブランクが目立ち過ぎたと失態を嫌えば、エレノアは「ちょっと、クロエ!」と、くぴくぴと水筒を傾けながら眺めていた自分の侍女に、白羽の矢を突き立てた。クロエは、突然の呼びかけにも一切動じずに「ふにゃん?」と応じて見せた。
「この子の装備を取り上げて縛って! きっと、ろくでもない人間に決まってるわ!」
なんだと、と言うよりも早く「ほーい」と軽口に、ブランクの装備は、抵抗の余地なく、自律するワイヤーに取り上げられた。そしてそれは、そのままぐるぐるとブランクを縛ると、一切の自由を奪った。あれよあれよという間の出来事に、ブランクは「こんなの、横暴じゃないか!!」と、必死に訴えかけて、慈悲を乞うた。しかし、
「乙女の夢を貶した罪は重いのよ」
無茶苦茶な理論に、ブランクは、初恋の砕ける音を聞いた。
「こんな無茶苦茶な人間だったなんて……!」
「……何か問題でも?」
「問題って──あっ!」
魔法剣も取り上げられ、さらに、その懐から賢者の書まで取り上げられた。
「それは──」「それは……何?」
ブランクの訴えは、雪の吹き付けられた岩肌より冷たい目でジロっと突き返される。こうなると、もはや弁論の余地などない。建設的な会話とは、理性を保った者同士でなければ、成り立たないのだから。
「これも魔導書の可能性があるのだから、当然、鹵獲するに決まっているでしょう?」
寝ぼけてもらっては困るわ、という少女に、ブランクは「ひどい……」と非難の気持ちを強く視線へ込めた。
「司法も何もあったものじゃないね……この国の貴族は、義を重んじない、野蛮人でも成り上がれるのかい?」
ブランクが皮肉たっぷりにそう焚きつけると、少女は言った。
「あら、義理人情で国が守れるなら、戦争なんてとっくに終わってるわ」
くすくすと笑いながら、少女は「それに──」と続けて言葉を紡ぐ。
「この領では──わたしが法律よ」
「……暴君め!」
ブランクがそうやって言ってやると、少女はちっとも響かないと言わんばかりに、くすりと笑った。
「わたしには、領民を守る義務と責務があって、敵国の人間が、武器を持って侵入しているのだから、わたしとしては、当然の行いをしたまでだわ。何か問題でも?」
「……ない」
先ほどまでの感情的な振る舞いはどこへやら。一転して、見るに理知的で、ブランク以上に隙のない論理を振りかざすと。少年の旗色を見て、少女は、どこか満足げに笑った。
「それは理解が早くて助かるわ。どのみちあなたに自由は与えられないもの」
「……僕が敵国の人間だからか?」
「そ。なんだ、あなた、話が分かるのね」
さすがのブランクも、君と違ってね、とはもう言えなかった。もはや何を言っても立場を悪くするならば、口を閉ざす方が利口だ。沈黙は美なり、である。
そのブランクの様子を。満足げに認めた少女は、緑青色を艶やかにゆるめて閉ざし、数歩歩いてから「でも」と振り返り、ついと言った。
「あなたは恩人だから、あえて言ってあげる。ようこそ──ヴリテンヘルクへ」
ブランクは思った。
最悪の再会で、最悪の出逢いだったと。




