38. 歌って
食事が終わってから、あたしとアイキはまた違う部屋に向かっていた。とにかく水の精霊の棲家は広い。壁のむこう側に、ゆらゆらと水草のようなものが揺れていて、その傍らを魚が泳いでいる。床は水の膜で出来てるみたいで、少し柔らかい。どれだけ歩いても景色が変わらないので、アイキと一緒に移動しないと迷ってしまいそうだ。
しばらく歩くと、何も無いだだっ広い部屋に出た。少し前を歩いていたアイキは、振り返ってあたしの手を取ると、部屋の真ん中まで引っ張っていく。
「ねぇ、リューナは歌ったことある?」
「なくはないけど、あんまり……」
「オレに聴かせて?」
「アイキの前でなんて、ぜっったいにイヤよっ」
「気にすることないのに。オレだって初めは下手だったんだもん♪」
アイキは、少し困ったように首を傾けてあたしをじっと見ると、息を吸い込んだ。
「―――♪」
綺麗な声。アイキの歌声、すごく好き。
「ね、リューナもオレと同じように歌って」
「……うん」
同じようになんて、歌えるわけないのに……。
「―――♪」
「あぁぁぁ……」
自分の声に恥ずかしくなる。顔が沸騰しそうなほどに熱くなった。アイキがニコっと笑うので、余計に恥ずかしい。
「しょうがないな♪ 特訓だからね、すぐに歌は無理でも声の出し方くらい覚えてもらわなくちゃ」
「……歌が、特訓?」
「リューナが今すぐ使えて即戦力になるものを使うんだ。声に魔法を乗せることが出来るようになって、自分の身を自分で守れるようになるのが目標ね。そのために歌うんだ。そして、剣を使えればカンペキ!」
「それって、支援ってこと?」
「察しが良いね♪ 支援ならレベルが低くてもあるのと無いのでは全然違うだろ?」
アイキが歌う。
あたしは、ぼーっとしながらその姿を見ていた。今までこんなふうにアイキの歌を聞いたことが無かった気がする。城でもアイキの歌を聴いた人は皆、聞き惚れて大絶賛していた。あたしはアイキの歌は魔法だと思っていたから、上手くて当たり前くらいにしか思っていなかったかもしれない。
「リューナ! ちゃんと聞いてる?」
「……あっ…………うん」
「やっぱり……しょうがないな」
アイキがあたしの両手を握ると、真剣な顔をして迫ってくる。あまりにも近くて、思わず呼吸を止めた。大きな目を弓なりにして、目の前でにやりと微笑む。
「覚えてくれないと困る。オレの夢なんだ」
「えっ……?」
アイキは魔法を使った。その瞳が碧く輝くと、あたしは、自分の意志とは関係なしに声を出した。
「……そう、喉で歌うんじゃない、全身で……そうそう! リューナは素直だなあ」
魔法で歌わせておいて素直も何も無いじゃない! ああもう……恥ずかしい。あたしの声は、アイキみたいに透き通ってなくて全然綺麗じゃないってのに――。
アイキはあたしの様子を伺いながら、すぐ目の前で同じように声を出し始めた。
アイキの眼差しは真剣そのもので、この歌は、ただのパフォーマンスとかステージのお楽しみじゃない、戦うための歌だってことが、少しずつ理解できた。
それと同時に、魔物と戦ったときのことを思い出した。アイキのおかげで体は軽くなり、魔法は威力を増した。あたしにも、あんなことが出来るようになるのかもしれないと思うと、胸が高鳴る。
だだっ広い部屋にあたしの震えるような声と、アイキの美声が響く。
「オレと一緒に歌おう。ずっと、誰かと歌ってみたかったんだ」
魔法を使うなんてズルい。可愛くて、歌が上手くて、魔法も綺麗で、短剣だって誰も敵わない。アイキの存在全部がズルい。
……だけど、アイキと一緒に歌えるなら歌いたい。あたしも、アイキみたいに輝いてみたい。あたしには特別な能力なんて何もないけど、あたしにだって何かできるはずだ。ルフが言ってくれたようにきっと、あたしも輝くことができるはずだから。
アイキの手をぎゅっと握って、アイキの声に自分の声を重ねた。今のあたしは魔法も剣もアイキには遠く及ばない。歌なんて比較することすら馬鹿らしい。だけど、足手まといは嫌だ……守ってもらうだけなんて嫌だ。
同じ歌を何度も、何度も、ひたすら繰り返して歌った。時間も、ここがどこなのかも忘れるくらい集中した。自分の声とアイキの声以外には何も聞こえなかった。繰り返すうちに、少しずつ感覚がアイキから伝わってくる気がした。
もっと……もっと上手くなりたい。あたしもアイキと歌いたい――!
不意に、アイキがあたしから手を離した。意味がわからず、アイキを見上げる。
「そろそろ、休憩しようか」
「……まだ、まだ大丈夫よ」
「ダメだよ、休憩も必要だからね」
アイキがそう言った途端に気が抜けて、アタマがぼーっとしてきて、たまらずその場にふらふらと座りこんだ。アイキもその場にぺたんと座りこむ。あたしもアイキも、息を切らしてる。
「こんなに歌ったの、久しぶり……疲れたぁ!」
「ズルい……魔法で、歌わせた……でしょっ!」
怒鳴ったのに、アイキはしらばっくれるように目を丸くする。
「最初の、最初だけだよ……気がついて、なかったんだ」
「えっ……?」
「リューナが、歌ってたんだ、嬉しいな、夢が、叶ったみたい……こんなに頑張ったの、すごく久しぶり……頭がクラクラする……!」
アイキは嬉しそうにその場に寝転がった。ほんのりと光る床に、アイキの頬が照らされてすごく綺麗に見える。ハァハァと肩で息をして、にっこり笑う。
あたしが頑張れば、アイキが喜んでくれる……?
「リューナも、横になって」
「……うん」
アイキに言われるまま、水の膜の上に手を突いて、ごろんと横になった。歩いている時には気が付かなかったけれど、ほんのりと温かい。それに濡れる感覚がするのに、服も手も濡れていない。
「この空間そのものが水の魔法なんだよ。すごいだろ」
「魔法……?」
天井を見上げると、幾つもの魚が泳いでいるのが見えた。大きい魚、小さい魚、平べったいやつに、細いやつ。キラキラと陽の光が水面に揺れるように反射する。鳥が空を飛ぶように、魚は水の中を気持ち良さそうに泳ぐんだ。知らなかった。水の中には、こんなにいろんな種類の魚が泳いでたんだ。
「お昼過ぎたら、次は剣の練習をしようね♪」
「あたし、体力持つかな……?」
「大丈夫だよ、無理はさせないから。オレは、ルーセスとは違うからね♪」
アイキはいたずらっぽく笑う。あたしも寝転がったまま、つられて笑った。これからしばらく、毎日アイキと二人でここで過ごすんだ。この美しい、水の精霊の棲家で。
特別な場所で、特別な時間を過ごす。大好きなアイキと、ずっと一緒に居られる。そう思うだけで嬉しくて、ふわふわとした気持ちになる。これがあたしの感覚なのか、アイキの魔法なのかわからないけど、いい夢を見てるみたいだ。
そう、ずっとずっと醒めない、特別な夢。




