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The Alter Story《ジ・アルター・ストーリー》  作者: 水落護
第一章『異国の地へ』

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第二十六話『嗚呼、人生とは』

「──おっ、ほら見てごらんよブランク、出口だよ、出口!」


「……えっ?」


 聞いた覚えのある言葉。目の前で冷たくなっていたはずの姉が、今、目の前で。元気そうに出口を指差して、はしゃいでいる。


(……夢?)


 ブランクは、頭を抱えた。それにしては痛みも現実味があって、押さえても痛みこそないものの、頭が骨の折れたことをしっかり覚えている。抱えた思いの全てが事細やかに蘇るし、何よりも、この近辺に撒かれた糸の罠は、現実に存在している。


(こんなことって──)


 前に、先に未来を見ることはあった。まさかそれが、逆に体験するとは思いもしなかった。ブランクは、頭の中にできた疑問の海に溺れそうだった。


「ねえ聞いてるー?」


「え──わっ!」


 思考の舵を切っていると、突然サリナが顔を近づけさせていた。それに驚いたブランクが尻餅つくと、イタズラ好きな姉貴分は、くすくすと手を口に当て遣って笑った。


「やーい、びっくりしてるー!」


「……サリナさん」


 お、何怒ったのー? と焚きつけるサリナに、ブランクはゆっくり立ち上がり。それから、ブランクは思い出した。リバルの言葉を。


 今、自分の心にある素直な気持ち。どういう心であるのか。ブランクは──。


「良かった、生きててくれて、本当に良かった……!」


「は、はえ……?」


 思わず抱きついていた。心の底から安堵した、そして感謝した。あれが夢であるかどうかなど、今のブランクにはどうだって良かった。


 この明るい姉が。お調子者な姉が。大切な(ひと)が。生きている。それだけで、ブランクにはこの上ない喜びがあった。


「おーう、ブルぅ。おねーちゃんは、ちょーっと恥ずかしいぞ〜?」


「知ってる。攻められると、弱いもんね」


 図星を突かれ、サリナは「うぐぅ……」と唸る。


「かわいくなーい!」


「いいよ、かわいくなくて」


 本心である。そもそも男として生まれた以上、かわいいよりはカッコよくありたいのだ。


「さて──」


「どったの、ブル?」


 サリナからすれば突然剣を抜き出したようなもので、その声には戸惑いの色が濃くなる。しかし、ブランクには確信がある。


「守りたまえ、固めたまえ、パスク・ア・ビット・ハリアクス──」


「ブル……?」


 突然臨戦体勢を取られれば、それが冗談ではないとサリナも気付いたようだった。


「プロテマ!」


 空洞内に、魔術呼称が響き渡る。それでも続く静寂に、ブランクは痺れを切らした。


「いるんだろ、出てこいよ!」


 夢と同じかは分からない。ともすれば、本当に夢だったかもしれないし、恥ずかしい思いをするかもしれない。そんな不安もあったが、


『それがしの影渡りを見破るとは──(すこ)しくやるようだ』


 ブランクのその心配は、杞憂に終わった。それは先刻と同じように闇の中から現れ、八つの赤い目でブランクたちを捉えて離さない。その背にある斧を三本抜き取ると、先ほど同様に、隙の見えない構えで二人を出迎えた。


『面妖なり。探査の外法であるか』


「探査の──」


 言いかけて、ブランクは気付いた。ヴリテンヘルクの亜人は魔術という概念を与えられて、久しくない。東の賢者がグランヴァレフからその法を伝えて、ようやくその存在が明るみとなり、貴族たちが学ぶようになったのだ。それも攻撃魔術のみである。


 それが、賢者であるダザンと、ルヴェルディアで編み出されたまったく新しい概念である新魔術(ネオンマジック)であるなら──()の者が知らぬのも、ある意味で道理と言える。


(情報は、武器だ)


 ブランクは──果たして言った。


「そうだ!」


「え!」驚くサリナに、ブランクは一瞥(いちべつ)で促す。向こうが勘違いしてくれるなら、それほどありがたいことはない。しかし──。


『ふむ、嘘であるか。存外、したたかであるな』


 もう一度サリナを見ると、サリナは合掌して「ごめ〜ん!」と口だけで言った。


(まあいいさ。どんな魔術か理解してないだけ御の字──)


 そうして考えてみると、ブランクは気付いた。これまでは魔物との戦いであったから目に見える形で有利不利があったが、今この状況において、ブランクは目に見えない形で何手も先んじていることに。


(僕が知っている情報は、二種類の糸──斬糸(ざんし)粘糸(ねんし)があって、それは戦闘中すぐに操れるものではないことと……)


 ブランクはちらと斧先を見遣る。


(あの斧で回転する型と、そのまま跳んで攻める型。二つの攻撃タイプを持ってることだ)


 他にも引き出しはあるのかもしれない。けれど先んじて使っているということは、自信のあるものだということだ。一泡吹かせるなら、そのキッカケになり得る。ブランクは、そう睨んだ。前者は防御的で、後者は攻撃的である。他の戦術もあると仮定するならば、こちらも余力は出し切りたいところであった。


「サリナさんは、何か使える魔術があったする?」


 ブランクがそっと耳打ちをすると、サリナは言った。


「光属性の魔術なら、少し」


 ブランクは驚愕した。光属性の魔術と言えば、適性者が少ないことで有名だ。


「どんな魔術が使えるの?」


 ブランクはワクワクしながら聞いた。


「ピカルプ!」


 ブランクはこけそうになった。それは生活魔術の一つで、触った場所を、光らせたい時に光らせる魔術である。


(光らせるだけの魔術なら使い道はないような──)


 と、思いかけて、ブランクはハッとした。それから、そっと何かをサリナに耳打ちすると、サリナはブランクのスカーフを優しく撫でた。


「わっ!」


 ブランクとサリナの間に手斧が割って入る。それはするりと間を通り抜けてゆくと、床に着く前に、粘糸によって回収された。


『悠長であるな。言の葉交わす、ゆとりのあるとは』


「そこは余裕って言ってほしいかな」


 それを生み出してくれた姉へ向けて。ブランクは、視線で感謝を伝えたが、サリナは無事をアピールするためか、とりあえずはと親指を立てて、反応を返した。


(そうだ。あの手投げも立派な攻撃だ。あれで遠距離もカバーしてる。近距離は軸回転して弾いて、中距離は跳んで斬りかかる。一見するとバランスが良くて隙がないようにも見えるけど……)


 先ほど示し合わせた作戦を思えば、勝機が見えてきた。


(たぶん、サリナ姉ぇとしっかり連携が取れれば、きっと倒せるはずだ!)


 そのためには、蜘蛛男のある行動を誘い出す必要があった。ブランクは、そのための作戦を脳内で組み立てた。


『ふむ、其の(まなこ)。無謀などでなく、勇敢の色を濃く宿しておるな。その誘いに容易に乗るは、いささか身が危ういか』


「へいへーい。女子供に慎重過ぎなーい?」


 安い挑発だった。そんなサリナの言葉に、蜘蛛男は目を二つだけ閉じた。


戦場(いくさば)()いて、心をゆるめたものからはらわたを割かれるのだ。それがしは、それを一年前に学んだ』


 ウィルのことだ、とブランクは思った。


 しかしブランクは冷ややかな顔しながら困った。ブランクの作戦では、この蜘蛛男を挑発して、ある行動へと導き出さなければならないからだ。


「随分と臆病なんだね。このぶんだと、お兄さんも大したことないんじゃない?」


 色々な切り口から試してみようとしたブランクであったが、八つの赤い目の全てが自分へ向けられると、さすがに覚悟していたとは言え、たじろぎ、その身を反らした。


『兄者と相対(あいたい)して愚弄するに至るとは──(わっぱ)よ、其の程度も知れるというものである』


 きた、と思った。ブランクは首元にあるスカーフを手の甲に巻き付けると、剣と自分の手をしっかり結んだ。これは背水の陣だ。一つ受け方を失敗すれば、手首は折れるし、蜘蛛男の膂力を考慮すると、下手をすればねじ切れる可能性だってある。だが、ブランクは信じている。自分の作戦を。姉の存在を。


「子どもだって(あなど)る方が、よっぽど程度が知れるんじゃないかな」


『ほう。まるでそれがしを(たお)す手立てがあるような』


「……試してみるかい?」


 ブランクは、距離を測った。間合いを少しずつ詰めながら、しかし罠は踏まないようにしながら、蜘蛛男に近づいていく。


斧闘術(ふとうじゅつ)──(かなめ)


 蜘蛛男はブランクの行動を警戒し、足を軸にして回転を始めた。その嵐には斧の刃という恐ろしい凶刃が混じっており、近づかばその鈍色の牙で喰らいつかんとギラギラ輝いている。


『面妖である。めざましくもないか』


「かわいげがないとはよく言われるよ」


『……ふっ』


 何がおかしいのか、蜘蛛男は、とにかく一度だけ笑った。


「……行くぞ!」


『来い、弱き者』


 蜘蛛男はそうやって焚きつけ、ブランクは、雄叫びあげて駆け出した。


「食らえ!」



 ブランクの作戦。それは、回転する軸足に、短剣を投げつけること。


『……笑止』


 しかし。蜘蛛男は、回転している斧の一つをその短剣へ向かわせると、その脅威を難なく退けた。


「これで──」


 ブランクが、体勢を崩した蜘蛛男目がけて駆け寄った時だった。


『斧闘術──徒花(あだばな)


「なっ──!」


 それは、回転の崩れた力をそのまま足へ持ちかけ、ひねり、その力を再び回転へと戻した。


(これは、さっきの飛びかかりの技──!)


 ブランクは────笑った。


「やっぱりね、絶対にしてくると思ってた!」


 ブランクは、この状態を事前に予期していたこともあって、すかさずその場で足のリズムを整えると、来たる蜘蛛男を待ち、剣を振り上げた。このまま行けば、蜘蛛男は自分の罠を踏み抜く。そこへ、この剣をお見舞いしてやる。


『これで──』


 ブランクは、そのつもりだった。


『それがしが、己の仕掛けを踏み抜くとでも思うてか?』


「なっ──!」


 空中でぐるりと身をよじった蜘蛛男は、そのまま一つの斧の背で地面を叩き割ると、その勢いに自分の体を乗せて、ふわりと一つ浮いた。そうすると、ブランクの頭上から蜘蛛男が降りかかる形となり、


「うぁ!?」「ブルッ!!」


 そこへすかさず斧の刃が二つ、遠心力を乗せて、ブランクへと襲いかかる。その遠くから、サリナの心配する声が聞こえた。


『面妖なり。変わった手応えをする。腕の一つは、折れたものと』


 地面を二転、三転と転がって。ブランクは、紙一重で筋を違えそうになった手首の無事を見て、心底ホッとした。


(あと少し反応が遅かったら、絶対に骨が折れてた……!)


 すんでのところで剣の鍔で受けることはできたが、それはもうひしゃげて、次に受ければ折れるかねじ切れるか。どちらかの未来が訪れることは容易く予見できた。吹き飛ばされたブランクが身を起こすと、蜘蛛男は、悠然と立ち構えながら余裕を見せつけ、言った。


『浅慮なことよ。それがしが自らの罠の存在を知らぬ道理など、あるはずもなく。ましてや、それを利用しようなどとは。まさに、まさに愚の骨頂である』


 蜘蛛男の言葉に、ブランクは負けん気強く睨みつけると、切った口の中の血を吐き出し、再び剣を構えた。


『まだやる気であるか。その心意気や良し』


「家族をそんな簡単に諦められたら……僕はこんなにも苦しくなったりはしない!!」


『……』


 ブランクの言葉に、蜘蛛男は少し黙った。それから、ふっと笑った。


『近辺で罠にかかった愚か者がいるようだ。この場のものと違って、裂糸(れっし)へと至らば、その命もなかろうて』


「それって──」


 ブランクの脳裏を掠めたのは、私兵団の存在であった。追われていた身とは言うえ、彼らはただ職務を全うしていただけだ。自分を追ってきたばかりに、という思いが、少しの同情心を芽生えさせた。自由の利かない状況に歯痒さを覚えてはいたものの、ブランクは、死んでほしかったなんて、一つも思ってやいやしない。それを一笑に付すのだから、ブランクは、とうとう静かな怒りを燻らせた。


『なんだ、仲間だったか?』


「違う」


『ほう、ただの憐れみか』


「……そうだ」


 ブランクは、とうとう眉根を寄せて怒った。


『己とは無関係であるのに慈悲深きことよ。だが悲しむことはない。其の方も、じきに(あと)を追える』


 蜘蛛男は、とうとうその驕りを見せた。それと同時に、視界の端に映るサリナが手で準備を報せると、それに頷いて示し合わせ、ブランクは、最後の問答をすることに決めた。


「……あなたは、人の命をなんとも思わないのか?」


 ブランクが尋ねると、蜘蛛男は、頭を少し回した。それは恐らく、人間にとっての、首を傾げるに相当するものであった。


『命。それは所詮、商い道具でしかない。そして。我が毒牙にかかるものなど、それにすら値しない。ただ、それだけのこと。それに、何をそんなに(いきどお)っているのか』


 不可思議なり。と続けば、ブランクも、その心の(ふち)に触れて。顔色に出さずとも、ひどく落胆した。


「……そうか。分かり合えるはずもないんだな」


(もの)(もの)とが分かり合えるはずもなく。もはや、それがしは哀れ、と(とな)えるより他がない』


 あくまで人を見下した、その物言いに。


(こいつは──救いようがない)


 ブランクは、アルトリウスに与するものであるならば、唾棄すべき悪であると断じて──とうとうその内にある決意を固めた。


「もう、僕は迷わない。お前は──僕が斃す」


 ブランクがそういうと、蜘蛛男は「笑止」と(あざけ)った。


『其の方に何ができると言うのか。それがしの罠を利用しようなどと言う浅はかさに、其の底は、とうに見えた。女子供にできることなど、やはり高が知れている』


 ──あれは、例外だったのだ。


 そう続くと、ブランクはとうとう構えた。それはダザンから習った、あの剣の構えだ。


『ふ。隙だらけである。大振りであれば、それがしに力負けをせぬとでも?』


「口が回るようになったね。臆病風は、ようやく止んだのかい?」


 ブランクがそうやって焚きつけると、手斧を投げつけようとしていた蜘蛛男は、その手を止めた。


「こんな臆病者が弟じゃ、やっぱりお兄さんも高が知れてるね」


 ブランクが再びそう言うと、蜘蛛男は、静かに手斧を下ろした。


『死に様くらいは選ばせてやろう。望み通りの力比べだ。そうして其の望み果たしたならば……己の身を、男色(なんしょく)の者に売り飛ばし、悲憐なる死を(うた)わせてやろう!』


 蜘蛛男は体をねじり、構え、そして、


『斧闘術──㓛刀(くぬぎ)!』


 弾けた。それはまさに弾丸のように螺旋を描き、とうとうブランクの前まで差し迫る。


「助けたまえ、貸し与えたまえ、ブルード・イ・バルグ──」


 しかしブランクはまだ剣を下ろさない。まるで攻撃を受けることを待つように。ただひたすらに力を溜めて、目を閉じ迎え撃つ。


『己に瞑目するとは潔し。終わりだ、弱き者──』


 蜘蛛男がそう言いかけた時。


「ゴアドッ!!」


 ブランクの声がこだましたかと思ったその、次の瞬間だった。


「ピカルプ!!」


『何ッ!?』


 洞窟の全てが光に満たされる。それは広けた窟内で一寸の影も許さず。中心にはブランクのスカーフが輝き、他方で壁面が光る。他に視界の逃げ道などなく。煌々と世界を満たして。




 蜘蛛──いや。昆虫は、光源のどこにあるかで太陽の位置を確認している。通常、自然界にはよほど特殊な状況が重ならない限りは、光源が存在しない。したがって、その条件を人が焚きつけると、たびたび火に入る虫のいることは、これに起因している。空の彼方、手の届くはずのない太陽が、何故か目の前にある。そこに背を向ける習性のある昆虫は、無限にその周りを飛ぶのだ。そうして、本来届かないはずの光に触れ、虫は燃え尽きる。


 そして。瞬き一つの間もないとはいえども、人ですら(まばゆ)い光が、たちどころに視界を埋め尽くすとなると、たとえ明滅のような、ほんの一瞬であろうとも、虫の頭の中には、異常が検知される。それが本能だからだ。


 そうして天と地の認識を失った蜘蛛男は次の瞬間──天ではなく、地に伏していた。


「そう──どんな生き物も、身の危険を感じると急所を守るために、必ず丸まる」


 その寸秒足らずの光が収まると。蜘蛛男の眼前には、今、まさに処刑のための剣身を振りかぶらんとする、ブランクがいた。その間を隔てるものは、鉄製の斧だけである。


「でも。あなたがどれだけ身を守ろうとも、僕には関係ない」


 そして。その剣はついに振り下ろされた。


「僕の剣は──鉄を断つ」


 振り下ろされた銀色(しろがねいろ)は──、


『オ、オ……!!』


 いとも容易く、蜘蛛男の斧と甲殻を切り裂いた。


『こんな、莫迦(ばか)な……!』


 蜘蛛男は、白と緑混じりの血を流し、命の限りと這いつくばり、その視線を──、


「え」


 サリナへと、見定めた。


『其の所業であろう。この雪辱──すぐにでも果たさせてもらおうぞ!』


 長身を活かした恐るべき速さで迫る蜘蛛男に、サリナが戦慄していると、


『ぐっ──?』


 蜘蛛男は異変に気づいた。自分の(もも)に、白布の張り付いていることを。それはぐにぃっと伸びて、赤枯れ色の髪した少年の元まで伸びている。それが自分の糸であると、寸秒遅れてからようやく気がついた。


「しっかり誘導させてもらったからね、ここへ」


 自慢の糸は弾力があり、伸びては縮み、先が貼り付く。そこに例外はない。


『こんな──こんなことが……!!』


 蜘蛛男は、首根っこを掴まれたようにブランクの元へと引きずられた。地面を転び、それでも最後の抵抗にと、胸に忍ばせた小さな手斧をブランクへ向けた。


 だが──。


「自分の罪を噛みしめろ」


 ブランクは、プロテマの硬度を利用して。剣ではなく、ゴアドによる膂力を用いて、半身向けると、そこから背面にて蜘蛛男の凶刃を弾き飛ばし、それから腕を折り、その衝撃だけで天まで放り上げた。いわゆる鉄山靠(てつざんこう)である。


 それに弾かれて。蜘蛛男はなす術もなく宙を舞っている。蜘蛛男は思った。


 こんな莫迦なことがあるかと。これまで散々敵を蹴散らしてきた。無敵の兄の、腰巾着だと笑われたこともあった。そんな奴らも下してきた。


 当時は怖いものが何も無かった。あの竜人に遭うまでは。


 ──嗚呼(ああ)。この(うつつ)に誤りが()るとするならば、屹度(きっと)()れに出遭ってしまった事なのだ、と。


 蜘蛛男は、嗤った。これまでの人生を振り返り、己の輝かしい過去を想って。その束の間に揺れた黄金の時に縋って。


畢竟(ひっきょう)──玉響(たまゆら)揺蕩(たゆた)う夢に過ぎんのだ』


 蜘蛛男は、重力に抗うこともできず。やがて──。


 悲痛な音を立てて、そのまま地に墜ちた。

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