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序章『冒険へ』

 少年ブランク・ヴァインスターは孤児だった。


 人間の尊厳と、亜人の尊厳。譲れない誇りを胸に、身を削りあった戦争の被害に合う人は、彼の生きる時代に珍しくはなかった。だが彼がそれに当てはまるかは疑問とするところでもある。彼には記憶が無かったからだ。それ故に彼が真に戦争孤児なのかどうかというところは、誰にも分からない。彼は、物心ついた頃からここにいるのだから。


 しかしそんなことは、同居する人物たちにとっては瑣末さまつなことなのである。その証として、彼と共に暮らしているジャン・ヴォレッガと、ブランクと同じ字名あざなを持つウィル・ヴァインスターたちは、内輪のルールに従って、気ままに生きている。


 この二人もまた、身寄りのない者たちだ。ウィルはブランク同様に孤児だった。ジャンは素性こそ明らかにはしないものの、一回りも歳の離れた年長の為か、二人の世話役を買って出ている。


 だがそれも上辺だけの話だ。蓋を開けて見ればジャンは有事を除けばふもとの村で買い漁ったお酒で飲んだくれているし、私生活における必要最低限の生き抜く術を教えられた二人は、いつも陰でジャンの愚痴をこぼしている。


 しかしなんとかその日を食いつないでいるような有り様なのにも関わらず、彼らが笑顔を絶やす日などなかった。必死にその日を生きるだけでも、彼らは満たされていたのだ。


 彼らの暮らす山々には、幸いにして動物や自然の実りがたくさんあった。もし欠点を取り上げるとするならば、残念なことに、蜜には蜂も集うことだ。山は魔物の巣窟でもあった。


 魔物とは人に危害を加える動植物の総称である。色んな種族・色んな種類を総称して魔物と呼ばれている。強弱様々な種族がある中で、彼らが無事に生き延びてきたのは、ひとえにジャンのお蔭とも言える。そしてまた、彼らにとってはこれも山の恵みなのだ。


 動物・植物・魔物。これら三つが彼らの生命線を保っていた。これは、そんな生活を送る彼らの、ある日の出来事である。 




「──おぉーい、ブランクぅ」


 古造りなログハウスに、気だるげな声がよく響く。


「ん。ジャン、どうしたの」


 声をかけられた少年──ブランクは、その金髪の青年に対して、目も合わせずに生返事でそう答えた。本の世界に没頭すれば、外の世界など片手間である。


「おい、ブランクぅ……」


 それを良しとしなかったのは金髪の青年である。ジャンと呼ばれた彼は、わなわなと怒りに震えた手をかっ開き、ブランクが愛読していた本を猛禽類(もうきんるい)もかくやという勢いでガバっと()(さら)った。


「あっ、何すんのさ!」


 バサバサと悲痛な悲鳴をあげる本に、愛読家の少年は血相変えて息巻いた。しかし、


「人と話すときは目を見て話せっ、この、本の虫!」

「うぐっ」


 ぐうの音も出ない正論に、ブランクは赤枯れ色の髪を揺らして固まった。その胸に渦巻いていた憤りは声帯を通る前に喉の奥で詰まってしまい、腹の底で虎視眈々としていたはずの怒りの炎など、ものの見事に鎮火された。


「……で、なんのよう? まさか小言を言いにきたわけじゃないよね?」


 それでも煮えくりかえった腸に収まる怒りの熱はすぐには引かない。むすっと尖った口が、ジャンの涼しげな顔に鋭い言葉を投げかけて、チクチク(いぶ)していく。さすがのジャンもこれには堪えるらしく「あのなあ」と呆れ半分、慣れ半分で返していく。


「悪いのは突然話しかけたオレか? それとも、まともに人と話さなかったお前か?」


「それは──」


 言い返そうとして、ブランクは言葉を詰まらせた。脳裏に浮かんでくる言葉はどれも稚拙(ちせつ)な言い訳ばかりで、全てが決定打に欠けるものばかりだった。何かを喋ろうとしたところで、頭の中でろくすっぽ整理もしないまま場繋ぎ的に言い返そうとしたって、どうにも歯切れが悪い。


「ぼく、だけど……」


 用意した言葉にこれだ、という反論がないため、並んだ言葉で渋滞した口の中が、がちゃがちゃとまごつく。ブランクは返す言葉を完全に見失った。非を認めたブランクに、ジャンはここぞとばかりに畳みかけた。


「いいか? よく聞けブランク。人の目を見て話さないってのは、そいつのことをナメてるってことだ。少なくとも、そいつより自分のことを優先してることになるよな。それは敬う心を持っていないってことになる。オレが何を言いたくて、何を伝えたいか、分かるか?」


 オレは何か間違ってるか? そう尋ねられると、ブランクもいよいよバツが悪くなり、口を閉ざすばかりだ。正論に次ぐ正論。これほど負けを認めたくないものもなく、幼いながらに少し勝ち気なブランクにしてみれば、それはなおさらだ。しかしジャンの言っていることも、もっともである。いくら親しい間柄とは言え、話をしに来た人にしていい態度とは言い難い。それだけのことをした自覚はブランクにもある。だから口とへそが曲がるのだ。ややもすればこのまま時間だけが過ぎていきそうで、それを察したジャンが後ろ頭を掻きながら、ブランクに目線を合わせて告げる。


「なら、こういう時どうするか。オレが前に教えたよな」


「……ごめんなさい」


 ブランクは素直に謝った。


「おう、そうだよな」


 ジャンが納得してめでたし、とはならないのが世知辛いところである。後に残るのは沈黙という気まずさだけで、ブランクは隙を見て「返してよ」とぶっきらぼうに言い放ちながら、ジャンの手元にあった本を乱暴にひったくった。


「おま──」


 それを追撃しようとしたジャンであったが、これ以上、機嫌を損ねた子どもを追い詰めるような大人気ない真似はしたくなかったらしい。気まずそうに後ろ首を掻くと、気だるげに言い放った。


「オレだってジジイの言いつけがなけりゃ、ここまで口うるさく言わねーよ」


「今はあの人のことカンケーないし」


 へそ曲がりに顔を背けたままで、このままでは埒が明かない。そう踏んだのか、ジャンは咳払いを一つ挟んで場の空気を仕切り直さんとすると、ブランクの抱える本に視線で留めて、その目を光らせた。


「すまんすまん。ところで──それは何の本を読んでるんだ?」


 一転して、本の話題へとすり替える。それが功を奏したらしく、ブランクは琥珀色の瞳を光らせて、ぱあっと笑顔を弾けさせた。


「へへっ、これはねー、西の賢者の冒険譚だよ!」


 尋ねたは良いものの、ジャンはそこまで本に興味がない。「へー」と上辺の返事に、疑問を付け加える。


「って、待てよ。西? 東の賢者じゃなくてか?」


「西だって。有名な本だよ?」


 知らないの? と疑惑の視線を向けられれば、ジャンのボロも剥がれる寸前だ。


「そ、そうだったか……」


「もーう。何にも知らないんだから!」


 うーむ、と情けなく後ろ頭を掻くジャンに、ブランクは「もういいよ」とかわいくツンと、そっぽを向いた。しかしどうやらへそ曲がりはもう直ったらしい。


「面目ないな……」


「いいってば。それで? 僕にどんな用向きがあったの?」


 仕方なく、ブランクが下火になった会話に再び熱を入れた。今度は膝を正して、しっかりと目を合わせて、だ。ブランクに尋ねられたジャンは「おーう、そうだった、うっかりしていたぜ!」と手を鳴らして頷いた。


「オレさ、ウィルにお使いを頼んだよな。ジジイのとこに」


「あー、うん。そうだね、今朝のことでしょ?」


 ウィルというのはブランクたちの同居人の名である。歳の頃はブランクとそう変わらない。ここにはウィルとブランクとジャン、その三人で住んでいるのだ。ウィルとブランクは孤児であり、ジャンはその保護者──とでも言うべき存在だ。


 そしてウィルに関して言えば、まだ帰ってくるのが遅いというほど出立から時間が経っているわけでもない。ましてやブランクが本を読み出したのは、ウィルがこの家を発ってからで、ブランクがそれから読み進められたページも、片手で数えられるほどである。


(じゃあ一体──)


 ブランクが頭を悩ませてると、ジャンは──半笑いで核心を切り出した。


「オレ、アイツに金渡すの忘れたんだよな、ハハッ。オレの代わりに渡してきてくれ!」


「え?」


 ブランクにとって、耳を疑う発言が聞こえた。あまりに唐突だし、いい加減だ。年齢こそウィルと大差はないブランク。しかし腕に覚えがあるとは言えない。あえて言えば、同居人であるウィルは相当腕が立つ。ブランクはそうではない。ブランクも一応護身用にとジャンから剣術を習ってはいるが、それぐらいだ。


 彼らの住まうここヴァインスター山脈は、常人ならば近づくことすら避ける危険地帯なのだから。魔物たちが人気(ひとけ)の少ない場所を住処とするのは自然の摂理で、そこを一人で歩けるほどの実力者であるウィルの力は、ジャンの折り紙付きだ。留守番を任されていたブランクと違って、一人前として扱われている。


 ブランクも同じだけの鍛錬を積み重ねてきたのに、どこでこんなに差が、と考えてからは、ジャンの指導は受けるものの、自主鍛錬はせず、剣よりも本に没頭するようになっていった。そんな自分を魔物たちが跋扈(ばっこ)している山中に遣わせるというのだから、何を考えているんだ、とブランクはジャンの神経を疑った次第である。しかし、ジャンにはジャンの考えがあった。


「ブランク。オレは、何も考えなしに言ってるわけじゃないぜ。お前も、そろそろいい歳だ。いつまでも、オレがおんぶに抱っこまでしてやれるわけじゃない。お前だって──このままずっと半人前のままなんていやだろ。ここいらで一丁、一皮剥けとこうぜ」


「うぐっ……」


 ヨレヨレのおじさんになったジャンに背負われている自分。想像すれば、なんと情けないのだろうと、ブランクは思った。ジャンは「ほら、それによく言うだろう?」と続ける。


「現実は小説軒並み? ってな!」


「それを言うなら小説より奇なり、ね。軒並みってどっから来たのさ」


 ブランクの冷静なツッコミを、ジャンはまあいいやと切り捨てる。


「外に出ろ、ブランク。現実は、本なんかよりよっぽど面白(おもしれ)ぇぜ!」


「ジャン……」


 ここまで聞けば胸を打たれるものがブランクの中にもあった。しかし、それはシラフであればの話である。


「ひっく」「お酒くさい」


 続くのがしゃっくりであれば、その威厳も形なしだ。


 そうかあ? と続けてしゃっくり混じりに返すジャンに、ブランクは、顔をしかめて距離を取った。それから「しょうがないなあ」とぼやくように立ち上がる。


「僕もウィルが心配だし行ってくるよ」


 酒臭い家で本を読む気になれなかったのもあったが、それを口にしてはまた説教が飛んでくるのは目に見えていたので、ブランクはあえて何も言うまい、と思った。するとジャンも「そうかあ!」と気を良くしてブランクを送り出した。


 ブランクも腕に覚えがあるとは言い難いが、簡単な相手ならば、自分の身を守るくらいのことはできる。いい加減に見えて、ジャンは命に関わることでの無理強いは、絶対にしない。それを知っているため、ブランクはジャンの誘いにあえて乗ることにした。


「ありがとな。お前にはウィルとは別の才能がある。とはいえ、気ぃつけろよー!」


「そう思うなら次から飲まないでね」


「おー、そうかあ」


 なんで他人事なんだよ。そんな怒りを胸の内に秘めて、ブランクは家を出た。


 扉の向こう側。季節は夏の終わりで、生き物たちが冬眠に向けて一番動きが盛んになる頃だ。食糧など、あればあるだけ入り用なこの時期に、無防備な酔っ払いなど野生動物にしてみれば、ただのカモである。


「無茶はするなよー」


「分かってるよ、もう」


 頼りない保護者を思えばこそ、今日、自分を守れるのは己の身一つだ。腰の鞘に収まった剣の柄に手をかけ、心を研ぎ澄ました。


「一、二の──三!」


 ジャンに習った通りの型式で、剣を振るう。薙ぎ払い、振り下ろし、突き刺す。もちろん、これを一連の流れで使うことはほとんどないだろうが、動作の確認のためである。


「悪くねぇな」


 そんなブランクの動きを遠巻きに眺めていたジャンは、酒瓶の中身を一気に煽ると、どこか安心したように家の中へと帰っていった。


「よし、行こう」


 せせらぎに鮎の跳ねる頃、少年ブランクの冒険が始まった。

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