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うにゃ〜あじゃぱ〜と恋の予感

 4月26日、久しぶりにミラスタに行った。


 郷子と温也は、温也の家で一緒に焼きサンドを作ってから、歩いてミラスタへ向かうことにした。


 朝から台所に立つふたりを、妹の泉がテーブルに頬杖つきながらじーっと見ていた。


「お兄ちゃん、今日郷子さんとデートなん? うちもついて行こかなぁ~。焼きサンド、うちの分あるん?」


「あるある。冷蔵庫に入れとるからな。あとで食べときや」


「ふーん……けどさぁ、なんかふたりして仲良すぎちゃう? 朝から台所でわちゃわちゃして、なんかラブラブやん」


「いやいや、これはあくまで準備やから……な? 郷子」


「ふふっ、うちは……一緒に作れて嬉しかったよ。なんか、ちょっとだけ夫婦気分? みたいで」


「ちょ、郷子、それ言うたら話ややこしくなるって!」


「冗談じゃけぇ、大丈夫、大丈夫♪」


 泉がジトーっとした目でふたりを見つめる。


「うちだけ仲間外れ感すごいんやけど~。まあええけど。うちの分もちゃんとあるし……けどな、GWはうちとも遊ぶん約束してな?」


「もちろんよ、泉ちゃん。ピクニックしようや、三人で!」


「ほんま? それ、録音しとくで」


「ほな、行ってくるわな~」


「それじゃあ泉ちゃん、行ってくるね。お父さん・お母さん、台所使わせていただきましてありがとうございました。今から出てきます」


「あいよ~、気ぃつけて行きや~。温也、財布忘れてへんか?」


「大丈夫や、ポケット入れとる」


「泉ちゃんもええ子にしとってね。サンドイッチの感想、あとで聞かせてな?」


「任しといて! じっくり味わってダメ出しするから~♪ お兄ちゃんの味付け、結構うるさいで?」


「プレッシャーやめてくれ……」


 ふたりはちょっぴり照れながら顔を見合わせて、家を出た。


「なぁ、郷子…」


「ん? なに?」


「手……つないで行こか」


 パッと郷子の頬が赤く染まる。


「……うん」


 温也がそっと手を差し出すと、郷子はその手をやさしく握った。


(あっくんの手、本当にあったかい……

 こうして並んで歩けるだけで、なんか胸がぎゅーってなる。

 うち、こんな時間が、ずっと続けばええのにって、ほんまに思うんよ)


「ねぇ、あっくん。今日って、勝てそうかねぇ?」


「うーん、どうやろなぁ。今年はなかなか調子が上がらへんしなぁ」


「じゃろ? うちも気になっとるんよ。試合の流れは悪くないのに、終わりごろにぽろっと点取られてしまうんよねぇ」


「集中が切れてまうんかな。詰めが甘いっていうか……」


「そうじゃけど今日はきっと勝つって信じとる。ゲン担ぎで、カツサンドも入れてきたし、今治戦じゃけぇ、ミカンも持ってきたんよ」


「おお~そら完璧やな! 勝ちフラグ立っとるわ!」


(あっくん、うちの気持ちにちゃんと気づいとるんかな……

 それとも、気づいてて、あえてふつうにしてくれとるんじゃろか。

 どっちにしても、うちにとってあっくんは――

 いちばん大事なひとじゃけぇ、今日みたいな日を、大切にしたいんよ)


 ミラスタに着いて


 ミラスタの入り口をくぐると、あっくんと郷子はまず日陰のベンチに腰を下ろした。風が心地よく、まだ試合まで時間があるので、ゆっくり周囲を見渡す。


「わぁ、今年初のミラスタやけぇ、やっぱ気持ちが引き締まるわぁ」と郷子。


「せやな。今日は勝ちたいなぁ」とあっくんも真剣な顔。


 試合開始まではまだまだ時間があるので、二人は選手たちのウォーミングアップやスタッフの動きをじっくり観察する。


 郷子の心の中で――

(あっくん、今日はどうか勝たせてやりたい。去年の悔しさもあるし、みんながんばっとるしな。じっくり見とこ)


 12時を過ぎると、二人は持ってきた焼きサンドを取り出して食べ始めた。外はだんだん暖かくなってきて、気温も上昇中。


「暑なってきたけぇ、熱中症には気つけんといけんのんよ。ちょっと塩味効かせたんじゃけぇ、よろしゅう頼むで」と郷子。


「ああ、めっちゃええ気配りや。これ食うて午後まで乗り切らな」とあっくん。


 昼食を終える頃には、気温はかなり上がり、二人は水分補給も忘れずに行った。


 試合開始


 14時ちょうど、いよいよ試合が始まった。


 試合は緊迫した展開が続く中、前半39分にレノファが先制点を奪った。


「やったな、これで勢いがつくで!」とあっくん。


 郷子も胸が高鳴る。

(あっくんの活躍、ほんま誇らしいわ。今日のためにいろいろ乗り越えてきたもんな)


 試合詳細(温也は観戦者として)


 14時、ミラスタのピッチにレノファの選手たちが整列し、ホイッスルが鳴った。

 観客席の郷子と温也は、息をのんで見つめる。


 試合は両チームとも慎重に攻防を繰り返し、レノファの選手たちは特に落ち着いたプレーでボールをつなぎ、隙をうかがう。

 郷子は「あっくん、選手たち、ほんまに落ち着いとるなあ。試合慣れしとるんじゃろうね」と感心する。


 前半39分、レノファが中盤から素早いパスワークで攻め上がり、ついに先制点を挙げた。

 歓声が湧き、郷子も声をあげる。


 しかし後半に入ると、なかなか追加点が奪えず、焦りも見え始める。

 後半30分、相手に同点ゴールを許してしまう。


 会場の空気が重くなったが、選手たちは粘り強く守備を固める。


 そして終了間際の後半44分、相手に逆転ゴールを許し、そのまま試合終了。


 温也は悔しそうに「うにゃ~。あじゃぱ~!」と絶叫し、郷子が思わず顔を上げて聞く。



 その言葉が場内のざわめきと混ざる中、郷子は一瞬、ぽかんと温也の方を見つめた。


「な、なにそれ……?」


 思わず吹き出してしまいそうになる笑いを必死に堪えながら、郷子は首をかしげて訊いた。


「うにゃ~あじゃぱ~って、どういう意味なん?」


 温也は苦笑いしながら肩をすくめて答えた。


「それはな、起こってほしくないことが起きたときの、うちの家で伝わる秘伝の言葉や。俺のばあちゃんがよく使っててな、なんか怒りとかが抜ける感じで……」


 郷子は思わず肩を震わせて笑いをこらえきれず、「おもしろすぎるわ、あんた!」と言いながら顔を覆った。


「試合に負けた悔しさもあるけど、うにゃ~あじゃぱ~の方が、なんかすごく強烈なインパクトで残ったわ…ほんまに!」と笑いながら話した。


 温也も顔をほころばせて、「そやろ? 俺もあれ言うてちょっと気が晴れた気がするわ」とつぶやいた。


 その場の空気が一瞬和み、二人はまた手をつなぎ、ゆっくりと帰路についた。


 家に着いて玄関を開けると、ちょうど泉がリビングのソファで漫画を読んでいた。


「あ、おかえり~。どうやった?」


「逆転負けやったわぁ……でもな、あっくんが最後に“うにゃ~あじゃぱ~!”って絶叫してさぁ!」と郷子が話すと、泉が顔を上げてニヤリと笑った。


「ああ、出たな、それ。お兄ちゃんの“うにゃ~あじゃぱ~”」


 郷子が驚いて目を丸くする。


「泉ちゃん、知っとったん!? あの言葉、めちゃくちゃ意味不明なんやけど!」


 泉は声をあげて笑いながら話し始めた。


「うち、この前見たんやで。お兄ちゃんが冷蔵庫からプリン取り出そうとしたときに手ぇ滑らしてな、シューッて落ちて、床にベチャァなってな……その瞬間や、“うにゃ~あじゃぱ~……”って、めっちゃ真顔で言うとったんや! しかも、頭抱えて、めっちゃ大きな声で!」


「うそじゃろ!? あっくん、それほんまなん?」


 温也は頭をかきながら、ばつの悪そうな顔でうなずいた。


「……いや、あれはな、食べる気満々やったんや。スプーンも準備しとったんやで。でも落ちたときに、もう言葉が見つからんくて、条件反射で出たんや……」


 泉はさらに勢いづいて言った。


「てか、うちもあるし! “うにゃ~あじゃぱ~”言うたこと!」


「え、泉ちゃんも!?」


「うち、小学校のときな、遠足の朝に寝坊してしもて、お弁当忘れて登校したときよ! 学校で気づいた瞬間、頭の中で“うにゃ~あじゃぱ~……”って鳴り響いたもん!」


 郷子はついにお腹を抱えて笑い出した。


「もう、うにゃ~あじゃぱ~って、湯田家の呪文みたいになっとるやん! でも、かわいいわぁ……そんなん、うちもこれから使いたくなってきたわぁ」


 温也は苦笑いしつつ、「そんなん言うて、郷子が“うにゃ~あじゃぱ~”言うとこ、想像つかへんけどな」とつぶやいた。


 郷子はにやっと笑って、「ほいじゃあ、うちが言うときはよっぽどの大事件じゃってことね」と返した。


 家の中に笑い声が響き、悔しさよりも温かくておかしな思い出が、またひとつ増えた夜だった。



 で、話題は焼きサンドのことに移った。


「泉ちゃん、焼きサンド、どんなやった?」


「あれ? もう、めっちゃおいしかったで。塩味がよう効いとって、運動したあとの塩分補給にもピッタリやったわ」


「今日、運動しに行ったん?」


「今日はね、ひろ君に電話してみたら、“暇しとる”って言いよったけぇ、ラケット持ってバドミントンしたんよ。ええ汗かいたわ〜」


「ふ〜ん、そうなんじゃねぇ……。ひろ君と、なんかええ雰囲気なんじゃない?」


 郷子がいたずらっぽくニヤリとしながら言うと、泉はあわてて手を振った。


「ち、ち、ちがうし! 私とひろ君は、そういうのじゃないもん!」


「へぇ〜? なんかえらい動揺しとるやん。好きなんじゃないん?」


「だ、だから、ちがうってば〜! もう、やめてぇ〜。恥ずかしいじゃん……」


 そう言いながら、泉の顔は真っ赤っか。言葉では否定していても、ひろ君のことをどこかで意識しているのは、誰の目にも明らかだった。


「だ、だから、ちがうってば〜! もう、やめてぇ〜。恥ずかしいじゃん……」


 泉はそう言って、両手でほっぺを隠すようにして下を向いた。その頬は、さっきの焼きサンドよりもずっと熱そうだった。


 郷子はくすっと笑いながら、ちょっと声を落として言った。


「……ええと思うけどな。ひろ君、優しそうやし。なんか、泉ちゃんのこと、ちゃんと見とる気ぃするよ」


「……そうなんかな……」


 泉はぼそっとつぶやく。まっすぐ郷子の目を見れずに、うつむいたまま、小さな声で続けた。


「一緒におると、なんか、落ち着くっていうか。あんまり気ぃつかわんでええし。……私、そんなふうに思うの、初めてかも」


「それって、もう好きってことやん!」


 郷子がズバッと切り込む。


「ち、ちがうってばぁああああ!」


 泉は思わず声を上げ、バシッとテーブルを軽く叩いた。郷子は大笑いしながら、それでもその手を泉の肩にそっと置いた。


「……でもさ、ええと思ったら、ちょっとだけでも踏み出してみてもええと思うよ。後で後悔するより」


「……そんな、簡単には……」


「うん、簡単やない。でも、好きって気持ちは、たぶん、難しいからこそ、ええんよ」


 しばらく沈黙があって、泉はふうっと息をついて、少しだけ顔を上げた。


「……じゃあ、来週、また誘ってみようかな。今度は……うちから」


「うん! その調子。応援しとるけぇ!」


 郷子がにっこり笑うと、泉もようやく、はにかんだ笑みを返した。少女の心に芽生えた小さな恋は、ゆっくりと、でも確実に動き出していた。


 郷子は、肩に手を置いたまま、そっと声をかけた。


「泉ちゃん、ちょっとだけ勇気出して誘うてみたらどう? バドミントンでも、なんでもええけぇ。……ひょっとしたら、お互いの気持ち、わかるかもしれんよ」


 泉は目をぱちくりさせて、それからゆっくりとうなずいた。


「……うん。そうかも……ちょっと、頑張ってみる」


 そのとき見せた泉の笑顔は、いつもの笑い顔とは少し違っていた。恥じらいと、期待と、ほんの少しの不安がまじった、どこか頼りなげで、それでもキラリと輝く笑顔だった。


「じゃあ、うちはそろそろ帰るね」


「うん……今日はありがとね」


「なに言いよるん、こっちこそ楽しかったよ。……じゃあね、泉ちゃん!」


 郷子は手を振って、夕暮れの道をゆっくりと歩いて帰っていった。


 家に帰ると、夕飯の香りが漂ってきた。母と一緒に食卓を囲み、何気ない話をしながら一日の終わりを過ごす。どこかほっとするこの時間。けれど、心のどこかに、さっきの泉の表情がずっと残っていた。


 夕食を終えて、風呂に入る。湯船につかって、ふうっと息をつく。身体がじんわりとあったまってくるにつれ、思い出すのは、やっぱり――


 あのときの、泉のはにかんだ笑顔だった。


(……ほんまに、ちょっとだけ、背中押しただけなんよ)


 そう思いながら、湯気の向こうをぼんやり見つめる。


 ぽつりと、湯気の中に声を落とした。


「……泉ちゃん、がんばれ」


 郷子のそのつぶやきは、誰に届くでもなく、小さく湯の中に消えていった。


 けれど、その声には、あたたかい思いが込められていた。やさしいまなざしで、そっと友達の恋を見守る郷子。少女たちの静かな青春は、こうしてまた一歩、動き出していた。


 一方その頃――


 泉もまた、自宅で夕食を終え、ゆっくりと風呂に入っていた。


 お湯の中に肩までつかりながら、ぼーっと湯気の向こうを見つめる。頭の中は、ぽわんとしたまま、けれど自然に思い浮かぶのは、やっぱりひろ君の顔だった。


「……誘って、ええんかな……」


 ぽつりと、湯気にまぎれるような小さな声が口からこぼれる。


 まるで夢でも見るように、あの日、笑いながらバドミントンをしていたひろ君の姿が、ふわりと脳裏に浮かんだ。軽やかなステップ、シャトルを追いかける真剣な表情、そして、休憩中に交わした、たわいない会話。


 ――また、あんなふうに二人で、思いっきりバドミントンできたらな。


 そうつぶやいた泉は、ゆっくりと湯船の中に顔を沈めた。


 ぬるい水音が、静かに響く。


 目を閉じたまま、泉はぽつりと思った。


 ――……もし、私と付き合ってくれたら……うれしいな。


 胸の奥が、ほんのり熱くなったのは、お湯のせいだけじゃなかった。


 湯船から上がると、髪をタオルでくるみながら、泉は鏡の中の自分をちらりと見つめた。


 ほんの少しだけ、まつげの先が震えている気がした。頬はあいかわらず赤かった。


「……よし。がんばってみよ」


 小さくそう言って、洗面台の明かりの下で微笑むその顔は、少しだけ、恋する女の子になっていた。


 その夜。


 泉は布団に入っても、なかなか眠れなかった。天井を見つめながら、昼間のこと、バドミントンの音、ひろ君の笑顔――そして郷子の言葉が、頭の中をぐるぐる回っていた。


(……次に誘うとき、なんて言おうかな)


(“また、バドミントンしよ”って言えばいいんかな。それとも、“今度はうちが、お弁当作ってくるけぇ”とか……)


 言葉を何度も心の中でシミュレーションしながら、頬に手を当てた。


(……でも、ちゃんと“会いたい”って気持ち、伝えられたらええな)


 そう思いながら、ようやくまぶたが重くなる。恋に悩む、でも前に進もうとする少女の夜は、静かに更けていった――。


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