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がん地蔵  作者: 西本麻弥
5/8

万引き

 エツコは白木に墨で仰々しく字を書いた札を持ってきた。

「これは荒神様と言ってね、台所に祀ると後利益があるの」

 これを祀れば100パーセントの確率で火事なんて起こさないし、何の災害にも遭わないの。100パーセントよ?凄いものでしょ?いいことづくめなのよ?


 100パーセントか、100パーセントね。

 どこからどこまでが本当にいいことづくめなのかね。シラーっと多恵は聞いていた。この世に100パーセントなんてことあるの? しかしひとしきりエツコが荒神について語っていたら、お母さんは圧倒されてお金を払わない訳には行かない立場となる。

 五千円札をエツコに渡していた。

 野球部に入っている高校生の兄、大作がエツコと入れ替わりに帰ってきた。「また金をとられたのか?」とうんざりながら威勢もよく母親に向かって、そんなことで人生勝てるのかよ?と出された牛丼の大盛りをかきこむように食べながら不満げにその札を見た。


黒い仮面の大王様は超大盛りの牛丼をガツガツとかきこんでいる。

「大王様」

「なんだ、牛丼はくれてやらんぞ」

「そうではございません。大王様のおなかが出ているのではないかと。少し食べ過ぎではございませんか?」

「何をいう!無礼者! トラックを走ってこい!」

 大王様は笛をピリリリと吹いた。おなかが出ているのは大王様なのに、なぜ私めが走らねばならぬのでしょう! メイドは泣きながらトラックを走り回った。


「荒神?仏教なのに何で神なんだ?」お兄ちゃんが不思議がる。

「仏教と神ってなんか違いあるの?」多恵が尋ねた。

「仏教の教えには神というものはないんだ。神社とか言うような、それとか神をまつっている所にも仏は奉ってないんだ」


 宗教って、お金がずいぶんかかるものよね。お母さんがふっとため息をついてやつれた声でひとり呟いた。


 誰もいない時間、本村家に電話がかかった。真昼にうとうとと眠気がしていた多恵は、慌てて電話に飛びついて、受話器を取ってみたら相手は町内会長だった。

 本村家に順番で町内会の会計の仕事が来たのだった。

「会費を今日中に集めたいんだけど、家にはお嬢さん一人?」

「あ、いえ、大丈夫です。あたし町内会費集めてきます」

電話を受け取った多恵が会費を集めていたら、渡辺家の前で急に足がすくんだ。いやな予感がする。その予感は的中した。

 エツコは幸い不在だった。しかし、エツコの旦那はエツコに負けず劣らず頭の変な人だった。

「町内会費?そんなものに何のメリットがあるの?」

「え……?」

「町内会なんて会費集めたからって何もしないじゃない。大体そんなものに霊的パワーなんてあるの?あるわけないんでしょ?」

 しばらくエツコの旦那を凝視していた多恵は、涙をぽろぽろ流し始めて涙声になった。

「だったら地蔵だとか仏なんかに何の意味があるのですか?そんなものに霊的パワーがあるとマジで思ってるんですか?」

 霊的パワーを持てるような偉い人がどうしてケチ臭く、たかだかの町内会費を払わないんですか? どうして自分勝手なことばかりを渡辺さんはそんな風に出来るんですか?

「もう町内会費はもらいにはきません!だけど渡辺さんも今すぐこの街から出ていって下さい!」多恵は泣きながら家まで走って帰っていった。

 キッチンのテーブルにうつぶせになって、日が暮れるまで明かりもつけずに大声で多恵が泣いていると、母が暗い家に帰ってきた。

 どうしたの! 驚いた母は冷蔵庫のジュースを取り出して多恵に飲ませた。すると少し多恵も心が落ち着いて、泣きすぎてしゃっくりをしながら、エツコの旦那のことを母親に話した。

「そう、会費集めてくれていたの、ありがとうね」

 多恵のこと、少し渡辺さんに突き合わせすぎちゃったね。オジサンまで、そんな風におかしな事を言うような人だったんだね。

「ごめんね」とお母さんは多恵に謝った。

「今夜、お母さんと一緒に寝ようか。多恵ちゃん」


              *          *


 風呂に入った大作は上半身を裸のままで、体をタオルで拭きながら居間に出てきた。鍛え上げた筋肉質の男の体に、多恵は思わず抱き着いた。

「男だ!ああ、男だ!おとこだよ~」

「やめろ!ませガキ!」

 大作は多恵を自分の体から引きはがしてから、身をかがめて笑い顔で多恵の顔に自分の顔をぬかづけた。

「多恵、俺はお前に報告する。俺、レギュラーになったんだ。多恵、今度は絶対に試合、見に来い!」

「うん!いく!ずえったいに行く!!」

 多恵のためにホームラン打ってやるからな!笑う日焼けした顔から白い歯がこぼれる。お兄ちゃん、くわっこいい!!!

 しかし、何が面白くなかったのか、次の日その話を聞いたエツコは、場の空気をさあーっと、しらーっと白けさせるように、大声を上げた。

「多恵ちゃん! 野球場は方角が悪い! 行ってはいけません!!」

 エツコの大声に部屋中の音がシーンと静まる。しばらく目を見開いてうろたえた大作は次の瞬間、怒りを覚えて、わざとドアをバンと大きな音を立て部屋から出ていった。

 多恵は憎悪の感情を込めた横目でエツコを睨みつけた。このわがまま女王様。あたしが野球場へ行くことに何の不満があるんだよ? 他人のうちへ毎晩上がり込んで何が方角? 下らない、このくそばばあ!


兄の入った後のお風呂はぞくぞくする。男の入った後のお湯だ。男の匂いだ! 多恵はこすりつけるように両手ですくい取ったお湯を肌にかける。

 エツコが現れて以来、大人の女に異常な嫌悪感を感じ始め、そして同時に大人の男に対する憧れに、知らず知らず目覚めていた多恵だった。

 大作もそんな妹の心が分かっていた。大作が幼いころは顔を合わせればいつも喧嘩ばかりしていたものの、いつの間に多恵とは何もかも気の合う仲のいい兄妹になっていた。

 応接間で多恵が母と寝ていると男が忍び込んできた。

「……何してるの?」

 大作だった。気づいた母がそう声をかけると兄は暗闇の中で少し笑った。

「多恵の誕生日だから」はにかみながらお兄ちゃんは枕元にプレゼントを置く。

「明日の朝まで開けるんじゃないぞ」

 翌朝、プレゼントの箱を開けると、およそ多恵の小遣いでは買えないガラス玉の宝石をあしらったネックレスだった。

 ああ、やっぱりあたしはやさしいお兄ちゃんが好きだなあ、喧嘩するときは鬼のように怖いお兄ちゃんだったのにね。

 ネックレスをして窓の外をみていると、大作が後ろから多恵に声をかけた。

「コンディションが良くても負ける時があるときがあるし、悪くても勝ってしまうことがある」

 俺は嘘くさいマジナイなんて信じない。そんなものよりはるかに大きな奇跡というものがある。

「勝利の女神は、真摯に努力したものに微笑むんだ」


              *          *


 日参もここまで根性入れて集金にくるエツコなら、ほめてやりたいってもんだよ。ずっとためていた貯金も、銀行に預けていたお年玉も、全てエツコにお布施として取り上げられて、多恵は一文無しになった。

 それでも喰らいついてくるエツコは恐ろしい映画のモンスターのようだった。

 お布施をしなさい!

 お布施をしなさい!

 お布施をしなさい!

「もうやだよ! 何がお布施だよ! どうしてあたしはこんなにお金を取られるの?! こんな下らないくことをやらなきゃいけないの?!」多恵がそう言って泣きだすと、

「下らないとは何事よ! これがまだ下らないとしか思えないの! お布施をしなさい!」

 エツコは叱咤するように言った。


 夜、眠れない。

 どうせ学校へ通ってないんだから、寝なくてもいいよ。多恵はパジャマを着替えて、真夜中の街へ出かけた。コンビニがやけに眩しい。

 店の中に入ると、今はやりのチョコレートが売っている。チェリッコのチョコレート。お金がないから、チョコレートなんて、買えるはずがない。

 しばらくチョコレートを見つめて、それをジャンパーのポケットに忍ばせた。そのまま店を出ようとしたら、「あ、ちょっと」と店員に呼びかけられ、脚がすくみ、立ちどまってしまった。そしてコンビニの店員に両肩をつかまれた。



 多恵はお父さんと一緒に散歩をしようと持ち掛けられた。風もなく、真昼の日差しが暖かく、気持よかった。

「誰にも言うなよ。内緒だぞ」

 そう言ってお父さんが財布を取りだし、ちゃりちゃりと小銭を鳴らしながら五百円玉を取り出した。

「チョコレートも食べられない小学生時代なんて、大人になって思い返したらぞっとするもんだ」お父さんはタバコの形をした禁煙グッズを加えながらそう言った。お父さんと二人で手をつないでコンビニまでチョコレートを買いに行った。

 そのうちお母さんが多恵に毎日小遣いを上げるようになった、それでよかったのも束の間だったが。多恵が小遣いを受け取ると、それは右から左へ、全部エツコの懐へ入ってしまう。つくづく金にあざといエツコ。どうしてそこまで、徹底して多恵のお金を奪い去っていくの?

「お小遣いを受け取ったら、すぐに何でもいいから買いに行きなさい」

 そういう多恵のお母さんの顔が硬く怒っているような、恨みにも満ちている顔になっていて、お母さんも精神的に限界を感じている、それは多恵の齢では理解できなかったけれど、本村家はエツコと言う存在にかなり殺伐としていた。 

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