エピローグ『少年は、少女と出逢った』
そこはベルベントの眠る、あの見上げるほど大きな木のうろである。そこが掘り下げられ、地下となり、先ほどの木の板で蓋された裏口へと繋がっているのだ。
(この蛇……確かベルベントって言ったっけ。こんなに近付いても起きないのか──。冬場に冬眠する蛇はいるけど、樹上で寝るなんて、やっぱり魔物は変な生態をしてるな……)
あるいは、そういう待機命令なのか。とにもかくにも、ブランクは、大きな木のうろまで向かい、その様子を窺った。
「あれは──獣車だ!」
そこには箱形をした、鉄製の大きな荷車があった。巨大な犀型の魔物が引くその荷車は、下手をすれば定員は半分か、と思えるほど小さく、とても十人が入れるとは思えない。そこへ男女問わず、年齢問わず、老若男女様々な人々が鞭を打たれながら、歩かされ、すし詰めにされていく。割合的には子どもが多く、中にはブランクより小さな子どもまでいた。
「ひどい、なんてことをするやつらだ……!」
そんなこの国の悲惨な実情を傍らに。まるで井戸端会議にでも興ずるように語らう二人の極悪人の会話に、ブランクは耳を傾けた。
「やっぱり子どもが多いな。もっと年頃の女はいないのか?」
「孤児は餌をチラつかせれば簡単についてくるが、他はそうはいかねえからなあ。まあそのぶん、何なりとやりようがあるって利点はあるだろ?」
へへへ、とご機嫌に取りつくろう仕入れ人の下卑た笑いに、売人の男は鼻を鳴らした。
「そんな程度の低い交渉では、値段は変わらんぞ」
「チッ、いちいち嫌味な奴だ。テメーとは喋る気も失せるぜ」
会話の内容は大したことがない。そして想像以上に仲が悪いのか、淡白すぎて、交わす言葉数も少ないまま、奴隷たちの積み込みが終わってしまった。
(まずい、このままじゃ行ってしまう……!)
パタン、と、サビの浮いた扉が閉ざされたところで、ブランクは、これ以上トートードを待っては機を逸すると見て、行動に移そうと、ハオデイを唱えた時だった。
「なんだ!?」
獣車へ接近したところで、大きな音が聞こえた。木が倒れたような音は、先ほどの木の板のある広場から聞こえてきた。
「あれは──裏口の方だ!」
「チッ、だからこんなところへ来るのは嫌だったのだ。面倒ごとに巻き込まれるのはごめんだ、金は後日きっちり払ってやるから、お前は事態を──」
売人は、言いかけたところで、気づいた。
「さあ、急いで!」
「ありがとう!」
奴隷たちを鞭で導いていた手先の者がやられ、大切な商品が、逃げ出していることに。
「小僧ッ……!」
「これは、僕も逃げるべきかな……」
上にはベルベント。そして、獣車を引いているのは、ブランクの知る情報を合わせるなら、グラングドという、別名闘黒犀とも呼ばれる、気性の荒い魔物だ。それに、仕入れ人と売人まで青筋立てて睨んでいる。孤立無援で四面楚歌。奴隷たちを逃す時間だけが、ブランクが立ち去らない理由である。
「ベルベントッ!」「グラングドッ!」
仕入れ人と売人が、それぞれ自分が従える魔物の名を呼んだ。ベルベント一匹でも苦戦を強いられたブランクが、勝てる見込みなどない。木の上からは藤色の蛇が、地上では黒色の犀が、ブランクへとにじり寄ってくる。
「さすがに──これは貧乏くじ過ぎたかな……」
これじゃ、どちらが揺動か分からない。と、ブランクは、苦笑いを浮かべる。
今更ながら安請け合いしてしまった、と、後悔の念が立つが、もはや、後の祭りである。こうなってしまっては、ブランクも成るように成ると、割り切るより他がなかった。
腰にある魔法剣を抜き放ち、ブランクは、小さく呟いた。
「プロテマ」
先に保険をかけ、いつでも応戦できるようにと、間合いを確認しながら、仕入れ人を警戒する。
「やれ!!」
怒気を多分に含んだ声色で、売人が号令を下す。すると闘黒犀──グラングドは、その身を縛っていた鎖を蹴り飛ばし、ブランクへと走り迫る。歩くたびに地鳴りのような音がして、それだけでも気が気でないのに、ブランクは、姑息にも一番奥から詠唱をする、仕入れ人の視線が自分へと向いたことを確認すると、より一層警戒心を強めた。
「界穴ッ!!」(今だ──!)
仕入れ人が魔術呼称を言い終えるよりも早く、ブランクは、地面を蹴り飛ばして、空高く跳んだ。
「なっ──!?」
ブランクがいた場所に、ついていけなかった影が分裂して黒い水溜まりのように留まる。まさか得意の拘束魔術が躱されるなどとは夢にも思っていなかった仕入れ人は、目に見えて狼狽する。
「チッ、これだから底辺は──飃枷」「なん──」
今度は、ブランクが驚く番だった。売人も当然のように魔術を行使し──しかも、それが無詠唱だったからだ。空中にいるブランクは、身動きが取れず、四つの風の刃が向かう音を聞いた。唯一の利点と言えば──、
「ラズンッ!」「何ッ!?」
飃枷が、知っている魔術ということだ。
ブランクは、魔法剣の力で、新たな魔術を行使した。それは、自身の体重を、短い時間だけ重くするものだ。ダザンから学んだ、新魔術である。
(本来の用途とは違うけど──!)
それでも身動きの取れない空中で、直線的に飛ぶ魔術を回避するには、十分な働きだった。
ブランクは、着地と同時にハオディを用いて駆け出し、グラングドの足元まで肉薄する。
「ゴアドッ!」
そして、振り上げられた前足に拳の軌道を合わせると、蹄とぶつかり合わせ、張り合った。衝撃は、かろうじてプロテマが吸収している。ベルベントほどでないにしろ、潰そうと体重がかかるとなると、その重量は何倍にも感じる。骨が軋み、筋繊維がぶちぶちと泣いている。
(堪えろ、堪えろ、堪えろ、堪えろッ!!)
そうやって、心中で自分を鼓舞して、足の指全てで地面を掴んで、負けじと地面を味方につけて、堪え忍び、ブランクは、雄叫び上げながら、一気に拳を振り抜いた。
「なんっ……クソッ、なんなんだお前はッ!!」
売人が苛立たしげにそう言うと、ブランクは、肩で息をしながら言った。
「賢者の一番弟子だ!!」
どうだ、と言わんばかりにそう言ってやると、二人の悪人は、顔を見合わせて頭を抱えた。
「冗談にしちゃ笑えねえ──ベルベント、構わねえ、食っちまえッ!!」
ブランクは、すぐさま退こうとして、失敗した。
(脇腹がッ──!!)
先ほどの応酬で脇腹を攣って、しまったと思った、次の瞬間だった。
「やだなあ────こんな大騒ぎして。大きな獲物が、無事だと思うなんて」
甘ったるい声が響いた。それが、無数の鎖の音を、引き連れて。
「逆剥きの鎌杭」
その一言と共に、黒猫が舞い降りた。褐色の肌をしたその少女は、指先から、巨大な鎖鎌を従えて──その先にある大鎌で、大蛇の皮を、ズル剥けにしていた。
全てがあっという間の出来事だった。その猫娘は剥いた蛇の頬を足蹴に着地すると、青い双眸で、狼狽する三人の姿を捉えた。
「なんだテメ──!」
「はい確保ぉー」
「は──?」
ブランクは驚いた。売人や仕入れ人もだ。息つく間もないまま大蛇を仕留めたその娘は、瞬き一つをする間に、地面から追加で生み出した鎖鎌を操り、三人をがんじがらめにしていたのだから。
(なんだ、何が起きた──?)
ブランクは、刹那の時に、そう思った。大蛇を倒すのだから味方だと思っていたが、それも束の間に、その娘は、一切の遠慮だとか躊躇いなどというものもなく、純真無垢な眼差しで、研ぎ澄まされた殺意を向けてきた。
(あ──死ぬ)
そのまま勢い任せに動脈へ迫った鎌に、ブランクがそう直感した時だった。
「──ダメよ、クロエ」
こわばる喉で聴力を落とした鼓膜を──雪解け水のように澄んだ声色が、ふわりと撫でた。
「いけない子ね。人を殺しちゃダメだって、いくら言っても、聞きやしないんだから」
「エレノア……」
ぱちくりと目を瞬かせる黒髪の少女の青い瞳の向かう先、
「君は────」
ブランクは、驚きに息を呑み込んだ。
声は間違いなく、あの強力な魔術を放った声で。それも、ブランクは、見たことのある顔だった。
横薙ぎの風に波打つ麦穂のように、豊かに輝く亜麻色の髪。その輝きに負けずとも劣らず、白磁のごとく透明感のある、艶やかな肌。顔立ちは端正かつ淑やかそのもので、気品溢れるその少女の双眸には、玻璃細工のように美しい、緑青色二つが、しっかりと収まっていた。
「あら、あなたは──」
その二つの瞳が琥珀色の瞳としっかり交わると、ブランクは、やはり──と理解した。
洞窟で救った少女。あの日命を繋いだ少女が、今、目の前にいた。




