第二十三話『女たらしは許されない』
明くる日、ブランクたちはまた夜を待って街道を歩いた。北から国境を越える術を知っているというサリナが目指そうとしたのは、いつかにダザンに連れられた鉱山だ。
聞いた当初はブランクもそんなばかな、と疑ったものだが、冷静に思い返せば、西の国を出身とする亜麻髪の少女の存在が、その裏打ちをしていた。
「えっちな顔してる」
「してないよっ!」
もはやお約束になりつつある会話を挟み、真剣に話し合った。
そこへ至るには川や谷、それに、いばらの森があり、まともに歩けるのはもはや、平原の街道くらいしかない。そうであれば昼間に歩くなど愚の骨頂で、わざわざ見つけてくれ、と言っているようなものだ。
かと言って夜に一本道を歩くのもいかがなものかと思うが、不幸中の幸いか、街道を踏み荒らした痕跡はなく、あの雨の後から、ブランクたちが一番乗りらしい。
途中振り返っての確認は怠らず、なるべく足を止めないように進んでいく。西のルートと違って平坦な道なので、ここいらはサリナとブランクは体力的にイーブンだと言えた。
「ねえ──」
そんな中、ブランクが恥ずかしげに会話を切り出した。
「どしたの?」
「これ、しなきゃダメ?」
ブランクは握られた手に、顔を真っ赤にして訴えた。
「ダメ」
「なんで!?」
ブランクが尋ねると、サリナは言う。
「ブルは夜目が利かないから、雲でお月様が隠れると分かんないでしょ?」
「うっ……」
至極真っ当な意見に、ブランクは言葉を詰まらせた。
本日の天候は曇り空。暗い雲が空の隅々まで覆っていて、月明かりなど気休め程度にしか降り注がない。追手を撒くには持ってこいな日であるが、同時にブランクが歩くにも不便が極まれりだ。そんな中、サリナは白羊種であるから夜目が利くようで、それで、ブランクの手を握っていたのだという。
「っていうのは建前で、ブルと手を握れるチャンスだから握っちゃったんだー、へっへー」
「あー、もうっ!!」
ぶんぶん振り回せど、サリナの拘束は一向に解かれない。柔らかい指のお縄がブランクの手を絡め取り、ずんずん前へと進んでいく。
「ふふふ、恥ずかしがるなよー、しょうね〜ん!」
優位性たっぷりに微笑む勇み足な乙女の背に、ブランクはぼそりと呟いた。
「自分だってちんちくりんなくせに」「なんですって?」
ブランクがそう言うと、間髪入れずにサリナは殺気立った目でブランクへ凄んだ。思わぬ地雷を踏み抜いて、ブランクは、生きた心地がしなかった。
「ブルさー、いま、なんか言ったー?」
「なんでも……ないです……」
ブランクが突如として脅かされた生命の危機に、震えながらそう言うと、サリナは不服そうに「ふーん。あっ、そう」と先を急いだ。
(サリナ姉ぇ、身長気にしてるんだ……もう言うのやめとこ……)
ブランクは、サリナの身長を禁則事項に付け加えた。メルも身長が低かったが、あるいは血筋なのかも知れない、と、ブランクはそう思った。
「──そろそろ休憩する?」
「うーん。そうだね」
そうやって会話をしながらしばらく歩いて。余力はあるものの、もうすぐ鉱山の近くだと言うこともあって、山へ入る前の体力を取り戻すべく、ブランクたちは、賢者の書を手にした。
それから念の為にと、周囲の様子を適宜窺った。
(ん……?)
ブランクは遠くの方で、何かがきらりと光ったような気がした。しかしそれもほんの一瞬で、気のせいだろうと言われれば、そう思えそうな暗闇がずっと続いている。
「……サリナ姉ぇ、ちょっとお願いがあるんだ」
「ん? どったのブル?」
「あっちの方、どこまで見える?」
「んー……」
ブランクが用心してサリナに協力を仰ぐと、サリナは「うーん?」と、目を皿にして遥か遠くまで見遣った。
「何もなければそれでいいんだけどさ。なんか見えたような気がして──うん?」
ブランクが言い終えるよりも早く、その手は、サリナによって握られた。
「ブル」
「え?」
「走るよ」「わっ!」
サリナは脈絡もなく突然走り出した。それに引っ張られたブランクは、抱えた賢者の書を落とさないように必死だ。
「どうしたの?」「いた、めっちゃいたー!」
何が、とは言わずともブランクには理解できた。
「私兵団?」「そうー!」
やはり──と言う思いと同時に、ブランクはまさかとも思った。違和感があったからそこまで驚きはしなかったが、こんな暗闇の中どうやって、という衝撃からである。
魔術ならあり得るのか。あるいはそういう能力持ちがいるのか。敵が目の前にいないのだから問いただすこともできない今、二人にできるのは、懸命に腕を振って逃げることだけだ。
「わーっ、向こうも走ってきた!」
ブランクには見えないが、やはり向こうはこちらの動きを視認しているようだ。敵を撒くには姿を隠すしかないのであるが、生憎ながら、ここには鉱山内の空洞へ転落する穴しかない。一歩間違えば命すら落とす入り口を前に、サリナは、勇み口に言った。
「ブルっ、このまま鉱山突入しちゃうよ!」
「ダメって言ってもするくせに!」
「もちのろん、確認じゃなくて宣言だし!」「あっ!」
そう言ってサリナはブランクを抱え上げた。背中に回した手で肩を抱き、腰から伸ばした手で臀部を支える──お姫様抱っこである。
「待って、心の準備を──」「さー、行くぞー!」
「わーっ!?」
ブランクは少年特有の高い声を反響させながら、サリナはこともなげに着地した。
「ちょっ──」
ブランクは、舌を噛むかと思った。サリナはその華奢な見た目に反して意外と膂力があり、着地と同時に動いていた。事前に亜人だと聞いてなければ、度肝を抜かれていただろう。
(いや、すごいな、亜人って)
ブランクは素直に感心した。普通の人ならばまず飛び込んだ段階で大怪我は必至であるし、それを、ちょっとした段差のように済ませるのだから、思わず舌を巻く。
「って──いつまで抱っこしてんの!?」
「へへー、ブルって意外と軽いんだー!」
ぴょんぴょんと跳ねながら、岩と岩とを渡っていく。まるでハオディを使ったブランクのようだが、サリナは、当然魔術など使っていない。
(ヴリテンヘルクの亜人たちは魔術が使えない代わりに身体能力が高い人が多いって聞いてたけど、まさかここまで──)
軽快な足捌きは人を抱えてるとは思わせない。ましてやまだ年若いとはいえ、第二次性徴を過ぎてしばらくなブランクは、鍛錬も積んで筋肉もしっかりついている。
それを赤子を抱えるように動き回れるのだから、相当だ。
(あっ──)
そしてブランクは気付いた。つまりサリナの体重はとんでもないことになっているのでは、という事実に。思い返せばメルも見た目の割りに体重が重たかった。そうやって、ブランクが雑念を抱いていると、
「痛ッ!?」
ブランクの肩に指がめりこんできた。
「ブルさー。顔に出やすいの、気をつけようね?」
「……はい」
ブランクは思った。白羊種じゃなくて、鬼羊種なのでは、と。
忠告を意識したおかげか否か、その考えは筒抜けにならなかったようで、その後は何事もなく。ブランクたちは、無事に以前キャンプ地としていた小さな空洞へと辿り着いた。
「そろそろ撒けたかな? ちょっと休けーい!」
「さ、サリナ姉ぇ……」
「んー? わっ、どったのブル?」
青ざめるブランクに、木筒から水を飲んでいたサリナが、気を揉んで駆け寄った。
「よ、酔う……人に抱えられながら走られるのって、結構キツイんだ……」
「ん? あっはは、ブルったらひ弱ぁ!」
覚束ない足元にふらつくブランクを、サリナは、豪快に笑い飛ばした。
(なんか……サリナさんってよく見るとジャンと似た者同士では──)
高嶺の花という言葉が似合いそうであったサリナであるが、知れば知るほど豪胆な一面が垣間見え、リバルの言葉が、大袈裟でなかったと知る。根本を見れば違うのだが、この周りを振り回す性質は、ブランクにとって既視感しかない。
(はあ……ブライト光石の光も、目にキツいんだよなあ)
幻想的な光も脳の負担に一躍買い、ブランクは、深呼吸をして頭を左右に振った。
「ブル、そんでどする?」
「何が?」
吹き飛ばされた主語を尋ねれば、サリナは言う。
「抱えられるか頑張って歩くか」
「後者でお願いします、やらせてください」
ブランクが懇願すると、サリナは「何それっ」と笑った。
「これ以上はお婿に行けなくなっちゃう……」
受けた辱めは留まるところを知らず。まだ致命傷で済んでいる今が瀬戸際と言えるだろう。しかしサリナは言った。
「その心配はないと思うけどなー」
「えっ、どうしてですか?」
ブランクが新鮮にそう尋ねると、サリナは「えっ」と目をパチクリさせた。
「マジかー。ブルそういう感じかー」
「えっ、何、何なんですか?」
「女の敵タイプねー、なるほどー」
一人納得するサリナの背を追いながら、ブランクは思考を巡らせた。
(え、僕ってどういう感じなの?)
結局答えを教えてもらえないまま、二人は地下水脈まで辿り着く。
「やっぱりここなんだ」
「おりょ、来たことあるの?」
「うん、前に、少し」
あの時は大変だった、とブランクは振り返る。
暗闇に浮かぶ美少女。そのずぶ濡れになった体を背負い──背負い。背負い、ダザンの元まで運んだのだ。後を思えば魔術を使わなくて本当に良かったが、生身で濡れた人間を運ぶのは、本当に大変だった。
「わっ!」
そうやって記憶を映す目蓋を開けば目の前にはしらーっと顔のサリナがいる。
「またエッチな顔してる」
「してないよっ、なんで分かるの!?」
「分かるのって何!? こんな暗がりで何してたのかちょっと教えなさいよ、ほらっ!」
「わっ、サリナ姉ぇ、だめ、くすぐった……あっ!」
こんなことをしている場合じゃないのに、サリナは聞くまでやめなさそうだ。ブランクは観念して全てを話した。
「えーっ、何それー!」
「いや、まあ、それぐらいだけど……」
ブランクが事のあらましを語ると、サリナは大層驚いた顔で後ずさった。
「誤算、完璧な出来レースだと思ってたのに……」
メル──ダメな姉でごめん、と、サリナは天を仰いで謝罪した。
(なんでメル……?)
ブランクが疑問を覚えていると、サリナはしかとその両肩を鷲掴みにした。
「痛っ!?」
「──で、会いに行くんだ?」
目の前にいるサリナは焦ったような顔をしていて、目が据わってる。下手なことを言えば墓穴を掘りそうだったので、ブランクは、言葉を選びながら言った。
「いや、まあ、ジャンの手がかりになればなーって……」
ジャンが借りがある、と言っていたくらいなのだから、もし何も知らないにしても、一緒に手がかりを探すことくらいはしてくれるかもしれない。そんな打算的な思いで、ブランクは西の国を目指していた。
「ふーん、へー、ほー」
「……え、何?」
鑑定士のように顔色を多角的に窺うサリナに、ブランクは何がサリナをこうさせているのかが気になった。
「別にぃ? まあブルが私たちを忘れても? 私たちは仲睦まじくやっていけるし?」
「すごい当てつけがましいじゃん……何もないは無理があるよ」
ブランクがそうやって機嫌を取ろうとすると、サリナは適当に「はいはい」とあしらって、それからゆさゆさと胸を持ち上げる。
「男なんて結局みんなおっぱいなんじゃん。メルもきっと今に私みたい大きくなるのになー。あーあ、かわいそーな私たち。きっと鬼畜に摘みさられて、そのままサヨナラなんだわ」
「さっきから何言ってるの? なんでメルなの、ねえ!?」
よよよと泣き崩れるサリナに、ブランクは訳が分からなくなった。その時。
「──今の音は……」
サリナとブランクは顔を見合わせた。洞窟の入り口のある方角から、風の吹き荒ぶような、高く鋭い音が聞こえてきた。どう聞いてもそれは、自然のものではない。
いよいよ差し迫った追手のあることに、サリナは急いで荷物をまとめた。
「馬鹿やってないで行くよ、ブル」
(自分からやりだしたくせに……)
ブランクは世界の理不尽さを呪った。




