第五話 『異世界生活スタート』
俺は足の力が抜け、その場へと座り込んでしまう。
勿論、時の流れというものは俺が打開策を思いつくまで待ってなどくれず、シャルと目が合ってしまった。
「ミライ様……っ!」
どうする! 最後の足掻き、何か最後の足掻きを思いつけ。
時を止められたような気分の中、俺は最後の打開策を脳内で模索する。
「お手洗いってどこですか?」
これしか思い浮かばなかった。
様々な手を考え、シミュレーションした結果、会話だけで乗り切るにはこれしかないと思った。
俺は近くの窓枠へと手を掛けて、地面に触れていた尻を上げる。
(頼む、正解のルートであってくれ……!)
シャルは何だこいつはという顔をして、廊下の先を指さした。
「突き当りの手前です」
「ありがとう!」
トイレを教えてくれたシャルに感謝しているのか、この窮地を打開させてくれた神的何かに感謝しているのか。俺には分からなかったが、とにかく喜びと安堵で胸がいっぱいだった。
シャルは俺に構っている暇など無いと、あからさまな態度を見せながらブラッドレイの方へと走っていった。
俺も自室を目指して、その場から撤収する。
クエスチョン、俺は何時間くらい歩いたでしょうか。
答えは簡単、沢山だ。
あんなに遠いながらも近く感じていた廊下が、延々と続く同じ道のように感じるほどに長く感じる。
僅か数分で行きついた突き当りも、最早見えてくる気配すらない。
次第に眠気も襲ってきて、意識が朦朧とし始める
「大人しく寝ておけば良かっ―」
瞬間、身体が誰かにぐいっと引っ張られるような感覚を覚え、周囲の景色が一気に縮む。
例えるなら車などの乗り物に乗っているときに見える、あの射線のように通りすぎていく景色だ。
瞬間的に起こったことだったので、長く感じたが正確には一瞬の出来事。気が付くと俺は目印のついている部屋の前にいた。
「何だったんだ今の……」
それこそ寝ぼけていたのだろうか、そう思いながら二、三回自分の頭を小突いた。
その夜はそれ以降何事も無く、俺はぐっすりと眠りにつくことが出来た。
―ようござい……
「おはようございます、朝ですよ」
瞼を上げると、そこにはシャルがいた。
というよりも朝起きて目の前いっぱいに女の子の顔、これで心臓が飛ばない訳がない。
思わず俺は「ひっ」という変な声を出してしまい、逆にシャルも驚いていた。
「ブラッドレイ様がお呼びです、お着替えは用意しておりますので。それと今晩からはご自由に浴場をご利用くださいませ」
そう言うと、シャルは俺のズボンへと手を掛ける。
「何を!?」
「? お着替えのお手伝いを……」
「大丈夫! 自分で出来るから、というか流石にこれは駄目でしょ!?」
「ですが」
「ほら、シャルだって自分の着替えを見られたら嫌だろう? そういうことだよ」
「では―」
―どうしてこうなった?
俺の視界は奪われ、下半身で何かモゾモゾとしているのだけが感じ取れる。
先ほどのやり取りから、何故か目隠しをしながらならばOKという結論に至ったようで、俺は目隠しをされたまま着替えの手伝いをしてもらうことになった。
というか普通は逆じゃないか? シャルが目隠しをして、俺が着替えるのでは?
このような理屈が通じないのもまた異世界、そう捉えておくとしよう。
「んぅ……んん」
喘ぐな、何か如何わしい状況だと思われるじゃないか。
目隠しをされた男の下半身でメイドが呻きを上げる、この状況を一般人なんかに見られでもしたらどう思われるだろう? 勿論、そっち系だと認識されるだろうな。
どうやらシャルはジーパンのベルトやチャックに苦戦を強いられているようで、先程から腰を前後に引っ張られているので本当に辛い。それどころか腰を振っていると思われ、更にとんでもない勘違いをされそうだ。
「あっ、外れました!」
嬉しそうに言うシャル。
それは良かった、じゃあ早く着替えを続行してくれ。
「では足をあげて下さい」
無事と言っていいのかは些か微妙なところだが、疚しいことなどは何もなく、しっかりとした気つけをしてもらえた。
強いて言えば、「外れた」というのがジーパンの命であるチャックだったということは黙っておこう、露出狂扱いされかねない。
階段を挟んで正面、昨日ブラッドレイ達が歩いて行った左の廊下へと案内された。
俺の寝室のあった廊下とは打って変わり、それこそRPGの城のように広々としていていくつもの廊下が合体している様な内装だった。
「屋敷じゃなくて、最早城だな」
そのうちに俺は巨大な扉の前へと到着した。
「どうぞ」
どうぞって、勝手に開けていいものなのか? 生憎だが俺はこういう場所での作法というものを知らない、それどころか敷居の高そうな家などでは片っ端からノックしてから入るレベルだ、トイレすらも。
というわけで、俺は数回ノックしてから扉を開けた
「失礼します」
「おっと、ミライ君。そうではないだろう?」
「あ、おはようございま……すぅ!?」
入ってまず驚いたのはその広さ。
壁は柱だけの吹き抜けになっており、外はここら一帯の大地が見渡せる高さにあることを証明していた。柱の上には体育館のようにちょっとした道、まるでちょっとした会場の観客席のような作りになっていた。
まじまじと見渡していると、ふと垂れ下がっている旗に目が行く。
「あれ? 全部模様が違う……
「気が付いたかい? 今日は朝からちょっと面倒な話になるが、付き合ってほしい」
ブラッドレイの顔からは笑顔が消えた。