第五章幕間『賢者の修行』
振り返ればこの一年、ブランクは徹底的に基礎を叩き込まれた。剣の振り方から始まってその心構えまで。果ては剣の手入れの仕方から、その作り方まで──何から何まで手抜かりなく、ブランクは、ダザンからその全てを教わった。
まずは体の使い方だった。
「ゆっくりやる事は何事においても大切だ。軌跡を反復して理解する事は、迷いを打ち消す事に繋がる。そしてそれは、ただ無意味に早いより力強い。覚えろ、腕を振るえ。繰り返す軌跡を辿ることに慣れた時、それは最も強く、最も速くなる」
最初の頃、ブランクは、ダザンが何を言っているのかがよく分からなかった。けれど勢い任せに振るよりも、それが難しいということが繰り返すうちに段々と分かってきた。初めはゆるやかに慣らしていき、動きを覚えたら、それを徐々に加速させていく。決して、これを間接で動かしてはいけない。体幹を使え、という、基礎中の基礎である。
そしてダザンの不思議な指導は、これに留まらない。ダザンは、素振りをするにも二種類の指導をした。一つ目は先ほどの指導であり、これもゆるやかに行われた。そしてもう一つの素振りが抽象的過ぎて、これが何を伝えたいのかすらも分からず、ブランクは、その意図するところが、最初の頃は、皆目見当もつかなかった。
何せ最初の一言がこれである。
「──剣を振るな!」
「……どういうことなのさ?」
無茶を言う、とブランクは思う。剣を振らずにどう切ると言うのか。ブランクが尋ねると、ダザンは言った。
「剣は引け。剣は斬るためにある。振り回すだけなら、棒切れで事足りるのだ」
「剣を、引く……?」
ブランクの頭に、疑問の雨が降り注ぐ。
「えっ、何。どゆこと?」
ブランクは当惑するしかなかった。剣を振らずにどうやって攻撃するんだ、と。
「こう?」
ブランクは、訳もわからず突き出した剣を、胸元へついと引っ込めた。
「なんだそれは」
「え? 違うの?」
さすがにこればっかりはブランクも頭を悩ませた。
「わっかんないよ! どういうことなの? もっと分かりやすく!」
ブランクがそう言うと、ダザンは「ふむ」と出来の悪い弟子に唸った。
「肘を顔より上に持ち上げるな。遠心力だけに頼るな。何故素振りをするのかをよく考えろ。体を鍛えるためじゃない。素振りはお前の一番振りやすい形を覚えるためにしているのだ」
「なるほど……」
ブランクは、言われた通りに剣を持ち上げた。
「はあ!」
素振り一つにどうだと大きな顔すると、ダザンは首を、横に振る。
「……掛け声が必要なうちは理解が及ばんな」
「むむむ……」
ブランクがきゅっと顔を寄せて頭を悩ませていると、ダザンは「貸せ」と言って、その手から剣を掠め取った。
「一度しかやらん。見ていろ」「……」
別に何度やってくれてもいいじゃないか、とも思ったが、ブランクはあえて言わなかった。ダザンは近くにある鉄塊を目に留めると、その前までゆっくりと 歩いて行き、
「まさか──」
おもむろに、剣を振り上げた。
(嘘でしょ!?)
ブランクは慌てて止めに入った。いくらダザンが凄腕とは言え、鉄など切れるはずもない。剣身にプロテマでもかけてるならまだしも、その様子もなかったように見受けられる。このままではダザンが要介護者になるのは必至であった。
「プロテ──」
マと言い切るよりも早く。剣は、振り下ろされた。
「……うそでしょ?!」
ダザンの剣は──鉄を断った。それも凄まじく流麗な動作でだ。その力の流れには、断てない道理などない、という圧倒的な説得力があった。その鉄の断面は止水のごとく淀みなく、覗き込めば、自分の顔が映るほどだった。
「……ふう。今のをやれ」
「わわっ!」
ブランクは、投げ渡された剣をキャッチして、ホッとする。
(当たったらどうするんだ……)
憧れの人物だったとはいえ、ダザンはダザンである。多少の脚色はされたとて、その本質までは変わらない。
(でも──)
ブランクは、喉を鳴らした。振り方からして──いや、そもそもの佇まいからして、根本から違った。
「これは極東に住まう者の剣術だ。ワシの打つ剣も、技術としてはそちらを参考にしているものが多い。装飾は馴染みのあるものだがな。お前のもそうだ」
「東の、剣術……」
「やってみろ」
「……うん」
しかし、言うは易しである。この日ブランクは夙夜剣を振るい続けたが、結局一度として認められることがなかった。
「くそぅ、明日こそは!」
それを何度口にしたか、ブランクはもう覚えていなかった。
ダザンの教えは、こうである。
剣を振り下ろすな、剣を引け。振り下ろす動作は無駄を生んでいる。力任せに振り下ろすのは棒切れで事足りる。ただ剣を信じろ。剣の鋭さを信じ、剣の重さを感じ、剣の先を引き寄せるのだ、と。
一晩かけてじっくり頭の中で反芻した。それでもブランクには理解が及ばなかった。普通の素振りと何が違うのか。それが、ブランクには全くと言っていいほど分からなかった。
そして。ダザンはこれも理解のためだと言って、ブランクに詳しく教えなかったし、以降再演もしてはくれなかった。ブランクは、この知識を学ぶのに、かなり苦戦した。
そして。それを教えてくれたのは、意外にもダザンではなかった。
「もーう! 一体全体、どういうことなのさ!」
季節そのものが変わるまで、これだけをやらされ続けた。哲学のような領域にもはや訳がわからず、ブランクは、次第に嫌がらせを受けているのでは、とも思った。
「僕ってやっぱ、才能ないのかな……」
ブランクがそうやって自信なさげに愚痴をこぼすと、ダザンはすかさず口を挟んだ。
「後悔のための反省なんかするな。やるのなら、反省のための後悔にしておけ」
「わかってるよ!」
教わってる手前うるさいな、とまでは言えず、ブランクの中に、行き場のない怒りと焦りが複雑に交差して、それらが綯い交ぜになると、心の奥で結ばれてわだかまる。
それを見透かしてか、ダザンは「ふむ」と呆れたように一息をついた。
「休憩にしよう。今日は雑念が多すぎる」
(そりゃ何ヶ月もやってたら雑念くらい出るよ!)
ブランクは、むしろここまで何の不平や不満も漏らさなかったのだから、よくやった! と自分を褒めたいくらいだった。何も仙人になりたいわけでもないのだから、感情はあるに決まっているし、捨て去る努力もしていない。
(こんなことしてて意味あるのかな……)
突然、降って沸いたような感情が溢れてくる。
休憩時間中に、ブランクは道行く虫をぼうっと眺めていた。小さなアリが、懸命に獲物を運んでいて、そればっかりはいいのだが、運ばれている虫の死骸が、ブランクの興味を妙に惹きつけた。
(ああ、かわいそうに……)
弱ったり油断した命から淘汰されていく自然界の厳しさに。ブランクは、屍と化した虫へ祈りを捧げた。それからじっと見ていると、ブランクの中に、何かが降って湧いた。
(待てよ。何か、引っかかるような……)
ブランクは注目した。それから「あっ!」と声を上げた。
──そうだ。生き物は押す力よりも引っぱる力の方が強い。死んで硬直する時に働くのも引く力ばかりじゃないか。それどころか押す力だって、引っ張る力の応用だ。足の指で土を引き掴み、背中を支点に肘を引き、手の指を支点に剣を引く──これだ!
頭の中で組み立てた理論が出来上がると、ブランクは、休憩時間などお構いなしに剣を手にして構えた。場所はもちろん、ダザンが切った鉄塊の前だ。
(あの時ダザンは言ってた。肘を顔より上に上げるなって。腕を振り上げるのは間違いないんだけど、それってもしかして、腕を使って剣を振り回すなってことなんじゃないか?)
上手くいく保証はない。これまで手を痛めるかも、と忌避していたからか、初めての試みである。ブランクの仮説が正しければ、腕はあくまで通過点でしかないはずだ。振り上げた剣の握りに、適度なゆとりを持たせて。それから、ブランクは一気にそれを引き絞った。
「はあっ!」
ブランクは目一杯剣を引いた。握力のみで引き寄せるように、しかし体幹と繋がって体の、ひいては地面の重さを乗せるように。それは風による抵抗をほとんど受けず、けれど剣先に全てのエネルギーが乗っている。背中を使ってずっしり体重が乗る。
そして──ブランクの剣は、不恰好ながらも鉄を切った。その表面は波打っていて荒削りではあるが、初めての感覚に、ブランクは、自分の手を瞬きして見つめた。
「やっと理解したか」
「ダザン……」
その様子を見ていたダザンが、ブランクの元へと歩み寄る。
「握りとは力の起点なのだ。何事においても、それをどこでどう使うかで、力の伝わり方も大きく変わってくる」
「でも──実戦で使うの難しそうだよ、これ」
ブランクがそう言うと、ダザンは肩をすくめる。
「慣れるしかあるまい。お前と地面、どっちが重いと思う?」
ブランクは、そんなこと考えたこともない。だが、そんなこと考えるまでもない。
「地面」
「そうだ。その力を使わない道理がないだろう?」
「……たしかに」
ダザンの言葉には説得力があった。
「まあ、地面の力をどれだけ引き出せるかは、お前の体造りに懸かってくるがな」
「うっ……」
もしかしてこれから走り込みとかが始まるんじゃないか、とブランクは顔を青ざめさせた。
「つま先立ちで走れ。衝撃をバネで受け止めるようにだ。それが終わってから、体を整えるために、逆手の懸垂をしていく」
走り込みは当然のようにあった。それも特殊な条件を加えて。しかも次の日から、感覚を忘れないための素振りに加えて、もう一つ学ぶべきことが増えた。
「何これ」
ブランクは、手拭いで髪を包み、厚手のエプロンを着ている。
「見て分からんのか。鍛治仕事だ」
「じゃなくて!!」
雑用を押し付けられた、と思ったブランクに、ダザンは言う。
「お前のような子どもを世間に送り出す以上、どこでなりと生きていけるように、手に職はつけさせねばならんだろう。まあ、付け焼き刃だろうが、ないよりマシだ」
「むむむ……」
ブランクは一理ある、と思った。金属を自在に操る鍛治仕事は、人類が文明にすがる以上、どこででも使えるだろう。今までは感覚であったが、そこからは頭も使うことになった。
「ブランク! 火の温度が高い、もっと温度を落とせ!」
「なんで! さっきは低いって!」
「さっきと今では状況が違う!」
毎日飛び交う怒号に、ブランクは理不尽だと思うこともあった。けれどそれは知識として紐解いていけば、何ということはなかった。
「いいかよく聞けブランク。金属の熱処理は、ただ焼き入れだけすればいいというわけじゃない。焼き戻しや焼き慣らし、鉄に加えたい何かによって、その工程や必要な温度は大きく変わってくる。先ほどのは焼き戻しだ。一度固くした鉄に、柔らかさを加えるものだ」
「えっ。それって必要なの?」
一度固くしたもの。柔らかくするなど、一体何の意味があるというのか。ブランクが疑問を呈すると、ダザンは「ふむ」と唸った。
「ブランク。ガラスは固いな?」
「藪から棒にどうしたの。固いよ」
ブランクは、馬鹿にしてるのか、と思ったが、どうやら違うらしい。
「焼き入れをした鉄とは、極端に言えばあれと同じなのだ。固いばかりでは力を受ける隙間もなくて、それではすぐに割れてしまう」
「あっ──」
ブランクは思った。それはまるで──。
「そこに受け入れる余力があって、初めて固さは生きてくる」
それはまるで、魔法のようだ。ブランクの命をいくつにも渡って守りきり、そしてそれを好んで使っている『プロテマ』という防御魔術は、まさにそのような力である。
「ねえ。もしかしてプロテマって──」
「さあて……どうだかな?」
ブランクが言いかけると、ダザンは眉を持ち上げて誤魔化した。
「続きをやるぞ」
「……うん!」
体の使い方を学び、剣の振り方を学び、剣の作り方を学び──そうやって充足した一年を過ごし。
「よし!」
ブランクは、一人でゴゲラを倒すに至った。
「……及第点だな。ゴゲラを使って干し肉を作る。それができたら、旅立つことを認める。それまでは基礎鍛錬と、鍛造を進めるぞ」
「うん、ダザン、ありがとう!」
ブランクは──そうして旅立ちの日を迎えたのだった。




