第十四話『悠久の地へ』
「にーちゃ、まーえ!」
「ここ?」
「もーすこし!」
ジャンの帰宅から翌朝。ブランクは、ゴゲラを討伐した花畑とは、別の果樹園に来ていた。結局花畑の木はダメになってしまい、落ち着いたら燻製用のチップにするようで。ブランクは、自分がもう少し上手く立ち回っていたらと、思わずにはいられなかった。
今回は、その時と同じ『ルーの実』という赤い木の実を、メルたっての強い希望で集めに来ていた。ブランクは彼女を肩に背負い、羊髪の少女が手を伸ばして手摘みするスタイルで。採集は、滞りなく進行していく。
「メル、苦しいよ、メル」
肩に乗るメルの足が、ブランクの首をギュッと絞める。落ちないためにしたのかと思ったブランクが足をポンポンと叩いて訴えると、メルは「や!」と突っぱねた。
「にーちゃ、またどっかいくもん!」
「行かないってば……」
ブランクが苦笑を浮かべてそう言うと、木の下で休んでいたサリナが「ごめんねー?」と声をかけた。
「この子ったら言うこと聞かなくてさー。ブルが帰って来なかった日なんか、ブルがどっか行ったー! ってわんわん泣いてちゃったから、助かるなー」
「いえ、サリナさんにはお世話になってるんで。この間の野菜とか、酒代のツケとか……」
思い起こされるのは酒浸りの同居人だ。自分の保護者でもあるその人物は、この村一番の器量良しに惚れ込んでいるようであるが、こんなツケだとかをしているような甲斐性無しでは、一生相手にされないだろう。ブランクは、そう思った。
そんなブランクの思いを知ってか知らずか、サリナは「あら?」とあだっぽくイタズラに笑うと、突然立ち上がり、ブランクの頬に手を添えた。
「ブルは真面目で責任感が強いのねー。お婿さんには、ブルに来てもらおうかしら?」
「えっ!」
ブランクが突然の誘惑に驚いていると、上から小さな手のひらが、ブランクの顔を覆った。
「だめっ、にーちゃ、メルのー!」
「メルッ、いた、いたたた!」
小さな腕と足とで締め付けられ、ブランクが限界を訴えていると、サリナは「あらあら」と鈴鳴りに笑った。
「あ──」
その瞬間、なんとも言えない懐かしさが込み上げてきた。どこかおぼろげに、自分と同じような赤枯れ色の髪をした女性が同じように笑っていたような──しかしその記憶は、研磨されていない鉄の断面のように。どうにも、薄ぼんやりとしていた。奇妙なノスタルジーがブランクを襲う中、サリナは心配そうにまなじりを下げた。
「ブル、どうかした?」
「いえ、なんでも……」
思わず気のない返事をするブランクに、サリナはもちろんメルも「にーちゃ?」と不思議そうに首を傾げる始末だった。ハッと我に帰ったブランクは、二人に心配をかけまいとブンブンと首を横に振ると「ごめん、ほんとになんでもないんだ!」と気丈に振る舞う。
「メルぅ。ちょーっと降りよっかー。ブル、疲れちゃったみたいだからさー」
「やーあっ、にーちゃーっ!」
抱っこされながらブランクの上から降ろされると、メルは駄々っ子のようにぐずりだした。それをサリナはよしよしとあやしながら、ブランクに言った。
「今日はありがとね、メルに付き合ってくれて」
「いえ、僕はまだ──」
ブランクがそうやって食い下がろうとした時だった。
「おーい、ブランクぅー!」
大手を振って現れたのはトトスだ。急ぎの用があるのか、息も絶え絶えだ。
「どうしたの? トトスおじさん」
「いやあ、歳は取りたくねぇもんだな……」
そうして一息つくと、トトスは本題を切りだした。
「ダザンさんが呼んでる。何やら急ぎらしいから俺がすっ飛んできたんだが──」
メルとサリナをチラッと見て、トトスは「取り込み中か?」と尋ねた。それに答えたのはブランクではなく、サリナだ。
「今終わったから大丈夫。さ、ブル。行っといで!」
「にーちゃあっ!」
「ここは任せてー、先にいけーっ!」
突然語りのようにわざとらしくそう言って、泣きじゃくるメルを全力であやしつけながら。サリナはブランクに手を振った。ブランクは良心の呵責に苛まれながら「あは、はは……」と苦笑を浮かべて、手のひらをひらひらと揺らす。
「ごめん、メル。また埋め合わせするから」
暴れるメルの羊髪を優しく撫でたブランクは、トトスに「おまたせ」と言い、共にダザンの元へと向かった。
「あれ、これってどこに向かってるの?」
「まあまあ。黙ーって付いてきねぇ!」
進行方向が村ではない。そうしてトトスに案内されたのは、鍛冶場やダザンの家でなく、意外な場所だった。
「ここは──」
「来るのは初めてだろ! 粋な場所だぜい?」
調子良くニカッと笑うトトスに、ブランクはギョッとしながら、ともすれば裏返りそうな声で「そ、そうだね!」と浮わついた返事をする。
(だってここって──)
ブランクは、木の葉の語らいに目を窄めながら、それを見上げた。
悠久の時を感じさせる、苔の生す大きな遺跡。まだ神々が人の世に興味を示していた時代に打ち立てられたとされるその遺跡は、もはや盗賊ですら相手にすることもない。この近隣に住まう小動物たちの根城と化している遺跡であるが、今日は貸し切りなようだった。
「ブランクぅー!」
ブンブンと元気よく手を振るのはウィルだ。その隣には、熊のように大柄なダザンも一緒にいる。
(あ。これ怒られるやつだ)
本来なら禁足地とされているこの土地に、足しげく通っていたことが、とうとうバレたのではなかろうか。ブランクは少し気の滅入る思いをしながら、鎖に繋がれた罪人の気持ちを噛み締めて。事の由々しさに心中涙をすると、いよいよダザンの元へと向かっていく。
「へへっ、トトス久しぶりじゃーん!」
「へっ、相変わらず口だけは達者だな、ウィル坊は!」
くしゃくしゃと銀色の髪を撫でられて。ウィルもまんざらではなさそうだった。
「それじゃ、ダザンさん、また!」
「ああ、トトス。助かったよ」
恐らく自分の残った仕事を片しに戻ったトトスを見届けると、ブランクは憂鬱な気持ちを胸に溜めて。いよいよかと、ダザンへ向き直った。
「ところでオイラたちなんで呼ばれたの?」
こんな時、ウィルの能天気さが羨ましい。ブランクが素直にそう思っていると、ダザンは何かを思い立ったように「ふむ」と遺跡へ向けて、視線を見遣った。
「初めて来るだろう?」
「う、うん」「ソ、ソーダネ」
ウィルの声が露骨に裏返った。ブランクはよりにもよって、と思った。ウィルは嘘をつくのが下手だ。その隙が見逃されるはずもなく、ダザンの目が一際鋭く光った。
「初めて、来たな?」
「いや、あの、その──ご、ごめんなさい」
わざわざ二度問いただすということは、恐らく看過されているだけで、これは嘘をつけば同じだけ罪を重ねるに等しい行為だ、と、ブランクはとうとう観念した。真綿で締まる首を思えば息苦しさが目立ち、謝れば、ひとまず喉の通りの良さを覚える。そうしてブランクが先駆けて謝ると、ウィルは「あ、汚ないぞ!」とブランクの抜け駆けを非難した。
「ほう。何が汚いんだ、ルー坊」
しかしそこに助け舟を入れるのはダザンである。ぬうっと大きな顔が近寄ると、ウィルはその勢いに圧倒されて「うっ」と言葉と身を詰まらせた。
「まったく。ここには来るなと言ってあったんだがな」
熊のような男にジロリと視線で撫でられたウィルとブランクは、怖じけて小さく固まった。やがて二人のまごつく口から、しぼんだ風船のように小さく謝罪の言葉が漏れ出してくると、ダザンは「まあ、いい」と呆れたように切り捨てた。
「今回は頼み事があってだな。いつもはジャンと見て回るんだが──ジャンのやつが急用ができたと言うもんだからな。今回は仕方なくお前たち二人に任せることにした。ワシも足が痛んでな」
どれだけ威圧的であっても、寄る年波には勝てない。ダザンの言い分はもっともであるが、問題はジャンである。
「そういえば、にーちゃんいないねー」
「なんか、気になることがあるとか言ってたような──」
思い起こされるのは今朝の出来事だ。ブランクが目覚めると、鋭い目つきで窓の外を見ているジャンがいた。昨夜の出来事にひりつくお尻を押さえていたブランクも、ジャンが酒も飲まずに早起きしていた事実などあまりに衝撃的過ぎて、痛みも忘れて「どうしたの?」と思わず尋ねたほどだ。
するとジャンも「いや、なんでもねー!」と、有無も言わさぬ屈託のない笑顔で言うものだから、ブランクもそれ以上の追求はできなかったのだ。
(なんだろ。何事もなければいいけど……)
胸の内にざわめく不安は見て見ぬふりするにはあまりに黒く燻り過ぎていて。ブランクの表情は、たちまち曇った。
「おいブランク、元気ないなっ、どうかしたか!」
そんな時、ウィルの底抜けの明るさはお日様のようだ。その裏表のない心配が、心のもやを吹き飛ばしてくれるようで、ブランクには、それがとてもありがたかった。
「ううん、なんでもないよ」
ニコッとはにかめば、ウィルもニカッと笑い飛ばした。胸中に渦巻く不安は、たったそれだけで薄らいだ。
「お前たちに頼みたい事というのは、遺跡の最新部の確認だ」
「えっ。これってあれ以上、中に入れるのか!?」
間髪入れずに浮き足立つのはウィルだった。しかし同様の疑問は、ブランクも持っていた。この遺跡には、過去に何人もの盗っ人が入ったと聞く。
しかしこの遺跡も見栄えこそ立派であるが、中に入ればすぐに突き当たりで、祠にあるのは御供物のあった形跡だけである。柱に取り付けられていたはずの金属すら、根こそぎ削り出されているような始末だ。そんな荒らしに荒らされ尽くした場所に、まさかその奥があるなどとは夢にも思っていなかったブランクにしてみれば、これは胸の躍る話だった。
「マジかー、テンション上がるなあ、これは!」
そしてそれは、ウィルも同様らしい。ブランクは、自分以上にワクワクしているウィルに「もう、遊びじゃないんだからね」と、自分にも言い聞かせるように窘めた。
言いたいセリフをブランクが先んじて言ったからか、少し言葉に間を置いてから、ダザンは鞄からあるものを取り出した。
「これを持っていけ」
「何これ」
ろくに話も聞かずに駆け回るウィルを無視して。ブランクはダザンから古びたカンテラを受け取った。よく使い古されたそれはところどころ油粕まみれで、全体的に黒く煤けていた。そのわりにはよく手入れされていて、黒サビは目立てど、赤サビはない。さすがは鍛冶屋と言うだけあって、金属の扱いはお手のもののようだった。
「見ての通りカンテラだ。灯りもなしに行くつもりか?」
相も変わらずな皮肉であるが、ブランクはもはや慣れっこだった。ダザンが喋りたがりになっている時にこそ、この皮肉は出るのだ。それを最近になってようやく気づいたブランクが、そこに続く言葉を待っていると、ダザンは「ふん」と小さく鼻を鳴らした。
「中央にある台座の上で、明かりを消せ。それが奥へ向かう仕掛けだ」
「分かった」
皮袋に詰まった燃料を同時に受け取ったブランクは、その言葉と油とをポーチにしまった。
「ああ、あと──」
ウィルの元へと向かおうとしたブランクに、ダザンは釘を刺すように言った。
「くれぐれも、台座の玉には触れるなよ」
「ぎょく?」
ブランクが問いただすと、ダザンはしばらく押し黙る。そして言葉を溜めて、それを解く。
「なんでもない。二つの台座、絶対にそれには触れるな。ウィルにも言っておけ」
「……うん、わかった」
気難しい顔を見て、ブランクはあまり深く踏み込めなかった。そうしてウィルに声をかけ、赤枯れ色の髪の少年は、銀髪の少年と遺跡へと向かった。
二人の背が見えなくなるまで見届けていたダザンは、やがて瞳を伏せた。
「マルタよ。どうかあの二人を、見守ってやっておくれ……」
どこか諦観の色濃いその声音は、ひどくしわがれていた。