第三話『英雄の条件』
鍛冶場を後にしたブランクは、まるで呼吸を取り戻すかのように再び鳴り出した金属音を背にして、少し考え込んだ。
「いつまでもこんなとこにいるわけないか」
買い物をする場所がここでは、居座ればダザンの小言で耳にタコができてしまう。最悪の場合、タコで耳が潰れるかもしれない。冷静に考えを巡らせれば、そんな場所にいつまでもウィルがいるはずもなく、ある意味でそれは必然に思えた。
「じゃあ、やっぱり──あそこ、かな」
そうしてある場所へと向かって足を運んだブランク。実のところブランクには、ウィルの居場所の検討が、おおよそついていた。ウィルは落ち込んだり、失敗すると、必ずと言っていいほど足を運ぶ場所があった。そこは、ブランクたちの家のある森からちょうど反対側にあって、村の離れでもあるそこは、ブランクにとってもどこか懐かしさを感じる場所だった。
「やっぱり──ここにいた」
悠久の時を感じさせる、苔の生す大きな遺跡。まだ神々が人の世に興味を示していた時代から存在するとされるその遺跡は、もはや盗賊ですら荒らすことの飽きるほど手入れがなく、この近隣に住まう小動物たちの根城と化していた。そこにちょこんと膝を立てながら座っているのは、髪の長い子どもだ。よく研がれた刀剣のごとく美しき銀は見るに艶やかで、床につけば流水さながらの気品を感じさせる。
「ウィル、探したよ?」
「うーん?」
隙だらけな声を上げて振り返ったその少年は、木漏れ日に端正な顔をしかめさせて、それからブランクの姿を認めると、わっとあどけなく笑った。中性的なその顔は、鍛え抜かれた肉体美が無ければ、美少女だと見紛うほど可憐である。
「ブランク、ブランクじゃんか! あれ、こんなとこで何してんの?」
「それはこっちのセリフだから……サイフ、忘れたでしょ」
「あー」
硬貨袋を受け取ったウィルは、他人事のように相槌を打つ。
「大変だったんだからね、ダザンと交渉するの」
「ブランクはいつも大変そうだなあ」
にへらと他人事に笑うウィルの能天気さに、ブランクは少しの苛立ちと、羨しさを覚えた。
「まあ? 僕の交渉術で、一万ネッカを三千ネッカまで値引きしてみせたけどね!」
一万ネッカといえば家が建つ値段だ。これにはウィルも腰を抜かすに違いないとブランクがたかを括っていると、ウィルはいまいちピンと来てない顔をしていた。自慢話に肩透かしを喰らって、ブランクは伝わっていないのかと、慌てて言い直す。
「いやいや、一万ネッカが三千ネッカだよ? フツーもっと驚かない?」
ブランクの必死の説明に、ウィルは「う〜ん」と一つ唸った。そして、
「そもそも──一万ネッカと三千ネッカってなんだ?」
「あー……はい」
ブランクは思い出した。このいかにも理知的で、果ては賢君たるかという優等生さながらの顔した美少年が、口を開けば呆れ返るほど残念なおつむをしているということを。これで自分より強い魔術師なのだから、おかしなものだとブランクは思った。
魔術には適性がある。それは才能だとかではなく、どんな精霊に愛されて、祝福されるか、である。あえて言えばそれが才能であるとも言えるが、その中でウィルはといえば、ジャンいわく『しっかりとした機関で学べば、恐らく史実に名を残すほど』の資質を備えているというのだ。
それに比べて、ブランクが使えるものと言えば、ルヴェルディア式魔術──通称新魔術と呼ばれる、補助的な魔術だけだ。自分は攻撃魔術を使えない。そこにブランクは、そこはかとないコンプレックスを抱えている。
(今回の魔法剣も、きっとウィルの物なのに──)
込み上げる嫉妬は、銀髪の少年へと向かった。自分は彼ほど研鑽を積み重ねる努力をしていないのに、いざ肉親とも言えるジャンから贔屓を受けているのを目にすると、その胸の内にはもやもやとした醜い何かが蠢いていて、ブランクはそれが心底気持ち悪いと思っていた。しかしそんなことを気にしているのはブランクだけで、ウィルにとってはお構いなしである。へへっと鼻っ柱をこすってあけすけに笑う少年は、歯抜けた顔で言った。
「なんかあんまりよく分かってないんだけど、ブランクがいつも頑張ってるってことだけは、オイラ分かってるつもりだよ。ほんと凄いよな、そんけーしてるぞ!」
「またそうやって調子のいいこと言って……」
良くも悪くも、ウィルには裏表がない。そんな彼に手放しに褒められれば、それは嘘偽りのない真実であるということで、そんな直上的な善意を向けられれば、ブランクだって悪い気はしなかった。眩しく咲き誇る笑顔に面を食らったブランクは照れ隠しに「そうだった」と話を急かして進める。
「それで、ダザンってば絶対に値引きしないって頑なだったからさ、交渉したのはいいんだけど……実は、ゴゲラって大熊を退治しなきゃいけないみたいなんだ」
「ふむふむ」
(あ、これ分かってない)
あからさまな滑舌の良さに、ブランクは形だけの相槌だとすぐに分かった。
「とりあえず……ジャンを呼びに行かないといけないから、そろそろ戻ろう?」
「よーし、なんかよく分かんないけど、やったるかあ!」
やる気十分なウィルに、ブランクはクスッと笑いをこぼれさせた。見てるこちらまで元気がもらえるウィルのひたむきさは、ブランクが尊敬している部分でもあった。
そうして遺跡を背にして、ブランクはもう一度振り返る。
緑に侵された遺跡は、確かに誰の手にも長年触れられず、管理すらされていない。本来は禁足地とされていることもあるが、登ることはおろか中の様子すら見たことのないこの遺跡に、ブランクやウィルは、何とも言い知れぬ懐かしさを覚えている。不思議な因縁のようなものを感じていて、それがどこか心地良くて、そして気味が悪いとブランクは思った。
「おーい、ブランクー?」
「ごめん、ウィル、今行くよ」
ここにいると胸騒ぎを覚える。そんな不安を置き去りにするために、ブランクは、足早に村へと向かった。
道中ウィルと他愛のない会話を交えながら村へと着くと、ブランクは、村の様子がどことなく慌ただしく感じた。それは、大人たちが険しい顔で駆け回っていることもあるし、噴き出すほどの汗をかいているのだから、ウィルだって様子がおかしいことに気づいたようだ。
「トトスおじさん、何かあったの?」
ちょうど近くを通りがかったトトスに話しかけると、トトスは「ああ、ブランクか!」と余裕のない顔で反応した。
「実はサリナさんとこのメルがいなくなっちまったんだ。村の中は今みんなであらかた探し回ったんだが、どこにも見当たらなくてよ。もしかして、森の中に入ったんじゃないかって、今ダザンさんに話しに行くところだったんだよ」
「メルが──」
思い出すのは暗闇に浮かぶ瑠璃色の目がふたつ。
(あっ)
今にして思えば、メルはこの時、自分とサリナの会話を、こっそり聞いていたのではないだろうか、と、ブランクは思った。そうであるならメルは、姉の困った顔を見て、なんとかしてあげたいと思ったのではないだろうか。酒や薬の材料を探しに──。
「──北の森だ」
ボソッと導き出された結論を口にすると、トトスは血相変えて息巻いた。
「北の森だって!? 今あそこに入るのだけはマズいだろ!」
「あっ、いや、でも、もうすぐ私兵団が来るって──」
ブランクが言い終えるよりも先に、トトスはその表情を曇らせた。
「私兵団は──来ねえ。国境侵犯なら対応するけど、野生動物はその限りではない、だとよ。巡回はいつも通り、明日の朝らしい。いつも年貢だけ取り立ててるくせに、肝心な時に役に立ちやがらねえ。貴族様が、お高くとまりやがってッ、くそっ!」
いつも明るいトトスが見るに堪えない。自分は森に入らないから関係ない、なんて言えるほど、トトスという人間は薄情じゃない。大工の仕事も、今は無償でやっているのだろうと思わせた。よく見れば、トトスの頬は少し痩けている。思っている以上に切迫した状況なのだと感じたブランクは、緊張で喉を鳴らした。張り付いていた喉に湿りが生まれ、息の通りやすいことを確認して、ブランクが「じゃあ──」と口火を切ろうとした時だった。
「ブランク、行くぞ!」
「えっ?」
西へ足を向けたブランクに対して、ウィルは北へ走り出していた。
「先に行ってるぞー!」
「ま、待ってよウィル!」
向こう見ずに駆け出した少年の背は、すぐに小さくなった。
(何をやってるんだ、僕は……)
ブランクは、自分を恥じた。急いでジャンを呼びに行こうとした自分と違って、ウィルは条件反射で駆け出していた。そんな強さが──心の強さが、ブランクは、ひどく羨ましいと思った。西の賢者のように、物語の英雄となるような人物というのは、きっとウィルのような人物なのだろうと思わせた。
(ジャンを呼びに行ってる間に、メルに何もない保証なんてないじゃないか)
それから、自分の手が震えていることに気づいた。ここで自らの殻を破らなければ、これから先、自分は何者にもなれないだろう。誰に何と言われたわけでもないのに、ブランクは、何故か肌でそう感じた。
(落ち着け……)
それから腹の中に溜まった恐怖を、呼吸に乗せて浅く吐き出して、同じ速度で息を吸って、止めて、鼓動の音を感じる。自分の気持ちが、素直になってもいいよと言ってくれたような安心感を得て、ブランクは、それからようやく、ふっと肩の力を抜くことができた。
(ああ、体が軽くなった……)
瞼を拓けば、いつもと変わらない景色だ。けれどブランクは、その心の中に、確かな闘志を灯していた。揺るぎない思いが、世界を鮮やかに色付けて、まるで自分が生まれ変わったような気持ちにさせた。
「ブランク……?」
「トトスおじさん。村のこと、ジャンに伝えて」
「あっ!」
トトスの返事を待つまでもなく、ブランクは駆け出していた。
「頼んだよ!」
「おい、ブランク!」
トトスは、ブランクが戦いに向いていない気概であることを知っていた。そんなブランクが予想外の行動に出たこともあって面を食らったようであったが、
「ええい、任されたぜ!」
その足先はすぐに西へと向かっていた。
(ありがとう、トトスおじさん)
端目にそれを見届けたブランクは、急ぎウィルの姿を探した。ここでミイラ取りがミイラになっては、元の木阿弥である。しかし、その心配も杞憂なのかもしれない、と思わせた。
北の森に入れば、それは突然現れた。致命傷、致命傷、致命傷。絶命に至るように、死をなぞらえられたヤラグ族やガルフの群れは、剣による裂傷や──おそらく魔術による攻撃によって、胸に穴を穿たれ息絶えていた。
その死骸の群れが、ウィルの軌跡を教えた。
(めちゃくちゃだ……でも、これがウィルの自信の裏付けか)
死神が過ぎ去ったかのような嵐の跡を追う中、次の私兵団の巡回は、魔物の掃討ではなく、視察に終わるのだろうと思った。ブランクは、意を決して森の奥へと足を踏み入れた。




