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The Alter Story《ジ・アルター・ストーリー》  作者: 水落護
第二章『少年は、少女と出逢った』

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第二十八話『溶ける世界』

 凄まじい地響きと土煙が舞い上がる。吹き飛ばされた大蛇は少しの痙攣を見せてから起き上がると、頭を上下左右に動かして、天地の定まるところを調べている。


(当たりどころが悪かったら、こっちの骨が折れてた……!)


 プロテマがあれども、その質量差は推し量れるものではない。出たとこ勝負であったが、今回の勝利はマグレだと、ブランクは思った。


 突然現れた邪魔者に、奴隷の仕入れ人は、忌々しげに舌打ちをした。


「くそめんどくせぇ!!」


「あっ、待て!」


 仕入れ人が逃げようとして。ブランクは、咄嗟にその背を追いかけようとする。しかし、


「うぁあああ!?」


「なっ──!」


 指笛一つで、先ほどの大蛇が再度囚われの獲物へと向かうと。ブランクの性格上、それは、援護へ向かわざるを得ない、択一の状況となってしまった。


「卑怯だぞッ、正々堂々、勝負しろよっ!!」


 ブランクの非難を背に受けながら、その仕入れ品は、はっはぁ! とそれを笑い飛ばす。


「青いなあ〜、ボウズ、嫌いじゃねえぜ〜? テメェみてぇな馬鹿は!」


 扱いやすくてなあ! と、捨て台詞を吐いて逃げる仕入れ人の背は、もう既に遥か遠く、見るに豆粒ほどで。ひとまずはと、ブランクは、目の前にいる二人の哨戒兵の救助に当たることとした。


「ゴアドッ!」


 再度精霊の力を借りて、ハオディの力を用いて一息に肉薄すると、ブランクは、大蛇を顎から斬りかかる。しかし。自慢の刃を当てがってからブランクは、ようやく気がついた。


(折れる──!?)


 魔法剣と鱗との接触で、ややもして振り抜けば、このままでは剣身の折れてしまうことを。さすがにこの大質量は、プロテマでもカバーすることができない。ミシミシという悲鳴が、バキッと短い絶叫に変わる前に。


(くそっ……!)


 刹那の判断で。ブランクは、剣身を鱗の上で滑らせて、その流れに逆らうことなく、体をコマのように回転させ、蛇の顎を蹴り上げた。今度は吹き飛ばすほどの衝撃はなかったが、攻撃の軌道を逸らすことだけはできた。


 その様子を、ポカンと見つめていた若い哨戒兵が、ポツリとこぼした。


「おめ……すげーな」


 感嘆の言葉も話半分に。今のブランクには、そんなことに喜んでいる暇などない。


「いいから早く逃げて!」


 二人を捉えた網を切り裂くと、犬面の哨戒兵が鼻水垂らしながら出てきた。


「僕じゃ勝てないかも……」


 心強いはずの助っ人にそんなことを言われて、哨戒兵たち二人は顔を見合わせると、おずおずと後退を始め、蛇とブランクとに背を向けて、走り出した。


「すまね!」「ここは任せた!」


「そんなのいいから!」


 とんだ貧乏くじだ、と思いつつも、それが自分なのだから仕方ない、と、ブランクは割り切った。


「さあ、どっからでもかかってこい!」


 しかし、ブランクの意気込みとは打って変わって、ベルベントは、舌先をちろちろ覗かせながら、様子を窺っている。


(意外に賢い……僕を脅威と見なしたのか)


 なら、このまま背を向けてくれれば──というブランクの望みとは裏腹に。この大蛇にもメンツがあるらしく、ベルベントは、一向に引く気配を見せない。六つの目は、しっかりとブランクを捉えて離さない。


「ハオディ」


 ブランクは、逃げる算段を立てることにした。正面切って戦うのは、もはや得策ではない。ましてや、この大蛇を倒したとて、ブランクには、もはや得るものなど何もない。


 重ねてかけられた魔術が足を覆うと、ブランクは、余裕のできた思考を、冷静さで覆った。


(さっきの人たちが応援を呼んできてくれても、僕が敵国の人間だから、きっと面倒なことになってしまう。できるだけ早いうちに、ここを退散しないと──)


 ブランクが、そう思って一歩、足を引いた時だった。


「──界穴(ブリンク)!!」


「あっ!」


 どこからともなく、そんな声が聞こえて。ブランクの影は、ブランクの下半身をすっぽりと飲み込んでいた。肘だけが影に入ることを拒んで、しかし、もはや手も足も出ない状況は、即席で仕上がった窮地であった。


「よーし、よし。待て、待てだベルベント〜」


 先ほど逃げたと思った仕入れ人が、何を思ってか、今、ブランクの目の前にいる。そして、その仕入れ人の言葉一つで、大蛇は、ブランクの目の前で、大口開けたまま固まっていた。生きた心地のしない死の洞窟が目の前で開き。その喉奥から溢れる生臭い異臭が、ブランクの生存本能に、逃走を促す。


 それなのに、影にハマった足は、もがけどももがけども、一向に底へ触れない。ハオディの俊敏性も、地面に触れないのでは意味がない。


 すると、今のブランクにできることといえば、残念ながら、自分の影にできた底なし沼に落ちないように、必死になって、地面に手をつき、その体を支えることだけだ。


 胴より下は、ぬたぬたとしていて気持ち悪い。


 もし、この穴に落ちれば──? そんなこと、考えるだけでも身の毛が弥立つ。


 ブランクは、目の前で余裕に口角をひん曲げている仕入れ人に、心中で悪態をついた。


(くそっ、あいつ、魔術師だったのか……!)


 おおよそ育ちの良さそうには見えなかっただけに、ブランクは、油断していた自分の慢心を、心底呪った。


 別に魔術の知識自体、金さえあればどうとでもなる。それが、どれだけ汚い金であろうと。まさに、アルトリウスが扱っている非合法な品には、魔道具も含まれているのだから。結局のところ、その認識の抜け落ちていたブランクの、一人負けである。


 ブランクは、悔しさに歯を鳴らした。


 そんなブランクを眺めながら。仕入れ人は、へへっと下卑た笑いで問うた。


「くひっ。お前、グランヴァレフの人間だろ?」


「なんで、それを……!」


 ブランクが一驚すると、仕入れ人は度しがたいと言わんばかりの顔で、バカかテメーは、と一蹴した。


「そんなの、身なりを見てりゃすぐにでも分かるぜぇ!」


「うぐっ……!」


 それはそうだ、と、ブランクは自分を恥じて、口を閉じた。


 グランヴァレフは布系統の素材を扱う衣服が多いが、ヴリテンヘルクの人々は、皮を扱う衣装が多い。そんなこと、一目瞭然だ。わからないのが間抜けである。まさに道理であった。


 ブランクの屈辱など他所に。こいつは得したなあ、と言う仕入れ人は、ブランクが何故を問うよりも早く、その意図するところを吐露していった。


「グランヴァレフの奴らってなあ、高ぇんだよ。男っつーのが残念だが……愛玩用としてよ、男にも女にも、大人気なんだよなあ。遺伝子としてもよ、頭が良くなるらしいしなあ〜?」


 ブランクは、ゾッとした。自分はもはや、人ではなく物として見られている。いくら残忍な人間とはいえども、こうも慈悲のない心を持つ人間がいるものか。混じりっけのない悪意の、その淵を、軽く指でなぞったようで。それだけで手につく垢は、あまりにも汚らわしい。


 改めて、この仕入れ人が、吐き気をもよおす悪の派閥なのであると。ブランクは、自分が相手にしている陣営が、いかに腐れきった存在なのであるかを、まざまざと見せつけられた。


 仕入れ人は「さあ、こっちへこい」とブランクへ魔の手を差し伸べる。


隷属(ゴラム)をかけて、お前はやっと商品として完成するんだ」


「なっ──!」


 隷属の呪い。ジャンに聞いたことがあった。ダザンからも釘を刺された。それは、もしも誰かにかけられれば、自力で解く手段がない、まさに破滅の烙印である、と。


 しかし、今のブランクに、抵抗できる手立てはない。ゴアドを使っても、足にかかりがなければ上半身だけで登ることは難しく、何か体をたぐり寄せられるものでもあればいいが、周りは雪ばかりで、掴みどころもない。


「反抗的な目つきだな。そんな顔してられるのも、まあ、今のうちだ」


「あ」


 万事休すかとブランクが思った次の瞬間。仕入れ人の指輪にあるいばらの棘が、ブランクの皮膚を突き破った。首から体内へ、やすやす侵入したそれは、ブランクの知性と理性とを、同時に冒して、心の有りようという全てを、容易に溶かしていく。


 どこで間違ったのだろう──。


 ぐるぐるとまどろむ意識の中、ブランクは、ぼんやりとそんなことを思った。そんなことすらどうでも良くなるほど、淡く、安らぐ気持ちがあるというのに。きっとこれは間違いだと、どこか遠くの方で、鐘の鳴るように、頭の奥の方で、わずかに取り残された理性だけが、必死に訴えかけているのだけが。それだけが、ブランクの中にはっきりと、確かにあった。


「──、────」


 もはや遠のく意識は、雪解け水のせせらぐ以外の音を、拾わない。茹だつように脳を包む多幸感だけが、ブランクの顔を、無様にほころばせた。


(あー、あったかいやぁ〜)


 つるつるの氷になって、ぬるま湯に浸かっているような温かさ。きもちがいい。このまま、ここで、ゆっくりしていたいなあ〜。


 ただ──、漠然と────。


 ゴルム族の縄張りを荒らしたのだけは、悪かったなあ、と、ブランクは、思った──。




「──……は?」


 そうして。どこかで、何かの砕ける音の聞こえた気がして。次の瞬間には、ブランクは、洞窟を出た直後の、黎明時を過ぎた雪景色に、ただ茫然と突っ立っていた。


「はっ、はっ、はっ──あ……?」


 唯一の違いといえば、心のゆとりであろうか。ブランクは、まるでこれまで水に沈められていたのか、とでもいうくらい、全身が汗まみれで、鳥肌が立ち、それが、雪山の肌寒さに拍車をかけて。赤枯れ色の髪した少年をこれでもかと、震えあがらせていた。


 もはや歯の根の合う位置すら思い出せないほど顎は動き、まかり間違えば、あの夢のようなことが起こり得るのでは、と、そんな恐怖だけが、ただ静かにブランクを、戦慄させた。


 掻く汗は玉のようで、皮膚のすぐ下では炎が燃えているようなのに、体表が、水底にでも沈められたかのように冷え切っている。怖い、というよりも、ただ恐怖だった。


 なんだ、あれは──。


 ろくすっぽ景色を楽しむ気もない、開いた瞳孔に、ブランクは、避けるべきゆがんだ未来が焼きついているのを、確かに感じていた。


 自分という存在を否定するわけでもない。心が苦痛と共に瓦解するわけでもない。ただ、己の認識だけが、ぐにゃりとねじ曲がっていき、音もなく溶けて、そのまま望む通りの形を作られていたような、恐怖。それは牧場で作られて、朝の食卓に並べられて、食べれることに何の疑問も抱かない、おいしいバターにでもされたような──。そんな、狂気。


 圧倒的な。抗いようもない、畏怖すべき邪悪な理に触れて。ブランクは、これから起こる未来を回避すべく、ゴルム族の縄張りから離れた。


 もう嫌だ。なんだ、これは。


 ザクザクと鳴る雪氷(ゆきごおり)の感覚は、ブランクの心をもう躍らせない。冷え切った風は、異国の新鮮さよりも、生命の危機感にただ警告を促して。


「あ」


 雪の中に埋もれていた木の根に足を引っかけて、ブランクは雪原へと、頭から突っ込んだ。冷めやらぬ興奮に熱を躍らせていた頭は、雪氷たちの尊い犠牲によって、ようやく幾許かの冷静さを取り戻すことができた。


 すると、考えを掠めるのは、あの力の向かった矛先である。


(そうだ──。もしかしたらこの瞬間にも、ウィルやジャンが、同じ目に遭ってるかも しれないんだ……!)


 逃げることは許されない。逃げてはいけない。あの商人は、この国で、初めて見つけた手がかりなのだ。


 怖い。怖い。怖い、怖い、怖い──怖い。


 またここへ戻ってこれる保証などない。何が起きて未来と過去を行き来しているのかも、ブランクは分かっていない。今が現実なのかすらも分からない。


 それでも──。立ち向かうしかない。そう決めたのは自分だから。今度こそ逃げないと、一年前の、あの日に誓ったのだから。その勇気を、ダザンに育ててもらったのだから。


「……よし」


 自分の頬を叩いて、ブランクは、恐れに立ち向かうための勇気を引き締めた。笑う膝には、口角上げて笑い返してやった。足の裏で大地をしっかりと踏み締めた。


「よし──まずは、さっきの広場に戻るぞ……」


 まずは行かねば始まらない。ブランクは、恐ろしい魔物と悪人の潜む広場へ、ぎこちない足取りで、立ち向かった。

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