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ヴァンパイアは交差点で迷う  作者: 徳島静
第二章「ミスト」
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6

「久しぶりだね」


 ミストはかいがいしくお茶の準備をしながら、そんな言葉をつぶやいた。


 ベインは自分が生まれ育った場所に来ている。

 そこは下層街の一画に位置する比較的広い敷地にある教会で、いわゆる孤児院と呼ばれる場所だ。身寄りの無かったベインとミストはここで家族のように共に育った。


「お前、ホントに紅なのか?」

「うん、そう」

「全然、見えない~」


 ベインは孤児院の食堂から、窓の外を見ている。

 そこでは孤児院の子供たちがアンナを囲んで、じゃれあっている。興味津々と言った様子で質問攻めにしたり、ほっぺたを掴んでアンナの反撃にあっている子供も中にはいた。


 変わっていない――ベインはそんな感想を抱く。


 もちろん子供たちの背丈や内面はベインが留守にしていた一年以上を経て変化はしていたが、この孤児院の持つ貧しくも温かい、まるで全員が血の繋がった家族であるかのような――ベインがいた頃と同じ雰囲気だけはまだそこにある。


「ああ、久しぶり」


 何と返したら良いのかわからず、ベインは無難な返事をする。

 いつだって励まし、支えてくれたミストの背中がひどく頼りなく思えるとベインは内心感じながら、必死にかけるべき言葉を探して迷う。


 やがてミストは振り返る。

 ベインは彼女を見る。

 食堂には二人だけしかいない。

 未練を抱き、永遠の交差点を引き返すまでに救いたいと、かつてベインに思わせた幼なじみはベインを送り出した時よりも控えめに笑う。


「何? じろじろ見ちゃって」

「いや、なんでもねえよ……」


 ミストはお湯をティーポッドに注ぎ、しばらく待ってから二人分のティーカップに、琥珀色の液体を注いだ。


「騎士になったんだね。生きてるって知らせは受けてたけど、赤の災厄以来、ずっと帰ってきてくれないから……」


 すっとミストは椅子を引き、そのままそこに腰かける。

 実のところ、ベインは一度だけこの場所に帰省していた。赤の災厄が終わってすぐのことだ。


 その時ベインは誰にも気づかれずに、その場を後にした。

 孤児院の入り口そばで、一人も犠牲になっていないことを確認し安堵すると、そこにミストの姿を見つけた。

 幼い子供たちの母親代わりを務めるミストを見て、ベインは満足し、そして恐れた。


 ベインだけが、死んでいる。 


 そう思うと、いたたまれなかった。死を知られた際に、ミストがどれだけ悲しんでくれるか、容易に想像出来てしまった。ベインはそれ以上ミストを見ていられず、誰にも声をかけずにその日の訪問は終了した。


「すまん。姫さまの護衛についたり、紅の世話だったりで、忙しくて……」


 情けない言い訳を返している。けれどミストはそれでも答えてくれる。


「そう……アンナちゃんって言うの? あの紅の子」

「ああ、記憶が欠落しててな。色々と手間かかって大変だよ。騎士団寮にいるのに、孤児院に戻ってきてるみたいに感じる時があって――」


 そこまで言いかけて、ベインはまずったなと心で呟く。

 ミストは我慢強く無表情を貫いている。けれども、とても危うい様子だ。

 目は乾いて輝きは少ない。唇は噛み締められている。

 言いたいことが、明らかにミストにはあるようだ。


「ねえ、ベイン」

「あ?」

「どうして帰って来てくれないの?」


 とうとう本題に入ったミストの口調は静かではあるが、責め立てるようでもある。それに対して、無言を貫くベインにミストは畳みかけるように想いを紡ぐ。


「ここにいるみんなはあなたの家族で、子供たちはあなたが大好きよ。みんな帰りを待っている。

教会の大人たちはあなたが焔騎士なんて危ない仕事をしていることを、すごく心配しているし、子供たちには安心できる大人のあなたが、遊び相手になってくれるあなたが返ってくるのをすごく楽しみにしてる……」


 ベインは黙る。ミストが見つめても、まだ黙る。そして目線を窓の外に向けた。


 アンナが打ち解けている。 

 孤児院の子供たちと走り、礼拝堂の方へと向かって消えていく。 


「もちろん、わたしだって――」


 ミストは自分から目を背けるベインを悲しそうに見つめた。それ以上返答がないと分かると、またも口を開く。


「赤の災厄からだよね……ベインがここに寄りつかなくなったの」


 その質問は少しだけベインの心を動かす。頬杖をつく腕が少しだけ傾いたのが証拠だ。それほどまでにその日はベインにとって、心動かす人生の一時だったのだ。


 赤の災厄の日、ベインは永遠の交差点で迷った。

 命を落とし、バロンサムディに呪われ、交差点を引き返して来たベインは、結果として一番大事なものに近寄れなくなってしまった。


 ミストの為に引き返し、そしてベインは気が付いてしまったのだ。


「ねえ……あの日、何があったの?」


 死者は来た道を戻れない――と永遠の交差点でバロン・サムディはベインに告げた。


 今のベインにはその言葉が身に染みて理解できた。

 もう死んでいるベインには、目の前の幼なじみを悲しませることしか出来ない。真実など話せない。話したところで生まれるのは幼なじみの涙だけ。


 ましてや、彼女を救うことなど絶対に出来はしないのだ。


「何もねえよ。ただ、道に迷ってるだけだ」


 だからそうやって――はぐらかす。

 けれどもミストはそれだけでは納得しない風だ。

 かつての家族を冷たくあしらうことに苦しみ、真実を話したいという衝動をベインは頑なに抑え込む。

 ミストは煮え切らないベインの態度に爆発した。


「なら相談して! 迷ってるなら相談して! ベインはわたしたちを守りたいから騎士になったのでしょう? でもねわたしたちだってベインのことを守れるんだよ? 悩みを聞くくらいなら出来るわ。それでベインを悩みから守れるなら、悩みなんていくらでも聞くよ?」


 ミストはわなわなと震えている。もう強がりは限界だろう。

 ――このままではどのみち悲しませてしまう。

 だからベインはきっぱりと終わらせようと考えた。


「ああ、お前には嘘がつけない」


 ベインは諦めたように溜息をつく。

 そうして椅子から腰を少しだけ動かして対面のミストにきちんと向き合った。


「俺が迷っているのは、ここにいていいかどうかだよ」


 たったそれだけの迷いを口にする。


「いていいに決まってるでしょ?」


 ミストは家族として当然の答えを口にした。

 けれどベインは受け入れられない。


「いや、そうはいかないんだ」


 ドン――テーブルが強く叩かれた。

 ベインはそれでも動じず、目をこするミストを感情の薄い瞳で見返す。ミストの瞳からはとうとう涙が流れ始めていた。


「どうして? なぜなの? 話してよ!」


 激情に任せるまま、ミストはただ問う。

 けれど返答は残酷なものだ。


「ミスト……お前にだけは一番言いたくないことなんだ」


 決断したベインの言葉はそんなものであった。

 どうしようもなく――二人はすれ違う。

 ベインの心とミストの心は別の場所にあり、交わらない。二人の心の道は、決して交差点にはなり得ない。

 二人は別の行き先を見ていた。


「そうなんだ……そういうこと、言っちゃうんだ……」


 折れたのはミストの方だ。

 一度だけ瞳を拭うと、そこにもう涙は流れていない。悲しんだ後だけが、過去となって瞳のしたから頬に向かって残るのみ。


 きっ、とミストはベインを睨んだ。


「なら……もう帰ってこないで。ベインの顔なんて見たくない」


 はっきりとした拒絶。

 決別の時が来ているとベインは悟り、椅子から立ち上がる。


 結局ミストを救えはしなかった。けれども、ただ一言だけ伝えておきたいと、ベインはこの期に及んで迷子に戻る。


 自分が何故戻り、何故迷うのか――その原点をミストに語る。


「ミスト、これだけは言っておく。俺は……お前を一番に守りたいから焔騎士を目指したんだ」


 伝える言葉は過去形だ。

 ミストはそれに応えず、ベインは部屋を後にする。

 静けさと寂しさがほんのりと漂うその部屋で、ミストは窓から顔を背けてぼそりと囁く。


「そんなこと知ってるよ、馬鹿……何年そばにいると思ってるの」


 ミストの言葉は消えていく。

 彼女以外に知られることも無く、誰の記憶にも残ることは無い。


 二人の為に淹れられた紅茶は、手を付けられずに冷めていた。

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