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第九話『絆を追って』

「うっ……」


 ブランクはうめき声を上げながら、なんとか上体を起こした。


(何が、起きたんだ……確か、ウィルが火属性魔術を使って──)


 記憶を辿ると、その情景は悲惨なものだった。


 放たれた火球が女王個体に触れて数秒遅れると、凄まじい炸裂音が響いた。それは、瞬間世界が凍りつくようで、しかしそれを取り戻すように加速度的に勢いを増して、周囲にあるありとあらゆるものを吹き飛ばしていった。


 そんな直視を許さぬ大爆発に巻き込まれたブランクは、ウィルを庇って二転、三転と地面を転がりながら、意識を刈り取られたのだ。


「うっ……くそっ」


 耳の中に渦巻く低い反響音が、目眩を(いざな)う。ズキっと痛む頭に、ブランクはたまらず首を振る。そうして血の巡りを認めると、途端に思考が本来の明瞭さを取り戻す。


(あっ……ウィルのペンダント)


 霞んだ視界の目端に、瑠璃色の光が飛び込んだ。それを擁する銀は、煤けて少し黒ずんでいる。ブランクは、手にした剣を鞘にしまって、それを拾い上げた。


「そうだ──ウィルは!?」


 それを見て、ブランクはハッと思い出した。二転、三転する間に、ブランクその手元から、ウィルの離れたことを。二度、三度視界を振り回し、銀髪の少年を探す。


 改めてひどい有り様だ、とブランクは思った。


 空洞内にあった石柱はどれも折れてなくなり、この空洞そのものが崩落していないということそのものが奇跡だとブランクは思った。爆心地である女王個体のいた場所には、弾けた肉片が少し、残っていた。


(女王個体もさすがに吹き飛んだのか。今はそれよりも、ウィルを探さなきゃ……)


 そうして周囲を見回すと、案外すんなりとウィルは見つかった。ブランクが見ていた方向と逆側にいたその少年は、少しの火傷が見られるものの、あまり目立った外傷はなかった。


(良かった、無事みたいだ。それにしても──)


 あれほど火はだめだと言ったのに、なぜ使ってしまったのか。調子を良くしたのだろうとは思うが、ブランクは、一言文句を言ってやろうと思いながら、気絶しているウィルの頬を叩く。


「ウィル。ウィル、起きて」


 ブランクが数回呼びかけると、ウィルは「んぁ?」と間抜けな声を上げて、身を起こした。


「いてて……何が起きたんだ?」


「何が起きたんだ、じゃないよ! あれだけ火はダメだって言ったのに!」


 そうやってブランクがすごい剣幕で怒鳴ると、ウィルはむっと口を尖らせた。


「はいこれ、もう無くさないでね」


「……ん」


 銀のペンダントを受け取ると、意味ありげに瑠璃色を覗き込むウィル。沈黙が気まずくて、ブランクは無理やり場持たせ的に、言葉を繋いだ。


「まったく。ウィルは危なっかし過ぎるよ。いくら攻撃魔術が使えても、やっぱりちゃんとした知識がないとさ。僕の本を貸してあげるから、少しは勉強したら?」


 この時のブランクは、無類の強さを誇るウィルに対して、自分が勝っている部分があったように思えて、自惚れていたのだ。だから気が付かなかった。


「ブランクこそ、いつもいつもうるさいんだよ! そんなに言うなら、ブランクが攻撃方向変えれば良かっただろ!」


「なっ──!」


 まさか言い返されるとは思っていなかったブランクは、興奮して頭にかあっと血が(のぼ)った。


「ウィルの方こそ、なめくじが怖いって震えて目を背けちゃって、バカみたいじゃないか! 自分の命と、どっちが大事なのさ!」


 こんなことを言うつもりじゃない。一言ごめんと謝れば済む話だと思っているのに、売り言葉に買い言葉で。言葉が脳を介さず出てくるような感覚に、ブランクは、喋れば喋るほどひどく胸を痛めていく。そして──それはまったく突然だった。


「うるさいうるさい! だからオイラはいらないって言ったんだ! ちょっと自分がメルに気に入られてるからっていい気になっちゃってさ!」


 激情に駆られるまま──ウィルは、ペンダントを振り上げた。


「こんなものッ!」


「あっ──」


 コーン、と低い音が悲しげに鳴った。投げつけられたペンダントは一度だけ床を跳ねると、そのまま先にある穴へ落ちていった。そして──無意識にそれを追っていたブランクもまた、気がつけば奈落の入り口へと身を落としていた。


「あっ……」


 一瞬、ウィルの顔が垣間見えた。その顔は──ひどく悲しそうだった。


「ブランクぅッ!」


 ウィルの声が聞こえた気がした。なんでそこでメルが、なんて思ったりもして。でもそれよりも、なによりも、ウィルに苦しそうな顔をさせてしまった自分が、心底恥ずかしかった。ブランクは今更遅い、後悔の念を抱いていた。


(ウィル……ごめん。ごめんよ)


 そんな悲しい顔をして欲しかったわけじゃない。自分が大切だと思っていても、ウィルにとってはそうではなかったのかもしれない。それならそれでいいはずなのに。自分は勝手に必要だと決めつけて。ウィルの事情なんて聞こうともしないで。恩着せがましくただ余計なお世話を焼いて。


 あまつさえ、自分が尊敬している彼自身を、その少しの人間らしい欠点を見つけただけで勝った気になって、角水(すみず)を突くような行為を軽はずみに行ってしまった自分自身が心底嫌なやつだと思えて。ブランクは、消えて無くなりたいと思った。


(あ──しまった)


 そうして思考を掠め取られれば、目の前の現状に対する判断がおろそかになる。ブランクは、地面の近いことに気がついたものの、口を開く間もなく岩肌に叩きつけられた。


(プロテマが──切れる)


 それなのに、虫の巣穴のようにできた穴を斜めに転がり続けると、ブランクの口は、何を語ることもできずに、圧迫された肺の空気を吐くだけに留まってしまう。それでも離せない友の記憶を強く握りしめていると、ウィルに対する態度を咎めるように、床面がブランクを責め立てた。


(腕、また折れたや……)


 これは罰だと思った。大切な親友を傷つけて、悲しませた罰だと。


「うっ……くっ」


 体が転がることをやめた頃。軋む体に鞭を打ち、ブランクは身を起こす。辺りは意外にも明るく、その光源を見つけて──ブランクは、息の止まりそうな思いに打ちのめされた。


「は、はは……そりゃ、そうだよね」


 ブランクの前には、重傷を負った女王個体がいた。最後に子孫を残すためにと汗のように発光バクテリアを滲ませるそのなめくじは、人間に例えるならば腹部辺りに致命的な大穴が空いていて、先の短いことはひと目に明らかだった。


 しかし、それでも同じく重傷を負ったブランクを威嚇すれば、それは窮鼠が猫を噛むよりも容易く、ブランクを脅すに足る行為であった。


(爆発に吹き飛ばされて、この穴に逃げ込んだのか。発光バクテリアは全部燃えたみたいだ。今出してるぶんには視界が開けてちょうどいい。けど──)


 問題は、腕が折れていることだ。怪我をしたのが利き手でないのに、鞘を握る手はいつもより緩み、五体満足であることのありがたさを、ブランクはここにきて思い知る。痛みに手を震えさせながら、その手に握りしめていた瑠璃色の友情を懐にしまったブランクは、鞘に手を添え、佩剣していた剣の柄を引く。


(剣が、いつもより重たい。それに──なんて、抜き取りづらいんだ!)


 体の可動域に幅が持たせられず、鞘が余計につっかえる。それでもぶきっちょに剣を抜き取ると、女王個体は、満身創痍な体から、舌の鞭を放った。


(動きはさっきより遅い──でも!)


 それはブランクも同じことであった。そして、女王個体は先ほどと変わらず自分の手勢を増やし、ニセモノのガルフの軍団が、その間に立ちはだかる。お互いにただ生きたいだけなのに、無為にその命を潰し合う。その現実の歯痒さに、ブランクは神を呪った。


「いいさ。これがあなたの望んだ世界なら──僕は必ず生き抜いてやる」


 そして、ウィルに謝るんだ。それまで自分は死ぬことなど許されない。


 ブランクはそうして距離を取りながら、プロテマを使うタイミングを図っていた。


(接近するならプロテマは絶対に欲しい)


 しかし詠唱を見計らう時が経てば経つほどジリ貧になっていく現状に、ブランクは焦りを覚えていた。ブランクが舌を打ち払って、女王個体が発光バクテリアを撒き散らしたその時。握力の緩んだ瞬間に、剣が弾け飛んだ。


「しまっ──」


 先に隙を見せたのはブランクだった。足元にある出っ張りに靴底を取られ、体勢を大きく崩した。そうして本能的にもたれかかろうとした鍾乳石もへし折れて、ブランクはとうとう寄る辺がなくなり、地面へと体勢を崩す。そこへすかさず舌が飛び、ブランク目がけてその凶刃のごときヤスリの舌が、差し迫る。


(ウィル、ごめん……!)


 死を予兆して目を固くつむったブランク。次の瞬間、鈍い音が響き、変に乾いた音が床を叩いた。打ち砕かれた鍾乳石が、地面を転がる。その様子を隣で見ていたブランクは、奇妙な違和感を覚えた。


「なんで、僕じゃなくて、鍾乳石を……?」


 まさか手心を加えるなどとは考えつくはずもなく、手応えの無さに違和感を覚えているのは女王個体も同じである。もぞもぞと何かを考えるように蠢くと、ガルフたちも足を止める。


(なんだ、まるで僕が見えていないような──)


 ブランクはハッとした。鍾乳石には発光バクテリアが付着していて、自分がベルトに擦り付けた発光バクテリアは、横転した時にだいぶ薄れていた。そしてそれは少しの血がつけば、もはや付いていたと言われなければわからないほどだ。


(もしかしてアイツ──まともに目が見えていないんじゃないか?)


 これ見よがしに付いてる目に、こちらをしっかり視認していると思っていたブランクだが、その考えを改めた。元からそういう生態なのか、火炎で焼き払われたかは定かでない。ただ、もしもあの大なめくじが、発光バクテリアの動きで生物かを認識しているのならば。


 ゴゲラの時に感じた。敵の違和感は、隙であり、癖であると。


(今の僕には、スクロールの攻撃魔術だってあるんだ。──試してみる価値はある!)


 外さなければ勝機はある。


 ブランクは、手で覆い隠していたベルトを露わにした。すると、大なめくじや偶像ガルフたちは、一斉にブランクを顧みた。今初めてその存在を知ったかのように。


(やっぱり──思った通りだ!)


 さっとベルトを隠したブランクは、そのまま斜めに移動しつつ、当惑するガルフたちの間をすり抜けていく。


(ようし。ここまで来れば、あとはスクロールを開いて……)


 懐をまさぐり、スクロールを開く。その中央を女王個体へ向けて、まさに放たんとした時だった。


「わっ!」


 さすがにそれほど甘くはないらしく、近づけば人には視認できずとも、女王バクテリアには分かるらしい。腹部目がけてガルフに刃を振るわせた女王個体は、そこへ舌を向かわせてさらにブランクを追い詰める。


「くそっ──くらえ、魔槍(ダムドラ)!」


 放つと同時に、ブランクはしまったと思った。避けるのに必死で、スクロールはたわんで天井に向いていた。そうしてスクロールから解き放たれた紫紺粒子の大槍は、大砲のように力強く、岩壁を貫いて紺碧の空まで一気に突き抜けていった。


「くそぉっ!」


 咄嗟に抜いた腰の短剣が、ブランクの命を結ぶ。しかし、女王個体は忘れじと置き土産に発光バクテリアをしっかりばら撒いて、それを赤枯れ色の髪した少年に振りかけた。


(しまった、先にプロテマをかけとくべきだった。魔力残量を考えれば、使える魔術はあと一回くらいだ。今からでも──)


 間に合うか。そう思いかけて、ブランクの思考を、ある考えが掠め取った。


 この発光バクテリアは──〝(よご)れ〟であるのか。


 その是非を心の内に問えど、答える者などいやしない。しかしブランクの中にある直感が、本能が、それを解として認めているような気がした。


(ばかな。採掘でたくさんプロテマを使った。僕が使える魔術は、せいぜいあと一回くらいなんだぞ。それをみすみす手放すようなマネ、できるわけが……!)


 発光バクテリアで目標視認をしているのだって、まだ憶測の域を出ない。


 そうだ。プロテマを使おう。ブランクは──決意を矯めて、詠唱を始めた。


「払いたまえ清めたまえ──クリニア!」


 果たして清掃魔術を戦闘中に唱えたものなど、今までどれほどいただろうか。少なくとも、ブランクは気が狂れてこうしたわけではない。


「思った通りだ、発光バクテリアは〝汚れ〟として認識されてる!」


 浮いて丸まった発光バクテリアは、地面に落ちるまでもなくガルフの剣先や、なめくじの舌先に切り揉まれた。


「よし、あとはこのまま逃げ切れば──」


 そんな考えが過って、それから、その考えは改められた。


 女王個体は疲弊していた。土手っ腹に手負った致命傷はもう生物として機能しようがない。ましてやそれが単細胞生物であるなめくじの肉体ならなおさらで、体の大きさとは無関係に、今動けているのは、ひとえに寄生している女王個体が鞭を打っているからだけである。


 この誇り高き女王は、きっと最後の一秒まで足掻き続けるのだろう。その苦しみを、死の間際まで背負って。


(これじゃ──あんまりだ)


 ブランクは、決意を固めた。死が救いとなることもあるのだと信じて。


 人の手で付けた傷には、何かしら意味がなければならない。たとえそれが、自分が生きるためだけでもだ。そして、一度死に至る傷をつけたのならば、人はその責任を背負うべきである。それこそが、全力で生を謳歌している生命に対する敬意だ。


 このままただ黙って死にゆくのを見届けるのでは、なんだか卑怯者になってしまいそうな気がして。ブランクは、鞘にしまいそうになっていた短剣を再び強く握りしめると、少しの気後れもなく、模倣されたガルフたちの間を通り抜けていった。


(やっぱり、襲われない)


 不安がなかったと言えば嘘になる。あそこでクリニアを使った以上、プロテマという保険はなかったのだから。しかしそうなった以上、もう後戻りはできなかった。


(また一つ、僕は命を背負うんだ)


 より強固な思いを抱いて、ブランクは一歩、また一歩とうなだれる女王個体へと歩み寄る。


(ごめんね。苦しかったよね──)


 一際強く光るなめくじの額。うなだれて差し出されたそこにある、ぽこっと大きく腫れたその膨らみに女王個体がいるのだと、ブランクは直感で理解した。


「終わりにしよう!」

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