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魔王は踊られたい

 陽は既に直上まで昇っており、それでも村長は帰ってこなかった。


 肌寒い家の中、ミレーヌは手がかじかんでしまったと、いつもより歪んだ文字を見せてきた。ご主人様に風邪をひかせまいと宙に炎を浮かせて暖をとると、かじかんでいた指が動くようになったのか、ミレーヌが文字を書き始める。


『ありがとうございます。ピエール様は本当になんでもできますね』

「なんでもは言い過ぎだ。私はミレーヌの様に料理を作ることも、雪の上で踊ることもできない」

「下だけ脱ぎなさい、主人に恥をかかせた罰よ……(みっともないところ見せてしまったのだと気付きました……)」


 お許しとあらば、すぐにでも脱ぎ去りましょう。いっそ生涯脱ぎ続けることを誓い、この場で燃やしてしまっても構いません。


『それにしても人様の家に家主がいないのにお邪魔しているのは、少々居心地が悪い気がしてまいますね』


 居心地が悪いと主張する割には笑顔を見せるミレーヌ。

 そういった矛盾を見せるのも、また極上の愉悦を感じさせてくれる。最早ミレーヌが成すことならば、なんであれ愛しく感じてしまう体になってしまったようだ。


 隷属――とは微妙に違うのかもしれない。体は完全にミレーヌの奴隷になることを望んでいるが、心は独占したいという気持ちを有している。

 この様な女の事を何と言うのであったか……魔性、そう魔性の女だ。


 魔と言えば、その手に持っている紙を綴った白紙の本と、墨の出る細い筆だ。それは一体何なのであろうか。自然と使っていたので気付けば気にならなくなってしまったが、よくよく考えれば奇妙な物だ。


『どうしましたか? まさかまた寝癖が残っていましたか? でしたらお手数なのですが、また魔術で頭を』


 寝癖を直してほしいと伝えたいのだろう。文字が小さくなっているのは、その言葉に自信がないからだと窺える。


「なに、その本には今まで結構な文字を書き込んでいたが、それでもまだ余白があるではないか。一体いつになれば終わりが来るのかと思ってな」


 ミレーヌは意外そうな顔で私の顔を見つめている。


「猿よりは少しは知恵が回るかと思っていたけど、所詮猿は猿なのね(ピエール様程のお方でも分からないことがあるなんて意外ですね)」


 そう、私は猿だ。ミレーヌに発情している愚かな猿なのだ。私のまだ知らない世界をもっと教えてくれ。あるいはこの猿めが間違いを犯す前にきつく縛ってください。


「ふぅ……いや、私とて全知全能というわけではない。知らぬ事の方が多いのは当然だ」


 ミレーヌは再び笑顔になり、その本へと文字を綴っている。


『これは幼い頃に亡くなってしまった、おじい様からいただいた魔導具です。この本の名をダイアリー、そしてこの筆をペンといいます。一日経てば全て消えてしまい、千切ってしまった部分は一月もすれば再生します』

「それでは村長に渡した、そのダイアリーの一枚は、王に届けられる前に消えてしまっているのではないか?」

「もしかしてその頭にも脳が入っているのかしら(流石はピエール様)」


 遠回しに、私には脳が無いと思っていたと言っているのだな。やはり愛しい、契ってはくれぬものだろうか。


 ここにきて気になるのが勇者達によって落とされた我が城の者達の事だ。色恋にうつつを抜かしていたが、やつらのことが心配になってくる。家臣たちは強い者に従うので争いを自ら起こすことはないと思うが、それでもやはり待遇などが気掛かりであり、心配である。


 人族は欲深く冷酷な種族だ。よもや殺されるような弱者はあの城にはいないと思うが、不当な扱いを受けている可能性は大いにある。


 いずれはこの地を発ち、一度はフエへと戻らなければなるまい。


 そんな私が人族の女を娶ってよいものか。

 世界を一つにするために人族の女を娶る、それ自体はいいのだが、はたしてそんな言い訳じみた理由が本当に必要なのだろうか。


 戦いに明け暮れ、国の為だけに生きてきた。そのためこういった経験をしてこなかったのがいけない。家臣が苦労をしているであろう中で、私が恋などというものに身を焦がしている場合ではないのではないか。


 そうだ、ミレーヌに蝋燭でもって身を焦がしていただくというのはどうだ?


『切り取ったダイアリーは、その魔力を失い、ただの紙となりますので、文字は残ったままなのです。ですのでピエール様、それは杞憂にございますよ』


 なるほど。便利なのか不便なのか分からぬ魔導具もあったものだな。


「ではその紙をちぎって売れば、多少の金にはなるのではないか?」

「うふふ、やはり空っぽね(うふふ、そう思われますよね)」


 柔らかい笑顔からの罵倒。

 まるで嘲笑されているようで、思わずつられて笑顔になってしまう。お粗末様もにっこりもっこりだ。


『これはおじい様からいただいた大切な物ですので、そういう使い方はしたくないのです。でも領民が苦しい想いをしているならば、そうすることも考えなければいけませんね』


 ミレーヌは誇り高き女だ。人族は金を得る為ならば同族をも容易く殺すと聞く。だがどうだ、ミレーヌは祖父から譲り受けたそれを金にしようとは思わないと言うではないか。


「素晴らしい女だ」

「褒めれば抱ける安い女だと思っているのね……(そんな、やめてください恥ずかしいですよ……)」


 滅相もございません、大安売りの豚は私の方でございます。



 ――――




 その後も股間を熱くさせる会話を存分に楽しんでいると、外が何やら騒がしくなってくる。


「漸くお出ましか。客を待たせるにしても限度というものがあるな。まずは私が先に出る、ミレーヌは後から来るがいい」


 扉を開けて外に出ると、積もっていたはずの雪は消えており、辺りには雪融けの水が流れている。


「なるほどな。やはりそういうことか」


 外には村人が数十人。そしてその先頭に村長と、頭を爆発させたような髪型の男が立っていた。背筋を横に傾けただらしない立ち方だが、その男からは以前殺した勇者とは比べ物にならない強い魔力を感じる。 


「勇者ヒデ様を連れてまいりました……」


 喜びを我慢できない、村長はそんな顔をしていた。

 わかってはいたが、醜く肥え太っているのは体だけではなく、どうやら心も醜いようだ。


「ども、勇者ひでちゃん様です」


 人好きのする笑顔を見せる勇者だったが、その笑顔にはうすら寒いものを感じさせる。

 その何を考えているかわからない不気味な笑顔は、人族を代表する勇者に相応しいものだった。


「村長、貴様の目的はなんだ」

「いやだなぁ副官様、あなたが勇者様をここへ呼べと仰ったんじゃないですか」


 ご機嫌な様子で村長が言う。

 それは勝ちを確信している顔であり、非常に不愉快なはずみを持たせていた。


「そうっすよ。ミレーヌちゃんの副官様がここに来いって俺を呼んだって聞きましたよー」


 二人とも飽く迄しらを切る気のようだ。


「ではその後ろに連れている村人はなんだ。私は村の者まで呼んだ覚えはないが」

「あれれー? びびっちゃった感じ?」


 勇者が何を言っているのかは理解できなかったが、虚仮にしようとしているのははっきりと伝わる。

 このヒデという勇者もまた胸糞の悪い男である。


「この人達はミレーヌちゃんに言いたいことがある人達だよ。どうせだから一緒につれてきちゃいましたー。まぁミレーヌちゃん口悪いからねー、何を言われても仕方ないよねぇー」


 何故それが今なのかと問うべきではないだろう。話し合いで解決をしようとは相手も考えていないはずだ。


「良いだろう。この際愚かな村人達は見えないものとする。単刀直入に言わせてもらおう――勇者ヒデよ、そして村長、貴様達は何故ミレーヌ様を貶め、嵌めようとしているのだ」


 核心を突けば少しは態度も変わるかと思ったが、二人の態度は依然余裕を保ったままであった。少し急いたかとも思ったが、私の怒りは既に頂点に近い。それこそ悠長な話し合いなどもとより望んではいない。


「なんの話っすかね」

「はて、何でしょうなぁ」

「とぼけるな、先日国王陛下から書簡が届いた。しかしそれはどう見ても偽物であった。書簡を届けに来た兵士といい、この短期間にその様なものを偽造できるのは勇者である貴様と、事情を知っている村長しかおるまい」


 これは賭けであった。今のは証拠も何もないただの言い掛かりである。

 だが多少でも心当たりがあれば、何かしらの反応を示すはずだ。


 それで何の反応も示さなければ、それはそれでいい。どちらにせよこの二人は我々を生きて帰すつもりはないとわかっている。勇者を二人殺した事も当然知られているはずだ、我々を殺せるだけの理由はいくらでも作れるだろう。


 だが問題は何故ミレーヌを亡き者としたいかだ。それだけは知っておきたい。


「ありゃ、なんでばれたの?」

「勇者様、今のは罠でございます……」


 この勇者、知恵が大分遅れているようだな。

 表情に出すどころか声に出したのだ、余程の馬鹿か、何か策があるかだろう。


「あ、罠なの……まあばれたら仕方ないやな?」

「勇者様っ……!」

「罪を認めるか。王を騙るのは重罪だ、貴様も村長も死罪は免れないと思え」


 村長は顔を真っ青にしているが、勇者はへらへらと笑ったまま余裕を崩さない。


「まぁまぁ、聞いてくださいよー。なんか知らないけどさ、爵位は貰えるけど土地とかは貰えないらしいじゃん勇者って」


 急に何の話をしているのだ。言い訳を始めるのかと思えば爵位だと?

 しかし爵位の話となればミレーヌと関係のある話かもしれない。耳障りだが聞くだけは聞いてやろう。


「でも爵位持ってると貴族って呼ばれるんでしょ? でも貴族なのに土地が貰えないのっておかしいじゃん」


 欲が出たという話か?

 大方の話の筋は見えたが最後まで聞いてやろう。鬱陶しいその喋り方もこれが最後だと思えば耐えられる。あとでミレーヌの罵倒でこの耳を癒せばよい。


「んで城の偉そうな人、宰相っていうの? その人に色々聞いたらさ、こういう辺鄙な場所でも男爵ポジションを持っていれば、条件さえ満たせば領地付の正式な貴族として扱われるって言うのよー。その条件てのがさ、辺境伯っていう一時的な爵位を持つ人をどかすか、その人と血を合わせるか……まあとにかく法律上土地がもらえるって話しなのね。その代り爵位は男爵になっちゃうけど」


 ほう、ミレーヌと婚姻を結べば辺境伯ではなく、男爵位が優先されるのか。やはり人間の考えることはわからぬな。それとももしや、私が勇者どもに敗北し、ここが辺境ではなくなると踏んでいたからか。


「そんでどっかに良い場所ないかなーって聞いて回ってたら、三代目だけど若い娘だけで切り盛りしてる、綱渡りな土地があるって言うのよ。それがここってわけ」


 ボイジーに現れたのはそういうわけか。勝つと踏んでいたならばフエから領地を切り取るという考えはなかったのだろうか。

 当然それもあったはずだ。だがミレーヌをよく思わぬ者――宰相あたりがこの男を誘導するために、今言ったことを吹き込んだのだろう。


「そんで俺は考えたの、天才的な頭をフル稼働して考えたの! 千人も勇者がいるんだから、一人や二人行かなくても魔王は勝手に死ぬっしょ? だったら魔王は他の奴に任せておいて、先に目ぼしい土地に唾をつけようって。それで魔王が討伐されたあとに、男爵ポジションを使って土地をゲットすればいいんだって考えたのよ。コレまじ天才な!」


 聞き慣れない言葉が多く情報の整理に戸惑ったが、この男が何をしようとしているのかは大体理解できた。つまりこの領地を継承し、一時的なものではなく恒久的に自分のものとする手段を考え付いたというわけか。それがシズタニアの思惑通りだとも知らずに。


「この領地を得るにはミレーヌちゃんがいなくなるか、結婚するしかない。殺すのは嫌だからミレーヌちゃんと結婚して、俺の物にしちゃおうと思ってたわけよ。だけどそれが中々上手くいかなくてさあ、他の馬鹿どももミレーヌちゃんに手を出そうとしてたみたいだし――」

「豚ども(あの)」


 村長の家からミレーヌが姿を現す。

 不意打ち気味に耳へと流れ込む甘美な罵倒の響きが、条件反射的に涎を流させる。


「相変わらずきっついわぁ。でもそういう女を組み伏せるのがたまらないんだよねー」


 ミレーヌは村長の家から出てきてしまっていた。

 迂闊であった、最初から外には出るなと言っておくべきであった。


『私が妻となれば、この村を勇者様の力で守ってくださるのですか。この地は本来力のある土地です。フエとの争いがなくなったならば、大きな発展が望めます』


「あれ、そういや言ってなかったっけ? あー……確かに最初はヤリ目的のほうが強かったし結婚の話は言ってなかったかもねー」

「……」


 ミレーヌは下唇を噛み、耐えるような表情で黙っている。

 自分のご主人様が何かに耐える様など見ていられるものではない。 


「ミレーヌお前はそれでいいのか――」

「ど低能は黙っていなさい……(ピエール様、私は……)」


 はい、では口に布を巻いてください。声もあげれぬ状態にしてから、尻を強く打ってくださいませ。


『この村はフエとの国境線近くにある非常に危険な土地です。魔王を倒したとはいえ、その報復がないとも限りません。ですがそれを勇者様が守ってくださると言うのならば、この地をお譲りいたします』


 報復はあり得ない。フエは王が弱き故に負けたのだ。

 フエでは強き者が魔王になる。弱き私の仇を取ろうとする者はいない。だがいずれ魔王の座に返り咲こうという意志はある。


 今は時を待つのみ。私が万全な状態で挑める時をだ。


「譲るっていうか、結婚してほしいんだけど?」

『はい、よろこんで』


 ミレーヌの書いた言葉は短く、そして歪んでいた。

 それだけで十分である。その文字を見ればわかる。ミレーヌの気持ちが、ミレーヌの覚悟が。


 今は自身の地位などという下らぬことを考えている場合ではなかったのだ。


「ミレーヌ、自身を殺してまでこの地の繁栄を願うか。この領地、この領民にそこまでの価値があると言うのか」

「……」


 ミレーヌは何も語らず、何も書こうとしない。 


「やりましたな、ヒデ様。これでこの村は、この領地はヒデ様の物。そして私は屋敷へと召し上げていただけるのですよね」

「あーでも参ったなー。村長さん、もうあの紙切れ送っちゃったもんねー」

「はい、確かに国王陛下へと……」

「じゃああんたはやっぱりいらないわ」

「へ? おぐっ……」


 勇者の手には魔力で作られた紫色の剣が握られている。

 その剣は村長の肥え太った腹を貫き、刃には血が伝っていた。


「空気は読もうよ」

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