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The Alter Story《ジ・アルター・ストーリー》  作者: 水落護
第五章『旅のはじまり』

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エピローグ『旅のはじまり』

 肌の焼けるような熱気と、口を開けば溺れるかと思うほどの湿気とが隅々まで満たされた室内。吹子の音が竜の喉のように低く唸り、紅蓮と橙が入り混じった光が、灼熱と共に囃し立てる。


「ふう……」


 少年は槌を振るう。鈴鳴りに染み入るような音を、一定の拍、一定の節で。したたる汗の流るることなど気にも留めずに槌を振るう。そうして打たれた鉄の色が橙から赤へ、それがほのかに黒みを帯びようかという時、少年は、その鉄の塊を近くの水桶へと突っ込んだ。


「……よし」


 窒息した水から顔を覗かせた鉄塊は無骨な色をしていたものの、そこに割れや欠けなどはなく、見るに芯のある硬度のありそうな、立派な存在感を放っていた。


「リバルさん、もう大丈夫だよー!」


 少年が声高にそう叫ぶと、外からコン、コン、と石床を叩く音が近付いてくる。その音を従えて現れたのは、もこもこの長い髪。羊そっくりなその髪は首元で束ねられ、腰まで伸びてある。それだけ特徴的なのに、それよりも目を引くのはやはりその膝下からの義足である。簡素な棒のような作りであるが、長身ながらも細身であるからか、はたまた慣れているからか、歩くことに特に不便はなさそうだった。


 見るからに物腰柔らかなその優男は、少年に「お疲れさま」と労いの言葉を投げかける。


「ブランクくん。今日のぶんは、これでおしまいだね?」


 額の手拭いを取った少年──ブランクは、少し伸びた赤枯れ色の前髪を左右に揺らして汗を振り払うと、優男の問いかけに「うん!」と明朗な声で答えた。


火床(ほど)の管理をしてくれてありがとう、リバルさん。おかげですごく捗ったよ!」


 ブランクがお礼を言うと、リバルと呼ばれた男はゆるりと首を振るう。


「私はできることをしているだけだよ。こんな私でも村の役に立つ仕事を任せてくれているダザンさんには、まったく頭が上がらないな」


 リバルがそう言うと、ブランクはクスッと笑い飛ばす。


「またそんなこと言ってさ。サリナさんと作ってるお酒、今度王都へ出すって聞いたよ?」


 すごいことだよ、と大袈裟に、しかし純真にブランクが語るも、リバルはこれも首を横に振る。


「あれはあの子が苦心の末に、やっとの思いで作り上げたものだよ。私はただ任された仕事をこなしているだけに過ぎないさ。娘の功績を奪うような恥知らずでもない。褒めるのなら、直接あの子を褒めてやってほしいかな」


 リバルが思慮深く謙遜すると、ブランクは「そっか」と得心する。だがここで食い下がらないのが、今のブランクである。


「でも、そうやって細やかな仕事が重なって、それが大きな成果に繋がる。ダザンが言ってたよ。月が一人で闇世を漂っていても虚しいだけだって。星が夜空を飾るから月は余すことなくその魅力を引き立てられて、輝けるんだって。リバルさんは、お星様なんだね!」


 そう言われて、リバルは面食らったように眉を持ち上げた。そうして穏やかに目を細めると、その頬が柔らかく絆された。


「そんなことを言われたのは初めてだよ。そうだね、一等星とまでは行かなくとも、誰かの役に立てるのなら、私にそれ以上のことはないよ」


 噛みしめるようにそう言ったリバル。ブランクは「それなら大丈夫だね」と続けた。


「サリナさんいつも言ってたよ。足も不自由なのに、男手一つで育ててくれたお父さんにはいつも感謝してるって。だから──」


 リバルは、目の前の少年に目を見張った。朗らかに笑う少年の眩しさに、気圧されて。


「リバルさんは、娘さん二人からはずっと、一等星だよ!」


 ブランクは自信たっぷりに、恥ずかしげもなく言ってのけた。するとリバルはふふふ、と、軽やかな笑い声をあげた。


「月なら違うよと言えたのに。ブランクくん、君は手厳しいね」


「そりゃあ、もう、なんたって、賢者(ダザン)の弟子だからね」


 ブランクの言葉に、リバルはそれはそうだ、とひとしきり笑った。


「そういえば今日だったね、出立の日は」


「……ええ。その前に、やらなきゃいけないことがありますが」


 どこか遠くを見据える琥珀色に、リバルがクスッと笑った。


「ブランクくん」


「はい?」


「緊張してる?」


 思わず心の内を言い当てられ、ブランクはギョッとした。それから間を置いて「すこし」と本音を漏らす。


「ようやく旅に出られることと、やり遂げないといけないこととがあって……もう頭の中がしっちゃかめっちゃかですよ」


 ブランクがそう言うと、リバルはまたふふふと笑った。


「ブランクくんは緊張すると敬語になるんだね」


「えっ? あっ──」


 言われて初めてブランクは気付いた。その様子にリバルはニコッと軽やかに笑って、それから赤枯れ色の髪を、さらりと撫でた。


「君には僕だけじゃなく、娘たちが散々お世話になったからね。君に何かあったら大変だ」


「そんな、僕の方がお世話になってばかりで──」


 ブランクの言葉に、リバルは首を振る。


「ブランクくん。餞別(せんべつ)というほどのものではないけれど、この言葉を送っておくよ。自分が何者なのか、という哲学的な答えまでは求めなくていい。けれど、今自分がどういう状況にあるのか。自分のことを知っているのは自分だけなんだよ。自分にはどんな側面があるのか。自分を紐解くことが、再現性に繋がる。そして()いてはそれが自信に繋がる。自分を好きになりなさい。それが君の自信に繋がるから」


「……はい、ありがとうございます!」


 リバルがニコリと笑うと、ブランクの中に疑問が残る。


「でもリバルさん、その言葉を知ってるなら、どうして──」


 ブランクが言いかけると、皆まで言わずともリバルには伝わった。人差し指を立てて野暮を止めたリバルは、どこか遠くを見つめた。


「これは亡き妻がくれた言葉だよ。そして──」


 再びブランクを見ると、彼はやはり物腰柔らかく、笑った。


「思い出させてくれたのは、君だ。ありがとう」


「……お互いさまだね!」


 ブランクの言葉に、リバルは「そうだね」と優しく微笑んだ。


「……もう行くのかい?」


「ええ。取り戻しに行かないと──」


 鍛冶場の外。日の没する空の彼方へ視線を遣るブランクの意志は固く、それは傍目に見てもその目からありありと見てとれる。奪われた絆を取り戻すべく、巨悪の潜む黄昏の方角に、ブランクは、因縁のアルトリウスを思い浮かべた。


(絶対に、取り返してみせる)


 決意を拳に固め、強く握りしめた。


「次期に日が暮れる。この一年間で私兵団も夜間の見回りはしなくなったから、確かに村の外へ出かけるなら今が頃合いだね」


「案内役のサリナさんにはつらい思いをさせますが──」


 ブランクの言葉に、リバルはふふふと笑みを浮かべる。


「あの子はそんなにヤワではないよ。村の皆が思っている以上に強い子さ」


「あははっ、そうかもしれません」


 この一年、サリナと過ごす時間が増えてからというものの、彼女のたくましい一面ばかりをブランクは見てきた。父のお墨付きがなくとも、その強かさには信憑性がある。


「……君の旅に祝福を」


「ありがとう、リバルさん」


 優しく抱きしめられ、その温もりをお返しする。


(そう言えば、メルともこんなことしたっけ……)


 メルもそうであったが、リバルは筋肉があるからか、もう一つ温かい。ブランクの骨身を超えて沁みるそれは、容易に心の底で固まっていた緊張を解した。


「行ってきます」「行ってらっしゃい」


 短い言葉を交わしてブランクは鍛冶場を後にした。熱気を離れたからか、はたまた日暮れの哀愁からか。とにかく外は、少し肌寒かった。


(僕に父がいたら、こんな感じだったのだろうか)


 思い浮かべるのは名も顔も知らぬ実の父。ジャンも父親代わりに自分を育ててはくれたが、リバルにはそれとは違う頼もしさがあった。この一年で、何度も痛感させられた。今回の旅では、その手がかりを探すことも目的にある。


(振り返っちゃダメだ……)


 今後ろを向くと、きっとリバルの優しさに甘えてしまうだろう。多くのかけがえのない時を共に過ごしてきた。その温もりに、居心地の良さに、ダザンとは違う意味で、たくさんのものをもらってきた。中でも家族の温かさは、ブランクの中でありがたさと戒めとの意味を含んで、その決意を強く固めさせた。


(そうだ。僕は──『家族』を取り戻すんだ。絶対に!)


 ブランクは村の外へと向かった。幸い私兵団はおろか、村の住人の姿も見えず、後ろ髪を引かれることはそれ以上ない──はずだった。



「おい、もう行くのか?」


「えっ……」


 村の出口には、姿の見えなかった村人がたくさんいた。


「お前の作ってくれた道具、大切にするよ」

「体に気をつけるんだよ」「いつでも帰っておいでね」


 口々にブランクを慮る言葉を贈る同郷の者たちに、ブランクは目頭の熱くなるのを感じた。


「みんな……」


 その民衆に混じって──気まずそうに背を向けているサリナがいた。


「あっ。サリナさん」


「あは、あはは……みんなに聞かれちゃって、つい」


 うっかり、と続けるサリナは、とても悪びれる様子などなく、ぺろりと舌を出す。


「水臭えじゃねえか、何にも言わずに行くつもりか?」


「トトスおじさん。と──」


 トトスの押す車椅子。そこに、ダザンがいた。


「ダザン……」


 恰幅の良かった体は少し痩せただろうか。一回り小さく見えるその老人は、木製の車輪を手で回しながら、ブランクへと近寄った。


「お前に、渡しておきたいものがある」


「これは──」


 手渡されたのは、賢者の書。その見事な装丁は、他に類を見ない。


「こんなもの、受け取れないよ!」


 ブランクが突き返そうとすると、ダザンは視線で突っぱねた。


「ワシにはもう必要ないものだ。それと──」


 ダザンはそう言いながら、懐から巻物を一つ取り出した。


「これも持っていけ」


 思い返すのは踏み倒した五万ネッカ。しかも、使った魔術も明後日の方向へ飛んでいくという大失態を冒した、苦い思い出がブランクの記憶をなぞった。


「竜皮紙のスクロールだ。中身は白紙だが、術式を刻めば適正のないお前でも、攻撃魔術が使えるようになるだろう」


 竜皮紙のスクロールは基本的に記述済みのものが多い。その中でも白紙のスクロールなど、自由度と希少価値の高さから、値千金などという言葉すら生ぬるい。


「こんな高価なもの──また踏み倒しちゃうよ?」


 震える声でブランクがそう言うと、ダザンは首を振った。


「言っただろう。金は──大切なものを守るためにあるんだとな」


「あっ──」


 前回もこんなやり取りをした。そして、ダザンは言った。


「絶対に帰ってこい」


「……うん、ありがとう」


 ブランクは少し駆け出して、サリナの待つところで振り返った。


「行ってきます!」


 ブランクの門出を祝う言葉が、方々から飛び交った。その祝福を背に、ブランクは茜色に焼ける空へ向かって一歩踏み出す。




「さーて、ブル。今からお姉さんと密入国デートだけど……怖い?」


 隣を歩くサリナが茶化すようにそう言う。するとブランクは、穏やかに笑った。


「知らない土地(ところ)に行くのは確かに怖いけど──」


 ブランクは、言いかけて頬を撫でた風を撫で返す。その風はブランクの手からさらに煽りを受けて、琥珀色の空へと旅立っていった。


「この風とこの空は──どこまで行ってもずっと一緒だから。この同じ空の下、僕を想ってくれている人がいると思うだけで、こんなに心強いことはないよ」


 少年の背を見送るサリナは、あっと声を失う。


(ブルって、こんなに大きくなってたんだ……)


 小さな背中が、大きく見えた。それがどこかおかしくて、サリナは笑った。


「どうかした?」


「んーん。やっぱブルも男の子だなーって」


 思い浮かべるのはお調子者の青年。


(二人が大人になったら結婚してくれ──って言ってくれたね)


 今となってはいつ果たされるとも分からない約束である。その安否すらも分からない現状、頼みの綱はブランクだけだ。


(ジャン……ウィルと一緒に、絶対帰ってきてね)


 そう思えばこそ、サリナの足は早くなった。


「さー行くよ、ブル!」


「わっ、サリナさん早いってば!」


 琥珀色の空へと望みを託し、二人の旅が今始まった。




『旅のはじまり編』ここで完結致しました。

次回からしばらく幕間を挟んで『失意の領主編』を始める予定でありますが、少し読みにくさが目立つようなのでなんとか推敲作業をしていきたいと思っております。

誤字、脱字、専門用語の解説などのご希望がありましたら可能な範囲でお答えしていきますので感想などの手段でお知らせいただければと思います。

もちろん良かった点もお聞かせ願えれば、幸いであります。

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