第十二話『意志を継ぐ者』
「と、ここまで上手く行ってたけどなー」
ジャンは突然立ち止まり、後ろ頭を粗野に掻いた。
「どうしたの?」
「まあ、なんだ。オレ様たちのファンらしい。出待ちってやつだ」
ジャンが指差す先にいるのは、ゴゲラである。ブランクたちで倒したものと比べればひと回り小ぶりではあるが、それが二頭もいれば、その脅威は推し量れるものではない。
「心配そうな顔すんなって。ちょっと下がってな」
そう言ってニカっと笑ったジャンは、腰のホルスターから二本の旋棍を抜き放った。それを皮切りに、二頭のゴゲラは左右から挟み撃つように、ゆるりと駆け出してゆく。
「手加減はしねー。ゴアド、ハオディ」
当然のように唱えるのは二つの無詠唱魔術。そうして少女が不安に瞳を揺らし、ジャンが肩慣らしに旋棍を回した次の瞬間──、
「おせー」
「……うそ!」
少女は、驚愕した。ジャンは一呼吸の間に一頭を殴り飛ばし、もう一頭を地に叩き伏せた。それはどちらも一撃必殺で、ゴゲラがそれ以上動くことはなかった。
「あなた、鬼人族なの?」
羨望の眼差しに恋心の加速する音を聞きながら、ジャンは首を横に振る。
「今のはルヴェルディア式の魔術だな。ゴアドはパワーを、ハオディは速度を高める。便利な魔術だから、オレもよく使ってる」
最近は赤髪の少年に任せっきりだが、とも脳内で補足しつつも、わざわざそれを口に出すことはない。何故ならカッコ悪いからだ。そんな見栄も功を奏して、少女の羨望の眼差しは煌めきが増していく。
「ふーん。あなた、強いのね」
少女の言葉に、ジャンが関心なさげに「まーな」と返すと、少女は食い下がるように言う。
「ねえ。良かったらあなた、わたしの執事にならない?」
少女が精一杯艶っぽく誘ったものの、ジャンは「やなこった」と一言で突っぱねた。
「オレ様は誰の下にもつかねー。そう決めてんだ」
あっけからんとした態度に、少女は不服を宿した目で、年相応に頬を膨らませた。
「あらそう! 後悔しないといいけど!」
そうやってつっけんどんな態度で暗がった峠を跨ごうとした時だった。少女の首根っこは、ジャンによってぐいと掴まれた。
「なっ──」
突然の出来事に、なす術もなく引っ張られ、少女は尻餅ついて、転がった。
「あなた──やっぱりケダモノだわ!」
正体を現したわね、と我が身を抱く少女に、ジャンは「命拾いしたな」と指を差す。
「え……?」
少女の首には、気のつかないほど薄皮一枚を、すっぱり切った赤い線が走っていた。そこからたらりと血の雫が顔を覗かせると、少女は呼吸を乱し、どっと汗を噴き出した。
「真打ち登場ってか。姿を表しな」
ジャンが大岩にそう声をかけると、闇夜にまぎれて「あーあ」と甘ったるくかわいい声が響いた。
「嫌んなっちゃうなー。残業確定じゃん」
現れたのは褐色の肌した少女。ジャンの傍にいる白磁の肌した美少女に負けずとも劣らずではあるが、こちらの黒髪の少女はどちらかといえば美人よりは愛らしい。にっぱり笑顔にぱっちりお目目と童顔が目立ち、どこか垢抜けない感じではあるものの、その目の青月二つが宿す眼光は、よく研がれた刃物よりもなお鋭い。ともすれば視線で紙をも断つようである。
およそ少女の放つものにあるまじき殺気を浴びながら、ジャンは涼しげな顔して尋ねた。
「一応断っとくけど、人違いじゃねーよな?」
ジャンの問いかけに答えたのは、意外にも後ろの少女だった。
「彼女はわたしを狙ってる暗殺者──クロエよ」
震える声に会話のリズムを崩されたジャンは、一拍置いて尋ねる。
「ふーん……で、これってオレの業務に含まれると思うか?」
意地悪く無情な提案を持ちかけるも、それを否定するのは褐色の少女であるクロエだった。
「にゃにゃー。ボクってめんどくさがりだからさー。二人まとめておいでよ。胸の大っきい子と、胸の小さい男。仲良くサクッと殺ってあげるから」
男の胸が小さいのは当たり前では、という考えもそぞろに、ジャンはホルスターから旋棍を振り抜いた。瞬間──闇夜に火花が散った。月明かりが雲に攫われて、深淵へと近づいた山稜に、朱色の光が不規則に飛び回る。
「な、なに……!?」
少女が金髪抱えてしゃがみ込むと、その戦場には縦横無尽の明かりが灯る。けたたましく鳴る金属音が無ければ、まるで花火でもしているかのようだ。
「へえ、やるじゃん! 胸がないから死にたがりかと思ってた!」
「男に胸があったら気色ワリィだろうが!」
ジャンの主張に、クロエは「にゃにゃっ、偏見だね!」と言葉を返す。
「ボクは胸の大きい人が好きだけどなあ──」
そうして青い眼光は鋭く暗闇を滑った。そして、その先にいるのは──怯えてうずくまる、亜麻色の髪をした少女だった。
「切りごたえがあってさあっ!」
チリチリと鉄の這う音が少女へと差し迫る。それは獲物を定めた蛇のように素早く一直線だった。
「クソったれ!」
次の瞬間──鈍い音がした。
「おにーさんさー……もしかして、見えてる?」
一寸先も見通せぬ暗闇の中で。黒髪の少女の問いかけに、月夜が照らし出した金髪の青年は──果たして答えた。
「猫科は夜目が利くんだ、覚えとけ」
震える少女を背に、ジャンは目の前の鎖鎌を弾き飛ばすと、少女の手元に帰る前に眼前で叩き割った。その鬼気迫る姿は、ひと回り膨れあがり、金色の体毛で覆われていた。
それはまさに虎のようで。ジャンは、野生的な瞳をギラつかせながら、間合いを計る。
「うーん、跋虎種かあ。やっぱり残業かなあ」
「クリーンな職場を紹介するぜ。炭坑夫なんてどうだ?」
思い浮かべるのは熊のような仏頂面だ。今頃どこかでくしゃみをしているであろう年寄りを思うも、クロエは二つ返事に「いらないにゃ」とばっさり切り捨てる。
「ボクは人を殺すためだけに育てられてきたからね。それ以外の生き方なんて、常識外れもいいとこにゃ」
「どうでもいいけどお前──テンションで喋り方変わってんな?」
ジャンが何の気なくそう尋ねると、クロエは面を食らったように目を瞬かせ、小指で耳を掻き、それからぷるぷると頭を振った。
「言葉なんて伝わればいいにゃ。機嫌を損ねなければ、それで」
「……?」
尻すぼみに小さくなる黒髪の少女の言葉に、ジャンは首を傾げた。無情な殺人マシーンのように思えた彼女の機微に、わずかな恐怖が宿ったからだ。
「そして──戦いに言葉はいらないにゃ!」
「そいつは同感だ。舌噛むし、な!」
生き物のように迫り来る鎖鎌を打ち砕きながら、ジャンは、その元にある褐色の少女の姿に、顔を引きつらせた。
「おいおい……やけに多いなと思ったら──魔操術かよ!」
ジャンの視線の先。少女の指先から、十本の鎖鎌が、まるで生きているかのように蠢いていた。それらは主人であるクロエの許可を雁首揃えて、今か今かと待ち構えている。
魔操術とは──魔力を使って物体を操る力である。この少女はそれを応用して、鎖を操りながら、土の中にある砂鉄を固めて鎌を作り直すレベルにあった。
「暗殺者なら、さすがにこれくらいはできて当然にゃ」
「へーへー、優等生なこって。西のやつらはやっぱりかわいげがねーよ、な!」
ジャンはそうやって刃を交えながら、途端にしおらしくなった少女を見遣る。
(なんだ? やけに怯えてるみてーだが──)
ジャンの疑問は、視界の端に忍び寄る銀に阻まれた。
「ちっ、油断も隙もねーな」
「油断したやつから死ぬのが戦場の鉄則にゃ」
「違いねえよ!」
正論と共に振るわれる凶刃は、死角から的確に攻め立てるものの、ジャン相手にはどれも決定打に欠ける。それにも関わらず、不敵に笑う黒髪の少女の真意を図りかねて、ジャンは警戒心を最大限に高めた。
(なんだ、この違和感──)
クロエは鎌を折られれば先の鎖を地面に突っ込んで、そこに新たな凶刃をすげ替えていく。そればかりはジャンも対応できるために、これはまさにイタチごっこと言えた。
(キリがねーな。他に攻撃のパターンもねーみてーだし、このまま勝負つけに行くか)
少し距離があるとはいえ、黒髪の少女の元へはハオディさえあればひとっ跳びだ。そして、その間に迫り来る鎌を打ち落とすことも、ジャンならば容易い。
「ハオディ」
小さくつぶやくと同時に、ジャンは姿を消した。いや──厳密には姿が消えたと思うほど素早く縦横無尽に移動し、迫り来ていた全ての鎌を打ち砕いて、ジャンは目標地点へと到達していた。
「降参しな。命まで取りゃしねーよ!」
心底驚いた表情。まさか自分が組み伏せられるなどとは、露ほども疑っていなかった様子で、頭の上にあるちょこんとした猫耳がぴょこぴょこと反応する。そうして細長かった目を丸くしたクロエは、動揺に揺れる青月を一度目蓋の奥へとしまうと──やはり不敵に笑った。
「不死鳥の鎌爪」
一手遅れた、とジャンは思った。ことごとく打ち砕いてきた地に伏した鎌の破片の数々は、見えざる手によって操られ、まさに不死鳥のごとく蘇ってきた。そしてそれらはある一点を目指して加速する。──亜麻色の髪の少女へ向かって。
(破壊の左腕を使うか? ダメだ、加減ができねー。クソッタレが!)
ジャンに残された道は、一つしかなかった。一か八かの猛特攻。ハオディの速度がそれを可能にしたが──代償は、計り知れない。
「あ、あなた……」
「よーう、お嬢……随分しおらしいじゃねーの。どした? あの日かー?」
全てを打ち落とすことは叶わず、ジャンは生身の盾とした右腕に突き刺さった鎌の刃先を、筋肉による圧力で砕いた。
「おー、いてー。こりゃ補助しか無理だな」
軽口ばかり叩く青年の姿に、少女はいよいよその心の内にあった氷を解かし、その雫を瞳から溢れさせた。それは月明かりになぞられ、銀の線を頬に引かせると、ポタポタと乾いた地面を叩いた。
「なん、でわたしを……庇うの。みんな、そう。お父様だって──わたしを庇わなかったら、クロエなんかにやられなかったわよッ!」
悲痛な叫びだった。山頂の寒さよりもなお痛々しい声色が、ジャンの疑問に答えた。
(因縁の相手ってやつか。さしずめ鎖の音はトラウマってワケね)
ジャンは腕に巻いてあったスカーフを、止血に使わず、なぜか額に巻いた。引き締めると同時に傷口からは血が噴き出し、ジャンは苦痛に顔を歪める。
「ふう……よし。待たせたか?」
ジャンがそう問いかけると、クロエは「全然」と即座に答える。
「キミと殺りあうのは、楽しいからね」
凪いだ海のように澄んだ瞳でそう言うクロエに、ジャンは「勘弁してくれ」と、形だけの弱音を吐いて、息を深く吸い込んでから、高らかに続けた。
「いいかーッ、よく聞けー、お嬢ちゃん!」
負傷した右側の手でいなし、本領を発揮した左側の手で鎖鎌を砕き、戦うことと喋ることとを同時に器用にこなし、ジャンは思いを届ける。
「オレ様はお前に何があったかは知らねーし、興味もねー!」
傍目に聞けばなんと無情で人でなしなのだろう。しかしジャンは「けどなー!」と寒空の下で熱く語り続ける。
「オレ様がお前を助けた理由は、お前が女だからだ! いいか! 戦場で女を死なせる男はクソだ、だから助けた、それだけだ!」
なんとも下賤で、しかしなんともジャンらしい言葉であった。少女も突拍子もないことを告げられて、その顔には困惑の色が濃い。だがジャンはお構いなしだ。
「だけどなあ、オレ様はそれに命を懸けられる! 何故なら、それがカッコいいと思ってるからだ!」
ジャンの演説に、クロエは片手間の相手をされて「あのさあ」と怒りを露わにする。
「ボクにもっと集中してよ!」
割れば割るほど逆境へと向かっていく現状に、ジャンが気づかないはずもない。ジャンは、自らを危険に陥らせてでも、少女に伝えたい言葉があった。
「オメーの親父に何があったかは知らねー! でもな、これだけは言える!」
一つ息を溜め、告げる。
「お前の親父は、絶対に後悔してねえ!」
今日会ったばかりの青年の言葉が──少女の心に、爪を立てた。少女は「ぁ……」と蚊の鳴くような、嗚咽をこぼした。
「男は、カッコいいに命を懸けられる! オメーの親父さんは、サイコーにカッコいい男だと、このオレ様が約束してやる! 娘を守れる男に、ダサいやつはいねえ!」
「そんな、こと……だって、わたしは、お父様に……」
それでもまだ面を上げられずにいる少女に、ジャンは言った。
「いいか、人は前を向く生き物だ! いつまでも後ろ向いてばっかいりゃあ、オメーの親父さんは浮かばれねー! そんなダサいことはねーぞ、お嬢ちゃん!」
少女はジャンの言葉に、亜麻色の髪を下げてうなだれた。その窺い知れない表情に、黒髪の少女クロエは苛立ち混じりに「ねー」と猫撫で声をかける。
「あんまり舐めてるとさー、殺しちゃうよ?」
背筋に訴えかけるような低く鋭い声が、鎌の刃片と共に駆け抜けた。
「不死鳥の鎌爪」
オレを狙えよと思いながら、ジャンは少女の元へと急ぐ。そうして少女の元へと到達すると、ジャンは旋棍を使い、反応の速さもあって、なんとか迫り来る凶刃の全てをしのいだ。
(これで最後──)
最後の一枚を砕き。ジャンは、しくじった、と思った。
(コイツ……鎌の破片に、鎖鎌混ぜてきやがったッ!)
腕があと一本あれば──ジャンが、そう思った時だった。
「へぁ?」
突然、クロエがそんな間抜けで愛くるしい声を上げた。鎖はピンと張り詰めて、ギチギチと引きちぎれそうな悲鳴を上げている。
「〝お嬢ちゃん〟じゃない……」
それを握りしめるのはジャンではない。額にぷっくりあった片角は大きく肥大化し、目は翡翠でなく、ぬばたま色に染まっていた。
「わたしの名前はエレノア・ラーゼンヴァルグ──」
にゃんて、馬鹿力にゃ、と慌てる黒髪の少女を睨みつけ、少女は続けた。
「お父様の──意志を継ぐ者よ」
白銀にしかと足を着けて、斯くして、鬼の形相をする少女は、悠然たりと名乗りを上げた。




