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The Alter Story《ジ・アルター・ストーリー》  作者: 水落護
第五章『旅のはじまり』

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第十九話『西の賢者』

「落ち着いたか?」

「……」


 場所は移して今、ここは居間である。

 ダザンの問いかけに、ブランクは答えない。だが枯れた涙に涙腺が店じまいを訴えかけるように腫れているとなると、答えは一目瞭然である。出すもののないブランクに、ダザンは少し湯立った水を差し出した。


「飲みなさい」

「……ありがと」


 暖炉の茶瓶で温められた水は、ブランクの血と肉に染み渡った。骨までじんわりと温まるそれは、ブランクの心に少しだけゆとりをもたらした。


「ねえ。ウィルと、ジャンは……?」


 今更湧いて出た臆病な勇気が、ブランクの背中を押した。しかしダザンは黙って首を振る。ブランクは思わず立ち上がった。


「……うそ、だよね? だって──」


 だって、二人は強い。自分より強い。英雄だ。そんな二人がやられるわけがない。そうだ、ダザンは嘘をついている。きっとそうだ。


 そう思って彼の瞳を見据えたブランクは、愕然とする。ダザンの目は綺麗だ。嘘をついたことのある自分には分かる。彼は嘘をついていない。揺るぎない青が、自分を見つめ返している。


「そんな──うそだ。いやだよ。だって、そんな……」


 ブランクは、認められない現実とに板挟みにされて、ふらふらと後ずさる。途端に足場の消え失せたように足の支えを失ったブランクは、そのままぺたんと床に座り込んでしまった。


「……そこに座りなさい」


 ダザンにそう言われると、ブランクは寄りかかるように椅子に座った。腫れ物に触るような優しい声音(こわね)が、ブランクの心の弱いところを静かに撫でていく。しかしそれは同時に非情な現実を裏付けるようで、ダザンのその態度は、ブランクを余計に落ち着かせなかった。


 あの時、自分が逃げなければ。ウィルの提案にすぐ乗っていれば。そんなたらればが無限に押し寄せるものの、時の巻き戻ることなどない。今はこれからが優先された。すぐに二人を探さなくてはいけない。


「ねえ、ここどこ?」

「ワシの隠れ家……とでも言うべきか」

(うち)に帰りたい」

「ふむ。そうだな……」


 どう切り出していいかが分からずに、投げかける言葉を探しているような様子だ。


「……何?」

「……いや、なんでもない」


 歯に物の詰まったような物言いに、ブランクは精一杯の強がりで声を研ぎ澄ませた。少年のその覚悟を汲んだダザンは、及第点と言わんばかりに目を伏せて、重苦しい口を開いた。


「何があったか話せるか?」

「……分からない」


 嘘ではない。本心だ。ただどこから話せばいいかが分からなくて、ブランクはそう言っていた。その心を知っているかのように、ダザンは「落ち着け」といつもの調子で言う。


「ゆっくりでいい。ワシも詳しくは知らん。お前のことは、下流を流れてるところを村の者が見つけて運んできたのだ。虫の息だったから死力を尽くして治したが、それ以外のことは、よく分からん。だからこそ、恐らく真実を知っているであろうお前に、話を聞きたいのだ」

「えっ?」


「一体──何があったのだ?」ダザンは改めて問うた。


 ブランクはハッとした。ウィルやジャンが亡き者にされているのならば、ダザンはきっとそう言うはずだ。それならば、まだ望みはあると。

 一縷の望みがブランクの希望の(しるべ)となった。


「あの日、ダザンと分かれた日の夜──」


 ブランクは語った。あの恐ろしい夜の出来事を。(つまび)らかに。こと細やかに。何から話していいのかが分からないから、ぶちまけるように。思い出したことの全てを片っ端から話した。途中、自分が何を言っているのかが分からなくなる時もあった。それでもダザンは顔色一つ変えずに相槌を打ち、黙って話を聞いてくれた。


「ふむ。そうか……」


 ダザンは話された情報を咀嚼(そしゃく)するように唸った。それから、一息吸うと、ブランクと視線を交わらせ、言った。


「色々と、あったのだな」

「……うん」


 夜の襲撃。怪我をしたジャンに逃げろと言われたこと。ウィルと逃げたこと。襲撃者が謎の男二人であったこと。竜人族(メギア)と、甲虫種(リロス)の男であったこと。ジャンが大怪我をしながらも、自分達を逃がしてくれたこと。甲虫種が追手として差し迫ったこと。その男に橋を落とされ、ウィルと引き離されたこと。ヤラグ族に、裏切られたこと。


 ヤラグ族のことは、話す必要はなかったのかも知れない。けれども、ブランクは話さずにはいられなかった。話したことの全てがあまりに悔しくて、苦しくて。全てをさらけ出して、吐き出さずにいられなかったのだ。


「ふむ。そうだな。聞きたいことは山ほどあるだろうがひとまずワシの話を聞いてほしい」

「……わかった」


 ブランクが震える瞳で、しかし目を背けることなく頷くと、ダザンは口火を切った。


「先ほど、村の者がお前を見つけたと言ったな。その話が、もう三日も前の話になる」

「え、三日も……?」


 まさかあれから三日も経っているとは思っていなかったブランクにしてみると、寝耳に水である。しかしダザンは構わず続ける。


「お前が生死を彷徨っている間に、身の回りの世話をサリナに任せたワシは、ジャンにこのことを伝えようとお前たちの家へ向かった。この時点で二人のどちらも伺いを立てないことを不審に思うべきであったかもしれんが、ワシも少し焦っていてな」


 あの寡黙で皮肉屋のダザンが焦るなどとは想像もつかないブランクであったが、今は先の話が気になった。しかしダザンは、顛末を語ることを嫌うように、ここで少し間を開けた。


「だが──お前たちの家はなかった」

「えっ」

「いや、なかったと言うと、少し語弊があるな。正確には、柱を残してほとんどが全焼していた──というべきか」

「……」ブランクは押し黙った。


 考えられるのはあの家を包んだ火の手だろう。ブランクとダザンの考えは一致したようで、視線が交わればこれを頷いて、ダザンは肯定した。


「そして周囲をくまなく観察したワシは、大きな血溜まりの跡を見つけた。既に乾いて黒くなっていたが、恐らくこれがお前の言っていたジャンのものだろう、と思う」

「ジャン……」


 きゅうっと心臓が締め付けられた。時間が経っても残る血痕など、一体どれほどの傷なのだろう。そしてそんな傷を受けてもなお自分たちを庇って逃げろと言って、心配をかけまいと気丈に笑ったジャンは、どんな気持ちだったのだろう。


 自分は逃げられてよかったと思った。思ってしまった。自分の罪を洗い流すための涙が瞳を覆うが、今のブランクにそんな救済は必要ない。一度目蓋の奥深くへその気持ちをしまうと、自分は大丈夫だとダザンに琥珀色の目で訴える。ダザンはこれに頷いた。


「だが落ち着いてよく聞け。実のところ──ワシはジャンやウィルの死体を見ていない」

「それ……ほんと?」


 ブランクの言葉にダザンは頷いた。ブランクの顔は晴れ渡ったが、続く言葉にすぐ曇った。


「あの出血量を見るに、無事とは言い難い。少なくともあの場ですぐに手当てをしなければ、そのまま死に至ることは間違いないだろうと思う」


 ブランクの顔はすぐにさあっと青ざめた。しかし、ダザンはお構いなしに続けた。


「だが、妙だとは思わんか?」

「……何が?」


 ダザンの問いかけに、ブランクは鋭い声で問い返し、ダザンはそれに一息挟んだ。


「大胆不敵に家まで燃やすような輩が、わざわざ死体の後処理などするだろうか?」


 ブランクは、確かに、と妙に納得した。


「ワシは利用価値を見出し、連れ帰ったという線が色濃いと思っている」

「ジャンが……」


 ブランクは喜びと焦りの瀬戸際で、親指の爪を噛んだ。あの男の行方を思い描くが、何の情報も無い。手がかりが何もないのだ。しかし、ダザンは言う。


「お前の話を聞くに、恐らく、その男の正体に、ワシは心当たりがある」

「……だれ?」


 ブランクは耳を疑った。だが相対するダザンの目に曇りなどなく、口から出まかせでないと分かれば、居ても立っても居られずに。ブランクは椅子をすっ飛ばしながら、席を立った。


「あいつは誰なの? ねえ、教えてよ!!」


 途端に欠いた冷静さを、代わりにダザンが補った。食ってかかる勢いのブランクに、一瞥(いちべつ)睨みを利かせて落ち着かせる。この辺りはさすがのダザンである。ブランクを席に着かせると、ダザンは「恐らく──」と切り出した。


「そいつの正体はアルトリウス・ディケイド。西の国、ヴリテンヘルクの裏の顔だ」

「アルトリウス……ディケイド……」


 復讐すべき相手の名を、ブランクは咀嚼し、反芻するように繰り返した。あの恐ろしき竜の血を受け継ぐ超越者。ブランクが、初めて心を折られた相手。


「……」


 思い出せば腕が震える。それを鎮めるように握りしめると、今度は肩が震える。


(鎮まれ、鎮まれ……!)


 必死に祈って食いしばると、震えはやがて収まった。


「……ごめん」

「構わん。話を続けるぞ」


 なんとも淡白な返しだが、今のブランクにとっては願ってもない話だ。ブランクが頷くと、ダザンも示し合わせに頷いた。


「このアルトリウスだが、ヤツは薬物や人身売買、魔道具などを非合法で扱うとんでもない悪党だ。仲間意識なども無ければ例え相手が同族であろうと平気で裏切る。人間のクズさ」


 この辺りはブランクも目にしていた。あの時、仲間の蜘蛛男を生かした理由も、飛び散る汁が汚いからと言ってのける自分本位さ。恐らく汁さえ散らなければ、死んでも良いと納得したのだろう。なんと血も涙もない男だろう。ブランクは、これに吐き気を覚えていた。

 そんな機微を読み取ってか、ダザンは呆れたように言う。


「ヤツの人間性に関してはまあいい。どのみちロクな死に目には遭わんだろう。しかしヤツに関して言えば、そもそもあまり表に顔を出さん。もっと言えば──こんな休戦中の国まで出張る時点で、何かしら意図があったと見ていいだろう」

「あっ──」


 ブランクは、確かに、と思った。

 いくら相手が西の国(よう)する最強種とは言え、そもそも休戦中の敵国に、顔を覗かせるものだろうか。それも、わざわざ家まで燃やしての大立ち回りでだ。


「もっと変なのはここの領主さ。ヤツめ、先日のゴゲラ騒ぎでは渋っていたくせに、不審火一つに私兵団を引き連れて山狩りまでしている。国境は探さずにだ」

「え?」

「まったく()って、暇なことだな?」


 片眉を吊り上げ促すような視線で見られれば、自ずと答えは出た。


「狙いは……僕?」

「あるいは──その両方だ」


 確認すれば、ダザンはそう言ってのける。

 両方? そんな疑問を投げかけると、ダザンはしっかり頷いた。


「ブランク。あの時は追求しなかったが──お前、遺跡で台座に触れたな?」

「──!」


 先んじて示された痛恨の一手は、ブランクをまな板の上の魚のように縮こまらせた。


「ごめん、なさい……」


 ブランクが殊勝な態度で謝ると、ダザンは深くため息をついた。


「厄介なことになったな……」

「ほんとにごめん! だってウィルが触ったから、戻さなきゃと思って。でも、それだけで、僕が戻そうと思って触ったら、それに弾かれて──」


 ブランクが言いかけて、ダザンは目を丸くした。まさかと言いたげな顔だ。


「あれに触れたのか……? 待て」


 ビクッと反射的に顔を守ったブランクの手を握ったダザンは、その左の手の甲を見つめる。


「あ、これ? 遺跡のと、何か関係があるの……?」


 ブランクの言葉が聞こえなかったのか、ダザンは呆れたように天井を仰いだ。


「不幸中の幸いと言うべきか、なんと言うべきか……」


 ブランクは「何なの?」と尋ねた。すると、ダザンは言った。


「あの二つの玉にはそれぞれ膨大な魔力が秘められている。各々に封じられた力を遂行するために必要な、膨大な魔力だ。しかし──恐らく今、ウィルが得たものは能力のみだ。魔力のほとんどが、お前の中にある」

「えっ?」


 ダザンの説明に、ブランクは戸惑った。


「良くも悪くも、ウィルという人間の商品価値が下がったということだ。あの男のやり口を考えれば、ジャンとウィルの二人は、人身売買で奴隷として売り払われるはずだ」

「えっ。待ってよ、じゃあ──」


 ブランクの目に、(とうと)い琥珀色の希望が灯った。


「ああ、まだ推測の域を出ないが──あの二人は、恐らく生きている」


 ブランクは、まさに喜びを噛み締めた。あの二人が生きている。それだけで、ブランクにはこの上ない喜びがあった。


「よし、そうと決まれば、二人を探しに行かなきゃ!」


 ブランクは、急ぎ立ち上がると、入り口のドアへと向かった。


「待て」


 しかし鋭い声色が耳を掠めると、ブランクはびっくりして肩を飛び跳ねさせた。


「どこへ行く?」

「えっ。二人を、探しに──」


 立ち止まり、振り返り、言いかけて、ブランクは言葉を詰まらせた。


「ぁ──」


 その威圧感は、アルトリウスにも引けを取らない。すくむ足に、締まる喉。呼吸の難解さに肺に溜まった空気が目を押しつけて、恐怖に涙が溢れ出る。この老獪(ろうかい)な鍛治職人に、何故ここまで恐れを感じているのか、ブランクには理解ができなかった。


「ここに戻りなさい」

「……」


 ブランクは、笑いそうになる膝を必死に矯めて、元いた椅子に、腰かけた。だがダザンの眼光の鋭さは衰えない。弛まない。そこへ更に、厳しい言葉が追い討ちをかける。


「焦る気持ちは分かる。しかしお前には時間が必要だ。強くなるための時間が。今のお前がヴリテンヘルクに行ったとて何になる。逃げたことを責めやしない。死ねば全ては終わりだ、そこに間違いはない。ただ己の力すら信じられないお前が行ったところで、また敵から逃げ出さないという保証がどこにある?」

「そんなの──」


 言いかけて、言葉が詰まる。──やってみなくちゃ分からない?

 そんないい加減な言葉。口が裂けても言いたくなかった。


 家族を見捨てた。過去に裏切られた。家族を助けられなかった。

 全てが嫌になったあの日から、変わらずに前に進めるのか。

 何より──また逃げる自分が容易に想像できて、怖かった。もしもジャンやウィルがまだアルトリウスの手の内にいるのなら。僕はまた逃げ出すんじゃないか?


 そう考えて、怖くて怖くてたまらなくなって。ブランクは、続く言葉を軽々しく口にすることができなかった。


「ブー坊──いやブランク。お前は賢い子だ。その先の言葉を口にしなかったのは、決してお前が臆病だからではない。お前が真面目で責任感のある、優しい子だからだ」

「あ……」


 違う。そんなことを言ってほしいわけじゃない。卑怯者だってなじってほしくて、叱ってほしくて、でも──ダザンの言葉はずっと温かい。厳しいように聞こえる言葉も全部、自分を(おもんばか)ってのことだ。そんな優しさだけが、甘いハプルの実のように詰まってる。


「でも、どうすればいいのさ。僕は弱くて、ウィルのように強くなれなくて。ジャンですら勝てなかった相手に、僕は……僕が──」


 勝てるのか。続かず震える声音(こわね)に、一本通った確かな声が、添えられた。


「ヤツに勝てるかどうかなど分からん。気合いでどうにかできるようなやつなら、ヤツめをどうにかしたい者など、掃いて捨てるほどいるだろう」


 ダザンの言葉に、ブランクは落胆した。しかし、それに言葉は続く。


「ただ──お前が、お前自身を信じることができるようにはしてやれる」

「……どうやって?」


 ブランクが尋ねると、ダザンは立ち上がった。


「ワシが鍛える」

「え……冗談、だよね?」


 ブランクが半信半疑にそう言うものの、ダザンは顔色一つ変えない。


「いや、だって、ダザンって、鍛冶屋だし、おじいさんだし、それに──」


 言いかけて、思い出す。先ほどの威圧感を。ただらなぬ雰囲気を。


「ダザンって……一体何者?」


 ブランクが尋ねる。ダザンは言う。


「ダーシュ=ファン・ザルーグ・ナファディウム。こちらでは、西の賢者の呼ばれている」


 ブランクが胸焦がれた、憧れの名を。

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