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「馬鹿、真っ直ぐ進めばいいの」
いつ雪が降り注いでもおかしくない寒さが王都を襲う。その夜は後に『赤の災厄』と呼ばれる特別な晩だった。
たくさんの道が交わり、別れ、そして始まった晩だ。
ベインはそんな土曜日の晩を物思いにふけりながら過ごしていた。
王都の中心に近い『騎士団』の寮を眠れずにふらふらと徘徊しながら、幼なじみの言葉を想い返していたのだ。
「焔騎士になる――その道だけを迷わず進んで、ベイン」
同じ孤児院で生まれ育ち、苦楽を共にした幼なじみの少女は別れ際、ベインをそのような言葉で見送った。
それ以来、ベインは幼なじみの言葉を馬鹿正直に受け止めて、まっすぐ走ってきている。
けれども――
「俺は――まだ騎士にはなれていない」
ベインは騎士団においては見習いの位置にいる。
悪く言えば、落ちこぼれだ。
一年以上も騎士団で訓練を積んでいたベインであったが、同期の誰よりも進歩が遅かった。剣術や体術などの基礎項目においては、引けをとらないのだが、焔騎士として最も必要不可欠な要素が、ベインには欠如していたためだ。
ベインは焦り、迷っていた。このままで良いのか? 本当に自分は騎士に向いているのか、いくつもの不安がベインの心を迷わせる。
「おや? 眠れないのかい?」
夜風に当たろうと立ち寄った、騎士団寮の屋上には先客がいる。
声をかけて来たのは、ベインの先輩に当たるバンデッドという男だ。騎士団の中でも人当たりが良く、ベインにも良くしてくれる青年である。
バンデッドの隣には女性がいる。長い金髪を後ろで三つ編みにした彼女は目を瞑り、夜風を受けている。
「ええ……どうにも悩んでて、らしくないのは分かってるんですが」
「はは、僕もだよ。どうやったら野良猫を救えるか考えてた」
「はい?」
「ああ、気にしないでくれ。それで君の悩みって言うのは『コレ』のことかい?」
バンデッドは軽く笑顔を見せながら、隣にいる女性の肩をぽんぽんと叩いた。
女性の瞳が開かれる。
その両眼は紅だ。
コレ扱いされたのが不服だったのか、少しだけ不機嫌な表情を見せる。
バンデッドは『すまなかったよ、機嫌を悪くしないでくれ』とフォローしつつ、ベインに向き直り、言い直す。
「自分の紅が見つからないのが、悩みかい?」
ベインは頷く。
バンデッドの隣にいる女性は人間ではなかった。
女性は、紅と呼ばれる生物だ。焔騎士が使役する生物で、人間とよく似ており、共生関係にある。
焔騎士になるには、自分の紅を見つけることが必要不可欠で、ベインはまだ自分の紅を見つけられていなかった。
「まあ……紅なんていうのはふわふわした存在だ。秘密主義者だし、ある日突然現れる。どこから来て、どこへ行くのか、一番大事な『目的』すら教えてくれない。見つからなくて当然だ。メルルシャフトと僕だって――どこで出会ったんだっけ?」
「ご主人様がドラゴンの餌になりかけた時です」
「ああ、そうだったね」
柔和な雰囲気のバンデッドと彼に仕えるメルルシャフトを、ベインは眩しく思う。
二人は一人前の焔騎士とそのパートナー。
ベインが望んで止まない憧れであり、ベインの心を焦らせ迷わすものだ。
そんな羨望をいちはやく感じ取ったのか、バンデッドは話題をいちはやく切り替えた。
「ベイン――焔騎士にとって一番大事なのは何だと思う?」
「ドラゴンを退治することですか?」
ベインは一般的にはごく当たり前と思われる回答を口にしながら、屋上に広がる景色を眺める。視界一杯に世界が広まった。
荒野だ。
ベインの立つ騎士団寮を中心に円形上に広がる街の外は、何もない荒野が果てしなく続く。
世界の半分以上の景色は荒野で、それはドラゴンという生物が荒らしまわったせいである。焔騎士とはそんなドラゴンを退治する職業なのだ。
「それもあるね。でも一番大切なのは、もっと単純だ。救うことだよ」
バンデッドはしみじみと話した。ベインが彼を見やると、まるで自分の内に語りかけているようでもある。
「何でもいいんだ。世界でも仲間でも、家族でも……僕たち焔騎士は何かを救うために力を与えられているんだ」
ベインは熱弁するバンデッドの姿を網膜と記憶に焼き付ける。。
彼こそが焔騎士だ――ベインの中でバンデッドが鑑となった瞬間だ。
バンデッドは強く、優しく、迷わない。その姿勢が、迷うベインの心を打った。
「紅なんてきっかけに過ぎないよ。立派な騎士は誰かを救って、何かを救って。時に救えなかった時が来ても、それでもただひたすらに、迷わずに信じた道を進む――どうにかして、救おうとする。そんなものだと僕は思うね」
まだ二十代半ばというのに、バンデッドの頭髪は白髪交じりだ。何年か前、家族を亡くしたと聞いていたからそのせいだろう、とベインは推測する。
「みんな一本の道を歩いてる。迷うことなんてない。君の人生は一度しかないだろ、ベイン?」
ベインの脳裏に彼を送り出してくれた幼なじみの笑顔が浮かぶ。
道は一つだ。
ベインが焔騎士になりたかった理由。それは何よりも守りたい幼なじみの少女がいたから――
バンデッドの言葉が、ベイン迷いを断ち切る。
雲が晴れた様なベインの表情を見て、バンデッドもまた微笑む。
「救いたいものがあるんだね。なら君は焔騎士だ。後はもう紅を見つけるだけで良い。紅がどこから来るかなんて誰も知らないし、きっとその内ひょっこり現れる。焦りは――」
――ガゴンッ!
バンデッドの言葉は皆まで言われない。
さえぎったのは空に響いた殴りつけるような音だ。そちらに目をやると、夜空に赤く咲く大輪の花びらが見える。
「――ドラゴン!? それも王都内に入り込んでいるのか?」
空に咲く赤い火花は、警告を告げる騎士団の合図である。
ベインは見回し、それを見つけた。遠く王都の森林地帯にドラゴンの群れが見える。
「すまないベイン。僕は行かなければ」
バンデッドは別れのあいさつもそこそこに、屋上を去っていく。ベインは寮の自室に戻ろうと廊下に出る。
緊急の召集がかけられたのか、多くの焔騎士とすれちがいながら、廊下を歩く。
「ドラゴンは何匹だ?」
「数十匹の群れらしい。しかも一匹デカイのがいるぞ」
「まさか土曜日に現れるなんて……。よりによってクララクリースさまがいないときに」
焦る声がベインの耳に、いくつも届いた。
ベインはそれらの言葉を聞き流しながら、バンデッドの言葉を想い返していた。
救う――という言葉だ。
そうしていつの間にか、ベインは騎士団寮を出ていた。幼なじみの安否を気遣い、今すぐ下層街におもむこうと思い立ったためだ。
騎士団寮の門をくぐった。遠く街の外周部の上には、小さなドラゴンに囲まれ、一匹の強大で真紅のドラゴンが羽ばたいているのが見える。
赤々と燃え盛るその体躯から、何かが生まれ出た。
「――炎?」
それはあっという間の出来事だった。
燃え盛る炎は王都の遠くに位置するドラゴンの口から放たれると、あっという間に、王都の中心にまでたどり着く。
炎は砕け、爆発する。ベインの真上だ。
赤い爆炎が騎士団寮の塔をへし折ったさまを、ベインはぼんやりと眺めており、それがグラつき倒れる様を見て、ようやく駆け出した。
落ちて来る。無数の瓦礫が落ちて来る。
ベインはようやく迷いを断ち切ったのだ。死ぬに死ねなかった。ただひたすらに生きるために走り、危機から抜け出ようと抵抗する。
だが、瓦礫は無残にベインを呑み込む。視界が真っ暗になった。
「『ミスト』……」
何も見えない中、送り出してくれた幼なじみの名を呼ぶ。
「ごめん、俺は……お前の事」
人生最期の瞬間に、ベインはそのような中途半端な嘆きを残した。