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ピンク事件簿と俺の純情

雨に濡れた帰り道で ――温也と郷子、付き合って一年と少し




夕方の帰り道。空が急にかき曇り、ぽつ、ぽつ……と落ちてきた雨粒は、あっという間に本降りになった。




「やっば、降ってきたじゃん! 傘ないしっ!」


郷子が小走りで木の下に駆け込む。




「ちょ、ちょっとぉ! なにこの雨! 急すぎるし……空、正気なん?」




温也も後を追って駆け込みながら、


「うわっ、ホンマや!天気予報、“ところにより”っちゅうてたけど、まさか“ところ”がウチらやったとはなぁ……!」




「“ところ”とか言いよって! 見てみぃ、ずぶ濡れやん!制服、透けちょるし……」


郷子は慌てて腕で前を隠す。




温也が一瞬、ぽかんと見てしまい、すぐに顔を背けた。

一瞬、郷子の付けている薄いピンク色のブラジャーが見えた




「わ、わっ!?ちゃうねん!見たんちゃう!いや、見えたけど……その、見てへんというか……物理的に?」




「物理的に見えちょるやん!このエロあつ!」




「ちゃうって!ホンマに一瞬やし、事故や!間違いや!」




「……もう最悪や。変な目で見られた……」


郷子はカバンを抱えて、ぷいっと顔をそらす。




温也はシャツを脱いで差し出した。


「ほ、ほら、これ着ぃや。俺のシャツやけど、少しはマシになるやろ?」




「……あっくん、寒ぅならん?」




「郷子が風邪ひく方がイヤや。俺は大丈夫」




「……ありがと。けど、見たことは、許しちょらんけ」




「ええ~!? 完全に事故やん!“水難の相”やで!?今日のことは、墓場まで……」




郷子がふっと笑う。


「ふふっ、まぁ今日は勘弁しちゃろ。……ほんま、あっくんって変なやつじゃねぇ」




温也は少し照れながら、そっと言う。


「……でも、どんな姿でも郷子はかわええ。ホンマに」




郷子は頬を赤らめ、そっぽを向いてつぶやく。


「……もう、そんなん言わんでええけ。ずるいんよ、あっくん」




「……うち、こねぇな時って運がないんよね」


郷子がぽつりとこぼす。




温也は靴をぱたぱたさせながら、


「いや、俺もやって。よりによって今日に限って傘忘れるとか……。あれやな、“相合傘を逃したカップル”ってタイトルになりそうや」




「誰がカップルじゃい。調子乗っちょるね、あっくん」




「え、ちゃうん? 毎日一緒に帰って、メールもしまくって……両想いやし。世間的には、カップル、やろ?」




郷子は赤くなって視線をそらす。


「……なんでそねぇ、はっきり言えるんかね、あっくんは」




「本気やからや。郷子のこと、好きやで。恥ずかしいとか関係ない」




郷子は前髪をタオルでぬぐいながら、


「……うちも、好きっちゃ、好きなんよ。けど、照れるじゃろ、こういうの」




しばしの沈黙。雨音が、少しだけ優しくなる。




「なぁ、郷子。こういう日も、悪くないな。濡れて、恥ずかしい思いして、でも一緒におって、笑えてさ」




「……ま、記憶には残るじゃろね。あっくんの“物理的に見えた”発言で、ちょっと吹きそうになったし」




「それはホンマごめん。二度と見ぃひんようにするから、許してな」




「焦って真っ赤になってた顔……ちょっと嬉しかったけどね」




温也は、真剣なまなざしで言う。


「大事やからな。郷子のこと、ずっと守りたい思ってる」




郷子も、ふと柔らかく笑って返す。


「変な日やったけど、悪くなかったわ。あっくんと一緒じゃけぇ、笑える」




ふたりはそっと見つめ合って、ふわりと微笑み合う。




「そろそろ帰ろか。ちょっと濡れるけど、小走りでな」




「うん。……んで、あっくん、あとで体操服貸してくれん? 明日シャツ返すけぇ」




「おう、返さんでもええけどな。郷子が着てたなら、お守りにするし」




「……バカじゃねぇ。そねぇなもんで守られるか!」




「なら、郷子が守ってくれたらええやん」




郷子は苦笑しながら、


「……はいはい。今日は“お互いに”守り合う日、っちゅうことで」




——

温也の心の中で、さっき見えたピンクのブラジャーのイメージがふと頭をよぎる。


(あの薄いピンク色……ほんま、かわいかったなぁ……)


一瞬の出来事だったのに、何度もリプレイされて、自然と口元がにやけてしまう。


(こんなこと、郷子には絶対言えんけど……でも、今日は超ラッキーやったわ)


心の中でそう思うと、なんだか気持ちがふわっと軽くなって、頬が熱くなる。


「変なやつ」って言われるかもしれんけど、今だけは誰にもバレへんように、この“ラッキースケベ”をこっそり楽しもう。


そう思いながら、温也は少し照れくさそうに、でも幸せそうに笑みを浮かべた。

郷子はじっと温也の顔を見つめたまま、にやりと笑って言った。


「……あっくん、なんか変なこと考えてるやろ?」


温也は焦って顔を真っ赤にしながら、


「ち、ちがうって! そんなこと、全然考えとらんわ!」


しかし、郷子の鋭い目つきに押されて、口ごもってしまう。


郷子はますます楽しそうに、


「ほんま? なら、なんでそんなににやけちょるん? 怪しいわぁ」


温也は必死に否定しつつも、心の中では「見えたんや、ピンクのブラ……」と思い出して、またにやけてしまうのだった。



郷子がじっと温也の顔を見つめて、にやりと笑いながら言った。


「……あっくん、なんか変なこと考えてるやろ?」


温也は慌てて顔を赤くしながら否定しようとしたが、思わず口からこぼれてしまった。


「ち、違う!そ、そんなこと…ラッキースケベやっただけや!」


郷子は目を見開いて、声をあげて笑った。


「ラッキースケベって何よ!正直すぎん?」


温也は恥ずかしさに顔を伏せて、バツが悪そうに笑うのだった。




帰宅後、タオルを絞る温也の横で、郷子がぶすっとつぶやく。


「……ほんま、最悪。よりによって白シャツの下に、あんな色の下着……」

脳裏に郷子のピンク色のブラジャーがよぎる。

「ピンク色やったなぁ」

思わず口が滑ってしまった。

「ふーん。やっぱり見えてたんじゃ……」



温也は慌てて首を振る。


「いやいや! 見てへんて! 見ようともしてへんし! 失礼やし!」




郷子はじっと温也を見つめる。


「……ふぅん。じゃあ、なんで“ピンク”って言うたん?」




「……えっ?」




「今、白いシャツが透けた、って言うたのはうち。でも“ピンク”とは言うちょらんよ? なんで分かったん?」




「ち、違うねん! それは……勘! 偶然の産物っちゅうか!」




郷子は冷めた目でにじり寄る。


「偶然で“ピンク”当てるとか……エスパーか、あっくんは」




温也は土下座せんばかりに手を合わせる。


「ごめんっ! ホンマごめん! 見えたっちゃ見えたけど、すぐ目ぇそらしたし! ほんま事故やって!」




郷子は頬をふくらませて、軽く肩を叩く。


「バカーっ!この、スケベ……けど、まぁ……しゃーないか。雨ん中じゃったし」




温也がぺこぺこしながら


「ホンマにそれだけやから!妄想とかしてへんし!」




郷子は少しだけ赤くなりながらも、


「……信じちょく。けど、ノート提出な。“反省文・千字で綴る俺の失態”ってやつ」




温也はがくっと項垂れた。


「千字は重罪やぁ……」




郷子は笑いながら、


「アホやな、あっくん。けど、顔真っ赤にして焦ってたの、ちょっと可愛かったよ」




「……それ、褒められてる?怒られてる?」




「どっちもじゃ。ちゃんと焦れてたけぇ、大事に思ってくれてるんやなって分かったけ」




「うぅ……“俺はピンクを見た”ってタイトル、マジで書かなあかんのやろか……」




郷子は吹き出した。


「ちょ、なにそれ!タイトルのセンス、どうかしちょるわ!」




温也も乗ってくる。


「“雨の奇跡と、俺の過ち。郷子のピンク、永遠に”……とか?」




郷子は顔を真っ赤にして、タオルで温也をぺしん!


「ば、バカーーっ!!“永遠に”てなにがやねん!!」




「でも、きれいやったんやで……」




「こらーーっ!!もう、知らん!ばかばかばかっ!」




温也がよろけながら笑い、


「いっ、痛っ!けど笑いすぎて腹痛い……!」




郷子も肩を震わせて笑いながら、


「なんでこんな状況で、うちら腹抱えて笑いよるん……はぁ、ほんまアホや……」




ふたりは顔を見合わせ、とうとう声をあげて笑い出した。




「はははっ……!」「あーもうムリっ……!」








反省文




題:俺はピンクを見てしまった(でもホンマは見てへん)


作:温也




拝啓




空より落ちし滴が、俺の運命を狂わせた2025年某日。


郷子の白シャツが、春霞のように透けたのは、けっして俺のせいやない。


いや、違うな。


透けたのは雨のせいでも世界のせいでもなく……全部、俺の目ん玉のせいです。




俺はあの日、「見てへん」と言い張った。必死に否定した。


でも、口が滑った。「ピンク」などという色名を、なぜ俺は知っていたのか。




郷子へ。


君の笑顔を守るために、俺は今日から「透けても見ないトレーニング」を始めます。


視線は空、心は雲、鼻血にはティッシュ。


君が好きすぎて、けど見てはいけないという葛藤を、俺は乗り越えてみせる。




最後に――


俺がピンクを見たのだとすれば、それは恋の色であり、君への敬意の証。


でも……ほんまに、チラッとやったんや。いや、むしろ見てへん。たぶん。




敬具







「……なにこのアホみたいな反省文……」




「“ピンクは恋の色”て、あんた、どこのポエマーなん……」










「ふっ……“視線は空、心は雲”て……なんなん、その中二感……!」









「それに“鼻血にはティッシュ”て……対策済みかい!」









「……ほんま、バカじゃけど……


こういうとこ、好きになってしもうたんよね。


アホで、すけべで、口も軽いけど……


落ちとるとき、必ず笑わせてくれる……」




反省文をそっと畳んで、自分のノートに挟む






「……宝もんにしとくけぇね……バカたれ。」









「……あのな、今日……これ渡そう思てな」




「……なんなん。またなんかやらかしたん?」






「ちゃうちゃう。昨日の“ピンク事件”についてや。


反省の気持ちを込めて、ちゃんと文章にしてきた」




にやにやしながら丁寧に折った便箋を差し出す






「反省文ぅ? タイトルは?」




「“俺はピンクを見てしまった(でもホンマは見てへん)”」






「……バカか!? タイトルの時点でアウトやろ!」




渋々便箋を受け取り、読み始める。最初は呆れ顔だったが、すぐに肩が震え出す




「“鼻血にはティッシュ”て……どこまで具体的やねん……!」




こらえきれず爆笑






「アホ、ほんまにアホじゃわ……!」




笑いながらテーブルに突っ伏す郷子。温也は満足げに隣に座る






「……でも、ホンマに見とらんねんで? いや、チラッとは……でもわざとちゃうし」






「今、“チラッと”て言うたよね? 言うたよね?」






「うわーっ!? ちゃうちゃう、そういう意味やなくて……!」






「アウトーーーッ!!」




ツッコミの手を出しながら、でも本気では叩かず、ふたりで笑い合う







ふたりがリビングで爆笑していると、妹・泉が帰宅






「ただいまー……なに? なんでふたりして爆笑しとるん?」




制服のまま入ってきて、きょとんとする






「……郷子さん、目ぇうるんどるし。お兄ちゃん、それ……ラブレター? 反省文?」





郷子は思い出し笑いしながら

「泉ちゃん、これ読んでみ」






「『俺はピンクを見た。でも事故であって、故意ではない。俺の心は清い』……」




(沈黙)






「……変態やね」




郷子、爆笑再開






「ちゃうちゃう! 誤解やねん! 見ようと思ったわけやないし、チラッと、いやその……」






「ピンクって……ブラの色よね?」




温也フリーズ






「やめたげて、泉ちゃん! 私腹筋ちぎれるけぇ!」






「でも、そういう人好きになる郷子さんも……まあ、お似合いやと思うよ」






「お、なんや、ちょっと優しいこと言うやん」






「皮肉じゃけど」




三人で笑い声が響く。


夕暮れの光がリビングをやわらかく照らしていた












夕暮れのリビング。笑い疲れた三人は、まったりとソファに並んで座っている






「……あー、お腹いたい。もう……あっくんとおると、ホンマしんどいわ……いい意味で、な」






「そ、そうか? まあ……俺、ちょっと笑わせたろう思って書いたとこもあるしな。ほんま、ちょっとだけやけど」






「“ちょっとだけ”って言いよる人は、だいたい全部やってるタイプ」






「泉、なんでそんなに手厳しいん!?」




郷子はすかさず、フォローを入れる


「でもな、泉ちゃん。こう見えて、あっくん、実はちゃんと反省しとるんよ。……たぶん」






「“たぶん”って……」




沈黙。しばらく、三人でぼーっとテレビを眺める。どうでもいいバラエティ番組が流れている






「……なあ、郷子。俺、ちゃんと男になれるように頑張るけえ……もうちょっとだけ、そばにおってくれんか」






「……いきなり、なに言いよんね。あっくん、アホか……」




それでも、唇の端が少し緩む。泉が横からじーっとふたりを見ている






「はい、のろけ終了。私は風呂入って宿題するけえ、じゃあね〜」




立ち上がって出ていこうとするが、ふと振り返る






「郷子さん……ありがとね。お兄ちゃんが、ちょっとだけまともになってきたの、たぶん郷子さんのおかげじゃけ」






「……ええよ、泉ちゃん。こっちこそ、いつもツッコミ助かっとるけぇ」






「じゃけ、次“パンツ見えた”事件とか起こったら、私、郷子さんの味方するけえね!」






「……頼むから、事件の想定がどんどんエグなっとるで……」








郷子と温也、ふたりだけが残るリビング。外はすっかり夜の気配。






「……なあ、郷子」






「なに」






「反省文、ほんまに宝もんにしてくれたん?」






「……うん。ちゃんと、ノートのいちばん後ろに挟んだよ。読んだら元気出るけぇ」






「そ、そっか……じゃあ、次は“感謝状”とか書こかな」






「調子乗んなや、あっくん」




でも、頬はほんのり赤い




──その日。


透けたシャツの奥に見えたのは、ピンクじゃなくて、


ほんとは「好きです」の色やったんやろうな、と、温也はこっそり思ってた。



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