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The Alter Story《ジ・アルター・ストーリー》  作者: 水落護
第二章『少年は、少女と出逢った』

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第二十七話『異国の地にて』

「わあ……!」


 黎明を過ぎた白銀の映える異国に、深碧(しんぺき)の芽吹きが鮮やかに生える。目に見えない土色に代わって、黒鳶色した樹皮が、差し色として機能している。


 グランヴァレフと違った一面を見て、その琴線に触れて、ブランクの心は、これでもかとひた躍った。


(すごいや。なんて言うんだろう。グランヴァレフの緑は優しかったけど、こっちの緑は力強いというか……)


 踏みしめる雪は結晶が多く含まれ、どちらかと言えばブギっと音の鳴るグランヴァレフの雪と比べると、ザクッと固めの音の鳴る、細やかな氷の集まりに近かった。


 鼻を通る空気も荒く、大味な香りが、肺の中一杯に広がった。


「僕……本当に、ヴリテンヘルクに来たんだ」


 憧れの賢者の旅した地。少し前なら、そんなことは到底起こりっこないと思っていたのに、自分は今、ダザンの旅の軌跡を辿ってる。辿り始めてる。


「あっ、いけない」


 そう言って、ブランクはブンブンと首を振る。今回は、旅が目的ではない。


 しかし。それでも新たに目に触れるものというのは、心に彩りを与えるものだ。ブランクは、ひとしきり浮き足立って、それを意味する何たるかを異国の地に教え込まれた。


「あっ」


 そうして右も左も分からぬ田吾作が作法も知らずに歩き回れば。ブランクは、うっかりと縄張りを踏み荒らしてしまったらしい。突然投げつけられた岩の塊は、ブランクの頭の軌跡をなぞり、豪快に砕け散った。一歩誤りがあれば砕けていたのは自分の頭で、ブランクは、生きた心地のしないまま岩を投げつけた者へと警戒を飛ばした。


「わ、ゴルム族だ……!」


 ブランクは、少し興奮気味に剣を抜いた。


 ヤラグ族の亜種とも言えるその魔物、ゴルム族は、堅牢な岩の鎧を身に纏う知恵を持ち、勝ち気で、徒党を組むなどということはしない、腕に覚えのある、気性の荒い種族である。鎧纏う前腕だけで、ヤラグ族の胴ほどあるのだから、その脅威は推して量るべきだ。


(力持ちなのは、ちょっと厄介だな──あっ)


 ブランクは、そうだ、と思い立った。


「ハオディ、ゴアド!」


 そうして無詠唱で二つの魔術を唱えると、ブランクは、一息にゴルム族へ肉薄し、その腕を切った。


(あ──、これは表面を撫ぜただけだ……!)


 ゴルム族は、巧みに鎧を使い、剣の軌跡をずらして捌いた。だが、ブランクは感動した。


(魔法剣……本当に無詠唱で魔術を連続成功させた!)


 ダザンとの修行で無詠唱も何度か挑戦したが──不完全な発動も多く、連続での発動は、ほとんどが不発であった。


「すごい、すごいや!」


 それが、こうもあっさりと成功させるのだから、魔法剣の凄さを、まざまざと見せつけられたのだった。


「ようし、あとはトドメを──!」


 困惑するゴルム族めがけ、ハオディを使って一気に懐へ飛び込んだ。


「うっ」


 だが──そこで思いがけず。ブランクの手は、止まった。


 首に添えられた銀に身じろぎ一つできずにいるゴルム族の背後に、小さなゴルム族が二匹、その視界を掠めたからだった。


「わっ!」


 そうして躊躇いに切っ先の鈍ることを認めたゴルム族は、ブランクの顔へ手を引っ掛け、それが空を切ると、警戒の色も解かないまま、呼吸を整え、急いで子ゴルムの元へ向かうと、そのまま三匹揃って、脇目も振らずに立ち去っていった。


「くそっ。なんて甘いんだ、僕は……」


 ブランクは、逃げ去る魔物の背を見送る自分を、恥じ入った。


 今のは一命を取りとめただけに過ぎず、もし、今のが致命傷となったなら?


 また過去に戻れるのか。その保証もないのだから、戦闘中に隙を見せるなど、どんな理由があったとしてもあってはならない、まさに愚行である。


「でも、縄張りを勝手に荒らしたのは僕だしな……」


 うーむと自らの軽率な行いにも反省しつつ。ブランクは、己を納得させながら、ついでに、周囲への警戒を強めに努めた。すると──。


「おい、確かにこっちから音がしたよなー!?」


 そんな声が聞こえてきて、ブランクは、心臓が飛び出すかと思った。まだハオディの効力の残ってる内に急ぎその場を退くと、林に隠れながら、ブランクはあっと気がついた。


「いけない、哨戒兵(しょうかいへい)だ……!」


 国境付近であるのだから、当然ながら、警備されている。何なら、有事にしか出張らないグランヴァレフの兵士よりも、ヴリテンヘルクの兵士は勤勉らしく。


 目ざとくも雪に残った足跡を見つけた彼らは、その穴へ、自慢の鼻先を近づけた。


「少しにおいがする気がする──」


 ドキッと心臓の跳ぶ思いをしたブランクだったが、もはや音を立てる隙もない。木の陰に隠れてやり過ごすより他に、手立てがなかった。


 哨戒兵たちは言う。


「何かいた気はするけど、鼻水で分がんね。お前分がるか?」


 そう言われて、もう一人の哨戒兵が、ブランクの靴跡へ鼻先を引っかける。


「……分っがんね、魔物かもしんねーし、気のせいか?」


「かも知んね。もう雪のにおいしかしんねぇ」


 ブランクは、どきどきしながら口を塞いでいた。亜人だ。それも、嗅覚の鋭い、犬系統の。唯一の救いが、鼻の詰まっていることだった。こうなってくると、もはや立ち往生することすら危ういが、やり過ごすより他の手立てがない。


 早く行け、早く行けと祈るブランクの心労など知る由もなく、哨戒兵の一人「あ〜」と、退屈そうに訴えた。


「領主様も人使いが荒いよなあ。ほんとに奴隷の仕入れ人が、こんなとこにいんのかあ?」


 一人が愚痴っぽくそう言うと、もう一人が脇腹をこづいた。


「おい、滅多なこと言うなよ、新入り。柔こそうな人だけど、あの領主様、(つえ)えんだぞ」


 他に聞く人のいないかとドギマギしている熟練の哨戒兵と打って変わって、若い哨戒兵は「けーどよー」となまった口調で思いの内を語る。


「あーんな若い女に指図されてっとよ、オレって一体全体、何のために生まれでぎたんだ? って、なんね?」


 若人の訴えは至極もっともで、熟練の哨戒兵は「そう言うなよ」と目を逸らしてきた現実を突きつけられ、げんなりとしてうなだれる。


「そんなこど言われっと、オレまで悲しくなんでねーか」


「でも……あのめんこい領主様に、褒めてもらいてーなー」


「おでたちみてーな、ただの見張りには無理だなあ」


 二人揃ってため息をこぼし、立ち去っていく。なんとか危機を脱したと思ったブランクの背後に、


「ん」「あ?」


 二人の哨戒兵目がけて、誰かが小石を投げつけた音が響いた。


(あれは──!)


 それは、先ほどの小さなゴルム族だった。


 親のゴルム族は近くにおらず、独断で敵を追い払いにきたらしい。勇敢というにはあまりに無謀で──哨戒兵たちは、そのお騒がせな魔物を認めると、佩剣(はいけん)していたサーベルを抜き放ち、駆除の意思を見せつけた。


(親のゴルム族は何をやってるんだよ……!)


 ブランクは、石飛礫を拾い投げて孤軍奮闘するその子ゴルムを見守りながら、じれったい気持ちに苛まれていた。そうこうしている内に二人の哨戒兵たちは、未来の脅威の芽を摘むために、正義の剣を振りかざした。


(あー……もう!!)


 ブランクは────心底、自分が嫌いだと思った。


「こっちだ!!」


「──ん?」「おい、あれ!」


 ブランクは、隠れていた木から姿を現し、注意を引きつけた。引きつけてしまった。


 哨戒兵はブランクを指差し、目の前の、取るに足らないちっぽけな脅威を捨て置き、その怪しい人物を追いかけた。


(うまく引きつけられた……!)


 その国境付近にいるところの怪しい人物である、赤枯れ色した髪の少年は、上手く二人を誘い出していく。


 しかし、ブランクの思うよりも二人の足が早く、その差は徐々に縮まってきた。


 このままではいけないと思い立ち。ブランクは、俊敏性を高める魔術を用いることにした。


「ハオディ!」


 そうして加速すると、哨戒兵たちは、一驚を喫して足を止めた。明らかに膂力による加速でないために、得体の知れなさを感じてか、慎重の色濃く顔を見合わると、そこからさらに足を早めた。


(まだ追ってくるのか……あっ)


 そこで、ブランクはようやく気がついた。この二人を返してしまった方が、厄介なことになるのだということを。


(しまった──。応援を呼ばれて山狩りなんかされたら、すぐに見つかっちゃうぞ!)


 自分の浅はかさを更に痛感して。ブランクは、付かず離れずの距離を調整をして、二人の哨戒兵の興味を惹き続けた。


 しかしゴルム族と争った直後ということもあり、どこかでやり過ごし、体力を回復させる判断が求められた。


(あの木にしよう)


 一際大きな木の目立つ、雪の広場で、ブランクは、二人を撒くために、大きく跳躍をして、樹上へと突っ込んだ。木陰の隙間から追っ手の状況を見遣ると、二人の哨戒兵は、役に立たない鼻で一応足跡を嗅ぐと、キョロキョロと辺りを見回していた。


「くっそー、どごいっだ!?」「この辺にいるはずだぎ、探せ!」


 ブランクは、再び木陰の奥へ隠れてやり過ごす。そうして肩の息を整えていると、熟練の哨戒兵が、とうとう気づいてしまった。


「あれ? これ照明弾上げて、応援呼ばんといけんのじゃないけ?」


 おい、とブランクは思った。最悪の事態を前に、嫌な汗がふつふつと湧く。しかし、次の瞬間、


「え、センパイ持っでるけ?」


「……持っでね」


 おい、とブランクは思った。こんな間抜けに国境警備を任せたのは誰だ、と他人事(ひとごと)ながらブランクは、この国の防衛事情に哀れみさえ覚えた。


「見っげねーと、やべーんだ?」


「……始末書だら」


「最悪隠蔽するぎゃ?」


「さすがにまずいんでねーけ?」


 んげんげ、と二人して苦笑する哨戒兵たちは、それだけはと、草の根分けて、ブランクの手がかりを探し出す。それを受けたブランクは、次のハオディで、この二人を撒こうと思い至る。そして、その時だった。


「んげっ!?」「んなぁー!?」


 二人の哨戒兵が、網に包まれて吊し上げられた。突然のことに驚く二人。しかし、それはブランクも同様だ。何故なら、その罠はブランクのものではないからだ。


 ドサドサと落ちていく雪の音に、ブランクが息を呑んでいると、


「おーおー、やっとこかかった。獲物が、ひーふー……二匹か。うげっ、男じゃねーか。男はなあ、お呼びじゃねえなあ……」


 そう言いながら──ヤラグ族のようにだらしなく膨らんだ腹をさすりながら、一人の男が現れた。ヒゲはてんでんばらばらに伸びちらかし、見るに不潔で、下品を煮詰めたような男は、あちゃー、と顔に手を当てやり、身振りでやらかしたと物語っていた。


 その様子を見て、男のことを猟師と思ったのか。二人の哨戒兵たちは、怒りを露わにすると、それぞれが口を揃えて言いたいように言った。


「んだ、おめー!」「オレたちゃ国境警備隊だぞ!」


 哨戒兵二人がそうやって喚き立てると、その男は、心底面倒だと言わんばかりに「そっかそっかー」と冷たい声で大気を切り裂いた。


「じゃあ──生かしとくと面倒なんだな。教えてくれてありがとよ。お前らのことは、そうだなあ──」


 少し、一考するそぶりを見せて。懐勘定を済ませの恰幅のその良い男は、歯石だらけの歯をニカっと見せつけると、言った。


「しっかりと飼ってる魔物の餌にしてやるぜ」


「んなっ──!?」「ちょ、センパイ、こいつ頭おかしーって!」


 狼狽(ろうばい)する二人の姿に、その不潔な大男は、鼻先で笑い飛ばした。


「殺さなきゃいけねえほどの人間って、少ねえんだよなあ、助かるぜ」


 到底日常的とは思えない光景に、ブランクは息を呑んだ。今の男の言葉は、別に、善悪による振り分けをしているわけじゃない。そんなこと、先刻までナハクと話していたブランクには、すぐに分かった。


 これは恐らく、法律を敵に回す免罪符を得られるような人間が少ないという、そんな手前勝手な意味合いで、そう言っているのだ。その混じりっけのない純粋な悪に。熟練の哨戒兵も、何か思い当たる節があるようだった。


「おめー、奴隷の仕入れ人だな!?」


「なんだ、知ってるのか」


 奴隷。その言葉に、ブランクの耳が跳ねた。


 その仕入れ人は、ため息を吐いた次の瞬間──一層低い声で、言った、


「じゃあ、なおさら生きて返せねえわな?」


「まてまてまて!」


 若い哨戒兵が、そうやって呼び止めると、仕入れ人は、ほう、と眉を吊り上げた。


「オレ、なんも言わねーから、この遠征から帰ったら、告白しようとしてる奴がいるんだ、だから頼む!」


「おいおい、マジか」


 粘土のように柔らかい声は、一等鋭く大気を切り裂いた。


「そいつぁ──ひじょ〜に、残念だったなあ。来世にでも期待しとけ」


 慈悲のない処刑宣告に打ちのめされると、若い哨戒兵が「そげな……」と嘆いた。それを、仕入れ人は心底落胆したように、吐き捨てる。


「交渉じゃなくて、命乞いってのが残念だ。それともその女を、今、ここに連れてくんのか、あ?」


「うぐっ……」


 どこまでも冷酷で、残忍。そのやり口に、ブランクは覚えがあった。


 奴隷の仕入れ人。その言葉と、ブランクの目的とがしっかりと結びついた。


(アイツは……アルトリウスの手がかりになる)


 そうなれば、ここは下手に手を出すよりは、泳がせた方が得策である。ブランクは、ことの顛末を見届ける決意を固めたが……、


「そんじゃ、名残惜しくもねえが、来世は価値のある人間に生まれ変わってくれや。今回の人生はここでお疲れさん!」


 ピューっとその仕入れ人が指笛を鳴らすと。どこからともなく木をかき分けて、枝を折りながら──藤色をしたそれは、現れた。


「おい、まてまてまて!」「魔物って──ベルベントじゃねーか!」


 それは──大きな蛇だった。牙は二本しかなく、丸呑みすることを目的とした蛇の体は、もはや、ゴゲラなどとは比較にすらならない。大きな体はとぐろを巻けば建物ほどもあり、六つの青いつぶらな瞳が、頭蓋の上に整然と並んでいた。


(嘘だろ……!?)


 見上げるほどの体は、木々のそれを遥かに超えて。目の前にある、小さな獲物を青い瞳に捉えると、その蛇──ベルベントは、もたげていた鎌首を、バネの弾けるように大口開けて、二人の哨戒兵へと差し迫った。


「────あ?」


 仕入れ人は、不穏な気配に振り返った。メキメキと音を立てた木が、ベルベントの口に放り込まれていた。ベルベントが、自身の口にすっぽりハマった木を吐き出そうとえづいていると、そこへ、ブランクは大きく振りかぶった拳を顎へ向けて見舞った。


「は?」


 仕入れ人は驚いた。哨戒兵の二人もだ。建物ほどある巨体が、自分達より小さな少年の拳によって、吹き飛ばされたのだから。


「おめー……」「一体どういうつもりで……」


「そんなの、こっちが聞きたいよ!」


 二人の哨戒兵に──。ブランクは、今にも泣きそうな声で、果たして、言った。


「僕って、ほんとバカだ……!」


 ──お人好し(ばか)は死んでも直らない。


 ブランクは、浅はかな自分を呪った。

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