40. 馴染む
アイキとリューナが消えてから、一週間が過ぎた。
朝は、ジルが起こしに来てくれて、サラと食事をする。それからルフの家に向かい、シーナや他の魔族の手伝いをして過ごしている。
「ルーセスくん、どこかの国の王子様なんだってねぇ?」
「はい……でも、今はもう王子ではないですよ。あ、この材木どこに置きますか?」
「ああ、大きいものは、こっちに置いてくれるかな。小さいものは……」
今日は、森の木を切り倒し、虹彩の町の中に運び入れている。オレの空間魔法を使えば、大きな材木を離れた場所に運ぶことも造作無い。
「ルーセスくんのおかげで、しばらく作業に集中することができる。本当に助かったよ、ありがとう」
「いつでも必要なときは声をかけてください」
この魔族は、一本の木からいろいろなものを作っている。食器や棚などの生活に必要なものを作り、必要な人に無償で提供している。虹彩の人々は基本的にお金を使わない。自分の得意とするものを作り、必要なものと物々交換することで生活している。
シーナは畑で野菜や花を作っている。ルフもサラに何かを頼まれていない限りは畑にいることが多い。畑仕事はやはり大変なのだろう。それ以外にも多くの人が畑で作業をしている。
「シーナ! 何か手伝おうか?」
オレの声にシーナが振り返ると、一輪の赤い花が咲いている植木鉢を抱えていた。
「ルーセスさん! ちょうどいいところにっ! これ、アヤさんに届けてもらえますか?」
「アヤさんは、隣の家の人だったよね」
「はい、お願いしますっ」
「わかったよ」
土に汚れた格好のまま、シーナはパッと笑った。明るい橙色の、少しクセのある髪が陽の光に輝いて見えた。シーナの笑顔には、やはり元気をもらえる。いつもオレの部屋に来てくれていた時は着替えていたのか、汚れた服装で来ることはなかった。気配りというか、気遣ってくれていたのだということを、オレは知らなかった。
虹彩の魔族は誰一人として『忙しい』とか『時間がない』なんて言葉を使わない。ゆったりとした時間の中で、必要な物だけを持ち、必要なことだけをする。ゆっくりと流れる時間の中で、誰かと一緒にお茶を飲んで過ごすような、他人と関わる時間を大切にしている。
植木鉢を抱えて、アヤさんの家に向かった。虹彩はとても花が多い。そのほとんどがシーナの育てた花であることも、最近になって知った。花は生活の必需品ではないけれど、この花無しに虹彩の町を語ることはできない。シーナが虹彩を華やかにしている。それは、とても素晴らしいことだと思う。
アヤさんは、ひとり暮らしをしているおばあさんだ。話は長いけれど、アヤさんのブレンドするお茶はとても美味しい。家が見えてくると、玄関先で余分な草を取っているアヤさんの姿が見えて、オレは自然と小走りになった。
「アヤさん、シーナからお届け物です」
「おやまぁ、こっちから行こうと思っていたのに、悪かったね。お茶を飲んでお行き、王子様や」
「王子様はやめてくださいよ、ルーセスって呼んでください」
「なんだかねぇ……王子様のほうがしっくりくるんだよねぇ、うふふっ」
アヤさんと他愛もない話をしながら、家に入った。もう何度もアヤさんとはこうしてお茶を飲みながら話している。ルフとシーナを除くと、一番よく話している魔族かもしれない。
「最近のシーナちゃんは楽しそうだね。お兄ちゃんが増えたみたいだよ」
「そう思ってくれているなら、良かったです」
穏やかな日々が続いていた。人々は、こんなに穏やかに暮らすことができるのに、ミストーリの人間はなぜあんなに忙しないのだろう。人は、常に新しいものを追い続ける。新しいものを次々に生み出さないと、生きていけないかのように。
オレは、アヤさんの昔話をたっぷりと聞いてから、ルフの家に戻った。
家の中には、ルフとラピスがいた。二人は、小さな机を挟んで向かい合わせに座っている。無表情なラピスに対して、ルフは優しく微笑んでいる。
ラピスは、オレとルフの監視をアイキに頼まれたと言っていたけれど、監視というよりは……。
「ルーセス!」
ラピスが、オレの名を呼びながらサッと立ち上がり、ブーツの踵で床をカツカツと鳴らしながら、こちらへと歩み寄ってくる。その後ろ姿を目で追うルフは、やたらニヤニヤしている。
「ルーセス、今日のわらわは美しいか?」
ラピスは冗談を言うような奴ではない。またしても、ルフが何かを言ったのだと瞬時に理解する。
「ああ……美しいよ」
「本当か? 昨日よりも美しいか?」
「本当だよ」
ラピスがくるりと振り返ると、ルフが得意気に微笑む。
「だから言っただろう? ラピスは日を追うごとに美しくなっていく……と」
ラピスは毎日のようにやって来て、何をするでもなくオレやルフと茶を飲んで過ごし、夜になると水の精霊の棲家である”水の神域”というところに帰っていく。アイキとリューナにも会うのだろうけど、二人の話をラピスはしない。
ラピスは過去世に於いてもそうであったように、現世でもどこかの国の王女だったと言っていた。その所為か、身振りや言葉遣いがリューナとは大きく異なる。
そんなことよりも……何故かルフが、会うたびにラピスを口説いている。ルフが何を考えているのか、さっぱりわからない。おかげでオレはこの二人と一緒にいる時間、どんな顔をしていればいいのか本当にわからなくなる。
「ビシュにも言われたことがないな……子供の頃、母上に”日に日に大きくなる”とは言われたが、それと似たようなものか?」
「それは違う気がするぞ……ラピス」
ラピスは腕を組み、首を傾げる。顎の位置で綺麗に切り揃えられた、淡い紫色の髪がさらりと揺れた。確かにラピスは美しい。深紫の瞳と、黒い衣装が印象的だ。出身地域の装いなのか、生地が厚めなので虹彩では暑そう……と言うよりも、虹彩でのラピスの装いは、かなり場違いだ。
「わらわの母上は、とても美人だったのだ。母上に似てきたのかと思うと嬉しいぞ」
「そうか。それは是非お会いしてみたかったな」
ラピスが、嬉しそうに目を細めて微笑む。品のある雰囲気や話し口調は、ラピスをより美しく魅せる。
「茶を淹れよう。二人とも座れ」
「ああ、ありがとうルフ」
「紅いのは茶を淹れるのが上手いな。わらわ、紅いのの茶は好きだ」
「ラピスには特別に美味い茶葉を使っているからな。そしてオレの愛もたっぷりと注いでいる」
「あ……紅いの! そんなものは足さなくとも良い!」
ルフは、驚くように頬を赤らめたラピスに微笑んでから、茶を淹れるためにキッチンへと向かった。オレは小さく息を吐く。ルフは口ベタだと言っていたような気がするが、これはどういうことなのか、きっちりと説明してもらいたいところだ。
ラピスは少し困ったような顔をしながら、オレの服を引っ張った。
「ルーセス……わらわは紅いのが苦手だ」
「ま、言わせておけばいいさ」
普段は凛としているラピスの困った表情は、とても可愛らしい。ルフは、ラピスが困るのを知っていて、わざわざ"愛"などと口にしたのだろう。
小さな机を囲むように座って、ルフの淹れてくれた特別な茶を飲んでいると、シーナが畑から帰ってきた。シーナと一緒に作り置きしてあった菓子も加わり、四人で他愛もない話をする。
とても平和で、穏やかな時間。
オレたちは今、この穏やかな虹彩の町に守られている。町の人たちと助け合い、協力し合い、生きているのは心地良い。王子であることも、星族のことも忘れて、此処で一生を過ごすのも良いのではないか。
必要最小限の、少しの魔法を使うことが出来れば生活には何の支障もない。強い光の魔法なんて無くても、オレは十分に幸せに生きていける。
ただ、そう思う度にアイキとリューナのことを想い、苦しくなる。二人は今、何を思い、何をしているのだろう。




