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第十七話『手折られた勇気』

※このお話は食後にもたらされるステーキ肉のように非常に重く、また一部グロテスクなシーンが含まれています。心にゆとりのある状態でお読みください。

 どれほど走ったかは分からない。あるいはそれほど走ってはいないのかもしれない。周りを見渡せば、距離にしては国境すらまだほど遠く。恐らく考えられるのは、ウィルを担いでいるからだろう、と、ブランクはそう考えた。


 力が抜ける。ゴアドの効力が切れてきた。足さばきもかすかにもつれが見えだした。じきにハオディの効果も切れるだろう。それでもあそこでジャンの足を引っ張るよりかは、自分であしらえて良かった。ブランクはそう思った。


「ジャン──どうか。どうか無事でいて……!」


 そう願いながら、はち切れそうな肺に(むち)打って、ブランクは懸命(けんめい)にひた走った。


「ジャン──ジャン……うぁっ!?」


 現実という悪夢に思考を支配されて。注意もなおざりに()を進めれば、石ころにすら足元を(すく)われる始末である。体に走る痛みに(さいな)まれながら。崖の手前まで転がったウィルへ駆け寄ると、銀髪の少年が、小さなうめき声を上げながら目を覚ました。


「ウィル、無事!?」


 ブランクは、奥の崖に落ちなくて良かったと思いながら、寝ぼけ眼をこする、ウィルの手を引き立ち上がる。


「ちょうど良かった。今ちょっと話してる余裕ないから、一緒に走って!」


 崖に架かっている橋は縄こそ湿っていて少し古いものの、人が渡るには十分な強度だった。その橋板も頑丈で、ちょっとやそっとじゃ踏み抜くことは無さそうだった。


「ブランク。にーちゃんは?」


 嫌な質問だ、と思った。ウィルは頭の回転が遅いが、こういった時はすぐに核心に触れる、鋭い質問をする。ブランクは、噛んでいた下唇を離して、ジャンとの約束を口にした。


「……後で、来るってさ!」


 胸の奥がちくりと痛んだ。でも、ジャンはちゃらんぽらんなように見えるけど、できない約束はしたことないんだ。ブランクは、そうやって自分を鼓舞した。


 眼下に広がる川が、橋板の隙間から手招いている。こんなところで追いつかれでもしたら、たまったものではない。そう思い跛行(はこう)に揺れる橋を一気に駆け抜けようとすると、後ろからぐいと、腕を引っ張られて。ブランクは、恐る恐る振り返る。


「ウィル──?」


 石のように重たく足を止めて動かなくなったウィルに、ブランクが首を傾げると。ウィルは怒ったような顔をしていた。初めて見せる表情に、ブランクの背筋が凍りつく。ウィルは、その心の内を口にする。


「ブランク、オマエ、おかしいよ。オイラたちは、家族だ。オマエがそう言ってくれたよな。家族は──助け合うものなんじゃないのか?」


 聞いたこともないような白銀色(しろがねいろ)の鋭い声色に、ブランクは「ぁ──」と切り裂かれたような、情けない声を、小さく漏らしていた。ウィルは少しの遠慮もなく、再び切りつけた。


「なんでにーちゃんを置いてった?」


 唇が震える。一つ間違えれば、大切な何かを失ってしまいそうな。しかし、ブランクはもう、後戻りができない。だから、託された言葉を借りる。


「だって──ジャンが、そうしろって……ウィルを、連れて──」


 だから! と顔を上げたブランクの喉が、ヒュッと鳴る。ウィルのその顔は打てど叩けど響かない。眉一つ動かない。紫紺(しこん)()は、疑惑に満ちている。気持ち悪さの残る、生ぬるい夜風だけが、ブランクを慰めた。


「にーちゃん、怪我してたよな。オイラたちを庇ってできた傷だ」


「……」


 視界がフラフラする。世界がぐにゃりと曲がっていく。今、自分がどこに立っているのかも分からない。間違っていたのは、自分?


 これは夢か。それとも現実か。ささやかながらも幸せな日々を過ごしてきた。それがこうもあっさりと、崩れるものだろうか。


 そうだ──これは夢だ。きっと夢だ。悪い夢なのだ。だって、現実で、普通、こんなにも不条理なことがまったく突然、起こりっこないのだから。


 しかし、万が一、これを現実とするならば、自分のした行動は──。


 そう考えただけで、途端に呼気が荒くなる。その取り戻しようのない時間に。ブランクは、噴き出した汗で、溺れそうな感覚になる。


 ブランクは何も言えなかった。ウィルの言いたいことは分かってる。ウィルの紫紺の(ひとみ)が、自分を見るその目の冷たさが、心の奥にうずくまる自分を見透かすようで。ブランクは、顔を伏せて、ただ震えて(うつむ)くことしかできなかった。


 すると。ウィルは呆れたようにため息をついて。それから、どこか寂しげに目を伏せると──言った。


「なあブランク。今からでも戻ろうぜ」


 やめろ──。ブランクは、震えた。


「にーちゃんがそうしろって言ったって。オイラたちが助けに行かなきゃ、誰がにーちゃんを助けに──」

「そんなことッ!!」


 ウィルの非難を掻き消したくて。ブランクは、山に響き渡るほど大きな声で、気がつけばウィルを怒鳴っていた。叫んだ自分が苦しいほど。鼓動が早くなるほど。打ち払われた手の痛みが、ずっと自分を責め立てているように尾を引いて。けれどどうしようもなくて。弱いから。自分が弱いから。あまりにも弱いから。どうしようもなく。ただ自分が弱いから──。


「そんなこと──……僕が一番よく分かってるよ……!!」


 声が、震える。消え入りそうな。消えてしまいたい、でも消えることも許されないそんな──不条理な、世界。消せない罪を背負った、ブランクのいる、この世界で、声が震える。


 薄っぺらい目蓋(まぶた)()き止めていた涙は情けない本音と共にこぼれ落ち、パタパタと床板へ向かって落ちていく。自分の涙の音の、なんと軽いことだろう。ブランクは唇を噛み締めた。


 口に出してしまったが(ゆえ)にもう取り消せなくて。諦めたように出た情けない本音。直前に叫んだ声に、全ての勇気を吸われたような。鼻ったれで、甘ったれで、無様で、救いようもない。吹けば飛ぶような、守ってもらう価値なんて微塵(みじん)もない。情けなく。女々(めめ)しく。ただただ()じけて。怖くて。声が震えてる。吐息だけですら湿っぽいのに、涙まで(あふ)れてくる。


 どれだけ追いつこうと頑張ったって、追いかける背中は遥か遠くて。変われたと思ってたって、あの村で歩先(ほさき)(たが)えた日から自分は──何一つ変わっていない。悔しくて。苦しくて。ただその目からこぼれる熱を止める術を、ブランクは知らない。知るはずもない。頑張ってこなかったから。言い訳ばかりしてきたから。積み重ねてこなかったから。ウィルと違って、空白の期間があるから。続けて来なかったから。だから──自信がないんだ。怖くて怖くて震えてる。声が震えてる。声帯をかすかに撫ぜるだけで精一杯の声が、一等震えてる。


 もし自分がウィルのように強かったら、ジャンは一緒に戦おうと言ってくれたのだろうか。あの時ジャンは「ウィルを呼んできてくれ!」と言って一緒に戦ってくれただろうか。もしそうなら、自分はきっと恐れを(いだ)かず戦えたのに。いや──きっとそれすらも言い訳なのだ。あの時、自分に自信があれば、ウィルのように強ければ、きっと残る選択をしたことだろう。


 わからない。もう何もわからない。でも、きっと自分がウィルのように強くたって、どうしようもない。だって──自分は『ブランク・ヴァインスター』だから。それ以外の何者でもないから。何者にもなれないから。胸に抱いた憧れも、吹けば飛ぶ夢のような弱虫だから。(から)を破った気になったって、ちょっと壁にぶち当たればすぐに逃げ出す臆病者だから。


 ブランクは思った。思ってしまった。あの時、ジャンに逃げろと言われた時、ホッと胸を撫で下ろし、逃げてもいいのだという選択肢を。その責められない免罪符をくれたジャンに、感謝している自分に。ブランクは、どうしようもなく気づいてしまったのだ。


 だがウィルは違う。ウィルやジャンは、何が譲れないものかを知っている。そして、それに命を懸けられる。たとえ傍目に見れば無謀でも、彼らは知っている。それを失えば、己の内に宿る勇敢さをも失ってしまうということを。


 そしてそれを、ブランクも肌で分かってはいたのだ。あそこで逃げてしまえば、きっと元の自分には戻れないと。譲るべき場面ではないと。知っていた。でも逃げ出した。怖かったから。どうしようもなく、恥も外聞もなく、ただただ怖かったから──。


 自分はウィルのようにはなれない。ウィルは強い。そんなこと、分かってる。力だけじゃない。心も、体も──何もかもが。全部。ブランクより、ずっと一歩先を、行っている。


 あまりにも眩しすぎる。家族? 違う。きっと、自分がそう思いたかっただけだ。だって、この二人は、僕の中ではずっと英雄だ。心に光を灯してくれる。ずっとあるべき理想でいる。あまりに眩しい英雄(そんざい)。自分は波面のように、ただ二人の光を映えさせてるだけに過ぎない。


 天にある光に、人の手は届かない。英雄とはそういうものだ。彼は英雄で、自分はそれを演じる道化(えいゆう)。滑稽すぎて、声にすることすらおこがましい。


 気づいてしまったのだ。継ぎ足された勇気は偽物のハリボテで、本質的にウィルとは違うのだと。根本から勇気がある人物は、最後まで足掻き、逃げるなどという選択肢などないのだと。そして、それが自分ではないのだと──。


 摘みさられた勇気が、ただ静かにブランクを苛んだ。剣を振らずに空いた時間であれだけ知識を培ってきたのに。今、ここで、必要な時に。思う言葉すら浮かばない。自分の人生はなんだったのか。まったくもって、救いようがない。


 ただ震えるだけの声は、何も言わなかった。言えなかった。言えるはずもなかった。


 逃げたくなかったのに。逃げるしかなかったことに。逃げてはいけなかったのに。


 この時間(とき)の刹那に。ブランクは、どうしようもなく打ちのめされた。


「オイラ……もう行くよ」


「あ──」


 銀髪の少年は、とうとう(きびす)を返した。


 ここで追わなければ、本当に終わってしまう。


 今にも煙だけ残して消えてしまいそうな。頼りなく揺れる(かそ)けた灯火のように震えた声に、なけなしの勇気を()べて。ブランクは、ようやくその手を伸ばした。


「ウィル、待って──」


 その瞬間。ブランクの脳裏に、突然、ある記憶がフラッシュバックした。


(あ──この光景)


 ブランクは、遺跡で見た白昼夢を思い出した。すると──。大気の逃げ去るような嫌な音が、ブランクの震える鼓膜を刺激した。


「ウィルぅ!」

「なっ──!」


 親友を突き飛ばしたブランクの右腕を、鋭く研がれた手斧(ちょうな)が抉った。それは勢いそのままに橋を通り過ぎると、その先でカラカラと音を立てて転がった。


「──あっ?」


 衝撃が突き抜けた。痛みはない。まるでうさぎでも腕の上で跳ねていったような。しかし、眼下に広がる谷のように、ブランクの腕には──致命的な溝が、赤と白混じりに在った。


「あっ──ぅあ、あぁああッ!?」


 痛みがないのに、脳が理解する。もはやありったけ以上を絞り出す声帯の方が擦り切れんばかりに痛むのに、噴き出す汗が、体に立ち込める熱が、全細胞が総動員で。見るに手遅れな傷口へ、雁首(がんくび)揃えて向かってる。


 ぱっくりと割れた前腕は、分厚い皮がめくれ上がり、じんわりと血が溢れたと思った次の瞬間には、見るもおぞましいほどの赤色がとめどなく湧き出てきて、溢れる血が焼けそうなほど熱いのに、指先だけがどんどん冷たくなっていく。痛さどうこうというよりも、もはや痺れのような感覚の方が強い。寒さにひりつく大気に加速する呼気が混ざる。隣で自分の名を必死に連呼してくれている少年の声すら膜の向こうで鳴ってるように遠く。そんな極限にある中、ブランクは、白く染まった息の早くなる先に、黒光りする何かを見た。


『当たり。げに、良きかな』


 手の数だけ斧を持つ、蜘蛛男。この男がいるということは、ジャンは──。


 ブランクは、愕然とした。


「てめぇ……このヤローッ!!」

「まって、ウィル……!」


 銀髪の少年が駆け出したことにより橋が右へ左へ傾ぐ。振れる足場に立ち上がることすらままならなくて。


(腕が上がらない……くそぉ!)


 揺れの収まることを待つブランクは、せめてと霞む視界にウィルを捉えると。震える指先を反対の手で支えて、たなびく銀髪へと向ける。


(狙いが、定まらない……ウィル、止まって──)


 そう思いながら、ブランクは瞳を(すが)めて、ウィルを狙い定めた。ウィルがようやく魔術を唱えて止まった瞬間に、ブランクは無詠唱で得意の魔術を放った。


「プロテ──」


 マと言えただろうか。ブランクには分からなかった。


 ただ──橋を襲った斧の残した傷跡が、みちみちと音を立てて。パチン、と引きちぎれたような嫌な音だけが、ブランクの鼓膜へ爪を立て、かすかに引っ掻いた。

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