音に乗せて思いを伝える~山口第一中学校吹奏楽部の挑戦~
翌日、吹奏楽部の練習が終わり、皆が片付けを始めるころ、郷子はふと思い立って声をかけた。
「ねえ、みんな。昨日のステージのこと……どう感じた?」
突然の問いに、数人が手を止めた。しばらくの沈黙のあと、クラリネットの文子が口を開いた。
「……うん。私ね、帰ってからずっと考えよったんよ。なんかこう、笑ってもいい、夢を話してもいいって、そんな空気が、あの子たちには今までなかったんじゃないかって……」
周囲の仲間も静かにうなずき始める。
「笑ってるようで、なんか心からじゃない感じがしてさ……無理してるように見えて」
「夢を話せるって、実はすごく幸せなことなんやなって思った」
文子の言葉に、郷子も深くうなずいた。
「……じゃあ、私たちにできることって、何があると思う?」
真剣な表情で郷子が問いかけると、その場の空気がぐっと引き締まった。
皆、自分の心に問いかけるように黙りこみ、遠くを見つめる者、目を伏せる者、それぞれの思いが言葉になるのを待っていた。
「音楽って、人の心をあったかくするやろ? だったら、私らの音で……その子たちに『大丈夫』って、伝えられるんじゃないかな」
フルートの遥香がそっと言った。
「ほんの少しでも、あの子たちが“自分も音楽やってみたい”って思ってくれたら、何か変わるかもしれん」
それは、まだ小さな、けれど確かな決意の芽だった。
郷子は仲間たちの顔をゆっくりと見渡しながら、静かに心の中で思った。
「私たちの音が、誰かの未来を照らせるように。……きっと、できることがある」
練習が終わり、楽器を片づけたあと。
郷子は、みんなの視線をそっと集めながら、上山先生の元へ歩み寄った。
彼女の目には、昨日からずっと胸の中に灯っていた、消えない思いが込められていた。
「先生……ちょっと、お時間いいですか?」
上山先生は、部員たちの真剣な表情に気づいて、優しくうなずいた。
「もちろんよ。どうしたの?」
郷子は少しだけ息を整え、みんなを振り返ってから言った。
「昨日、NPOのみらいのたねでステージをさせてもらって……私たち、すごくたくさんのことを感じました」
文子が続けた。
「私……あの子たちの目が、どうしても忘れられなくて。笑ってるのに、どこか寂しそうで……」
遥香が静かにうなずいた。
「夢を語ることも、心から笑うことも、当たり前じゃないって、気づかされました。私たちが普段、どれだけ恵まれとるんかも」
少し間を置いて、郷子が再び前に出た。
「私たち、あの子たちのために、何かしたいんです。音楽で、あの子たちに“笑っていいんだよ”って伝えたい。私たちにできること……一緒に考えてもらえませんか?」
その言葉に、他の部員たちも静かにうなずき、誰もが真剣な眼差しで先生を見つめた。
上山先生は少し目を見開いて、その場の空気を感じ取った。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「……あなたたち、すごいわ。昨日のあのステージを、ただの行事で終わらせなかったんだね」
先生の目は少し潤んでいた。
「音楽はね、人の心を動かす力があるの。だからこそ、あなたたちが本気でそう思ったのなら、私も全力で応援する。やりましょう、何か」
その言葉を聞いて、郷子の目に涙が浮かんだ。
「ありがとう、先生……」
部員たちの表情には、決意と、少しの希望が浮かんでいた。
ここから、彼らの新しい歩みが始まる。音楽で誰かの心に寄り添うための、小さくて、でも確かな第一歩だった。
県大会を目前に控えたある日、放課後の音楽室。
郷子がふと、トロンボーンケースを閉じながら、ぽつりとつぶやいた。
「この曲……ルパン三世、私たち、みらいのたねでも演奏したよね」
それを聞いて、恋が笑顔でうなずいた。
「そうそう、あの時、ちっちゃい子がめっちゃノリノリで体揺らしよったじゃん。忘れられん」
温也も頷いた。
「せや。あの子らの笑顔、今でも目に浮かぶわ。あれが初めてのステージで、俺らもよう練習したもんな」
文子が少し考え込むように口を開いた。
「……だったらさ。このコンクール、本気で“みらいのたね”の子たちにも届けたい。見てもらいたい」
「えっ、コンクールの中継ってできるん?」遥香が目を丸くする。
「ズームでつないで、向こうの子たちに見てもらうとか……どう? 私たちがこの曲に込めた想い、ちゃんと届けられる気がする」
その場に静かに広がる空気。
やがて、郷子がしっかりと頷いた。
「……やりたい。あの子たちに“ちゃんと届いたよ”って、伝えたいんよ。私たち、あの日の約束、ほんとうに守りたい」
温也も真剣な表情で言った。
「ただの演奏じゃない。俺らにとって、これは“メッセージ”や。あの子らの未来に、何か残せたらええなって思う」
そこに、上山先生がそっと入ってきた。
「みんな、いい顔してるね。……実は、先生も、そういうの、できたらいいなって思ってたの」
部員たちの目が一斉に輝いた。
「ズーム、先生がNPOに掛け合ってみる。中継の許可が下りたら、コンクール当日、私たちの演奏を“みらいのたね”に届けよう」
歓声があがった。
「よしっ!」「本気でやるで!」「絶対に成功させよう!」
こうして、「ルパン三世 ジャズバージョン」は、単なるコンクールの自由曲ではなくなった。
それは、心をつなぐ“約束のメロディ”となった――
コンクール本番まであと十日を切った頃――
放課後の音楽室に、上山先生が明るい表情で入ってきた。
「みんな、ちょっといい?」
練習を終えたばかりの部員たちが顔を上げる。
「“みらいのたね”の代表の方から、お返事が来ました。Zoom中継――快くOKをもらったわよ」
「ほんと!?」「やったー!!」
部室に歓声が上がる。
「それだけじゃないの。大会事務局にも申請しておいたのだけど……今日、正式に中継許可が下りたの」
静かに、でも確かに、空気が震えた。
郷子が小さく息をのんで、心の底からの笑顔でつぶやく。
「これで……あの子たちに、ほんとうに届くんやね」
文子も思わず手を握りしめる。
「同じ時間に、同じ空の下で、私たちの音を聴いてくれる……それだけで、胸が熱くなる」
温也が前を向いて言った。
「せやから、ミスはできん。届けるんは、音だけやない。俺らの“気持ち”も一緒や」
遥香がうなずく。
「うん。聴いてくれる子どもたちの顔を思い浮かべて、精一杯吹こう」
上山先生は、そんな部員たちを見渡し、ゆっくりと深くうなずいた。
「これは、ただのコンクールじゃない。あなたたちが見つけた“誰かのための音楽”よ。
さあ、本番まであとわずか。いっしょに、最高の演奏を作りましょう」
部員たちは、互いに目を見合わせ、静かに頷いた。
この日の練習の音は、今までになく真剣で、そしてどこかあたたかかった。
すべては――
あの日出会った小さな命たちの心に、音を届けるために。
山口第一中学校吹奏楽部の音楽室。
ルパン三世ジャズバージョンのZoom中継案が通り、部員たちはその成功を願いながら準備を進めていた。
その日の放課後――
部室に上山先生がやってきた。
「みんなに共有したいメールがあるの。今日届いたばかりなんだけど……差出人は、黒木美香さんっていう中学1年生の女の子」
部員たちが一斉に顔を上げた。
先生が読み上げ始める。
件名:ありがとうの気持ち
差出人:黒木美香(12歳)
山口第一中学校吹奏楽部のみなさんへ
こんにちは。私は福岡市に住んでいる中学1年生の黒木美香といいます。
この前、「NPO法人みらいのたね」での演奏を、生で聴かせてもらいました。
私は、あの会場の一番後ろのほうに座っていました。きっと誰も、私のことなんて気づいていなかったと思います。
でも、あのとき、心の奥底まで音が届いてきて、全身が震えました。
私、実はあの日、もう何も信じられなくなってて……誰にも心を開けなくなっていました。
だけど、あのルパン三世の演奏を聴いて、不思議と胸が温かくなって、涙が止まらなくなったんです。
「音楽って、生きててもいいって思わせてくれるんだな」って。
あの日から、私の中に夢ができました。私も、あんなふうに誰かの心に届く音楽を奏でたい。
だから思い切って、地元の博多南中学校の吹奏楽部に入部しました。今、福岡県大会を目指して毎日練習しています。
私に“夢”をくれて、本当にありがとう。あの日、勇気を出して演奏してくれてありがとう。
これからも、ずっと応援しています。
静まり返った部屋に、鼻をすする音が響いた。
誰もが胸を打たれていた。
郷子が、そっと言った。
「ほんまに……あの演奏、あの子に届いとったんやね……」
新南陽子もゆっくりとうなずく。
「一人の命が、音で変わったんじゃね……すごいことよ」
柳井昌也が、目を潤ませながら言った。
「俺たちの音が、誰かを救った……その事実だけで、これからの全部に意味ができた気がする」
温也も、深くうなずく。
「俺ら、自分たちで思っとる以上に、音楽って重いもんなんやな。ちゃんと向き合わなあかんな、次のステージも」
上山先生は、ゆっくりと微笑みながら話した。
「あなたたちは、すでに“誰かに希望を渡す音楽家”になってる。次のステージも、想いを込めて演奏しましょう」
部員たちの目に、静かな炎が灯った。
この音は、生きる希望になり得る。
あの日の美香のように、どこかで誰かが、この音に救われるかもしれない――。
いよいよ迎えた、山口県吹奏楽コンクール・県大会。
会場は維新ホール。
会場の空気は張りつめ、客席の奥には緊張と期待が入り混じる表情の観客たち。
ステージ袖で待機する山口第一中学校の吹奏楽部のメンバーたち。
その中で、郷子と温也は互いに目を合わせ、うなずき合う。
「ようここまで来たな」
「うん、絶対に伝えような、あの子らに」
二人が持っているのは、いつもと変わらない銀色のトロンボーン。
けれど、今はただの楽器ではない。
“想いを運ぶ管”だと、二人は心の底から感じていた。
司会の声がホールに響く。
「つづきまして、プログラム5番。
山口第一中学校吹奏楽部、演奏曲は『ルパン三世のテーマ ジャズバージョン』。
作曲:大野雄二。指揮は、上山郷子先生です。
それでは、はじめてください。」
舞台中央に立った上山先生が一礼し、ゆっくりと指揮棒を構える。
そして――タクトが振り下ろされた。
ズンッ。
トロンボーン、バリトンサックス、チューバが一斉に、深く厚い低音を叩き出す。
郷子と温也のトロンボーンが、ステージの空気を一気に変える。
その音は、まるで重力を持ったかのようにホール中に響き渡る。
温也の音は、確実で力強く。
郷子の音は、しなやかで芯があり、メロディを引き立てる。
それを追いかけるように、ドラムが軽快なビートを刻み、全体のリズムをぐいぐい引っ張っていく。
カメラの向こうでは、みらいのたねの子どもたちが見ている――その中には黒木美香も。
郷子は、息を吸い、スライドを押し出しながら祈るように音を送る。
「どうか、届いて――この音が、夢の種になりますように」
温也も、真剣な目つきでスライドを操りながら、自分自身に言い聞かせていた。
「演奏ってのは技術やのうて、心で鳴らすもんや。あのときの、あの子の目を思い出せ……」
中盤、トロンボーンがメロディラインを担う部分では、二人の息がぴたりと合った。
吹き込み、滑らかにスライドさせる。まるで心を語るように――。
会場全体が、音に包まれていた。
「伝わっている」
誰もがそれを、肌で感じていた。
やがて、演奏はクライマックスへ。
すべてのパートが重なり合い、熱量を増していく。
そして――最後の音が静かにホールに消える。
数秒の静寂のあと、客席からは割れんばかりの拍手と歓声が巻き起こった。
舞台袖に戻った郷子と温也。
互いに無言でグータッチ。
そこには、言葉では表せない達成感と、確かな誇りがあった。
この音が、誰かの心に火を灯した。
**“命をつなぐ演奏”**だったと、二人は信じていた。
大会本番が終わり、緊張と興奮が冷めやらぬ中、会場の空気は次第に静まり、
いよいよ――結果発表の時が来た。
壇上に立った審査委員長が、一校ずつ発表していく。
郷子は両手を握りしめ、視線を一点に集中させていた。
温也は落ち着いているように見えたが、よく見れば唇をきゅっと結び、背筋が固く伸びていた。
「中学最後のコンクール…ここで中国大会に行けなきゃ、全国への道は閉ざされる」
それが二人の胸にのしかかっていた。
場内が静まりかえる。
司会が、いよいよ入賞校の発表に入る。
「続きまして、金賞受賞校の発表です――
金賞…山口第一中学校吹奏楽部!!」
その瞬間、ステージ袖の控室で――
「よっしゃあああああ!!!」
「金賞や!やったぁあああ!!」
歓声が一気に爆発する。
涙を浮かべながら抱き合う1年生たち。
拳を突き上げて飛び跳ねる2年生。
そして3年生たちは、喜びの中に、安堵と達成感が入り混じった、深い表情で喜びをかみしめていた。
でも――
まだ大切なのは、中国大会への出場校の発表。
会場は再び静寂に包まれる。
司会の声が、はっきりと響いた。
「中国大会出場校――
山口第一中学校!!」
「……!!」
一瞬、声にならない歓喜が部員たちを包み――
「やったあああああああああ!!!」
「中国大会や!!全国に一歩近づいた!!」
郷子の目から、ぽろぽろと涙がこぼれた。
温也は目頭を押さえながら、「最後に、これが残せてよかった…」と小さく呟いた。
その瞬間――
福岡のみらいのたね、小さな施設の一室で、画面越しにその様子を見ていた黒木美香も、声を上げて泣いていた。
「やった…本当に、行けたんだ…」
自分のことのように、心の底から喜び、泣いた。
あの日、胸に灯った「夢」の火が、再び強く輝いた瞬間だった。
県大会を終えて──歓喜と誓い
結果発表が終わり、山口第一中学校は見事金賞を受賞。さらに、わずか3枠しかない中国大会への出場権を手にした。
名前が読み上げられた瞬間、部員たちは一斉に顔を見合わせ、次の瞬間には大きな歓声と涙があふれた。
舞台袖の控えスペースで、顧問の上山郷子先生がゆっくりと立ち上がり、部員たちを前に歩み出る。
「……みんな、本当に、よく頑張ったね」
その一言で、今まで張り詰めていた気持ちが一気にほどけて、さらに涙を流す部員もいた。
「この金賞は、ただの結果じゃありません。みんなが支え合って、諦めずに、音を届けようとしてきた、その心の証です。中国大会に出られることは誇りやけど、それ以上に、みんなの演奏が“誰かの心を動かした”ことを誇ってほしい。……本当におめでとう」
静かに、しかし深く心に染み込むような先生の言葉に、部員たちはただ深く頷いた。
外へ出ると、夕暮れの風が心地よく頬を撫でた。
会場前の広場では、他校の生徒たちもそれぞれの結果を受けて集まり、声を掛け合っている。
山口第一中学校の部員たちは、楽器ケースを手にしながら、しみじみとこの一日を振り返っていた。
「……ほんま、やったな」
温也が小さく呟くと、隣にいた郷子がにっこりと笑った。
「うん。でも、ここからやね。まだ夢の途中や」
「そやな。中国大会、もっと音で語れるように頑張ろ」
「うん、絶対行こう、全国まで」
そんな会話のそばで、次の中心メンバーとなる**たかやん(篠田隆)やながちゃん(長田峡子)**も静かに拳を握っていた。
先輩たちの背中を見ながら、自分たちもこの想いを繋いでいこう──そう心に誓っていた。
荷物をまとめ、バスに乗り込むときも、誰もが心のなかにあたたかい火が灯ったような、そんな表情をしていた。
音楽で繋がった仲間たちと、またひとつ、夢の階段を登った一日だった。




