津留美の恋
郷子が部長に就任して、新しい体制での活動が始まった、吹奏楽部。3年生が抜けたので、だいぶ小さな所帯になったが、次の課題曲選びに入った。次は定期演奏会を市民館を借りて、2025年2月に行うことが決まっているため、文化祭で演奏した曲にプラスして、クラシックとジャズを一曲ずつ演奏しようということになったのであるが、これは皆で意見を出し合って、候補がクラシック・ジャズともに2曲ずつ上がって、投票で決めるということになった。
そして、部長に就任してしばらくして、プロ野球も、サッカーJリーグもリーグ戦が終わって、優勝チームが決まった。
プロ野球は、ジャイアンツが優勝して、温也もトシも残念がっていた。トシは特に好きな球団はなかったのであるが、温也と一緒にタイガースを応援するようになって、いつの間にかタイガースのファンになっていた。クライマックスシリーズのファーストステージで、ベイスターズと対戦したのであるが、終盤、驚異的な粘りを見せて、3位通過したベイスターズの勢いに押されて、残念ながら、ファーストステージ敗退となってしまった。そして、そのままの勢いでジャイアンツも破って、日本シリーズ進出を決めて、パ・リーグの覇者である、ソフトバンクホークスと対戦し、初戦と第2戦を落としたが、その後4連勝を決めて、1998年以来の日本シリーズ制覇を果たした。
一方のレノファ山口であるが、夏場までは、J1昇格プレーオフ圏内を維持して、好成績を収めていたのであるが、郷子の大ファンである、河村選手の負傷と、長期離脱も影響したのか、夏場以降、勝てない試合が続き、6位以内を逃してしまい、最終的には11位でリーグ戦を終えた。お互い、タイガースもレノファも、悔いの残る2024年であった。せめて最終戦を観に行こうと思い、温也を誘うと
「最終戦? 行く行く。せめて今季最終戦を応援して、来期の昇格を願おうぜ」
「わかった。14時にキックオフじゃから、何時ごろ家を出る?」
「そうやなぁ。また10時ぐらいでええんちゃう?」
「わかった。それじゃあ、10日の10時ごろ、あっくんの家に行くからね」
「ラジャリンコ~」
そう言って、最終戦を見に行くことが決まった。
「そうそう、次の課題曲、どっちがええかねぇ?」
「ベートーベンの第九と、ワーグナーのワルキューレの騎行かぁ。俺はワーグナーに一票じゃな」
「そうかぁ、あっくんはノリのいい曲好きじゃもんね」
「それで、ジャズの方は、ルパン三世Ⅲとイン・ザ・ムード。俺、ルパン三世の、あのバリトンサックスのサウンドが結構好きなんよね。それとドラムの迫力ある演奏がばっちり合っちょるって思うけぇ、俺はルパン三世パートⅢかなぁ」
「あっくんらしいねぇ。それぞれ、どっちが選ばれるんじゃろうねぇ?」
「郷子はどっちがええん?」
「私はねぇ、ワーグナーと、イン・ザ・ムードかなぁ。この曲、私が一番最初に買うたジャズのアルバムに入っちょってね。お気に入りじゃったんよ」
「そうかぁ。郷子の思い入れのある曲なんやなぁ」
「そうそう。でも、こればっかりは多数決じゃけぇ、どの曲が選ばれても、素晴らしい演奏にしたいなって思う」
「どれも名曲やしな。それじゃあ、また明日な」
「うん。また明日ね~」
そうして、郷子が部長に就任して、最初の週末の夜を迎えた。
「ただいまぁ。お腹すいたぁ~」
「郷子、お帰り。部長としての最初の一週間が終わって、疲れたじゃろ? ほれ。ホットミルク」
「わぁ、ありがとう。今日は結構寒かったけぇ、あったまる~」
「それと、これ。大阪の伯父さんからお土産が届いたよ」
「わぁ、これ、バームクーヘンじゃん。クメリアンのバームクーヘン、美味しいんよねぇ」
そういって、バームクーヘンをいただいて、小腹が少し満たされた郷子であった。やはり思いっきり吹奏楽で楽器に息を吹き込むと、おなかがすくのである。
やがて、夕食を済ませて、リラックスしていると、津留美からラインが入った。
「郷子、明日ちょっと時間ある? 一緒に買い物に行かん?」
「どこ行くん?」
「たぶん、ユメタウンかなぁ。前使ってた手袋、サイズ合わんなってしもーて。バドの練習でラケット握りっぱなしじゃけぇ、関節が太うなったみたいなんよ。しかもほつれとるし」
「わかった~。じゃあ、明日津留ちゃんの家行くわ。昼からになると思うけぇ」
「わかった~。じゃあ、お昼ご飯済ませたら行こ!」
⸻
【翌日】
「津留ちゃーん来たよ~」
「はーい。今行くけぇね」
やがて出てきた津留美。ボーイッシュなスタイルと着こなしで、やはりスポーツ少女と言って感じのいでたちであった。
「そう言えば津留ちゃん、髪切った?」
「うん、ちょっと伸びちょったけぇ。バドやりよると、髪の毛が長いと邪魔なんよねぇ」
「なるほどねぇ。それじゃあ行こっか」
「ほい、行くべ~」
ユメタウンでは防寒グッズがセール中。校則の話になると──
「もう、なんであんな校則あるんかねぇ。別に変なもん買うわけじゃないんじゃけぇ、好きにさせてほしいわぁ」
「ほんまよ。下着の色とか、靴下とか、なんでガチガチに決める必要あるんかねぇ」
「まぁ、お年寄りの自己満よねぇ」
「ほんま、いつの時代の話なんじゃろ。先生らは自由にしちょるのに、自分でやってみいっちゅうに」
「ほほぉ~、真面目な郷子さん、今日ご立腹モードですなぁ」
「いやぁ、そりゃ私も、今の時代に合った校則にしてほしいって思うもん」
⸻
【休憩中、突然──】
「津留美じゃん。何しよるん?」
「……わ、わた……し……」
「津留ちゃん? どしたん!?」
(津留美、顔面真っ赤で固まる)
「おい、だいじょうぶか? 顔、めっちゃ赤いぞ」
「っ……はいっ! だ、大丈夫ですっ」
「ほんまか? ほれ、熱あるんか思うたわ」
(おでこに手を当てられ、さらに真っ赤になる津留美)
郷子:「津留ちゃん、顔! 完熟トマトじゃけぇ……!」
津留美(小声で):「ちょっ、言わんでってばぁぁぁ……!」
「津留美はこの冬の寒さ対策で、手袋買いに来たんじゃて」
「そうなん? ちょっと隣、ええか?」
「は、はいっ。どうぞ……っ」
ドキドキと胸を鳴らしながら、津留美は隣に座る本山先輩を迎え入れる。座った瞬間、彼女の顔がまたひときわ赤く染まったのを、郷子は見逃さなかった。
「じゃあ。俺さぁ、柳井商工に行こう思うんよ。あそこ、バドミントンの強豪で有名じゃけぇ、そこで実力つけて、もっと上を目指したいって思うちょる」
「へぇ〜、ほんまに? すごいねぇ」
郷子がうなずいて相槌を打つ中、先輩の視線はまっすぐ津留美に向いていた。
「それでな……津留美。受験までまだ一年あるけど、高校入っても、俺とミックスダブルス組んでくれんか?」
「……えっ……」
その瞬間、津留美の目が大きく開いた。反射的に目をそらし、頬を押さえるように手を添える。
「わ、私とですか……!? で、でも……わ、私なんて、まだ先輩の足元にも……」
「そんなことないよ。津留美、この一年で、ホンマにうまくなった思う。スマッシュも強うなったし、ネット際のあの細かいプレー、あれは武器じゃ。俺は、また津留美とペア組みたい思うんよ。……俺の願い、聞いてくれるか?」
「……はいっ。わ、私も、もっともっと実力つけられるように頑張りますっ」
思わずぺこっと頭を下げる津留美。その姿は、まさに“恋する乙女”そのもの。郷子はにやっと笑って、横からツッコミを入れる。
「……津留ちゃん、顔がもう、煮えたぎったおでんのタコさんウインナーやん……! こりゃ恋じゃねぇ?」
「ちょっ、郷子っ!! そ、そんなこと言わんでよぉ〜〜っ!!」
真っ赤な顔で肩をぶんぶん揺らしながら、津留美が抗議する。
「いやぁ〜、でもね、そりゃ恋じゃろ。先輩から“また一緒に組みたい”なんて、言われてみんさい。私やったら、三日は浮かれとるかも」
「う、浮かれとるわけじゃないけぇ……ただ、なんちゅーか、その、胸が、こう……ぎゅぅ〜ってなるっちゃ」
「はいはいはい〜、そりゃ立派な“トキメキ”ちゅーやつじゃね」
郷子はわざとらしく肘で小突きながら、笑顔で言った。津留美は両手で顔を覆って、ぐぅ〜っと小さくうずくまる。
「もうっ、郷子、ほんまにやめてぇやぁ……っ! わたし、ほんまに今、恥ずかしさで溶けそうなんやけぇ!」
「じゃけど、よかったねぇ。先輩も津留ちゃんのこと、ちゃんと見ちょったんじゃね」
「うん……そう思いたい……。もしかして、あれって“告白”だったんかなぁ?」
「ん〜? 郷子的には、あれは“ミックス・ダブルス風味の恋の告白”じゃね。甘さひかえめ、でもガチのやつ」
「も、もう、郷子〜っ! やめんさいってぇ……!」
津留美の声は、照れ隠しで少しだけ大きくなった。でも、その表情はとても明るく、嬉しそうだった。
⸻
その後、二人はスポーツドリンクを飲みながら、もう一度そのシーンを振り返っては笑い合った。そして帰り道の自転車でも、津留美の口元にはずっと照れた笑顔が残っていた。
その夜――。
「ねぇ、あっくん。私があっくんと出会った時って、どんな顔しちょった?」
湯上がりの髪をタオルで拭きながら、郷子がふいに尋ねた。
「俺が郷子と出会った時か? そうやなぁ……けっこう積極的に話しかけてくる感じやったなぁ。どんな顔やったかっちゅうたら、うーん……真面目そうな顔やったな。話し方からも、すぐに“この子、しっかり者やな”って思うたん覚えとるで」
「で……その時の私は、“恋する乙女”っぽかった?」
「恋する乙女、て(笑)。そうやなぁ……そないキラキラしとったわけやないけどな。でもな、俺に対してすごい一途なんやなって、そういう空気はあったで。真っ直ぐっていうか、真面目で、でも優しさもあって……」
温也が照れたように言葉を選ぶのを見て、郷子はぷっと吹き出した。
「な〜に、あっくんまで照れちょるじゃないのぉ」
「ちゃうちゃう、郷子が急にそない聞くからやがな。なんかあったんか?」
「うん、今日ね、津留ちゃんとユメタウン行って、買い物したんよ。そしたら、津留ちゃん、めっちゃ恋する乙女モードになってしもーてさ〜」
「おぉ? なんや、恋バナか? 誰に惚れてしもたん?」
「バド部の先輩の本山浩紀さん。今日、ばったり会ってなぁ、“高校入ってもまたミックスダブルス組もう”って言われたんよ。津留ちゃん、もう顔まっかっかじゃった!」
「うわ〜〜、そらアカンやつやな。そんなん言われたら、心臓バクバクやろ」
「そうそう! “ぎゅぅ〜ってなる”って言いよったけぇ。で、私が“あれは告白じゃろ”って言うたら、津留ちゃん、も〜う、顔どころか耳まで真っ赤にしてさ。かわいかった〜」
「あはは、それはええなぁ。ええ青春や。ほっこりするわ」
「ほんとよ〜。で、なんか聞いちょるうちに、私も、あっくんに初めて会った時のこと思い出してさ」
「郷子、あの時も今も変わらんで。しっかりしとって、よう気ぃ回るし、俺から見ても、頼りにしてまうんや」
「ありがとね。……それ聞けて、嬉しい」
郷子は少し照れくさそうに微笑んで、タオルをたたんだ。
「今頃、トシ君はどうしちょるんかね〜。うちらの話、ぜったいくしゃみしてるわ(笑)」
一方その頃――
「ヘックッショーン!」
大きなくしゃみをしたトシが、机の上のプリントを押さえながらぼやいた。
「誰か、俺のこと噂してんちゃうんか……? はは、まさか、郷子らやないやろな〜」
そんなことを言いながら、ひとり黙々とノートをめくっているのだった。
⸻
時刻は夜の9時を回っていた。
「今何時? もう9時か〜。そろそろ風呂、入ってくるわ」
「ほ〜い。よ〜う、あったまってきんさい」
「ラジャリンコ〜。郷子も早よ入らんと、風邪ひくで〜」
「私も、お風呂でぽかぽかしてくる〜」
と、その時、温也がふと思い出したように言った。
「あっ、そうやそうや。前に郷子に話しとったけど、この11月末にな、大阪の衣利子のお墓参りに行くんやけど……一緒に来るか? 俺のルーツも知ってもらえたらって、思ててん」
「え……ほんとに? 私、行ってもええの? お父さんとお母さんに聞いてみるけぇ」
「おぅ、無理はせんでええからな。でも……一緒に来てくれたら、嬉しいな」
郷子は、その言葉に胸がぽっと温かくなった。
温也の生まれ育った場所、そして、彼がかつて柔道でしのぎを削ったライバルであり、親友でもあった衣利子という人が、どんな人物だったのか――郷子の中に、静かな興味と温かな想いが湧き上がっていた。
「どんな人だったんじゃろ……」
そう思いながら、郷子は入浴を済ませ、ぽかぽかの体で布団に入り、ゆっくりと目を閉じた。




