吹部は今日も晴れ
新学期が始まって、新入部員も次第に慣れてきて、わちゃわ茶と楽しい部活の時間を過ごす。
その日の部活終わり、恋が郷子のもとに小走りでやって来た。
「郷子先輩、あの……うちの知り合いで、吹奏楽に入りたいって言いよる子がおるんですけど……四人ほど。今度、連れてきてもええですか?」
郷子は目を輝かせて答える。
「ええよ、もちろん! 新入部員、大歓迎じゃけ。明日にでも来てもらえる?」
「はいっ、今日ラインで連絡しときます!」
「うん。楽しみにしとるからね」
そう言って恋は、うれしそうに笑って帰っていった。
「どんな子が来るんやろうねぇ?」
「たぶん経験者じゃない?」
「うまいんやろうなあ。楽しみじゃね」
そんなふうにみんなでワクワクしながら、部室の片づけを終えて帰路についた。
そして翌日。
放課後の音楽室に、恋が四人の入部希望者を連れてやってきた。恋が新入部員の紹介をする。
放課後の音楽室。楽器の片づけもひと段落ついたころ、部室のドアがバンッと開いた。
「じゃじゃーんっ! お待たせしましたーっ!」
元気いっぱいの声とともに、恋が勢いよく登場。その後ろには、ちょっと緊張した表情の四人の新入生がぞろぞろと続いてくる。
「郷子先輩〜! 連れてきましたよ〜! 新・入・部・希望者、四名っ! もう、うちの目に狂いはなかったですよっ!」
郷子が驚きつつも笑顔で迎える。
「うわ、ほんとに四人も! ありがとね、恋!」
「ではでは、さっそく紹介いきま〜す!」
恋はビシッと敬礼ポーズをとりながら、一人ずつ前に押し出すようにして紹介を始めた。
「まずっ! 我らがトランペット男子、吹奏楽経験者の——周防恭正くん! 音も性格もキレッキレの、ちょいイケ男子ですっ!」
恭正は「ど、どうも……」とちょっと照れながら一礼。
「続きまして〜! なんと、和美先輩の妹さん! ホルン希望の——美津子ちゃん! 笑顔が和美先輩そっくりで、癒し系代表!」
「よ、よろしくお願いします」とぺこりとお辞儀する美津子に、にこやかな笑いが広がる。和美先輩そっくり。
「そしてそして! サックス希望の新山美咲ちゃん! シャキッとした見た目に、じつはお菓子作りが趣味というギャップ女子!」
「が、頑張りますっ」と緊張気味に一言。
「最後に! 同じくサックス希望の宇野祥子ちゃん! おっとり見えて、実はめちゃくちゃ運動神経バツグンの元バスケ部〜!」
祥子は「楽器は初心者ですけど、よろしくお願いします」と小さな声で。
部員たちの間から「おおー!」「すごっ!」「めっちゃ個性派!」とざわめきが広がる。
恋は満足げに腰に手を当ててどや顔。
「ね? ね? 粒ぞろいでしょ? この子たちと一緒に、今年の吹部はさらにパワーアップ間違いなしですっ!」
郷子はくすっと笑って、手を叩いた。
「みんな、ようこそ! 一緒に楽しもうね。よろしく!」
新しい仲間を迎え、音楽室は期待と笑顔で満ちていった。
金曜の放課後、吹奏楽部の練習が終わると、みんなが自然と動き出す。目的地はひとつ。学校近くのコンビニ。
「よーっし! 今週もお疲れさまーっ!」
「今日も吹いた吹いた~、肺が一回り強くなった気がする」
先頭を歩くのは、いつものように郷子と温也。どこか達成感のある足取りで。
「今週も無事に終わったね、温也」
「うん。ミッちゃん、ホルンはどんな?」
「小学校でも吹いてたんですけど、ホルンは初めてですけど、お姉ちゃんの吹くのを間近で見てたので、お姉ちゃんみたいに吹けるように頑張ります」
「そやね。お姉ちゃん(和美)のこと、意識しとるんかもしれんけど、焦らんでいいからね。美津子ちゃんは美津子ちゃんやからね」
背後から元気な声が飛ぶ。
「おーい、先輩たち〜! おしとやかモード禁止ー!」
コンビニ袋をぶんぶん振りながら、ながちゃん(長門峡子)が登場。
「じゃーん! 今日の戦利品、冷凍みかんバー! 冷たすぎて、たぶん脳がバグる〜!」
「また変なもん買って……」
たかやん(篠田隆)はメロンパンを誇らしげに掲げる。
「ちなみに俺はメロンパンラス1を勝ち取ったぞ! 勝者の味、噛みしめ中〜!」
「うわ、それ狙っとったのに〜っ!」
恋がタカヤンに詰め寄る。
「こ、恋さん、その顔はヤバい……睨まんとって……」
「もうええわ。今日の私はスイーツ女子やけん。プリンで手を打ちましょう」
美咲が横から冷静にツッコミを入れる。
「恋、それ毎週言ってるけど、いつもスイーツ食べてるよね」
「えっ、いや、それは……“金曜スイーツ部”やけぇ!」
「もう、勝手に部増やさんで」
ふたりの会話に、宇野祥子がくすっと笑う。
「なんか……この感じ、すごくいいね。まだ入ったばっかりなのに、なんか落ち着く」
「そう言ってもらえるとうれしい〜!」
そのころ、ホットスナックコーナーで真剣な顔の恭正は、温也と立ち尽くしていた。
「アメリカンドッグか、からあげ棒か……。永遠のテーマですよね、温也先輩」
「うん……。これ、哲学やと思うんよ」
「哲学!?」
そこへ美津子が現れ、「二人とも……まだ決まっとらんの?」と呆れ顔。
「いや、ここは慎重にね」と、どちらも譲らない。
外に出ると、みんながコンビニ袋をぶら下げ、校門前の広場に集まってくる。
「おっしゃー! じゃあ並べようぜ、今日の“戦利品”!」
並べられたのは、チョコ、プリン、ラムネ、メロンパン、冷凍みかん、からあげ棒……。まるでピクニックのような光景。
「てか、うちら何部やっけ? グルメ部?」
「いやいや、吹奏楽部じゃけ!」
恋が笑いながら言い、美咲が「どっちも音鳴るから、まあええか」と小声でまとめる。
ふと郷子が空を見上げてつぶやく。
「今日の空、なんか澄んどって、ええね」
その言葉に、みんなが手を止め、夕焼け色の空を見上げる。
「明日もがんばろうね」
「うん。いい音、出せそうな気がする」
恋と美咲の回想(小学校編)
――「吹奏楽と、あんたと出会った日」
現在:放課後のコンビニ前
コンビニのベンチに腰かけ、ジュースを飲みながら夕空を見上げる恋と美咲。
部活終わりの風に少し汗が冷えて、ふと恋が呟く。
「なあ、美咲。うちらが初めて吹奏楽やった日、覚えとる?」
「……小4の、体験会?」
「そうそう! 体育館で、キラッキラのトランペット見て、“これや!”ってなったあの日」
「恋、めちゃくちゃ声でかかったよね。“え、マジで光ってるーっ!”って叫んでた」
「叫ぶほど感動したんよ〜! もう、完全に一目惚れ!」
ふたりの目が合い、自然と笑みがこぼれる。
記憶は、小さな体育館へと遡っていった。
回想:小学校4年、吹奏楽体験会
体育館の中、金管の音が響く。
6年生のお兄さんお姉さんたちが、曲を披露していた。真剣な表情、楽器のきらめき、会場の空気すべてが、10歳の少女たちの心をつかんだ。
「なにこれ、すっご……」
恋がぽつりとつぶやいた。
その隣、美咲も目をまんまるくしていた。
「音が、胸にズンってくる……」
演奏が終わったあと、希望者は楽器に触れられる時間になった。
恋は一直線にトランペットへ、美咲はおそるおそるサックスの列に並んだ。
「よう鳴らんねぇ……」
美咲が試しに吹いてみたが、音は鳴らず。
「大丈夫、美咲! わたしなんか、口のとこピューピュー鳴っただけやし!」
「……それ、絶対あかんやつ」
二人で笑った。その時が、たぶん、本当の“始まり”だった。
放課後、下校中
「うち、やるって決めた。トランペット吹けるようになりたい」
帰り道、ランドセルを揺らしながら恋が宣言する。
「え、もう決めたん?」
「だって、あの音、かっこよかったやん? あたし、ああいう音で、誰かの心を動かしてみたいんよ」
その言葉に、美咲は静かにうなずいた。
「……うちも、やってみようかな。サックス、思ったより重かったけど……すごく、いい音やった」
「ええやん! 一緒にやろう!」
その日から、放課後は音楽室で練習するようになった。
最初はうまくいかなくて、口が痛くなって、楽譜が読めなくて、ふたりで泣きそうになったこともあった。
でも、そのたびに、どちらかが笑って励ました。
現在へ戻る
「……あん時からやったな、うちら」
「うん。たぶん、あそこで誰かとじゃなくて、“恋”じゃなかったら、今も楽器やってないと思う」
「うわー! それもう告白やん! プロポーズやん!」
「ちゃうし。……ただの、事実」
「えへへ……なんか、うれしいな」
トランペットとサックス。
音は違っても、重ねることで生まれるハーモニー。
ふたりの関係も、そうやって少しずつ育ってきた。
あの日からずっと、音楽といっしょに。
月曜日の午後――「糸」が紡ぐ、ひとつの音
週が明け、月曜の午後。音楽室には、放課後の柔らかな光が差し込んでいた。
椅子が並べられ、譜面台が立ち並び、チューニングの音がそこかしこで鳴る。
いつもの吹奏楽部の、少しだけ静かな始まり。
顧問の上山先生が、ホワイトボードの前に立ち、やや緊張した面持ちで全体を見渡す。
「今日は『糸』の合奏に入ります。まずは、冒頭から通してみようか。力を抜いて、丁寧に吹くこと。焦らずにね」
日原文子が「テンポ、落ち着いてね」と後方から声をかける。
彼女の指揮棒が軽く振られ、合図が出る。
音が重なる――
静かに、そっと始まるイントロ。
フルートとクラリネットが細い糸のように旋律を紡ぎ、やがてホルンやサックスが、温かな和音で包み込む。
郷子は後列から全体の音の重なりを聴きながら、目を細めてうなずく。
トロンボーンの響きがやや前に出すぎたかと感じると、後ろの温也にひとこと。
「もうちょっと柔らかく吹いて。前に出すんやなくて、支える感じ」
「お、了解〜……えーと、支える……ってことは、こう?」
と、彼は息の流れを調整し直し、次の小節に備える。
譜面とメモとまなざし
前列では、新入部員たちがそれぞれ譜面をにらみながら、小さな文字で注意点を書き加えている。
「入り、弱め」
「この小節、重くならないように」
「8小節目、クレッシェンド!」
美咲は息をそっと整えながら、指の動きをイメージしていた。
その横で、恋が「これ、後半さ、ユニゾンちゃう?」とサックスパートの美津子と顔を見合わせる。
「うん。でも、音程ちょっとズレたよね、さっき」
「お、じゃあ次は合わせてみよーや!」
そんなやりとりの一方で、祥子はペンを止め、目を閉じて耳を澄ませていた。
まだ音には自信がなかったけれど、「みんなの音に、自分も乗せていく」その感覚が、すこしずつ掴めてきていた。
曲の完成へ
通し練習が終わると、部屋には静寂が戻る。
その直後、日原文子の穏やかな声が響いた。
「いいね。全体の空気感は出てきてる。次は、27小節目からもう一度。ここは、歌うように。音符じゃなくて“ことば”を吹くつもりで」
指揮棒が振られる。
再び、音が紡がれていく。
ひとりひとりの音が、他の誰かの音に優しく寄り添い、重なり、混ざり合っていく。
「たてのリズムを感じて」
「耳を開いて、周りを聴いて」
そんな指導が飛ぶたびに、部屋の空気が澄んでいった。
練習の終わりに
やがて、最後の音が静かに消えて、部屋に静けさが戻る。
その瞬間、全員がどこか誇らしげに、小さくうなずき合った。
「……少しずつ、形になってきたね」
郷子がぽつりと言うと、温也が頷いて、
「うん。なんか、心に残る音になってきた」
日原文子は笑顔を浮かべながら、みんなを見渡した。
「あともう一息。もっと、“想い”を込めていこうね」
そして――
譜面には、たくさんの書き込み。
文字で、記号で、矢印で、色ペンで――
それぞれの思いが、まるで音符のように並んでいた。
小さな音楽室で、「糸」は確かに編まれ始めている。
ひとつのメロディとして、ひとつのチームとして。
この春、彼らが心を重ねて紡ぐ「音」の物語が、静かに動き出していた。
4月26日 春のミラスタ遠征――勝ち飯と涙と応援と。
出発の朝――ふたりで作った「勝ち弁」
「郷子、このウインナー、ちゃんとタコになっとる? ……あっ、足が三本しかない!」
「もー、それタコやのうてイカやないの。やり直しっ!」
朝の台所に響く、にぎやかな声。
この日、4月26日は、レノファ山口の今季初のホーム戦。
郷子と温也は、お揃いのタオルマフラーを首に巻きながら、朝からお弁当づくりに励んでいた。
「今日は勝ってもらわんといけんけぇね。卵焼きも、だし多めにしといたよ」
「勝ち飯やな。じゃあオレも、焼きおにぎりに念込めとく!」
そんな冗談を交わしながら、ふたりはお弁当をリュックに詰め、歩いてミラスタへと向かった。
スタジアム到着――高鳴る鼓動
ミラスタに近づくにつれ、オレンジのユニフォームを着たサポーターたちの姿が増えていく。
スタジアムの屋根が見えた瞬間、温也が叫ぶ。
「来た来た来た! うぉーっ! いよいよ始まるぞー!」
「まだ試合始まっとらんけどね。でも、わかるわ。胸がふわってする感じ」
ふたりはスタジアムの前の広場で、ベンチを見つけて弁当を広げた。
「はい、大葉入りだし巻き」「はい、念入り焼きおにぎり」「はい、タコさんイカくんウインナー」
「……どっちやねん」
笑いながら食べるお弁当。空は青く、風はほんのり心地よい。
今日のレノファには、きっと勝利の女神が微笑むはず。――そう、思っていた。
試合前半――勢いに乗って
キックオフの笛が鳴る。
レノファは前半から果敢に攻め込み、シュートのたびにスタンドはどよめいた。
「よっしゃ! 今の惜しいっ! もうちょいや!」
「うん、今日はいける感じするよね。流れええし」
ふたりはスタンドで声を張り上げ、手を叩いて応援する。
お弁当の残りはもう空っぽ。ふたりの期待は、空に向かって高く高く跳ねていた。
前半30分――まさかの先制点献上
ところが――
前半30分、相手の速攻。右サイドから鋭いクロスが入り、中央で合わせられてゴール。
電光掲示板に「0-1」が浮かぶ。
「え、今の……入った?」
郷子が呆然とつぶやき、温也が手にしていた空の弁当箱を見つめた。
「……タコさん……守ってくれんかったか……」
「うちらがトイレ行っとったおじさんより早く失点するの、なんでなん……」
「しかもあれ、完全にDF戻れてなかったよね。なにしとん……あー、やるせない……」
観客席が静まり返る中、ふたりのテンションもだだ下がり。
「帰りたくないけど、もう帰りたい」モードが漂っていた。
後半15分――歓喜の同点弾!
しかし、沈黙を破ったのは後半15分。
相手のクリアミスを拾ったMFが一気にドリブルで持ち込み、ゴール左へ強烈なシュート!
ネットが揺れる!
「入ったあああああ!!」
「うおおおおおおおお!! レノファあああああ!!」
温也はマフラーをぶんぶん振り回し、郷子はその場でジャンプ。
「見た!? あれ見た!? ゴールやで! 同点! 追いついたっ!」
「ちょ、喜びすぎてバッグ投げてもうた! 卵焼きの魂が空を舞った!!」
もはや周囲の視線も気にせず、ふたりは大はしゃぎ。
「まだいける!」「流れ来とる!」――そんな希望が胸を膨らませていた。
アディショナルタイム――痛恨の失点
そして、後半終了間際。
相手チームが得たフリーキック。壁を越えたふわりとしたボールが、ゴール右隅へ吸い込まれていく。
「うそやろ……」
郷子は膝から崩れ落ちた。
「いや、それワールドクラスのキックやん……うちのゴールキーパー、動けてなかったで?」
「今のフリーキック、“心をえぐる系”やった……」
再び電光掲示板に突きつけられる現実――「1-2」
ふたりは言葉も出ず、座席に崩れ落ちた。
「……せっかくの“勝ち弁”が……」
「卵焼きも、ウインナーも、焼きおにぎりも……報われんかった……」
帰り道――それでも、前を向いて
帰り道、すれ違うサポーターたちもみな静かだった。
そんな中、郷子がぽつりと口を開く。
「……悔しいなぁ。でも、次の試合こそ勝つよね」
「うん。じゃけぇ、次は“勝ちカツ弁当”でリベンジや!」
「お、カツサンドとか、カツ丼とか?」
「もういっそ、カツカレー持っていこうか?」
「弁当箱の限界くるわ!」
負けても、ふたりのテンションは、どこか前を向いていた。
悔しさも、笑いに変えて――また応援に行こう。
そんな思いを胸に、ふたりは夕暮れの道を歩いていった。
試合には負けたが、それでも今年最初のミラスタ遠征を堪能した二人であった。




