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トレイン&スポーツラブ~山口で出会った二人のラブストーリー  作者: リンダ
ドタバタラブコメディー開幕

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全国大会本番

 全国大会本番の朝――。


 温也と郷子にとっても、美香にとっても、はじめての全国の舞台だった。ただただ、ホールのスケールの大きさに、思わず息を呑む。


 演奏順を決めるくじ引きが行われる。

 山口第一中学校は「5番目」。

 そして、博多南中学校は「7番目」。


 開会式が始まると、全国から選ばれた強豪校の名前が次々と読み上げられていく。吹奏楽界では名の知れた学校ばかりだ。

 その名前を聞くだけで、胃の奥がきゅっと締めつけられるようなプレッシャーを感じる。


 それでも――。


 控室で待機する山口第一中学のメンバーたちを、温也と郷子は落ち着いた表情で見回した。


「みんな、ここまでよう頑張ってきたやんか。今日もな、“音”を楽しもうぜ」

 温也は、少し笑って、いつも通りの調子でそう言った。


 郷子も頷きながら声をかける。

「そうそう。ここまでやってきたん、ぜーんぶ無駄にならんけぇね。うちらの音、思いっきり届けようや!」


「……んでも、やっぱ緊張するよぉ」

 と、恋が顔をしかめて言った。隣では夏海がそっとつぶやく。


「先輩…緊張で…なんかもう、胃がキリキリしてきたんじゃけど…」

「うち、手が震えてきたっちゃ…どうしよう…」


 すると温也が、ふっと肩の力を抜いて言った。


「そうかぁ。そん時はな、“あんれまんまぁ”って言ってみぃ。緊張がスーッとほどけるからな」


「えっ?あんれ…まんま…?なんそれ…」

「変な呪文みたいやねぇ…」


「これはな、湯田家に伝わる――“秘伝の緊張解消法”や」


「ほ、ほんまに効くん…?」


「効く効く、めっちゃ効く。試しに言うてみ。ほれ、せーのっ」


「……あ、あんれまんまぁ…」

「……あんれまんまぁ~……」


 その場の空気が、ふっと和らいだ。数人の一年生がくすくすと笑い出す。


 そこへ、控室のドアがノックされ、スーツ姿の女性が顔をのぞかせる。


「なに?楽しそうなことやってんじゃないの」


 上山先生だ。30歳。顧問の一人であり、普段はやさしく、時に厳しく、そしてだいたいは笑っている。部員たちにとっては、頼れる“お姉さん先生”だ。


「…せ、先生…聞いちょったんですか…」

 恋が顔を赤らめると、上山先生はいたずらっぽく微笑んだ。


「うん。ばっちり。『あんれまんまぁ』、ええ呪文じゃね。今度授業で使ってみよっかな~?」


「や、やめてください…恥ずかしいけぇ…!」


 笑いが広がるなか、上山先生は表情を引き締めた。


「でもね。ここに来れたこと、それだけで本当にすごいことよ。…あとはもう、自分たちの音を信じるだけ。楽しんできんさい」


「はいっ!」


 全員の声が、少しだけ張りのあるトーンで控室に響いた。


 郷子はその様子を見て、そっと心の中でつぶやく。


 ――ありがとう、温也。ほんと、あなたがいてくれてよかった。


 こうして、全国大会という大舞台が、静かにその幕を上げようとしていた。





 今回、山口第一中学校が選んだ自由曲は――

「ルパン三世のテーマ・ジャズアレンジバージョン」。


 重厚でありながらも軽快なスウィング、リズムとメロディの駆け引きが絶妙なアレンジ。観客との一体感を演出できるこの曲は、勝負曲であると同時に、彼らが「音を楽しむ」ための最適解だった。



 ホールに響く開演のアナウンス。ステージ袖で深呼吸をした部員たちが、静かに入場していく。


「続きまして、プログラム5番。中国ブロック代表、山口市立山口第一中学校。演奏する曲は、大野雄二作曲・編曲、ルパン三世より、ルパン三世のテーマ・ジャズアレンジバージョン。指揮は上山郷子先生です。それでは演奏を始めてください」



 やがて、照明が落ち、ざわめきが消える。静寂の中に――


 指揮台に立った上山先生が指揮棒を高く掲げる。そして、上山先生のタクトが振り下ろされた。


 重低音のバリトンサックスが鳴り響く。

 それに続いて、トロンボーン、ユーフォニウム、チューバが加わり、ぐっと腰の据わった低音のアンサンブルがホールを包みこむ。厚みのあるその響きが、聴衆の耳を一気に惹きつけた。


 Aメロでは、再びバリトンサックスとトロンボーンが前面に出て、主旋律をぐいっと引っ張る。ルパンらしい洒脱な旋律が、ブラスセクションの粋なグルーヴとともに駆け抜ける。


 サビに突入すると、

 トランペット、ホルン、フルート、クラリネット、アルトサックス、テナーサックス――

 木管と金管が一気に合流し、明るく華やかに主旋律を奏で上げる。まるでステージ全体が跳ねるような、スウィング感あふれる展開。


 そして間奏。


 ここは、見せ場。


 テナーサックスとトランペットが前に出る。

 特にトランペット。舞台の空気を変えるような、切れ味鋭い高音。

 観客の胸を一気に撃ち抜くような、そんな“音”を――温也が響かせた。


 彼のソロに合わせて、メンバーが自然と身体を揺らす。

「演奏」というより「演技」。

 全身で“ルパンの世界”を表現する。


 そしてBメロ。


 バリトンサックスの低音に、テナーサックスが重なる。

 重厚で粋な色気が生まれ、再び緊張感が戻ってくる。


 山口第一中――全員が一体になっていた。

 誰もが「音を楽しむ」という言葉を、体の奥から信じていた。


 会場から手拍子が響き渡る。会場と演奏者が一体になった瞬間だった。そして演奏がクライマックスを迎える。この曲は金曜ロードショーのルパン三世が放送されるときにもよくかかるので、皆もよく知っているし、その分会場にいるみんなもノリやすい。


 そして、Cメロの演奏が終わり、いよいよ最後の4小節。ピタっと音がやみ、残響音が会場に響く。そしてしばらくの静寂の後、会場からは割れんばかりの拍手。


 山口第一中学校の皆はやり切ったという表情を浮かべる。緊張から解放されたからか、部員の表情にも柔らかさが戻る。こうして、山口第一中学校の演奏は終了した。




 一方の美香のいる福岡市立博多南中学校の控室。

 顧問の戸畑昌恵先生が皆を見渡す。

「ここまで私たちはやってきた。皆緊張してると思うけど、今までやってきたことを思い出して。大丈夫。皆ならこの大舞台を楽しむくらいの度胸があるはず。精一杯この雰囲気を楽しもう」



 美香は、緊張で手のひらがじっとりと汗ばむのを感じていた。


(大丈夫。……大丈夫って、言い聞かせんと…)


 さっきの戸畑先生の言葉を思い出そうとしても、頭の中は真っ白になっていた。


 ユニフォームの上着を軽く引き直す。譜面の確認は何度もした。楽器のチェックもした。マウスピースもちゃんとセットしてある。

 なのに、足が少し震えていた。


 隣にいる同じパートの先輩が、小さな声で「大丈夫ですか…?」と聞いてきた。

 美香は――ぎこちなく、でもなんとか微笑みを浮かべてうなずく。


(…うん、大丈夫。…あたしは大丈夫なんやけん)


 本番直前。舞台袖まで移動するよう指示が入る。


 控室から出て、ホールへとつながる長い廊下を歩く。

 その間、他の部員たちは小声で呼吸合わせをしたり、最後の調整をしたりと、それぞれの“集中の形”に入っていく。


 美香は、誰とも言葉を交わさなかった。


 ただ、胸の奥で鳴っていた。

 あの旋律が――。


(……ここまできた。もう、やるしかないっちゃろ)


 少しずつ、目つきが変わっていく。

 眉が自然と引き締まり、視線が鋭さを帯びる。


 心の奥で、音楽に火がついた瞬間だった。


 不安も迷いも、息と一緒に吐き出すようにして、すっと胸を張る。

 スイッチが入る。

 演奏者としての顔に、切り替わった。


 舞台袖に着くと、前の学校の演奏が終わり、拍手が湧き上がるのが聞こえた。


 舞台係のスタッフが、無言でうなずく。


 美香は一歩、踏み出す。


 照明が落ちる。


 福岡市立博多南中学校――

 いよいよ、ステージへ。



「続きましてプログラム7番。福岡市立、博多南中学校。演奏する曲はルパン三世より、ルパン三世のテーマ・ジャズアレンジバージョンです。指揮者は戸畑昌恵先生です」





「続きまして、プログラム7番。福岡市立、博多南中学校。演奏する曲は――

 ルパン三世より、ルパン三世のテーマ・ジャズアレンジバージョン。指揮者は、戸畑昌恵先生です」


 アナウンスの声がホールに響き、客席が静かに注目する。


 ステージ中央に立った戸畑昌恵先生が、深く一礼する。

 そして静かに指揮棒を構えた。

 その瞬間、空気が凛と張り詰める。


 ピン、と弓を引くように構えられたその指揮棒が――

 スッと、振り下ろされた。


 ドンッ…!


 バリトンサックス、ユーフォニウム、チューバ、トロンボーンがいっせいに重低音を響かせ、舞台全体に音の土台を築いていく。

 それに続くのは、軽快なドラム。そして、切れのあるトランペット。


 山口第一中学校と同じ楽曲でありながら――

 まったく違う「ルパン三世」が始まった。


 ジャズアレンジらしく、トランペットが前面に出たアグレッシブなアプローチ。ドラムとともに、オープニング後半のメロディラインを引っ張る。

 観客の目線が自然と前のめりになる。曲の冒頭から、会場が少しずつ熱を帯びていった。


 舞台の一角――。


 トロンボーンを構えた美香は、全神経を音に集中させていた。

 もう、緊張はなかった。


 それどころか、目の前の音符たちが、まるで自分の身体とつながっているかのように感じられた。

 頭で考える前に、身体が反応して音を吹き出していた。


「これが……“ゾーン”ってやつかもしれん」


 そう思った。


 温也先輩や、郷子先輩が言ってた

「音を楽しむ」

 その意味が、なんとなく――今、肌でわかる気がした。


 ただ吹くだけじゃない。

 音に表情をつけて、音で“遊ぶ”。

 自分がまるでルパンになったように、トロンボーンを自由に滑らせていく。


 Aメロが終わり、美香は伴奏のリズムに回る。

 そして、間奏。

 一度下がった音が、再び主旋律として高まっていく。


 そして――Bメロ。最大の山場が、すぐそこに迫っていた。


 美香は目を細めて譜面を見つめる。

 心のなかで、ひとつだけつぶやく。


「絶対に、決めてやるっちゃ」


 その瞬間――

 スッと息を吸い、思いきりトロンボーンに吹き込んだ。


 音が――出た。


 しっかりと、堂々と、音が空気を切った。

 狙った通りの音が、ホールの隅々まで飛んでいく。

 ほんの一瞬、会場全体の時間が止まったような感覚すらあった。


(やった……!)


 心の中で確かな手応えを感じながら、次の小節へ進んでいく。

 高音楽器が主旋律を引き継ぎ、Cメロへ――演奏はクライマックスへと突入する。


 そして――最後の音が響き、すべての演奏がピタリと止んだ。


 会場に、残響音が美しく漂う。


 一拍、二拍――


 やがて、ホール中から割れんばかりの拍手が沸き起こる。


 美香は深く息をついた。

 心の底から、安堵の笑みがこぼれる。


(吹けた……ちゃんと、吹けたっちゃ)


 隣の仲間と目が合い、無言のままニッと笑い合う。

 先生の方をチラリと見ると、戸畑先生が小さく頷いていた。


 博多南中の部員たちは、揃って深く一礼をし、静かに舞台を降りていった。


 ステージ裏に戻る途中、美香の足取りは軽かった。

 自分の音が、確かに誰かの胸に届いたという実感――

 それが、何よりのごほうびだった。






 一方その頃――

 山口第一中学校のメンバーは、演奏を終えて楽器を片付けたあと、観客席に座っていた。


 温也は客席の端、ひときわ姿勢を正してステージを見つめていた。

 袖に立つ美香の姿を見つけると、小さく息をのんだ。


「美香、頑張れ……美香なら絶対大丈夫や。自信もって吹け」


 心の中でそうつぶやきながら、手を組んで静かに祈るように見守る。


 その隣では郷子が、小さく目を閉じてから、ふっと目を開いた。


「美香……今まで頑張ってきたのを、ぜんぶ出し切りんさい。

 懸命に練習してきたん、わたしゃあ知っちょるけぇ。思いっきり楽しんで吹きんさい」


 郷子の目が、やわらかく細められた。

 そのまなざしには、まるで妹を見守る姉のような温かさがあった。


 周りの部員たちも、それぞれ静かに座りながらも、美香の登場を見逃すまいと身を乗り出していた。


「おお、美香ちゃんや…」

「いよいよじゃね…」

「絶対うまくいくって信じとる」


 口々にささやくその声は、誰もが家族のような気持ちで、博多南中の演奏、そして美香の晴れ舞台を見守っていた。


 そして、演奏が始まる。


 ステージ上で繰り広げられる、もうひとつの「ルパン三世」。


 音の勢い。ジャズらしい軽快さ。トランペットとドラムの切れ味――

 山口第一中学校の演奏とは異なる色で、博多南中の世界が描かれていく。


 やがて、美香のトロンボーンが、主旋律を担う場面になると――

 観客席の温也の瞳が、一瞬光った。


(……吹け、美香)


 その刹那、ステージ上の美香が、まるで何かが乗り移ったかのように、確信に満ちた音を吹き込んだ。


 その表情には、もう迷いはなかった。

 きりっとした目つきで、譜面を追いながら、音に乗る。

 緊張ではなく、楽しんでいるようにすら見える。


 やがて、演奏がクライマックスを迎え、ラストの音がホールに響き渡る――

 残響。

 そして、拍手の嵐。


 ステージの美香が、深々と礼をし、舞台袖へと姿を消したその瞬間。


 温也がぽつりとつぶやいた。


「郷子……美香の奴、ええ顔しちょったな」


「ほんとねぇ……初めての大舞台で、緊張しちょったろうに……

 あがぁな顔、よう頑張った証やね」


 郷子の声も、ほんのり震えていた。


 周囲の部員たちも、思わず小さく拍手を送る。

 演奏が終わっても、誰もすぐには立ち上がらなかった。


 それは、美香の演奏に対する敬意。

 仲間の一人が、一歩成長した瞬間を、確かに見届けた証だった。



 そして、博多南中学校のメンバーも、楽器の片付けが終わり、観客席に戻る。緊張から解放された、安堵の表情を浮かべる。そして各代表の意演奏がすべて終わり、結果発表が行われる。各学校の代表二人が舞台に上がる。山口第一中学校のメンバーは、誰がステージに上がる?って話になって、郷子が

「ながちゃんとたかやん、行く?」

 と聞くと、

「いやぁ、やっぱりここは、私達を引っ張ってきてくれた郷子先輩と温也先輩でしょ」という。他のメンバーも、

「先輩2人が行ってきてくださいよ」

 というので、温也と郷子が壇上に上がる。




 演奏がすべて終わり、ホール内には落ち着いた空気が漂っていた。


 出演した全校の演奏を聴き終えた観客たちの中には、感動の余韻に浸る者も多く、あちこちで静かな拍手やささやき声が交わされていた。


 ステージにはマイクスタンドが立てられ、審査員たちが着席する。

 ――いよいよ、結果発表。


 すると、司会者の声が場内に響いた。


「ただいまより、全国中学校吹奏楽コンクールの結果発表を行います。

 まずは、各校の代表者2名の方、ステージ上へご登壇ください」


 そのアナウンスを聞いて、山口第一中学校のメンバーたちは顔を見合わせた。


「誰が行くん?」

「ながちゃん? それともたかやん?」


 そんな声が上がる中、郷子が軽く手を挙げて言った。


「ほいじゃ、ながちゃんとたかやん、行く?」


 すると、ながちゃんがすぐに頭を横に振った。


「いやぁ、ここはやっぱ先輩方でしょ。温也先輩と郷子先輩が、うちらをずっと引っ張ってくれたし」


 他の部員たちも一斉にうなずいた。


「そうそう!先輩たちが代表で行ってきてください!」

「わたしたち、客席から見守っとるけぇ!」


 背中を押されるように、温也と郷子は顔を見合わせる。


「……じゃあ、行くか」


「うん、うちらが代表で、しっかり聞いてくるよ」


 2人はホールのステージ袖に向かいながら、背後で仲間たちの小さな拍手を受けた。


 一方、博多南中学校の控え列。


 メンバー全員が楽器を片付け、肩の力が抜けた様子で席に戻っていた。

 笑顔も少しずつ戻り、ざわざわと小さな会話が始まる。


 そんな中、部長の出水海斗がふと立ち上がり、あたりを見渡して言った。


「代表、俺は行くけど、もう一人誰が行く?」


 少しの間が空いた後、副部長の八代美海がすっと顔を上げて、美香の方を見た。


「……美香、行ってきて」


「えっ!? わ、私が?」


「うん。ほんと短い期間やったけど、美香、一生懸命やったやん。

 がむしゃらに練習して、音もどんどん良うなって。

 うちら、ちゃんと見とったけん。行ってき」


 戸惑う美香が、両手を小さく振る。


「でも……私なんかでいいんですか? 本当に?」


 それでも、美海はにっこり笑って、やさしく背中を押した。


「早う行かんと、発表始まってまうっちゃ。ほら、海斗くん待っとるよ」


「……はい。じゃあ、行ってきます!」


 緊張気味ながらも、美香はトロンボーンを置いた手でスカートの裾を整え、足早にステージへ向かった。


 壇上へ上がった美香は、すでに整列していた各校の代表たちの中に、温也と郷子の姿を見つける。


 温也が目を細めて、小さくうなずいた。

 郷子はそっとウインクを返す。


 それだけで、美香の表情は少しだけ和らいだ。


 そして――

 ステージには、それぞれの想いと歩みを背負った代表者たちが静かに並んだ。


 次はいよいよ、結果発表。




 司会者の声が、ホールに静かに響いた。


「それでは、審査結果を発表いたします」


 場内がぴんと張りつめる。

 演奏の時とはまた異なる緊張感。

 観客席にも、出場者の列にも、静かな空気が広がった。


 まずは演奏順に各校の結果が読み上げられていく。

 山口第一中学校の名前が呼ばれるまでは、息が詰まるような時間だった。


 そしてついに、


「続きまして、中国ブロック代表、山口市立・山口第一中学校――金賞ゴールド!」


 その瞬間、客席から「よっしゃあああ!」という歓声が響き渡った。

 観客席で見守っていた山口第一中の部員たちは一斉に立ち上がり、ガッツポーズを決めた。

 壇上にいた温也と郷子も、目を見合わせてにっこりと笑い、深く礼をする。


 郷子が小声で言う。


「やったね、温也。うちら、やりきったよ」


「ほんまにな。みんなで勝ち取った賞じゃけぇ」


 その歓喜がまだ冷めやらぬうち、次の発表が続いた。


「続きまして、九州ブロック代表、福岡市立・博多南中学校――金賞ゴールド!」


「え……!」


 美香の脳内で、その一言がゆっくりと反響した。


 信じられなかった。

 本当に自分たちが、金賞をとったのかと。


「うそ……金賞……?」


 その瞬間、止めどなく涙があふれ出した。


 幼い頃から親に存在を否定され、罵られ、暴力を受けて育った。

「お前なんかに何ができる」と言われ続けてきた。

 自分の存在に意味なんかないと思っていた。

 音楽に救われ、吹奏楽に出会い、やっと見つけた居場所で、ここまで這い上がってきた。


「やっと……認められたんだ……!」


 心の奥深くに押し込んでいた感情が一気にあふれ出し、美香は顔を覆ったまま、堰を切ったように泣き崩れそうになる。


 すると、隣に立っていた部長の出水海斗が、そっと肩を抱き寄せてくれた。


「美香、お前の音……ちゃんと届いてたぞ」


 優しく、力強い言葉。

 その一言が、何よりも嬉しかった。


「はい……先輩……本当に……ありがとうございました……」


 泣きじゃくりながら、やっとのことでそう返した。


 そして、司会者の声が再び会場を包む。


「続いて、審査員特別賞の発表です。

 今年度、特に印象的な演奏を披露された学校に贈られます――

 審査員特別賞は……福岡市立・博多南中学校です! おめでとうございます!」


 場内がまた一段と大きな拍手に包まれる。


 メンバーたちは一瞬ぽかんとした表情になったが、次の瞬間には歓声があがった。


「え!? 特別賞まで!? すごいっちゃ!」

「美香、あんたのおかげやろ、あの音圧……!」

「ほんとに、あれ以上の演奏、なかったよ!」


 舞台袖に戻った美香に、仲間たちが次々と声をかけ、抱きしめ、背中を叩いた。


 戸畑昌恵先生も目元を少し赤くしながら、美香の頭を優しく撫でた。


「よく頑張ったね、美香。……音、心に響いたよ」


 美香は涙でにじんだ視界の中で、何度も、何度も頷いた。




【閉会式】

 拍手が鳴り止まぬ中、ホールに響く司会の声が閉会式の始まりを告げた。


「本日は長時間にわたり、全国中学校吹奏楽コンクールにご参加いただき、誠にありがとうございました。これより閉会式を執り行います!」


 出演団体の代表者たちが壇上に並び、一人ひとり感謝の言葉を述べていく。


「この場に立たせていただいたこと、心より感謝いたします。本当に…ありがとうございました!」


 控えめに頭を下げた郷子の姿に、温也は後ろから軽く手を置いた。

「ようやったで、郷子。」


 郷子は泣き笑いの表情でうなずく。

「ありがと…うち、やっと言えた…みんなのおかげじゃけぇ。」


 最後に、観客席の保護者や関係者たちも総立ちになり、惜しみない拍手がホールを包み込んだ。


【ホテルへの帰路】

 会場を出ると、夕方の空は少しずつ朱に染まり始めていた。

 大型バスで移動する他校の団体を見送り、山口第一中の一行もホテルまでの短い道のりを歩いて帰ることにした。


「疲れたやろ、美香ちゃん。でも、ホンマによう頑張ったなぁ。」


「うん……ちょっとだけ、疲れました。でも……楽しかったです。」


「ほんまか?あの舞台、バリ緊張しとった顔やったで?」


 温也がからかうように笑うと、美香はむくれ顔になった。


「失礼ですねっ。そりゃ緊張もしますよっ。……でも、私、最後まで吹けました。小倉家のお父さんといお母さんがあの場にいたら、少しだけ誇れるかなって。」


 郷子がそっと笑みを浮かべ、手を握った。


「きっと、見とった思うよ。空の上から。」


 美香はふと立ち止まり、夕焼け空を見上げた。

 その目には、もう涙はなかった。


【ホテルの部屋】

 ホテルの一室。ツインベッドにエキストラベッドを足した、こぢんまりとした部屋。

 三人は制服のまま、ペットボトルのお茶を飲みながら、今日一日の振り返りをしていた。


「なあ、ほんで美香ちゃん、トロンボーン吹く直前、目ぇめっちゃキリッとしてたやん?」


「そ、そうですか?」


「なんかこう、ライオンが獲物狙ってる時の顔してたで」


「うわ、ちょっとそれは褒めてます? それとも動物園です?」


 三人でどっと笑う。


「でも、マジでカッコよかったで。ステージの美香ちゃん、なんか……“音楽家”やったわ。」


「……私、あの瞬間だけは、全部忘れられました。過去のことも、ただ、音楽だけに集中できたんです。」


 郷子が穏やかな目で、美香の頭を軽く撫でた。


「それが音楽の力じゃね。……うちも、忘れられたよ。肺炎で死にかけたことも、怖かった日々も、全部。」


「うちもや……。音楽って、なんでこんなにあったかいんやろな……」


 トロンボーンのケースが、部屋の片隅に静かに置かれていた。

 その銀色のボディが、夕焼けの残光を受けて、柔らかく光っていた。


【小倉家に電話】

 夜も更け、部屋でひと息ついた美香は、スマホを取り出した。

 着信先は、小倉家の家族LINE。

 ビデオ通話を始めると、すぐにあの双子が映った。


「美香姉ちゃーんっ!!おつかれー!!」


「うわっ、光子!優子!画面いっぱいすぎ!」


「ねぇねぇ、ステージで転ばんかった!?ズボン破けんやった!?歯とか飛ばしてない!?」


「いや、なんでそっちの心配ばっかり!?」


「ちがうっちゃ〜、うちね、てっきり美香姉ちゃん、緊張しすぎて“プープー!”て音外すんやないかって思いよったったい!」


「それは心配じゃなくて笑いを期待してるでしょ!」


 後ろで美鈴の笑い声も入ってきた。


「美香、ほんとにお疲れさま。無事に終わったんだね。」


「……うん、がんばったよ。ステージから見えたよ、家族の顔。……ちゃんと吹けた。」


 すると、優子が変なメガネをかけて画面に現れた。


「ほら!うち、テレビで見たと!“天才中学生、美香、音楽界に降臨!”って!」


「どこのテレビですかそれ!」


 光子が続ける。


「しかも、いまネットで検索したら“爆笑天才トロンボーン娘、美香のミスド注文語り!”って出てきたばい!」


「いつの話っ!?それ、この前ミスドでやったくだらない話でしょっ!?」


 画面越しの家族の笑顔に、美香も自然と笑みがこぼれた。


「ありがとう……ほんとに、ありがとう。東京でも、山口でも、私は一人じゃないって思えたよ。」


「当たり前たいっ!うちは“光の戦士”やけん!応援ビーム送ったっちゃけん!」


「うちは“やさしか子”やけん!ドーナツの優しさで包んだつもりやけんね!」


「ありがとう、戦士とドーナツ……」


 笑い声が止まらない。

 美香の心は、いつもより、ずっと、ずっと軽くなっていた。


 こうして、長いようで、あっと今に過ぎた一日が終わった


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