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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ヤニカス。

作者: 棒

タバコが昔から嫌いだった。


 一番最初にタバコを見たのは祖父だった。父は自分と同じで肺が弱かったので、家ではみなかったのだ。祖父の家は田舎の広い家で、引退してから買ったのだそうだった。その一等上級なバルコニーでタバコをふかしているのを、祖母が止めるのでガラス越しに見ていた。そうしている時の祖父はなにかもの想いにふけっているようで、遊ぼうといっても遊んでくれることはなかった。つまんないな、と思ったのを覚えている。


 その祖父はボクが小さい頃に死んだ。肺がんだった。「タバコをずいぶん吸っていたからね」と大人たちは言っていた。よぅやく物心の付き始めた俺は、そのタバコが好きなチョコレートの5倍もすると知って、金を払って吸って寿命を縮めるなんて馬鹿だな、と思た。


 俺がたばこを吸うことはなかった。というのも俺は父譲りで肺が弱かったからだった。父には酒はいいが、タバコはやるな、と言われた。俺は結局どちらもやらなかった。大学に入ってそんな調子だった俺は、サークルになじめず、結局小さめのサークルに滑りこんだ。そこは映画研で、自主制作の映画を作るんだといって、いつも見てばかりいるようなサークルだった。


 文学部の学生とはそんなものなのだろうか。こいつらもタバコと酒が大好きだった。俺が馴染めたのは規模が小さくて、それ以外の会話も濃密だったからに違いない。その中でも一番仲がいい戸部が、運の悪い事に、タバコが大好きだった。


 ヤツは映画が大好きで、中途半端にマジメな俺とは違って講義なんてのはロクに行かず、パチンコをやってるか映画を見ているかバイトをしているのがもっぱらという、その当時でもすでに珍しくなりはじめていた、典型的な大学生というやつだった。


 ある時なんてのは酷かった。有名な監督の取ったサメのパニック映画を見ていた時だった。お決まりのLAギャルがバカンスで海にやってきて、サメが登場したところで彼の手が震えだした。


「わるい、バコ行きたい」


 そういって、彼はタバコを吸いに行ってしまった。仕方がないので、僕らはdvdを止めて、彼らの帰りを待った。そうしてようやく帰ってきて、見始めてしばらく。映画が佳境にはいって、次次人が死んで、さてどうする。サメ退治だ、となったところで、また奴の手が震えだした。


「わるい、バコ」


 それで最期、ヒロインを後ろにかばって、俳優がいかした見栄を切っているところで、ひとこと。


「バコ」


 こんな具合だった。


 そうしてバコにつれ出すときの奴はいつも決まってサークルのみんなを伴なって、部室から出ていくので、吸えない組は苦笑いしながら見送ったものだった。


 ある時、飲み会で飲みすぎて終電を逃した時があった。秋の、ぎりぎり凍死しないかな、といった具合の時だった。その日公園にいたのは、俺たち二人だった。帰れそうなやつらは歩いて帰ったのだ。いつものように、タバコを吸いたがったやつに、俺はついもらした。


「なんでタバコなんてすうんだ」


 そう聞くと、彼はなにいってんだ、といった具合で返した。


「そりゃうまいからだろ」


「でも高いし、体に悪い」


「お前そりゃ、酒だっていっしょだ」


「俺は酒も飲まねえ」


「そうかあ」


 こりゃこまった、といった具合で彼は頭を掻いて、断りもせずにタバコに火をつけながら言った。


「でもお前、ずっと健康で金があってどうすんだよ」


「……」


「俺は短くぶっとくだぜ、人生」


 アホだなあ、と思った。星空の代わりにネオンが光る夜空に、細く煙がたなびいていた。


 その大学に、20数年ぶりに来た。文化祭でもなんでもない、普通の平日だった。最近は働き方改革とかいうやつで、休みをとらされるのだ。かといって馬車馬のように働いてきて、趣味なんてとっくに擦り切れていた。昔は行ったレンタルビデオ屋というヤツもとうの昔になくなって、今はネット配信で見るようだ。その「ナツカシの映画」と表示されたアプリの画面を見て、なんとなく気にのらず、俺は10時に結局家を出た。何もせずにはいられなかったのだ。

 家を出た俺は、足の赴くままに歩いて、気が付いたらここに来ていた。二十数年ぶりに見る大学は意外と景色が変わっていなくて、そして以外と感慨もなかった。それはこの二十年間があまりにもあっというまで、中身が詰まっていなかったかもしれない。学生時代を何の面白みもなく過ごしていた俺は、思えば仕事も今日休みを取るまで、一度足りとて休んだこともなく、面白みのない社会人になっていた。面白いもので20年で服装の趣味も一周するらしく、意外と服装も変わっていなくて、そのあまりになじみよさに俺はそのつもりがなかったのについ構内に足を踏み入れてしまった。

 ぶらぶらと構内をさまよう。思えば学生の頃だってこんなことをしたことはなかった。あの頃は暇だ暇だといいつつ、なんとなく急いでいて、目的なく過ごすということがなかったのだった。食堂、講堂、謎のオブジェクト……いろいろなものを回っていくなかで、ボクはふと足を止めた。

 タバコが落ちている。

 気に留めるようなことではなかった。そこは20年前も、タバコを吸う所だった。別に喫煙所とかで決まっていたわけではない。当時は別に構内禁煙でもなかったのだが、なんとなくみんな吸う場所というのはきまっているもので、ここがまさにそういう場所だった。

 当時とは時代が違う。今は大学は全面禁煙だ。そこら中の看板にそう書いている。いや、それは大学の中だけではない。当時は大人の半分は吸っていたタバコを今吸う人は数%いるかどうか、という具合だったし、ひと箱もチョコレート五枚からラーメンくらいまで値上がりしていた。道はどんどんキレイになっていて、ほとんどの道でタバコは落ちていない。会社のなかでヤニの匂いがする人は今や一人もいなかった。―それは信用を損なう行為になる、そういう時代なのだ。今は。だから、昔はそこら中にあった喫煙所を見かけることは、今やほとんどない。


 だからこそしばらくぶりに見たその喫煙所を見た時に、あれほど嫌っていた喫煙所をみて、ボクはどうしようもない感慨を覚えたのだ。

 そうやって固まること数分。

 いかにも不機嫌そうな声を肩越しにかけられた。

「おっさん、邪魔なんだけど」

「ああごめん」

 声をかけてきたのは、やややせ型で高身長の、金髪の男だった。見た目は派手だが、筋肉はついていなくて、なんとなく記憶の中のアイツに似ている。手にはタバコが握られている。アイツが好きだったのと、おんなじ銘柄だった。

 強烈なデジャブ。

「もしよかったらさ……」

 気が付いたら怪しげなその申し出が口から出ていた。


「じゃあおっさんはOBなんですね」

 彼は俺の申し出を受け入れてくれた。うれしそうにタバコを吸う彼は先ほどと比べればずいぶん上機嫌で、かわいらしいなと思った。俺もまた若さに飢えているのだろうか。

「そうだねえ。意外となんにもかわってなくて、びっくりしちゃった」

「おっさんはしっかりおっさんになりましたけどね」

「うるせえ」

 そういって、俺はそいつのことを小突いてやった。

 うけけけと笑う青年は、悠太というらしい。

「おっさんはサークルなにやってたんすか」


「映画サークル。なんか自主制作をするとかいって、ずーっと映画見てた」

「へえ、俺も映画サークルなんですよ」

「ふーん、なんてとこ」

「スプールってとこですねえ」

「ええ!」

 驚くべきことに、彼は自分たちが所属していたあのサークルの後輩だった。よく聞くと、今の子たちは動画サイトに自分たちの映画を毎月投稿しているらしい。

 あのサークルが真面目になったものだ。

「へえ、そんな大先輩がこんなとこに来るなんて、何か変な感じ。当時のここって、どんな感じでした」

「さあ……俺はタバコ吸わなかったからなあ」

 そういうと悠太は変な顔をした。

「じゃあなんでこんなとこきたんですか」

「え」

「だって、タバコ吸わないんでしょ」

「まあ」

「じゃあ、ここに来る必要もないし、ここでの思い出もなくないですか」

 ……たしかにその通りだった。

「なんでだろう」

「なんすか、それ」

 悠太も苦笑い。


 悠太はボクを部室に案内してくれた。映画のdvdはそうでもないが、部室は、当時よりずっと本が増えていた。「僕らも撮るようになりましたからね」、という悠太に俺は苦笑いした。言われてもしかたがない。

「OBの堀野さんです」

 パチパチパチ、と拍手をされて、なんだか変な気持ちになる。

「現役部員を紹介しますね。右から、澤田あさり、美馬進、上田麗華です」

 部員は当時と比べてずいぶん、なんというか、綺麗どころが多くなったなあ。と思った。部室もなんかキレイだ。


 上田が話しかけてくる。

「え、当時ってちょうどジュラチックワールドが出たばっかりの頃ですよね」

「そうだねえ。公開当日に映画館にみんなで行ったよ。そしたら当時サークル内で彼女のいたやつが、その日や住んでいたたんだけど、別の女と映画館に来ていて」

「うわぁ‥‥…」

 そういったのは美馬だった。顔がいい。きっと思い当たる節があるにちがいない。

 しばらく話していると、彼らが撮っているショート映画の話になった。

「これが脚本なんですよ」

 そういって見せられたものは、映画をロクに撮りもしなかった俺には読み方もわからないものだった。だが、見せられた映像を見るに結構作りこまれていることがわかる。

「編集とかもしっかり入ってて、面白いね」

「そうですねえ。CGも僕らレベルでもできるので、いい時代になったとは思います」

そう答えたのは美馬だ。彼が映像担当らしい。

「でもやっぱり、僕ら学生なんでどうしても限界があるんですよね」

「たとえば」

「そうですねえ、出演できる人の幅に限界があったり……、たとえばココ」

 指をさしたのは、電車で女性がぶつかられるシーン。

「ココ、ホントはおじさんならぴったりなんですけど、僕らだけでやるしかないので、どうしても画面のイメージと違うんですよね」

 そういった上田がかたまる。

「堀野さんにやってもらえばいいんじゃない」


「カット!」

 昼の駅はこんなに空いていたのか。これなら人の邪魔になることもあるまい。

 まばらな人が波のように中央の改札の階段へと吸い込まれている。平日の昼の駅を見る機会は事務系の職だとほとんどない。だからどこか、それこそ映画の中のように思えて、不思議だった。

 不思議といえば、映像を確認している彼らもそうだった。なんとなく大学に来て、なんとなくサークルにたずさわる。その体験そのものが、ひどく幻想的に思えた。

 駅の端、俺が立ち尽くしていると雄太がよってきて「お疲れさまです」と声をかけた。

「演技、上手ですねえ」

「高校は演劇だったからねえ。それでこのサークルに入ったんだ。昔取った杵柄ってやつだよ。杵柄は杵柄でも、もう30年もモチをついてないけどねえ」

「ご冗談を」

「でも、彼女はもっとうまかった」

 そういって目をやるのは、今作の主演女優らしい、澤田だ。快活な少女で、彼らの中でも映画の知識が一番深い。彼女は脚本をやっているらしく、美馬と上田と意見交換をしている。

「まあ、彼女は映画業界志望ですからね」

「そうなんだ」

「演者じゃないですけどね、脚本家になりたいらしいです。凄いんですよ。もうインターンとか行ってて」

 そういう彼の眼は熱っぽい。ああ、恋をしているんだなあ、と思った。おじさんになってこういうとこばっかり鋭くなる。

「君は」

「一般就職ですかね。才能ないですし」

「君の歳でも、諦めるにはまだ早いさ」

「早くないですよ。俺は多分、映画が大して好きじゃないんで。このサークルに所属しているのも、あいつらが好きってだけで」

 そういって彼らを眺める澤田の目線は、少しだけ憧憬の目線を含んでいるように見えて、その姿が、やけに昔の俺に重なって見えた。

「勝手に壁作るなよ」

 気が付いたら、口から出ていた。

「……」

「そうやって壁作ってると、向こうからも寄ってきづらいんだ。そうこうしている内に距離が離れていって、疎遠になって。そうやって、その縁が大事だったって気が付く時には、」

 ゴウ、と向こう側に列車が通過していく。そこで俺が言ったことばはきっと彼にとどかなかっただろう。だが、おれはこう言っていった。

 もう遅い、と。


 久々に会った戸部は、白髪が混じり始めていて、腕が細く、チューブにつながれていて、そしてタバコを吸っていなかった。


 末期がんだった。肺からの転移で、ステージ4。とうに助からないライン。

 ヤツには妻子がいた。あの時結局、ヤツのカップルはどうにかみんなで仲裁して別れなくて、そのまま結婚したのだった。結婚式が、最後にヤツにあった日だった。

 俺とヤツは、ヤツが留年したこともあり、どんどん疎遠になっていった。年賀状を交わす。それだけの関係。そこに書かれていた電話に、奥さんから「実は大樹が、もう長くなくて」とよこしたのだ。

「大樹と堀野くん、仲良かったじゃない。最期に会いたいと思うんだ」

 

「ガキによくねエってんで、タバコはやめたんだがあ、まあ、たたるもんだなあ」

 消毒液の匂いとかすれた声。20数年ぶりに見る、友の姿はあまりにも変容していて、俺は丸椅子にへなへなと座りこんだ。

「あの時、お前の言う通りやめときゃあよかった」

「……そうかあ」

 枕元に置かれた写真立ては、いろいろある。奴は起業して、社長になっていた。従業員との写真、家族との写真。結婚した時期は、無職だったらしい。若いことの奴がいっていた通りの、ぶっとくて短い人生だった。

「お前、OB会とか来なかったよな」

 仕事が忙しくて、といつもの言い訳をしかけて、止めた。コイツと話すのは、おそらく今日が最後だという確信があったから。

「なんか、行きづらくて」

「なんだそれ。待ってたのに」

 そうか、待っていたのか。俺なんかを。

「でも、最期に会えてよかった」

 眠い、寝る。そう言って、彼は眠りについた。それを見て俺が部屋を出ると、「話せた?」と、ヤツの妻-つまり元同輩が聞いてきた。ヤツは、もうモルヒネで持たせていて、一日何時間も話せないのだという。

 その貴重な数時間を、俺の為に費やしたのだ。その事実が、やけに心にしみた。

 数日後、戸部は死んだ。俺は葬式だけ出席して、足早に帰った。


 大学に戻って、さっきの場所に来て、昔の同期の話を聞かれた俺は、つい、そういう話をした。悠太はタバコを吸いながら、俺の話を黙って聞いていた。

「なんで疎遠になったんですか、そもそも」

「たぶん、タバコを吸いに行けなかった疎外感、かなあ」

 すんなりと、ことばに出た。俺がタバコを嫌いな理由。祖父も、戸部も、タバコはいつも喫煙室の扉の向こうへと、大事な人を連れ去っていった。

「なんすか、それ。かわいいっすね」

「そんなもんだろ。人間って」

 俺はこの喫煙場所を見回す。当時も別に見たことはなかった彼のタバコを吸う姿が、なぜだがはっきりと幻視できた。

「……まあ、今更だよなあ」

 なにもかも、だ。

 40を過ぎるが、友達といえる人間は一人も残っていなかった。今更、同期にあってもぎこちなくなるだけだ。

「お前は俺みたいになるなよ」

「なんすか偉そうに」

 戸部は箱をとん、と叩いて、タバコを取り出した。最期の2本だった。

「一本、吸いますか?」

 あんだけ嫌っていたタバコ。妻も友人もいない俺に今更、健康を守る理由もない。俺は黙ってタバコを加えると、悠太は俺が当時見ていた極道映画よろしく、火をつけてくれた。彼はそのまま自分のタバコに火をつける。

 吸い込むとなんか汁が出てきた。別においしくなかった。こんなものか、と思った。たぶんも吸うまい。なんだがすさまじいことだと思っていたタバコが、たいしたことではなかった。そのことがおかしくて俺は少し笑った。

「なんつうか、死人は生き返りませんけど」

 悠太が煙を吐いてから言った。

「俺はこの縁、大事にしたいと思ってますよ」

 そういって見せてきたQRコードを見て、俺はスマホを取り出した。

FIN.

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