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「アンナ、帰るぞ」
「ん、もう帰るの?」
この数十分ですっかり子供たちと打ち解けていたアンナは、名残惜しそうに孤児院の子供たちを見つめる。
子供たちも同様だ。みんなベインのことを想ったような言葉を返す。
「なあー、今日は泊まってけよ」
「ベイン……帰ってきてよ。寂しいよ」
「ミスト姉ちゃん、最近元気無いんだよ? 分かってるんでしょ?」
やいのやいのと寄ってくる子供たちをベインは全員まとめて抱え込む。
全員が生きている。息をしている。
ここにいる家族はみんな生きていて、ベインのことを同じ家族だと思い、そして今もベインの帰りを待っているのだろう。
――けれど、違うのだ。
ベインは死んでいる。息をしているけれども、血は無限に湧いてくる。首を刎ねられても、生き返り、腕を切られても生えて来る。
だから、ベインは帰れない。帰るのを迷う。
いまできることは抱きしめて、そして謝ること。それしかベインには道が見えなかった。
「ごめんな……帰れないんだ」
それだけ言い残す。
精一杯の愛情表現で、ベインは子供たちに接した。きょとんとする子供たちの隙を狙ってベインは逃げるように孤児院を後にする。
「元気でな」
最後にちらりと食堂に目をやる。
薄暗い食堂にミストが座っているのが見える。
ミストはこちらに目を向けてはくれなかった。一瞥すらしてくれないことに嘆息し、ベインはそのまま孤児院を後にする。
「いいの? ベイン」
「仕方の無いことなんだ」
アンナへの言葉は自分への言葉だ。
ベインの心に呼応するかのように、空はどんより曇り始める。
今夜はきっと、雨だ。
===
「それで何も見つかりませんでした」
「まあ、何て役立たずなのでしょう」
翌日、日曜日。昨晩降り続いた雨も止んだ、上層街の上の上でベインはクララクリースに罵られる。
ここは、王都で一番高い場所に位置する、クララクリースの住まう場所だ。
見事に手入れされた色とりどりの花々が咲き誇り、中心に噴水まで備え付けられている庭園に囲まれた、豪奢で全体的に白い造りの建物にベインとアンナは訪れていた。
内部は凝った装飾の家具などが配置され清潔感と高級感が溢れるまさに王族の住まいと言った造りだ。
けれどもここにクララクリースの妙なこだわりが加わることにより台無しになる。
建物の奥はクララクリース専用の小さな工房に改造されており、鉄屑や、打ちかけの剣などが無造作に散らばっている。彼女は剣の手入れを自分で行っているのだろう。
そんな場所で、ベインは見事に罵られる。
その罵倒はクララクリースとしては、ちょっとしたからかいの意味を込めたものでしかなかったようなのだが、ベインは黙りこんで言葉を返さない。
「クララ、空気よんで、ベインは今、悲しい気分なの」
「えっ? えっ? どうして私が悪いことをした流れになっているのでしょうか?」
「あのね――」
困惑するクララクリースの耳元に、アンナは口を寄せる。
ごにょごにょと、恐らくは昨日起こったことをアンナなりに解釈して、説明しているのだろう。
クララクリースは全て聞き終えると、あからさまに不快感を示し、ドレスの裾をひるがえして憤る。
「まあ、何ていくじなしなのでしょう」
またも似たような罵倒を飛ばした。
ベインは何も反論できない。クララクライースの発言はもっともだと受け取っていた。
「女の子を悲しませるなんて、最低です! あなたはそれでも私の付き人ですか? 私はそのようなことをさせる為に『あなたを側に置こう』と考えたわけではありませんよ?」
それからクララクリースは衣装柱から、引っかけられているコートとストールを乱暴に取り去り身に着ける。
化粧台の側に置いてあった、先端が紙に包まれた円形のスティックを手に取り、包装を乱暴にむしりとった。
包装紙の中から現れたのは真っ赤な『ペロペロキャンディのようなもの』で、彼女はそれを口にくわえて宣言する。
「ひひまふふぉ!」
クララクリースはベインの手を取る。何を言っているのかはまるで聞き取れなかったが、ベインの手を取り、建物の入り口に向かうようだったので『行きますよ』と言っていたのだろうと推察する。
入口を通り抜け、庭園に出ると下へと続いていく螺旋階段を無視してクララクリースは庭園の端へと大股で近寄る。
そこは大空に面している。低い石垣の先を越えれば落ちるしかない。
肌を刺す冬の寒気と、灰色の空が目の前に広がったかと思うと、半ば引きずられるようにして、ベインとベインの腰に抱き付いた状態のアンナは連れ出され――。
そのまま空に投げ出された。
「うぉい! アンナ、血を吸え!」
「う、うん!」
ベインの体をよじ登り、首元にかみついたアンナは血を吸い、そのままベインに憑依する。
黒翼で羽ばたき、落下を免れる。
憑依しなければ、はるか真下の地面に叩きつけられていたところだろう。
「何するんですか! 姫さま!」
『そうだよ、危ないでしょ』
ベインとアンナは抗議する。
いつの間にか同じような黒翼を背に纏ったクララクリースはゆっくりと降り立ちながら、強い意志で言い放つ。
「ああ、ごめんなさいアンナ。でもこうでもしなければ、ベインは動かないでしょう」
クララクリースは漂いながら、ベインの手を取り、質問を投げかける。
「ベイン、あなたは死んでいますね?」
ベインは頷く。
「そうです、俺はゾンビです」
「でもここにいるではありませんか」
ベインの手にクララクリースの温もりが伝わる。手袋越しの女性らしくない固めの感触は、不器用なクララクリースらしい。
「あなたの幼なじみはあなたが死んでいたら悲しむでしょう。けれどもあなたが帰ってきた時、彼女はどんな表情をしていましたか?」
ベインはばったりと森林地帯の側で出会ったミストのことを思い出す。
その表情は――
『笑ってた……』
アンナが答えた。
ベインもミストの笑顔を頭に浮かべる。嬉しさとか、戸惑いとか、そういったものが入り混じったけれども間違いなく喜ぶミストの表情だ。
「そうですね。会いたい人に出会えたら、相手が死んでようが生きていようが関係ありません。きっと嬉しいはずなのです」
そうなのだ。複雑な感情が入り乱れていたにも関わらず、ミストはそれでも笑顔であったのだ。
それこそがベインを想うミストの正直な気持ちの証だ。
ミストはベインに会いたい、分からないことだらけで迷うベインの中で、それだけが確信できる。
「一番悲しいのは一緒に歩けるにも関わらず歩かないこと。別々の道を歩くことです。大切な人とは同じ道を歩むべきです」
クララクリースは空を先導する。
下層街に向かって、二人の焔騎士が飛びゆく。
「ですからベイン、これから私が言うことは、王女の言い付けでもなく、騎士としての職務でもありません。ただ一人のあなたを想う女性からのアドバイスですよ」
クララクリースはにっこりと笑顔を見せる。
「迷わず、真っ直ぐ進みなさい。家族に、会いにゆきなさい」
眼下に広がる街を見下ろし、クララクリースはベインを言葉で導いた。
「ありがとうございます……姫さま」
「な、何をしているのですか? このような誰かに見られるかもわからない王都の上空で!」
抱き寄せて感謝するベイン。クララクリースは慌てふためき、翼と体をじたばたとさせる。
「俺はただ姫さまへの感謝を全身で表現しているだけですよ。そこに何か問題でも?」
「問題だらけですし、あなたに抱き付かれても嬉しくありません」
クララクリースは目を逸らし、髪をいじりながら、真っ赤な顔で反論する。
「そうですか? ところで姫さまは嘘をつく時に、髪の毛をいじられますよね?」
「うっ……ベインは時々本当にいじわるになりますね」
流石にこれ以上いじめるのは気が引けた。
天然特有の予想も付かない仕返しが怖いせいもある。
何よりもアンナが不機嫌そうな声を上げたのが、最大の要因だ。
『ベイン……もう着く。クララとイチャイチャしないで』
「怒るなよ、アンナ。俺が姫さまと何しようが、お前には関係の無いことだろ?」
『関係はある! わたしはベインの……ベインの……』
「俺の?」
『何だっけ? とにかく、イチャイチャはダメ、許さない』
これは後で何かご機嫌取りをしなければならないと、ベインは苦笑する。
そうこうする内に、目的の場所に辿り着いた。孤児院の入り口だ。
クララクリースとベインはそこに降り立つ。
「まだ迷っているのですか、いい加減決断してください」
言葉を探して立ち止まるベインは、早くも孤児院の子供の目に留まる。
「あっ、ベイン」
その子供はベインの姿を見つけて駆け寄る。
「おう、昨日はなんか、ごめんな。ミストはいるか?」
けれど返答は残酷なものだ。
「ちょうど探してたんだ。大変だよ。ミストが帰ってこないんだ」
ベインは最悪の事態を想定する。