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The Alter Story《ジ・アルター・ストーリー》  作者: 水落護
第一章『異国の地へ』

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第二十二話『清算』

 全てが静止した世界。鳥も、雲も、目に映る景色が鮮やかなまま取り残された世界の中の、ある一軒家で、机の上に置かれた本がひとりでに開かれた。


 中からは赤枯れ色した髪の少年と、妙齢の乙女が飛び出して。


「ここに来ると、どこにいても家に帰ってきた! って感じがするねー!」


「まさに憩いの我が家って感じだね」


 気を抜いた二人は、ひとまず装備を机の上にまとめると寝室へ向かう。当然のことながら寝室にある寝台は、一つである。


「サリナさんはベッドで寝て。僕は床で寝るから」


 ブランクが気を利かせてそう言うと、薄着になったサリナは、不思議そうに首を傾げる。


「一緒に寝ないの?」


「さすがにまずいでしょ……」


 憧れの人の想い人と同衾するなどとあっていいものか。ブランクがそんな考えを巡らせていると、サリナが、ぐいっとその手を引っ張った。


「子どもが遠慮しないの、ほらっ!」


「いや、あの、ほら。僕、男の子だし……」


 ブランクが言いかけると、サリナはイタズラに笑う。


「なーにー? それとも本当にまずいことするつもり〜?」


「いやいやっ、決してそんなことは──」


 先んじて強烈な一手を放り込まれれて、ブランクはしまった、と思った。肯定すれば同衾は免れず、否定すれば、そのつもりがあったように思われてしまう。どちらを選んでも身が立たず、ブランクは、続く言葉を失った。


「ほーら。おいで?」


 あだっぽい声が、ブランクを優しく寝床へ誘う。


「もう……敵わないな」


 ブランクは、とうとう諦めた。


「ふふふ。わたしって寒がりだからさー。いつもはメルを抱いて寝てるんだけど、一人だと落ち着かないのよねー」


「ああ、それで……」


 他意のないことにひとまず安心したブランクは、サリナのベッドに靴を脱いでお邪魔する。サリナは寒がりだと言うが、ベッドの中は既に温かかった。その汗と香りが満たされた布団の中は、思春期の少年には刺激が強すぎて。すぐに寝息を立てたサリナとは打って変わって、ブランクはこの日、ほとんど寝られなかった。


 しかしそうして一晩明かすと、不思議と体の疲れも取れるものだ。そもそも生活的に朝に起きて夜に眠る生活を送っていたブランクにとって、夜に歩くというのが向いていなかったといえる。


「……わっ!」


 先に寝たはずのサリナであったが、未だに寝ていて、顔に似合わず少しズボラなのか、服が少しはだけている。思春期には刺激の強い光景に、ブランクはせかせかと服の乱れを正し、そそくさと布団から抜け出した。


(目に毒だよ……!)


 自分に姉や妹がいなくて良かったと思ったブランクは、急ぎ朝の支度を始めた。先に水瓶の水を茶瓶に入れてお湯を沸かすと、それから熟成させておいたパンを窯へ放り込んだ。旅の中頃から味わうことが難しい白パンは、取っておきの貴重品である。村の者から鍛治代としてもらったものだ。


 そうして干し肉を削って昨日の有りもので作っておいたスープに、チーズと一緒に入れる。とろみが出てきてポコポコと煮出つと、食欲をそそる香りが、腹の虫の目を覚まさせた。


「さて。サリナさんも起こしますか」


 やれやれと惰眠を貪る姉御肌を思えば、メルの普段の苦労も手に取るようだ。そういった意味ではジャンと似たところがあるかもしれない。ブランクは、それがおかしくてクスッと笑った。


「サリナ()ぇ、起きてよ。朝だよ」


「う〜ん、あと一日……」


「いやそんなに寝たらヤバいでしょ……」


 さすがに冗談だよね? と半信半疑に、ブランクはサリナへ近寄った。


「ねえ、スープが焦げついちゃうって──」


 そうやってサリナを揺さぶろうとした時のことだった。ブランクは窓の外から異様な気配を感じた。いや、正確には窓の外ではないのだが、光が動いたような感じである。雲も動きを止める『賢者の書』の中で、これほど奇妙な違和感があるだろうか。


 ブランクは、暖炉の火に灰をかぶせてしっかり火を消した。それからサリナに「起きて」とこわばった声で呼びかけてその肩を叩くと、窓の外に張り付きながら空を仰いだ。


(誰かが本を手に取ってる……?)


 賢者の書には、本の外と中とに、不思議な表現ではあるが、魔道具としての本が存在する。そしてもっと変わっているのが、内側にいる時、空に映る太陽と月から、外の世界の状況を確認することができるのだ。


 先ほどから太陽に当たる部分には、影と光とが交互に動いている。地震などは起きないが、その視界の振れから見て、安置されていることはなさそうだった。


「どしたの、ブルぅ?」


「サリナさん、誰かがこの本を持ってるみたい」


 ブランクの言葉に、サリナは「嘘!?」と珍しく声を荒立てた。


 わずかに揺れる太陽から映る視界に、ブランクは、どのタイミングで本から飛び出すかを考えていた。幸い、現在本を持っている人物は、あまり理知的とは言い(がた)く、本を振り回したり、開けようと試みたりしてはいるが、それが成功する兆しすら見えない。賢者の書は、魔術を行使できるレベルにない魔力量であれば、開くことすらままならない。


(確かダザンが、他にも外の様子を見る方法があるって言ってたような──)


 賢者の書に触れ、その構造を(くま)なく調べていると、痺れを切らした外の人物が、本を床に叩きつけた。そうして本を覗き込んだ者の顔を見た時──ブランクの理性が『(はじ)け』飛んだ。


「開け賢者の書ォッ!!」


 それはあっという間だった。覗き込んだ本が突然開き、その中から放たれた光に混じって飛び出す鈍色を躱すことなど、果たして何人ができるだろうか。


「お前だけは──絶対に許さない!」


 少なくとも、この本を拾い上げた者にはできなかった。中から飛び出した赤枯れ色の少年の手にしたナイフが、叫び声を上げるための声帯への道を蓋したがために、うめき声ひとつ上げることができず、代わりに、陸上にいるというのに、その生物は溺れたようにゴボゴボ喉だけ鳴らしている。


「お前だけは、お前だけは──」


 ブランクは馬乗りになり、その生物の顔を激しく殴打した。右へ左へ。魔術の力に頼らず、己の拳のみでひたすらに殴り続け、骨の軋むことすらいとわなかった。


「ブル──ブルってば!」


「あっ──」


 振り上げた拳を止められ、ブランクは我に帰る。


「サリナ、さん……?」


 そうしてぐるりと眼下を見遣ると、そこには小鬼がいた。特徴的な要素として血色が悪く、角がある。しかしその額の角は削れ、骨がめくれ上がっている。あのヤラグ族だった。


「もう、死んでるから──」


「……」


 ブランクは、自分の手を見た。血に塗れている。躍動を感じさせる赤はじっとりと重たく、手に吸い付くようだ。それにも関わらず、指先についたぬめりは手を開けば引いた糸も呆気なく途切れて、簡単に地面に落ちていく。まるで命そのものだ。


 そんなことをブランクが考えていると、近くの茂みがガサっと高鳴る。


「あっ……」


 それは──(つがい)だろうか。ヤラグ族の、角のないメスである。それが腰を抜かして化け物でも見るかのように、ブランクを指差している。


「全部、(たお)さないと──」


 戦意を失ったそのヤラグ族に、ブランクは腰の剣を抜き放った。これまで幾度となく使い慣らしたはずの剣は、血のぬめりのせいか、あまり手に馴染まなかった。フラフラと足元の覚束ないまま、ブランクは、確かにヤラグ族へと歩み寄っていく。


「お前たちは──生きてちゃいけない、生かしちゃおけないんだッ!」


 頭を抱えたヤラグ族の眼前で──。剣が、震えて固まった。


「ブル……お願い、ダメだったら!」


 どちらが鬼か分からない状況に。小鬼は、尻尾を巻いて逃げ出した。


「離せッ、離してよサリナさん! アイツらを、魔物を、全部斃さなきゃ!」


「ブル、それは違うよッ! 今のあなたは──」


 ブランクの耳元で、サリナの声が一層震えた。


「今のあなたが倒したがってるのは──昔のキミなの」


 ブランクはハッとした。瞳孔が開き、思考が明瞭になる。すると途端に手についた温もりに先ほどまでの自分の冷たい心が重なって、ブランクは、その温度差に、指先がぶるぶると震えてこわばった。


「もう……許してあげて」


 我がことのように懇願する声に、ブランクは、するりと手にした剣を落とした。


「だって、僕は……あの日──あの日から……」


 ポタポタと、雨が降り出した。大粒のにわか雨が、足早に忍び寄る。その雨音にまぎれて、小さな少年は震えて泣いた。


 それは取るに足らないことで、けれど、少年にとってはのっぴきならない理由で。あの日から前に進むために殺めたはずなのに、ブランクの心は一つも救われないし、浮かばれない。何一つ変わらない。みっともない、バカみたいだ。


 分かっていたことだ。復讐が何も生みもしないことは。こんなこと、ただの八つ当たりだということも。だから殴れば殴るほど拳は痛んだし、心の奥底には暗い赤がどんどん色濃く滲んでいった。『襲われた』という正当性もなく、今日初めて、ブランクは、明確な殺意をもって、ヤラグ族の命を奪った。


 しかしそれでも過去は変えられなくて。奪われた者たちが帰ってくることもなくて。自分の心に空いていた穴の、ちっぽけな充足感すら満たすことができなくて。ブランクは、あの冒険に出た森の中で行った偽善的な行いに、ひどく後悔をしていた。


 自分はヤラグ族を見逃し、その命を救ったと思っていた。だがそんなものは、自分がそう思い込みたかったに過ぎないのだと気づいた。ヤラグ族は感謝こそせず、返り討ちにされて、痛めつけられた事実のみで復讐心を研ぎ澄まし、あの日、ブランクを谷底へと突き落とした。


 恩を仇で、などという話ですらない。恩ですらない。人の為と書いて『偽』というならば、ブランクの善行は誰のためだったのか。誰のためでもない。だから『偽善』なのだ。


 優しくありたかった。それが、一目因縁の相手を見ただけで、どこかへ弾け飛んだ。人を憂う心を失って。ブランクは、己の内に潜む醜さを突きつけられたようで、一人で抱えるには大きすぎる苦しさと寒さに、震えて泣いた。


 こんな気持ちは知りたくなかった。この激しいまでに誰かを恨む、悪質で、苛烈で、辛酸な思いが、ブランクの深奥でコールタールのように貼り付き、胸の深奥に烙印を記し、焼き焦がしていく。


 ──もう、こんな自分が大きらいだ。


 心は雨に打たれた土のようにぐしゃぐしゃで、流れる泥水のように掬いようもない。今やブランクには、頼れる姉のようなサリナに寄りかかり、木のうろで震えて泣くより、成す術がなかったのだ。その自分の醜さを、愚かさを、その全ての過去を(かぞ)えて清ませる。そんなに都合の良いことはなく、現実は、血生臭いほどに、凄く、惨たらしいのであった。


 全てが落ち着くのにほとんど丸一日がかかった。気がつけばブランクはサリナの膝の上で眠っていて、雨はとうの昔に上がっていた。最中(さなか)に追っ手の影が迫ることはなかったらしい。


「僕ってサイテーだ。結局、いつも自分のことしか考えてない……」


「そんなことないよ。ブルの優しさに救われてる人もたくさんいる」


 頭を撫でられながら、ブランクが「気休めだよ」と言う。


「少なくとも、私とメルは救われたよ」


「あれは、ジャンが助けたから……」


「でも、最初にかけつけてくれたのはブルだよ」


 時間を稼いだだけだ、という言い訳も、ダザンの時のように看破される未来がありありと見て取れて。ブランクは、話題の方向性を変えた。


「サリナさんは──なんでここまでしてくれるの?」


「うーん、理由が必要?」


 言いたくなさそうにするサリナに、ブランクは「気になる」と食い下がった。


 ジャンがいなくなってからというものの、サリナはその穴埋めをするように、ブランクと積極的に関わってくれた。しかしブランクには、どうしてもその理由が分からなかった。


「理由は色々あるんだー。メルのこととか、ダザンさんが言ってくれたからとか。もちろん、私がブルのことを大切に思ってる気持ちもあるよ?」


 でもそれだけじゃなくて──と、サリナは続ける。


「うーん。これ言っていいのかな。引かないでね?」


 ブランクが頷くと、サリナは「絶対やだからね!」と念を押す。


「お父さんが──牙獣族(ジェビス)なの。角は昔から削ってるんだけど……あっ。種族は白羊種(マートン)だから、危なくないよ!」


 身振り手振りで否定するサリナだが、あれほど大人しいリバルが危険であることなど想像もつかないので、ブランクにとっては、それこそ瑣末な問題である。


「……あっ」


 しかしそうなると必然的に疑問が生まれてきた。ブランクの疑問に、サリナは、察しよく頷いた。


「そう、私とメルは──人と亜人の混血児(ハーフ)なの。お父さんがまだうんと小さいメルを連れてこの国に逃げてきた時に、村の人たちに見つかっちゃってさ。その時、私も自分たちは悪い亜人じゃないって言ったんだけど、誰も信じてくれなかったよね」


 それはそうだ、とブランクは思った。敵国の──ましてや種族も違うとなれば、敵であるばかりか、間者の可能性も捨てきれない。信じろというのが難しいのだ。その場にいたら、ブランクもこの親子に弓を引いていたかもしれない。そのことを思うだけで、ブランクは、胸が張り裂けそうだった。そこへサリナは「でもね──」と続ける。


「そこにダザンさんとジャンが現れて、庇ってくれたんだ。私たちの身元を保証するって」


「……え?」


 ダザンだけならまだしも、ジャンが現れるとは思ってなかったブランクからすると、意外だった。


「ちょうどブルとウィル──君たち二人を育ててたところだったからさ。あっ、私も君たちのお尻拭いてあげたこともあるんだからね?」


 サリナはウィルにはナイショね、と、クスクスイタズラに笑う。


「あっ、ちょっと話脱線しちゃったかな。だからさ、なんていうか……私にとっても、ブルとウィルは弟みたいなものなの」


「……ジャンは?」


 スルッと流れで聞いてから、ブランクは、口が滑ったと思った。しかし。


「……えっ、ジャン!?」


 初々しい少女のように顔を赤らめるサリナの様子に、ブランクは、少し驚いた。


「か、彼は、その、お、幼なじみ、的な、あの──ね!?」


 勢いで乗り切ろうとしても、普段の余裕たっぷりな淑女の仮面が取っ払われた今となっては、もはや焼け石に水である。


「ふっ──あははっ!」


 それがおかしくて、ブランクは笑った。


「もー! ブルったら、なんですかその笑い方は!」


「なんでもないよ、分かった分かった、幼なじみ、ね」


「こらーっ、信じてないでしょ!」


 どこにいるとも分からない憧れの青年に、両想いだったよと早く伝えたい気持ちが溢れた。


「ありがと、サリナ()ぇ」


「んんんー! ここでその呼び方はずるいなー!?」


 雨上がりの夜更け。微笑むような三日月が、二人の会話を静かに見守っていた。

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