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第十六話『壊された日常・上』

 暗い遺跡の帰り道。カンテラにぼうっと映し出されているものは他に色々あるはずなのに。ブランクは、ただ足元ばかり気にしていた。さすがに二度目だからだろうか。ウィルが自重していることだけが、ブランクにとって唯一の救いだった。


「あ」


 そうこうしているうちに、カンテラの灯りに外の明かりが重なった。気がつけばブランクたちは入り口へ戻ってきていた。あはっ、と浮き足立つウィルが、軽やかな足取りで遺跡の外へと向かっていくが。ブランクは、到底そんな気持ちにはなれなかった。


 僕は──これからダザンに嘘をつくんだ。


 ダザン相手とは言え、ブランクは気が滅入っていた。外の光は、そんな後ろめたい気持ちを責め立てるように明る過ぎて。ブランクの足取りは、前へ進むたびに重たくなった。


 ブランクの記憶に蘇るのは、ある日のジャンの言葉だ。


『──いいか、よく聞け。細けぇことでも、嘘をつくのはダセェことだぞ。口から出まかせばっか言ってりゃ、それは自分すら虚しくしちまうからな』


 分かってるよ、そんなこと。ブランクはそうやって心の中で口を尖らせて。けれどダザンに奴隷のようにコキ使われるだけの人生などまっぴらで。板挟みに霞む視界に割り込む外の世界は、今のブランクには、いささか鮮やかすぎる。


 眩しい、なあ──。


 どれだけ小さな抵抗を積み重ねども、遺跡と外の距離は無限ではない。ブランクを照らし上げる外の光は、これまで見たどんな光よりも眩しくて。チクチクと刺すような痛みがして。ブランクは太陽の眩しさを覆い隠すように、最近の鍛錬で目立ってきた、タコまみれの手を、透き通るように青い、空へ向かってかざしてみる。


「帰ったか」


「わっ、ダザン!」


 突然逆光に当てられた黒い塊が目の前に現れて、しかもそれがダザンの声をするのだから、ブランクは口から心臓が飛び出るかと思った。


「うっ……ウィルは?」


 空が眩しいふりをして、ブランクは見上げていたダザンから目を逸らした。ダザンが寡黙に持ち上げた人差し指の先には、蝶々を追いかける銀髪の少年がいた。


(良かった。下手に会話なんてしたらまたバレるし)


 思わぬ収穫に胸を撫で下ろしたブランク。しかし。ダザンは言う。


「やけに遅かったな。中はどうなっていたんだ?」


 ──きた、と。ブランクは思った。何の気なく尋ねられたはずなのに。それはブランクの心臓で指先が机を叩くように。良心を呼び覚ますように。加速度的に心の深奥に訴えて(つつ)き上げる。しかしいくら苛んでも、出てくるのは血液ばかりで、忙しなく行き来する血流たちが、ブランクの呼吸を体の内で荒くする。そして、それを気取られぬようにと。震える声をなんとか必死に()めて、ブランクは言った。


「────別に。何もなかったよ。とにかく、ウィルがはしゃいでてさ」


 言った。言ってしまったと、ブランクは思った。最後の抵抗とばかりに、ブランクは心の中で、自分に言い訳をする。


 嘘ではない。だって本当に、玉も何もなかったのだから。それを、ダザンがただ勘違いをするだけで。そうだ、嘘じゃない。そうやって、自分の心の弱いところを、セメントのように上からどんどんかぶせた言い訳で取り繕って、必死に覆い隠していく。


 口にするまでは肺の上にのしかかって重たかったというのに、いざ言葉に出してしまえば、自分の声のなんと軽いことか、と。ブランクは、自分の言葉が、しっかり自分で聞き取れたはずなのに。ダザンの耳に届いたかどうか。それだけが、不安で不安で仕様がなかった。


 照りつける太陽がやけに熱く感じた。吹き抜ける風も纏わりつくように生ぬるい。そよ風にさらわれた汗もすぐに湧いて出る。とにかく気持ち悪かった。


 もう一度尋ねられたらどうしよう。同じように答えられる自信がない。ブランクは時間にして一瞬なのに、そこに悠久を思わせる時を感じていた。早く終われ、終われと切に願った。


「──そうか」


 短い言葉。そこへ続く言葉に内心歯の根の合わずなブランク。そんな彼の耳に届いたのは、あまりに意外な言葉だった。


「お前がそう言うのなら──きっとそうなのだろうな」


 ダザンの言葉。ブランクを信用している声音(こわね)。いつもと変わらないはずなのに。ダザンの空色の瞳が、ブランクには透き通るほど美しく、綺麗に見えた。


「帰るぞ」


「あ──」


 ぶっきらぼうに放たれた、その言葉の裏に含まれる温かい優しさが。ブランクの心の奥を、ただ静かに焼き焦がしていく。喉元過ぎれば熱さを忘れるはずなのに。心の奥で、(くさび)のように深く突き刺さったそれは、チクチクとブランクの胸の内を痛め続けた。




「──……はあ」


 その夜は眠れたものではなかった。ジャンも帰ってこなければウィルも寝たし、ダザンとは帰り道、一言も喋らなかった。


 食事もあんまり味がしなくて。温かいはずの我が家がまるで監獄に変わったようだ。日課にしていた素振りも、何度数え間違えたか分からない。


(なんだかうまく寝付けないや。水でも飲もう)


 寝台を軋ませながら立ち上がり、ボロのフローリングを歩く。そうして入り口の水瓶(みずがめ)まで向かうと、近くにあった木彫りのマグカップで水を掬う。そうしてなんとなく波紋の収まるのを待っていると。ブランクは、そこに映る自分の顔が、なんとも味気のない、虚ろな顔をしていることに気がついた。


(誰だこれ……あ、僕か)


 視線はおどおどして泳いでいて。口の端は引きつり、鼻は小心者らしく、小さくひくひくしている。


(なんて、ひどい顔なんだろう)


 そこに色づいた感情が、失笑だというのが、なんとも皮肉な話で。ブランクは、ダサいぞ、自分、と叱責してから、一気に水を掻き込み、飲み干した。


「……よし」


 いつもと同じ水なのに、それはブランクの頭を人生で一番冴えさせた。


(明日謝ろう。ダザンは確かに皮肉屋(くちがわるい)けど、人でなしなんかじゃない)


 奴隷になんてしないはずだ。()いた言葉は飲み込めないが、()いた嘘は打ち明けることができる。西の賢者の教えである。


(よし。明日ウィルも誘って、ダザンのとこに行こう!)


 思えば足取りは軽かった。明日が待ち遠しくて。早く明日を迎えたくて。ブランクは急ぎ寝台へと向かった。


「ん? なんだこれ」


 ブランクは左手の甲に、奇妙な模様があることに気がついた。黄金色のそれは神樹の枝葉が分かれるように左右へ伸びていて、中心には何もない。いつの間についていたものなのか。それすらも分からない。


(遺跡でついたのかな。これもダザンに聞いてみよう)


 そう思い立ち、足を運ぼうとした矢先。突如として胸の内に、炎の広がるような胸騒ぎが立ち込めて。ブランクの足は、突然床に貼りついたように動かない。


「なんだ? 今、何か──」


 直後──ブランクの頭に見たことのない光景が、突然フラッシュバックした。それはまさにこの家で。ジャンのこだわりである大窓に。突然大きな何かが飛び込んでくるのだ。それが警鐘を鳴らすように。何度も何度も脳裏を焼き尽くす。


 ──なんだよ、これ……!


 遺跡でもあったこの現象にブランクは辟易と苛立ち、それが額の脈に鞭を打つ。迅る血脈に合わせて視界が何度も明滅し、チカチカと黒と白との世界を行き来する。


 ──なんなんだよッ!


 ブランクの恐怖と苛立ちが最高潮に達した時、


「あ」


 ──日常の、壊れる音がした。

※次回からシリアスな展開および、多少グロテスクな表現が含まれます。心にゆとりを持ってお読みください。

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