表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

Dream・World

作者: 深森鏡花

ガイドラインに則り異世界転移とさせていただきましたが、現実世界に始まり現実世界に帰った後のお話も含まれます。転移するのは小説の中です。

ジャンルはハイファンタジーですが魔法は出てきません。

 速く、速く。もっと速く。

 少女は森を駆け抜けた。

 この知らせを一刻も早く陛下に伝えなければ。でないと…

 リリィは唇を噛み締めた。自分がもっと早く気づいていれば、あるいはもっと速く走れたならば。

(ああ、みんな。どうか私に夢の力を貸して)

 この世界、“Dream・World”に危機が迫っている。



(この世界、“Dream・World”に危機が迫っている…)

 るりはそう書き込むと、ペンを置いた。

 教室の片隅で、いつものようにノートを開いている少女。名前は夢原瑠璃。彼女の密かな趣味は、小説を書くことだった。もともと読書好きで目立たない女子なので、こうして一人ノートに向き合っていても、誰かに話しかけられることはない。

 瑠璃が今書いている小説の主人公は、リリィ・ドリームという名の少女だ。まばゆい金の髪と、エメラルドの瞳を持つ。彼女は“Dream・World”という架空の世界を治める王族の出でありながら、騎士団に身を置き世界の平和を守っている、という設定だ。

 “Dream・World”では、現実世界で電気がエネルギーとなるように、“夢の力”というものがエネルギー源となって世界を回している。ここでいう夢とは眠っている間に見るものではなく、人々が考える願いや理想、希望のことだ。つまり人々が夢や希望で溢れるほど、“Dream・World”は栄えるのである。人々の夢を守ること、それが騎士団員であるリリィの使命であった。

 瑠璃の頭の中に、真っ直ぐな金髪をポニーテールにまとめた美貌の少女が浮かび上がる。剣を構える凛々しい姿。仲間に囲まれて笑顔を見せる姿。キラキラと輝くリリィの姿が、浮かんでは消えた。

 リリィは明るくて、強くて、仲間に信頼されていて、素敵な婚約者までいて、地味で内気な瑠璃とは正反対だった。

(正に私の理想の全て…)

 瑠璃はノートを閉じた。教室の前の方に視線を向けると、クラスメイトたちが楽しげに会話を弾ませている。

「おい花城、期末もまた一番かよ。お前、前日まで俺らと遊んでたじゃねーか。どういう頭してんだ?」

「花城君、今度勉強教えてくれない?」

 そんな風に声をかけられ、ひときわ目立って見えるのが、花城怜という少年だった。成績優秀、スポーツ万能、おまけに整った顔立ちの持ち主で、男女問わずに人気がある。

「わかった、わかったって。今度みんなで期末の反省会しようぜ」

 彼の言葉に他の生徒が、反省会という名の打ち上げだろ?と突っ込みを入れ、どっと笑いが起こった。

(住む世界が違う)

 瑠璃は寂しげにクラスメイトたちを見つめた。

 本当はわかっている。瑠璃がリリィというキャラクターを作ったのは、彼女に自分を重ねているから。小説の中の、自分が作った世界でなら、好きなだけ輝けるから。

「ねえ、花城君。今回のテスト、国語だけ夢原さんに負けたって本当?」

 会話の中に突然自分の名前が出て、どきりとした。

「夢原さんって頭いいの?」

 他の生徒が尋ねると、女子生徒たちは声をひそめた。

「ううん、できるのは国語だけ。あとは普通って聞いたよ」

「だから、ズルしてるんじゃないかって噂」

「夢原さん、国語の先生と仲よさげだし、あらかじめ問題聞いてるんじゃないかな…?」

 そこで怜のよく通る声が響いた。

「まさか!でもまあ、例えズルをしていたとしても…」

 怜が冷たい視線を、瑠璃に向けた。

「次は勝つ」

 瑠璃は慌てて目を伏せた。

「きゃ〜っ!頑張って、花城君‼︎」

 騒ぐ女子生徒たちの声にいたたまれなくなった瑠璃は、教室を飛び出した。


 帰宅した瑠璃は、部屋の中でため息をついた。

「私、ズルなんてしてないって、言えなかった…」

 そんなこと本当にしていないのに。国語の先生とは、読書好きという共通の趣味で話が合うだけなのだ。

(リリィ、助けてよ)

 ノートを取り出そうとカバンを開けた瞬間、瑠璃は凍りついた。

 ノートが、ない。カバンをひっくり返してみても、どこにも見つからなかった。

「嘘でしょ…」

 呆然と呟く。

(もしかして、あの時…?)

 瑠璃は慌てて教室を出たときのことを思い出した。きっとあの時、ノートを落としたのだ。

「ど、どうしよう」

 サーっと青ざめる。

「あんな妄想ノート、誰にも見られたくないよ」

 そして、絶叫が響き渡った。

「リリィ〜っ‼︎」


 一方、その頃。

「あー、やっと仕事終わった」

 花城怜は放課後の廊下を歩いていた。

「学級委員も大変だぜ」

 目立つの嫌いじゃないけど、などと独り言ちながら教室の扉を開ける。

 無人の教室に入ると、どこかで見た覚えのあるノートが落ちていた。

「あれは確か、夢原の…」

 表紙には何も書かれていない、ライトブルーのノート。それは夢原瑠璃がいつも肌身離さず持ち歩いているものだった。

 怜は近づいて、ノートを拾い上げた。

「ハッ!まさかこれは国語のテスト範囲?それとも秘密の勉強法か⁉︎」

 負けたことを実は根に持っていた怜は、ためらうことなく表紙をめくった。しかし最初のページに現れたのは国語の問題ではなく、“Dream・World”というの文字だった。

「英語…、いやこれは、小説…?」

 気がつくと、怜はまるで吸い寄せられるようにページをめくっていた。


「な、なんだよ。全然面白くねぇ」

 そう言ってノートを閉じた怜の額には、冷や汗が浮かんでいた。

「この俺が夢原なんかが書いた小説が面白くて読みふけっちまったなんてこと、あるわけねぇよな!」

 ハハハ、と乾いた笑い声が人気のない校舎に虚しく響いた。

 すっかり日が暮れた窓の外には見て見ぬふりをする。

「お、俺の方がうまく書けるし‼︎」

 怜は周りに誰もいないことを確認すると、そのライトブルーのノートを自分のカバンにそっと忍ばせたのだった。


 翌朝、いつもより早く起きた、というより全く眠れなかった瑠璃は玄関で通学カバンを手に取った。

「あら、もう行くの?今日は早いのね」

「うん、ちょっと学校で落し物しちゃって。探したいから」

「そう、見つかるといいわね」

「ありがと、お母さん」

 行ってきます、と母親に挨拶して家を出ると、瑠璃は駆け出した。

 あのノートを誰かが先に拾ってしまったらと思うと気が気でない。

 次の角を曲がれば学校が見える。そう思って一息つきかけた時だった。

「やっと見つけた、瑠璃」

 耳元で誰かの声が聞こえた気がした。

「え?」

 瑠璃はとっさに足を止めた。その瞬間…

 辺りが白い光に包まれた。

 あまりの眩さに顔を覆う。

「きゃあ⁉︎」

 うっすらと目を開けると、光に包まれた何者かが天から舞い降りてくるのが見えた。

 そしてついに自分の目の前に降り立った人物を見て、瑠璃は唖然とした。瑠璃に向かって微笑みかける人物、それは金の髪にエメラルドの瞳を持つ美しい少女だったのだ。まさに小説の主人公、リリィ・ドリームに瓜二つである。

 少女はドレスの裾をつまむと、カツンとブーツのかかとを鳴らす。

 そして、桜色の唇を開いた。

「初めましてと言うべきかしら」

 鈴のなるような、澄んだ声だった。

「うそ、リリィ⁉︎」

 少女リリィ・ドリームは、にっこりと笑って頷いた。

「私の創造主様、全てを与えてくれた人、瑠璃。あなたに“Dream・World”を、救って欲しいの」

「ど、どういうこと?」

 リリィはその問いに答えず、瑠璃の手を取った。そして、なんとそのまま天へと舞い上がったのだ。

「え、えぇ〜っ⁉︎」

 瑠璃は抵抗する暇もなく、リリィと共に光の中へと吸い込まれて行ったのだった。



 再び足が地面についたのを感じ、瑠璃は恐る恐るぎゅっと瞑っていた目を開けた。

「ここはまさか“Dream・World ”…⁉︎」

「その通りよ」

 瑠璃はあたりを見回し、不審な点に気づいた。

(え…?)

 中世ヨーロッパ風でありながら、夢の力から得られるエネルギーで動く車や機械がある。そんなファンタジックな街並みは、瑠璃が想像したものと寸分の狂いもなかった。しかし…

「なんで、誰もいないの。それに…」

 美しく整備され、人々の笑顔で溢れていたはずの街は、なぜか不自然に荒廃していたのだ。

「どうして?私、こんな風に書いてない!」

 瑠璃の悲痛な声に、リリィは瞳を伏せた。

「そう、書いたのはあなたじゃないわ」

「だったら、なんで…‼︎」

 リリィは荒廃した街並みの奥を見据え、言った。

「誰かが書き加えてしまったのよ、彼女を…」

「彼女?」

 ドンッ‼︎

 瑠璃がリリィの視線を辿ろうと振り返ると、突然大きな音がした。

「何⁉︎」

 見ると、倒壊した家屋の陰から一人の少女が現れた。

「一番はあたくし。主人公はこのレイラ様なのよぉ!」

  彼女はそんなことを叫びながら、大きな鎌のようなものを振り回して街を破壊していた。

(やめて…!)

 瑠璃は思わず駆け出した。リリィも共に少女の元へ向かう。

 瑠璃たちに気づいた少女が破壊を止め、振り向いた。豊かな黒髪をツインテールにまとめ、ルビー色の瞳を持つ愛らしい少女。その手には、禍々しい大鎌が握られていた。

 彼女はリリィに目をとめると、口を開いた。

「あらぁ、あなたもしかして、リリィ・ドリーム?」

「そうよ。あなたはレイラ・ローズね?」

 レイラと呼ばれた少女が、ニィっと笑った。

「あなたはもういらない」

 ゆっくりと、鎌を構える。

「“Dream・World”を全部壊して」

 叫んだ。

「このあたくしが主人公になるんだからぁ‼︎」

 レイラが瑠璃の方に向かって跳躍した。大鎌が振り下ろされる。

「きゃっ」

「させない」

 ガキンッ

 剣を抜いたリリィが尻もちをついた瑠璃の前に立ちはだかり、大鎌を受け止めた。

 少女二人が、間近で睨み合う。その時、

「ちょっと待てって、レイラー」

 緊張感をぶち壊す、間の抜けた声が聞こえた。

 見ると、一人の少年が息を切らして走ってくる。レイラは鎌を引いて追ってきた少年の元に戻った。

「あきれた」

 構えを解いたリリィが吐き捨てた。

「“Dream・World”にレイラ・ローズを書き加えた人物は、自分で作ったキャラクターを制御するどころか、逆に振り回されているようね」

「なんだと!」

 リリィの言葉にカッと血を上らせた少年が、顔を上げた。

 その顔を見て、瑠璃は仰天してしまった。

「え、花城君⁉︎」

「げッ、夢原…」

 怜が顔をこわばらせた。

 普段なら花城怜と対等に話すことなど考えられない瑠璃だったが、物語を勝手に書き換えて街を破壊した人物に怒りを覚えていた彼女は、詰るような口調で問うた。

「花城君が“Dream・World”をこんな風にしたの?」

 怜は気まずそうに顔を背けた。それが答えだった。

「ひどいよ!」

 瑠璃と悔しげな様子を見せる怜のやり取りを見たレイラは、ニヤリと唇を歪ませる。

「ねぇ怜、あたくしの創造主様」

 そう呼びながら、怜に身体をすり寄せた。

「勝負すればいいのよぉ〜!」

「勝負?」

「さあペンを取って、続きを書いてくださいまし」

 唇を耳元に寄せ、そう促す。

「あたくしをリリィに勝たせて?」

 少女の甘い囁きは、少年の思考にまるで蔦のように絡みついた。

「夢原瑠璃に勝ちたいのでしょう?」

「お、俺は…」

 戸惑いを見せていた怜だったが、レイラの言葉に黙り込んでしまった。

 レイラは瑠璃に嘲りを込めた視線をぶつけ、叫んだ。

「あたくしがリリィに勝てば怜はこの世界の創造主になれる。あの子に勝てるのよぉ〜!」

 次に顔を上げた怜の表情に、戸惑いはなかった。

「…おもしれぇ」

 覚悟を決めたかのような怜の表情に、レイラはくすくすと笑う。その頬は恍惚と狂気に紅潮していた。

 怜が空中に右手を突き出した。

「やってやろうじゃねぇか‼︎」

 その手に、光り輝くペンが握られる。

 レイラも大鎌を構えなおした。

 すると、リリィが対抗するように二、三歩前へ進み出る。

「リリィ?」

 瑠璃は慌てて呼び止めた。

 しかしリリィは剣を抜いて構え、こう宣言する。

「その勝負、受けて立つわ」

「ち、ちょっと待ってよ…!」

「さあペンを取って」

「そんな、私には…」

 躊躇いを隠せない瑠璃に、リリィが振り返って言った。

「大丈夫よ、瑠璃。()を信じて」

 逆光を浴びたリリィの瞳が反射にきらめく。身長は大して変わらないのに、背筋の伸びたその背中はとても力強く、美しく見えるのだった。

「リリィ…」

 自信に満ち溢れたリリィの表情。それは決して自身への驕りではない。彼女が信じているのは瑠璃自身なのだ。

(応えたい)

 リリィが寄せてくれる信頼に。

(守りたい)

 この“Dream・World”を。

 瑠璃はぐっと息を飲み込んだ。

「わかった」

 右手を掲げると、そこに輝くペンが現れれる。

  瑠璃がそのペンを掴んだのを見届けたのか、怜が勢いよく自分のペンを振るった。

「リリィに勝つ!」

 怜の叫びと同時に、レイラがリリィに踊りかかる。

 瑠璃はさっとペンを空に走らせた。

「レイラを止める!」

 同時に、リリィのブーツがタンッと地を蹴った。

 カンッ

 振り下ろされた大鎌を、リリィの剣がはじき返す。

 それを見た怜は焦りながらペンを動かした。

「ええと…、レイラは、強い…」

 怜はそう書き込んだが、応戦しながらのレイラに叫び返される。

「強いだけじゃわからないわよぉ‼︎」

「クソッ、そんなことわかってるって。じゃあレイラは…」

 怜は額にかいた冷や汗を拭った。

「ぞ、象のように強い‼︎」

 そう書き込んだ瞬間、レイラがドンッと足を踏み鳴らした。

「キャハハハハハ」

 少女は狂ったように笑い、鎌をぐるぐると振り回す。

 大鎌は重さを増し、レイラの力も強くなったようだった。

 リリィはレイラの凶刃を交わすと、後ろに跳び退く。

「瑠璃!」

「うん」

 リリィの声に、瑠璃は頷いた。

 すうっと息を吸い込むと、瑠璃は目を閉じる。

 目を閉じても鮮明に見える。ここは、瑠璃の世界なのだから。

 少しもぶれないリリィの切っ先。鋼のように真っ直ぐで清らかな強さ。それはリリィの持つ剣ではなく、彼女の精神それ自体。

 守りたい。そんな願いがイメージとなり、瑠璃の瞼の裏に流れ出す。そのイメージが、今度は言葉となってほとばしる。

  瑠璃はすっとペンを走らせた。

(鳥が風を切るように)

  重みに鈍ったレイラとは対照的に、リリィの動きが軽やかなものに変わった。

(清水が淀みなく流れるように)

 冴え渡るリリィの動きに合わせて、金糸の髪が弧を描く。反撃の隙を見失ったレイラは顔を歪めた。

(リリィの剣技は…)

  瑠璃はゆっくりと瞼を開く。そして、書きたかった言葉を書き込んだ。

「心に響く」

 そう、確かにリリィは剣を持つ。しかし、それは人を傷つけるためではない。打ち負かすためでもないのだ。

 瑠璃が書きたかったのは、人が争う物語ではない。美しい、幸せな物語なのだった。

 だから…

「リリィはレイラを」

 瑠璃は最後の言葉を紡ぐ。これで戦いを終わらせる。勝つための言葉ではない。この世界にふさわしい、優しい願いが生む言葉。

 ペンを振る少女の背筋は、いつのまにかリリィのように真っ直ぐに伸びていた。

 瑠璃は腕に力を込める。


「救う」


 パリンッ

 瑠璃が『救う』と書いた瞬間、リリィがひときわ輝く一閃を放った。すると、レイラの持つ鎌がまるでガラスでできていたかのように砕け散った。

「救う…?」

 怜は崩れ落ちたレイラと、戦いをやめたリリィを呆然と見ながら呟く。

 へたり込むレイラに、リリィは静かに歩み寄った。

「物語の登場人物が、本気で破壊を望むはずないもの」

  リリィの手が、俯いて震える少女の肩に優しく触れた。

「あなたを形づくるそのペンを、瑠璃に委ねて見る気はないかしら?」

 レイラはのろのろと顔を上げた。その瞳には、自らが生み出した瓦礫の山が映る。

「…っ」

 ルビー色の瞳から、一筋の雫が零れ落ちた。

 すっかり狂気の剥がれ落ちた愛らしい少女を、ほっとした眼差しで眺めていた瑠璃は、突然自分に向けて投げられた物体を慌てて受け止めた。

「⁉︎」

 見ると、怜が持っていたペンを瑠璃に向かって放ったのだった。

「花城君?」

「完敗だ、夢原」

 少年は苦々しいながらもどこか吹っ切れたような微妙な表情をしていたが、真剣な面持ちになって言った。

「悪かった」

 瑠璃は再び仰天した。少年が瑠璃に向かって頭を下げている。何事もそつなくこなすクラスの人気者で、いつも輝いて見えていたあの花城怜が。

 怜は顔をあげるとほんの少し視線を逸らせたが、再び瑠璃の目をしっかりと見た。

「俺がその…、ヘタクソな文章書いたせいで、レイラにも嫌な思いをさせちまったみたいだし。もし許してくれるなら、レイラも“Dream・World”の一員にしてやってくれないか」

「花城君…」

 瑠璃はしばし少年と見つめ合った。いつもは離れたところからそっと様子を窺うように見つめていただけだった。こんな風に彼と目を合わせて話す時が来るなんて、瑠璃は思ってもみなかった。

 怜は確かにプライドが高く、完璧主義のところがある。それが今回のように問題を引き起こすこともあった。しかし、瑠璃は彼のいいところもたくさん知っているのだった。

 そんな二人の様子を見ていたリリィは、くすくすと忍笑いを漏らした。

 瑠璃は、慌てて怜から視線を外す。すると、リリィは楽しげな足取りで近づいて来た。

「いいところもあるじゃない、花城怜」

 リリィは目をぱちくりさせる怜の胸に人差し指を立てた。

「潔くて仲間思い」

 ふわりとエメラルドの瞳を細め、言う。

「一番なんかに拘らなくたって、みんなあなたに引き寄せられるのよ。あなたの持つ長所にね」

 知っていたかとリリィは怜に問いかける。彼女が次に何を言うつもりかを察した瑠璃はリリィの袖を引いた。

「ちょっと、リリィ」

「私に仲間がたくさんいる設定とか、仲間思いで気遣いができる性格とかね…」

 リリィは口を塞ごうとする瑠璃をひらりとかわすと、怜に向けて言った。

「あなたがモデルなのよ」

「え…」

 少年がぽかんと口を開けた。

「もう、何で言っちゃうの!」

 自分の頬が赤く染まっていることがわかる。他にも、リリィの冷静で賢いところや人付き合いが得意なところ、堂々としたカリスマ性など全て彼をイメージしてのものだった。もっと言えば、切れ長の目も、少し硬質な整った容姿も…。

 瑠璃はリリィの背に隠れ、そっと怜を窺う。すると、彼は問いかけるように瑠璃を見ていた。

(〜っ‼︎)

 瑠璃は恥ずかしさに耳まで真っ赤になりながら頷いた。それを見た怜が少し嬉しそうに表情を変えたのが、妙に印象に残った。

 “Dream・World”は救われ、なんだかんだで、憧れていた怜とも会話ができた。瑠璃が心からの笑みを浮かべかけた、その時だった。

「何っ⁉︎」

 大きな地響きと共に、大地が激しく揺れた。建物が倒壊し、瓦礫が降り注ぐ。

「夢原!」

 立っていられなかった瑠璃を怜がかばう。飛び出してきたリリィが二人の前に立ち、剣で瓦礫を両断した。レイラも大鎌の柄を棍のように回して、リリィの剣をすり抜けてきた瓦礫を払う。

 リリィが天を見上げ、呟いた。

「世界の崩壊が、始まった」

 晴天だった空には、いつのまにか不気味な暗雲が立ち込めていた。それだけではない。

「何、あれ…」

 瑠璃は空に走る真っ黒い亀裂に気づいた。それは徐々に広がっているように見える。

「どうして⁉︎レイラは止めたはずなのに‼︎」

 リリィが悲痛な面持ちで振り返った。

「奇跡には代償がつきものなのよ」

 それが、物語のセオリー。

「奇跡?」

 怜が訝しげに尋ねた。

 エメラルドの瞳が、二人に向けられる。リリィが口を開いた。

「あなたたちがこの世界に来られたこと」

「そんな…」

 瑠璃は口元を覆った。自分は“Dream・World”を救うために、ここに呼ばれたはずだった。それなのに、瑠璃たちのせいで世界が崩壊してしまうというのか。

「瑠璃、私はあなたならこの世界を救えると、本気で信じている。だからあなたをここに呼んだのよ」

 膝をついた瑠璃の肩に、リリィの手が触れた。

「落ち着いて、思い出して」

「リリィ…」

 どこまでも冷静なリリィの声に、瑠璃は顔を上げた。リリィは安心させるように、ほんの少し微笑みながら問いかける。

「あなたは最初に、“Dream・World”のあらすじを設定したわよね?その結末を覚えているかしら」

「…リリィ一人では対処できないような、世界の危機が訪れる…?」

 瑠璃の答えに、リリィは無言で頷いた。

「その後、どうなるんだ?」

 怜が緊張した面持ちできいた。

「ええと、リリィは仲間たちと夢の力を合わせて、最終的には世界を救うことができる…」

 リリィが再び頷いた。

「そう、必要なのは仲間たちの夢の力」

 瑠璃はリリィの腕にすがりついた。

「仲間を呼んで!助けてよ‼︎」

 リリィは、珍しく自ら目を背けた。長い睫毛を伏せ、声を絞り出す。

「みんなは今、住民を守るために各地に散らばっているわ。彼らも必死に戦っている。けれど、みんなを呼び戻す時間はないわ。それでは間に合わない…」

 瑠璃の目に、涙が滲んだ。

「他に、何か。何か方法は…!」

 つらそうに顔を歪ませるリリィの表情に再び俯きかけた瑠璃の腕を、誰かが掴んだ。

「しっかりしろ‼︎」

 目線を上げると、怜が瑠璃の腕を引き上げていた。

「花城、君…?」

「仲間なら、俺たちがいる!」

 怜は瑠璃を掴んで立たせたまま、リリィに向き直った。

「その夢の力ってやつはどうすれば使えるんだ?」

 リリィはハッと驚いた顔をして答えた。

「…空に向かって、夢を叫んで」

「その夢ってのは何でもいいのか?」

「ええ。目標でも理想でも、将来の夢でも。マイナスなことでなければ」

「わかった」

 怜はすうっと目一杯まで息を吸い込み、叫んだ。

「俺はずっと、自分のために一番になりたかった。でもこの世界に来てリリィや夢原と話して、思った」

 瑠璃にちらりと視線を向ける。

 彼女は順位や点数で人を評価したりしない。本当は誰よりも美しい文章を書けるのに、ちっともそれを誇らずに、相手の長所を手放しに褒められる少女。

 怜は空を見据え、言った。

「もし俺に夢原が認めてくれるような優れた点が本当にあるのなら、それを自分をよく見せるためじゃなく、みんなのために使いたい」

「あ、あたくしも」

 いつのまにか隣に立ったレイラも、後を引き継ぐように叫んだ。

「過ぎたことは取り返せないけれど、これからはみんなの役に立ちたいわ!」

 怜の言葉に、レイラの言葉に、リリィの剣が輝きを増す。リリィはその剣を空の亀裂に向けて掲げた。

「まだよ、まだ足りない。瑠璃!」

「私…」

 リリィが瑠璃を見つめた。怜が瑠璃の背中を押す。レイラも瑠璃に向かって力強く頷いて見せた。

 周りにこんなに人がいる。信じてくれる人が。そんなこと、初めてだった。

 瑠璃は顔を上げた。

「私、今まで誰にも言えなかった」

 でも、今なら言える気がした。

「なれっこないと思ってた。でも、私」


「小説家になりたい」


 それが瑠璃の夢だった。心の奥底にしまうのではなく、ノートの隅にこっそり書き留めるのでもなく、初めて声に出して言えた。

 こんな私でもできることがある。人の役に立てることがある。自分の力で。

 瑠璃はそう信じたかった。

「今まで私に元気をくれた沢山の本のように、みんなに元気をあげられるような小説を」

 空に向かって、めいっぱい叫ぶ。

「そんな小説を、私は書けるようになりたい!」

 同時に、リリィが輝く剣を空に向かって突き上げた。

 世界が光に包まれる。剣から溢れ出た光が綻びを繕うように、空の亀裂を埋めていく。

 リリィが瑠璃の手を取った。

「ありがとう、“Dream・World”は救われたわ」

(よかった、本当に…)

 しかし、瑠璃が安堵できたのは束の間だった。続くリリィの言葉に、瑠璃は言葉を失った。

 リリィは今までで一番美しい笑顔で、こう言ったのだった。

「これで、ハッピーエンドよ」

 光に包まれた“Dream・World”が、そのままゆっくりと薄れゆく。

(エンドってまさか…)

 額に嫌な汗がつたった。

「これで完結だなんて言わないよね⁉︎」

 焦った瑠璃は、リリィの手を強く握った。二度と離さないとでも言うように。

 しかし無情にも彼女の身体は、光に溶けるように淡くなっていく。

 リリィは少し困ったように微笑んだ。

「瑠璃にはわかっているはずよ。この世界をつくったあなたなら」

「いや、嫌だよ。お別れなんて」

 “Dream・World”は瑠璃の心の支えだった。リリィならどうするか、そう考えることで頑張れたこともたくさんあったのだ。

「まだ、一緒にいて…!」

 瑠璃の涙に濡れた頬を、リリィの指が拭った。

「ねえ、瑠璃」

 光の中に溶けていくリリィの身体が、徐々に見えなくなる。

「私は最初に言ったでしょう?」


『私の創造主様、全てを与えてくれた人、瑠璃』


「あなたは私をつくってくれた。私が持っているものは全部、あなたがくれたものなのよ。人はね、瑠璃」

 掴んでいたリリィの手が、瑠璃の腕をすり抜た。

「自分が持っていないものを、他の人に与えることはできないの」

 リリィが瑠璃の肩をふわりと優しく抱く。金色の髪が一房、瑠璃の頬をかすめて消えた。

「あなたはちゃんと心に輝きを持っているわ」

「リリィ…っ」

「だから大丈夫」

 最後に微笑む。リリィのその微笑みは瑠璃の記憶に焼き付いた。

「夢を、諦めないでね…」

 その言葉を最後に、リリィと“Dream・World”は瑠璃の前から消えたのだった。



 そして、瑠璃の日常はあっけないほど簡単に戻ってきた。


 瑠璃は、最後の行までしっかり埋まった自分の原稿用紙を見た。瑠璃がペンを置いてしばらくすると、パンパンと手を叩く音が聞こえた。

「はい、そこまで。みんな書けましたか?」

 集中していた瑠璃の耳に、まだでーすとか、全然書けないなどと言い合うクラスメイトたちの喧騒が戻ってくる。

 今は、国語の授業中だった。

「じゃあ、誰かに発表してもらおうかしら?」

  先生の声に、指先が震えた。

(発表、してみたい。でも…)

 瑠璃は自分から手を挙げたことなど一度もなかった。

 ほんの少し浮かせた手が、再び膝の上に戻ろうとした時、瑠璃の机に上に丸めた紙が転がった。

 飛んできた方向を見ると、少しいたずらっぽい顔をした怜が瑠璃を見ていた。目が合うと頷いて見せる。

 紙を広げてみると、そこには彼らしい整った文字で『発表、すれば?』とあった。

 瑠璃はぐっと前を向く。ゆっくりと右手を上に向かって伸ばした。

「はい!」

「夢原さん?」

 先生は一瞬驚いたようだけれど、少し嬉しそうに瑠璃を指す。

 みんなの視線が集まり、怖くて逃げ出したくなる。けれど…

(見ていて、リリィ)

 瑠璃はすくっと立ち上がると、作文を読み上げた。

 読み終わった瑠璃に、怜が拍手を送ってくれた。クラスメイトたちもつられるように拍手する。

「夢原さん、ありがとう」

 先生は瑠璃の作文を褒めてくれた。

(勇気を出してよかった)

 この時の瑠璃の笑顔は、リリィのようにキラキラと輝いて見えた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ