37. 食事は基本
しばらくしてから、ようやく戻ってきたアイキと一緒に、食事に向かう。
アイキに先導してもらい、細い廊下を進んでいく。両手を広げると両側の壁に触れられそうなくらい狭い廊下で、やはり壁も床もひたひたと濡れていて水が滴っている。
階段を下ると、水底の地形を利用したような、これまでとは少し雰囲気の違う部屋に出た。たくさんの椅子とテーブルが並び、数十人が食事をしている。隅のテーブルでラピスとビシュが食事をしている。ビシュがあたしたちに気がついて手を上げたので、そこへ向かった。
まるで、城内の食堂みたいだ。どうしてこんなところに、こんなにたくさんの人が居るのだろう。
「おはようございます。リューナさん、アイキさん」
「あっ、おはようございます」
あたしは咄嗟に挨拶をした。ラピスは、チラリとこちらを見ただけで、黙々とご飯を食べている。アイキも無視して、空いている席にすとんと座った。
「ちゃんと朝の挨拶をしようね、アイキもラピスも仲良くしないとダメだよ」
水の精霊が突然現れて、椅子ごとアイキを後ろから抱きしめた。驚いて声をあげそうになるのを、あたしは焦って誤魔化した。水の精霊は、どこから現れるのかわからない。
「うん……おはよう、ラピス」
「おはよう……碧いの」
「二人ともいい子だな♪ お母さん嬉しいな」
アイキもラピスも、水の精霊には逆らえないみたいだ。水の精霊は嬉しそうに笑っているけれど、この二人は無表情のままで、お互いに視線を交わそうともしない。こんなツンツンしたアイキを見るのは初めてかもしれない。これはこれで貴重だ。
そんなことを考えていると、アイキが振り返りもせずに自分を包みこむ、水の精霊の腕を掴んだ。
「しばらく来ないうちに、人数が増えた」
アイキは、他のテーブルに座る人たちをじっと見ている。子供から大人まで、誰もが虚ろな表情のまま、黙々とご飯を食べていて……なんだか少し怖い。そのうち、奥の部屋――たぶん、キッチンだと思われる――から、一人の男の子が食事を運んできてくれた。水の精霊が男の子に「ありがとう」と言ったけれど、男の子は返事もせずに無表情のまま奥のキッチンに戻っていってしまう。
その子は、ルーセスに似た銀髪と深い翠色の目をしていた。つい、気になって目で追ってしまう。
「……気になる? リューナ」
「えっ?」
「此処にいる人たちはみんな自ら入水した人だよ。それを水が助けたんだ」
「リューナが初めてだよ。自らの意志でここに来たのは……ね」
「あたしが初めてって……?」
つい、ラピスとビシュの顔を見てしまった。水の精霊が、それに気づいたように微笑む。
「ラピスとビシュも連れてきた。アイキもね」
「こんなにたくさん増えたら、面倒見るの大変だろ?」
「そうでもないよ。役割分担してくれるしね。アイキが今までで一番手が掛かったな。その分、特別に可愛いけどね」
水の精霊は、アイキの頬に口付けてから、ラピスの前へと移動した。またしても水の精霊の行動に驚いてしまったけれど、誰も何も言わないので、普段から水の精霊はこんななんだろう……。
サラやジルとは全然違って、なんというか……神々しさや緊張感がない。
「ラピスちゃん、光の魔法使いと紅い魔法使いのところに行ってあげて……ね?」
「今から……?」
「んー、なんてゆーか、あの二人じゃ絵にならないんだよね。今まではアイキとリューナが居たから華があったけれど、ちょっとつまんない」
あたしは水の精霊の言葉を聞きながら、ルーセスとルフが二人で並んでいるところを想像した。確かに……華がないと言うか、会話も続かないんじゃないだろうかと思う。
……というか、そんな理由?!
「そこにわらわが加わっても同じだ」
「そんなことないよ。ラピスちゃんは可愛いから……ね?」
「……そんなことない…………」
ラピスは横を向いて少しだけ頬をピンクに染めた。照れてるのかな……凛としてる表情とのギャップが、なんとも可愛い。
「それにしても、ラピスの演技は凄かったよな」
「演技……?」
アイキが突然、嬉しそうにニヤニヤしながら話しだす。
「リューナは寝てたから知らないだろうけど、ルーセスがきちんと光の魔法を受け取ってくれるようにね、ラピスはケガしたフリをして……」
「碧いの……! 余計なことは言わなくていいっ!」
「傷ついたラピスを見て、ルーセスは魔法を使う決意をしたんだ。やっぱり、女の……うわっ!」
ラピスがアイキに向かって魔法の矢のようなものを飛ばした。アイキは座ったまま、ひらりと避けて魔法は消えた。ラピスはその場に立ち、真っ赤な顔をしている。
「水がどうしてもと言うからだっ! 別にあんなことをしなくても……!」
「だってほら、ルーセスがぐずぐずしてるからさ……オレもルフに合わせるの、大変だったんだから。ルフもだいぶ、弱くなってるし……」
「ラピスちゃん、迫真の演技は可愛かったよ♪ ねぇ、ビシュ?」
「そうですね。とてもお上手でしたよ、ラピス」
いつの話をしているのか、あたしにはよくわからないけど……ラピスもアイキも、ルーセスに魔法を使わせるために演技をしていたということ……?
「あんな黒い魔物など、一掃するのは容易いことだったけれど……目的が違ったからな」
「ルーセスに、光の魔法を使わせることが何よりも重要だったからね」
不意に、アイキとラピスが真顔になり、見つめ合う。
「もう少しだ。ルーセスは、自分で選ぶだろう。そうしてくれないと、困るからな。頼むよ……ラピス」
「わかっている。悪いようにはしない」
何だろう……よくわからないけど、この二人はルーセスに何かをさせようとしてる……ってこと?
「ビシュも共に行くか?」
ラピスが横に座るビシュを上目遣いで見つめつつ、呟いた。ビシュは頭を傾けて、優しくラピスに微笑む。
「いえ、僕は水のお手伝いがありますから」
ラピスは少し頬を膨らませて席を立つ。ビシュと一緒に行きたかったのかな。ラピスはもっと、ツンツンしてるイメージだったけど……とっても表情豊かで可愛い。
「わかった、わらわひとりで行く」
胸元に手を当てると、ラピスは、あたしを見てふわりと笑った。淡い浅紫の髪と濃い菫色の目がほんのりと光る。
「リューナ。帰ったら、わらわと遊ぼうな」
「う、うん」
あたしの返事が届いたのかわからないくらい、あっという間にラピスは消えた。ビシュが自分の食器とラピスの食器を寄せて片付ける。
「ラピスちゃんは素直で可愛い……ね、ビシュ?」
「そうですね。水のおかげで、表情も柔らかくなった気がします」
水の精霊とビシュは、優しく微笑んでいる。なんだか、こそばゆい気持ちになる。ラピスはあたしと遊ぼうって……いったい何をするつもりだったんだろう。
「リューナ、早く食べよう♪ 今日から特訓するんだ」
「うん……」
アイキは慣れた様子でご飯を食べている。ミストーリにいたころ、アイキは時々いなくなることがあった。きっと、ひとりでここに帰ってきてたんだ。
あたしも、手を合わせてから食事を見つめる。海藻とお魚と……こんなに食べられるかな。
「リューナ、ご飯はちゃんと食べたほうがいいよ♪ 無理しなくていいけどね。一日一食じゃ、特訓についていけないよ……ね?」
「えっ……リューナ、そんなに食べないの?」
水の精霊が微笑むのを、笑って誤魔化すように見つめた。あたしは食事が好きじゃなくて、まともに食べるのは一日に一回くらいだった。
「だって……一日に三回も食べる必要は無いかなって」
「食べなくても死なないけど、体力は落ちるよ?」
「そうだよね……」
前からそうだった訳じゃない。虹彩に来る少し前からあたしは食べることに極端に興味が失くなった。食べないでいると体が軽くて楽だった。
でも、やっぱりちゃんと食べなくちゃ。今日からアイキと……っていうか、いつの間にかあたしの前に座った水の精霊が、ずっとこっちを見てて……すごく食べ辛い。それに気がついたビシュが、水の精霊を横から摘んだ。
「水、リューナさんが困ってますよ」
「ん〜? 知ってるよ♪」
「やめろよ水。リューナに近寄るの禁止って言っただろ?」
「だって、アイキにお揃いの指輪なんて貰っちゃってさ、オレだってアイキが大好きなのに嫉妬しちゃうな」
「とても嫉妬している様には見えませんよ」
ビシュも水の精霊も、常に微笑んでいる。特にビシュは、とても穏やかで落ち着いている。ミストーリでは独特の雰囲気を持っていたアイキが、ここではごく普通に見える。
あたしは、今までと全然環境が違うところに来て浮かれてるのか、ふわふわしている。まるで、青い空にぷかぷかと浮かぶ、真っ白な雲にでもなったみたいな気分だ。




