第三十一話『人の歴史を語るもの』
「うわ……ほんとにいんだ」
熟練の哨戒兵は、そうやって喉を鳴らした。しかし、同様の緊張は、ブランクにもあった。
見上げるほど大きな木に巻き付いて眠っている大蛇。その片鱗が、葉衣にある隙間のあちこちから覗いている。雪のかかった白と緑の隙間から、不自然な藤色が見え隠れして。だが、その木が背高な針葉樹なのだから、見るに鮮やかな、花ということもないだろう。
「間違いないです」
手渡された単眼鏡を通せば、もはやそれは、見間違うはずもなく。膜のような薄目はしぱっと閉じて、外界に隔たりを設ければ、夢我にうつつを抜かすばかりであった。
その大蛇の眠る頂きを尻目に、ブランクは、戸惑いの色濃く瞳を揺らした熟練兵と視線を交わして、頷いた。
「隠れ家は、どこにある?」
「こっちです」
二人は、なるべく木々の陰になるように歩いていった。前回見つからなかったとはいえ、今回もそうとは限らないからだった。そうして広場の近くまで行くと、ブランクは、手頃な雪をかぶった大岩に登り、木の板を指差して、注目を促した。
「あれが隠れ家です。周りに罠があるので、気をつけてください」
「うーむ、よく見つけたな。ただの木の板に見えるが、本当にあそこに人が──」
熟練兵は、そう言いかけて、いや、待て、と口を閉ざした。代わりに、その上にある二つの獣耳が、ぴこぴこと飛んで跳ねた、
「人の声が聞こえる」
「え」
ブランクは、一驚して声を上げた。しかし、すぐにも「しっ」と静聴を促されると、口を手で塞いで、それから魔道具を用い、拠点のある板切れへ向かって、その耳を傾けた。
「──ここを任されて結構経つが、一向に釣れねえなあ、領主のやつは。本当にこんなとこまで来るのかねえ?」
ボソボソとそんな声が聞こえた。聞くにあの仕入れ人の声だった。それは焦ったさだとかヤキモキとした思いを多分に含んでいて、その声色は、聞くに誰かに向けられたもののようだっ。そしてその次の瞬間。その対話相手が、口を開いた。
「心配しなくてもそのうち釣れるさ。お優しいことで有名らしいからな、甘いほどに」
ふてぶてしい声に続いたのは、線の細い声だった。少しのダミ声が混ざった声が、いかにも狡猾そうに意地の悪い笑い方をすると、仕入れ人が「けどよ」と物申す。
「さすがに待ちくたびれるぜ。もう半月は過ぎたろ」
仕入れ人がそう愚痴っぽく言うと、もう一人の男は、背中に雪でも詰めるかのような声で言った。
「それを待つ手間が惜しいからこそ、お前に頼んでいるのだ。そうでなければ、お前のような末端が生き残る術など、ありはしない」
恐ろしいほどに凄まれると、仕入れ人は、大きな舌打ちをして言葉を返した。
「今日は嫌味を言いに来たのか?」
「まさか。商人がこんな辺境の地まで出張る理由など、一つしかない」
商売だ、と続けたところで、ブランクは疑問を覚えた。
(待てよ。おかしいじゃないか。仕入れ人に売りに来たとは思えない)
ブランクがそう思っていると、商売人は言った。
「さあ、買い取らせてくれ。お前の集めた──商品たちを」
「──!!」
ブランクは、熟練兵と顔を見合わせた。
「今の……聞こえた?」
ブランクが真に迫る声で尋ねると、熟練兵は、首を横へ振った。
「おれは途切れ途切れで全部は聞こえなんだ。なんて言ってた?」
熟練兵の言葉に、ブランクは、少し考え込んだ。それから考えをまとめると、ブランクは疑問を尋ねる。
「今、この近辺での行方不明者って、どれくらいいる?」
「む。うーん……」
ブランクの言葉に、熟練兵は言うか否かを悩んでから、言った。
「十人くれーだ。それが、どした?」
「十人……」
ブランクは、ダメだな、このままじゃ連れて行かれてしまう、と、一人で納得してしまい、ブツブツと小さく思考をあぶれた言葉を口から漏らす。
それからブランクが黙考にふけると、熟練兵は、なんだなんだと、懐疑的な姿勢を向ける。ブランクは、今は少しでもと熟練兵へ沈黙を促すと、しばらくの間、奴隷商たちの会話へと耳を傾けることにした。
「それで? いくらグラングドが荷を引くことに優れた魔物とは言えど、こんな雪まみれの裏口からでは、荷車の方が先に参ってしまう。表の雪は片付けてあるのか?」
「抜かりはねえさ。お前さんが来た時から、しっかり飼い慣らした奴隷に掃除させた。今頃、すっぺりと麓まで、雪を掻き分けてあるだろうぜ」
「ふんっ。当然だ。お前にしては良くやったがな」
「うるせえ! いいから表へ行くぞ」
そうやって声が裏口から遠退くと、ブランクは、これ以上は無駄だと首を横に振った。
それから、慎重な面持ちで言葉を待つ熟練兵に、まとめた情報を述べた。
「今、あの中には奴隷の仕入れ人と、奴隷商がいます。聞こえた話によると、彼らはこれから奴隷の密売と、引き渡し、それから……搬送をするそうです」
「なんっ──!?」
目に見えて狼狽える熟練兵に、ブランクは、驚く暇すらないと、手で制した。
「僕たちの目に見えているあそこが勝手口で、別に正面から入れる入り口があるそうです。そちらへ獣車を回し、奴隷を売り飛ばすと……」
「んがががぁあ! なーんてやっちゃら! 許せん!!」
憤りをあらわにする熟練兵を宥め、ブランクは、一つ提案しようとした。しかし、
「僕が囮になります、その間に──」「いいや、待った!!」
急を要するところへ水を差されては、ブランクも出鼻をくじかれてしまう。如何様な理由があって止められたのか、と、続く言葉を待っていると、熟練兵は、少しためらいがちに、言った。
「囮はおでがやる。おめさは──救出の方さやってくれ」
「えっ──」
ブランクが瞳を揺らすと、哨戒兵は、照れ臭そうにぷいと、顔を背けた。
「勘違いするでねえ、おでは、いざとなったら逃げられる外回りを選んだだけだ」
まさかそこまで信頼を寄せてもらえるとは思っておらず、感無量な思いのあるブランクは、なんと言っていいかを悩んで、しかし時間もないことから、やはりと、無難な言葉を選んだ。
「……ありがとうございます」
ブランクの下がった頭など見向きもしないが、その熟練の哨戒兵は、背中を向けながら、言った。
「おめ、名は?」
「……ブランクです。ブランク・ヴァインスター。あなたは?」
「……トートード。みんなにはトド爺と呼ばれとる。おめさみてーな、大層な名はねー」
どこか皮肉めいた言い回しに、ブランクは、師匠であるダザンを思い浮かべると、それが、どこか懐かしくて。気がつけば、思わずクスッと笑ってしまっていた。
「なーにがおかしーんでえ?」
「あ」
ふてくされた態度に、ブランクは、気を悪くしたならごめんさない、とすぐさま謝罪した。
「知ってる人に、なんとなく似てたんです」
「けっ、どこでも偏屈なヤツは、いるもんだに」
そんなつもりはないと言いたいのに、話しかけるなと言わんばかりの態度に気圧されて、ブランクは、指をもじもじと回した。
それを尻目に。熟練兵は、何かを諦めたようにぽつぽつと言った。
「おでは、色んな訛りがあって聞き取りづれーだろ。地方に飛ばされまくって、そこで生活して、必死こいて覚えそうになった頃には、また飛ばされて。ここに来るまでは、根無し草みてーだった」
「あ、そういえば──」
ブランクは不思議に思った。こちらへ渡る際にある程度ヴリテンヘルクの語学も勉強して、ダザンからお墨付きももらったが、こうも鈍っている言葉の数々が、どうも自然に聞き取れているという不思議な事実に、ブランクは、どこか違和感を覚え始めた。
そんなブランクの心の取っかかりは、紐解かれる間もなく。トートードは、続く言葉を放った。
「ランツのやつは、からかい半分で相手してくれるが、おめは、バカにしなかったな」
ランツとは、きっと相方となっていた若い哨戒兵のことだろう。ともすれば、大切にしてはいるものの、思うところはあるらしい。しかしそれはそうだろう。多少歳の差があれど、ましてや、日常で使わないことのない言葉を揶揄されては、腹立たしく思わない人も少ないはずである。人間関係とはそんなものだ。決して一枚岩ではない。
そんな中──ブランクはトートードの言葉に思うところがあり、しかし、時間もないことから、場繋ぎ的に「僕は──」と、言葉を切り出していった。
「言葉というものは、その人の人となりを表すものだと思います。喋り方なんかは、個人の歴史と言ってもいいでしょう。その人の知らない言葉は出てこないですから」
だから──と、ブランクは続ける。
「トートードさんの言葉は、この国の色んな一面が知れて。僕は、とても良いな、と思ってました」
それは、ブランクなりの本心だった。異国に渡って、初めて言葉を交わした彼が、色んな訛りで話しかけてくる。それがブランクにとっては、面白くて、ありがたかった。それは、さながら言葉の型録のようであった。
「だから、もしかすると、ですけど、ランツさんも、バカにしてるわけではなくて、新しい言葉を知れて、楽しんでいるのかもしれません。あっ──」
すみません、生意気なこと言って、と、ブランクが縮こまると、トートードは、数回目を瞬かせ、それから、まったくだ、と、笑った。
「おめはもちっと、肩の力抜いた方がえーな」
「……そうかもしれないです」
それに、んだ、と相槌を打つと、トートードは続けて言った。
「それじゃ、おではひいひい言いながら走り回ってくっから、おめは、おめーの仕事をしてくれや。裏切ったら──分かってんな?」
鋭い視線で凄まれるものの、ブランクには、端からそのつもりがない。だからこそ、余裕を含んだ笑みで手を差し伸べた。
「ええ、お互い死力を尽くしましょう」
「ふんっ、威勢だけじゃねっごと、祈ってんがんな」
握手のつもりの手に、拳が差し出される。ブランクは、相手に合わせて、開いていた拳を握って突き出す。すると、トートードは、その親指と小指で挟み込んだ。
「おでの勝ちだ」「えっ、勝ち負けとかあるんですか?」
ブランクが何の気なく尋ねると、トートードは「はあ?」と呆れたように言う。
「今時のわけーもんは、勝ちてえって欲がねっが?」
「いえ、別にそんなことは……」
文化の違いを痛感し、ブランクは、頭を抱えた。
「ま、ええがん。上手くやれの」
「はい。トートードさんも──」
ブランクが言い終えるよりも早く、トートードは「トドでいい」と言いながら、手をひらひらと、立ち去っていった。
「行っちゃった……」
ブランクは、立ち去ったトートードを見届けると、自身もまた、聞き取った取引場所へと向かった。




