ショスピエール・フラッパーという魔王
主人公最強なのに出だしから負けてます。
私が治めていた国の名を『フエ』という。
治めていたというのは、それが過去の事だからだ。
今私はフエにある城から脱出し、森を彷徨い歩き、樹と樹の合間から七回目の日の出を見ようとしていた。
何故王たる私がこのような事になったのか。
「……くっ」
迂闊だった。そして油断していたのだ。
魔族の王、最強の魔王たるショスピエール・フラッパーが、人間という下等生物に負ける日がこようとは思いもしなかった。
これは言い訳だが、十全な状態の私だったならば、或いは前もって正確な情報を得ていれば、負けることなどはまずなかった。そして我が城から逃げ出さなければならないという不名誉極まりない結果にもならなかったはずなのだ。
「人族とはなんと狡猾で、なんと卑怯な生き物なのだ……」
私は人族との戦争に敗れ、城を占拠され命からがら逃げ出してきた。
「シズタニア王国が勇者召喚をしたという情報は耳にしていたが、召喚するにしても限度というものがあるだろう……」
それは三年前の話だ。
異世界より呼び出した者を神の間へと移し、神の加護を与える奇跡の魔法、召喚。
それをシズタニアの人族が行い、成功したという話は当然耳にしていた。
王国に異世界より呼び出された、特殊能力を備えた勇者が召喚された。
私はその情報を得た時、胸が熱くなるのを感じた。遂に私をの地位を脅かすだけの強者が現れたのかと狂喜乱舞したのを覚えている。
私は強敵に餓えていたのだ。
力こそが全てであるフエにおいて、自己治癒能力に優れた私は幼少の頃よりいずれは最強の魔族、魔族を統べる者、魔王になるだろうと言われていた。
それ故に当時の魔王からは強く警戒され、毒殺未遂、刺殺未遂、溺死未遂、焼殺未遂、果ては氷の中へ五十年もの間封印されたこともある。
だがその全てを乗り越えた私は、長い旅の果てに多くの仲間を得て、そして魔王を倒した。
しかし魔王となってからの百年は退屈なものであった。
圧倒的な力で前魔王を殺したことにより周囲の者は敬服してしまい、私に戦いを挑む者はいなくなってしまったのだ。
それからはただ政務をこなすだけの毎日が続いた。単純作業の繰り返しに心は摩耗し、いっそ逃げてしまおうかと思った事も一度や二度ではない。
そんな折に届いた歓喜の一報、それが勇者召喚だった。
「勇者が召喚され、打倒魔王様を謳っております」
胸の高鳴りはおさまらず、血は滾り、興奮のあまり執務室の机を放り投げ飛ばし、魔術で強化されているはずの壁を突き破ってしまった。続けて舞い散る書類の下で小躍りしていると、お茶を持ってきてくれた鬼人族の副官に見つかりこっぴどく叱られたのだが――。
「誤算であったな……」
そう誤算だったのだ。
勇者が召喚されたと知り、私はそれ以上の情報は得ようともしなかった。
知ってしまえば対策を練ってしまう。対策を練ってしまえば圧勝してしまう。圧勝してしまえば、また争いのない孤独な日々が続く。それは私には耐えられないものであった。
「情報を得ていればこんな事には……」
待ちに待った勇者が来た日。
勇者到来の報を受け、正装に着替えた私は逸る気持ちを抑えられず、早足に玉座へと向かった。
勇者が扉を開けるのを今か今かと待ち構えながら、最初の言葉はやはり労いの言葉だろうと「勇者よ、よくここまで辿り着いたな、まずは褒めてやろう」という台詞を何度も練習した。
だが実際はよく来たも何もない、勇者には一切手出しするなと部下達には伝えてあったのだから。
だが私は勇者に負けてしまった。
完敗であった。手も足も出ないとはまさにあの状況を指す言葉だろう。
「不甲斐ない……」
それは仕方のない事だったとも言える。
「まさか勇者が千人も来るとは思わなかったのだ……」
自己治癒力に優れている私だが、千人もの勇者に寄ってたかって切られ殴られ魔術を撃たれれば、それは負けるに決まっている。
負けた理由はそれだけではない。
一人の美しい勇者がいた、人族の割には整った顔をした女が一人いたのだ。
その女が緊張と喜びに震える私の言葉を遮って放った一言が効いた。
「ゆゆゆゆ、勇者よ、よくここまで――」
「魔王だっていうからどんな化物かと思っていたけど、見てくれはひょろがりのもやしね。みんな、こんな野菜未満な男に臆することはないわ、今こそ私たちの正義を見せて、この世界に平和をもたらすのよ!」
この言葉を受けて、私の体に壮絶な快感が走り抜けた。
腰は砕け、涎を垂らして呆然としてしまう。
あれが小娘の言うただの暴言や虚勢の類いならば耐えることができたはずだった。だがあれは違う、あれは女王様としての資質を持つ者、選ばれれし者の声だったのだ。
その隙を突かれ、私は多勢に無勢の暴力の嵐に飲み込まれてしまう。一般的な魔族ならば百度は死んでいようかという程に叩きのめされ、勇者たちの魔力が尽きて疲れている隙を突き、何とか逃げ出してきたのだ。
ほとんどの勇者の攻撃は蚊に刺されたほどの痛みもなかった。だがあの女の攻撃と口撃は一線を画していた。私に何度も快楽による悲鳴をあげさせ、魔力による治癒と鉄壁の守りをうち砕いた。
「もう一度、もう一度戦えれば……」
おかげで着ていた黒い正装はぼろぼろとなり、まるで金をせびる物乞いの様な姿にされてしまった。あの女以外の勇者など有象無象の烏合の衆に過ぎない。だがあの女だけはだめだった。
「治癒が未だに追いつかないとはな……魔力も依然回復しない。女王様の、いや、勇者の力を侮り過ぎたか」
「豚……?」
その時、朝の陽も当り切らない森の中、突然女の声が聞こえる。
この辺りで女の声がするということは、森に住む低級な魔女か、国境線沿いの人族である可能性が高い。
今まで漠然と森を歩いてきたが、人族と出会うのはこれが初めてのこと。そして今の声が人族だとすれば、これは非常にまずい。もし魔女ではなく人族の女であれば、魔王である私の居場所を勇者に知らせてしまうやもしれないからだ。
今知られるのはまずい。今は雌伏の時なのだ。
魔力が完全に回復するのを待ち、再び勇者達と戦い、そして女王様に罵ってもらわなければ――。
「く、臭いわね(大丈夫ですか)」
女の言葉をまじかで聞いた直後、まるで雷が股間を撃ったかのような衝撃を受け、膝の力は完全に抜けて崩れる様に倒れてしまう。
「くっ、なんとういう……」
「死体かと思ったらゴミだったのね!(どうしましたか!)」
私に向けて言われた言葉ではなかったかもしれない。
だが体はそうではないと全力で否定している。
私は今、脆弱な人族に罵られているのだ。
「酷い、生ごみみたいな臭い(酷い怪我をしているわ)」
「アァオっ! おぉうふっ……」
これは魔女ではない。間違いなく人族だ。
いつの間にか目の前まで近づいていた人族の女。
金色の髪と、刺すような鋭い目つき。このままではやられる、そう思っても私の体は動くことはおろか、言葉を発することすらできないでいる。
それはこの女の言葉があまりにも甘すぎるからである。
「き、貴様……おふっ」
今何と言った、魔族を統べる王である私になんと言ったのだ。そう言いたくとも声が出せない。この女の言葉の力に、私の体は骨抜きにされてしまっているからだ。
「酷い臭い、まるで鼠の腐乱死体ね!(そんなぼろぼろになって、一体どうしたのですか!?)」
「ぐわぁぁ!」
なんだ、なんだこの女は。この私を見て、この魔力を感じて、この角を見て、何故恐れぬ。この女には恐れる心がないというのか。恐れぬだけではない、なんだその蔑む様な鋭い目つきは。
「はぁはぁはぁ……うっ……はぁ……何故、私を……罵り喜ばそうとする……」
「何を興奮しているのかしら、気持ち悪い!(どこか具合が悪いのですか!)」
「ぐおぉお!?」
駄目だ、完全に手玉に取られている。
早くこの場を去らなければ、このままでは……堕ちるっ!
「遠目からは大鼠の死骸かと思ったけど、やはり生ゴミなのね!(動かないで、無理をしないでください!)」
「おおふっ! ま、参りましたっ参りましたからからぁん!」
これ以上はまずい、これ以上調教されては――。
「軟弱な男ね、これじゃ芋虫のほうが幾分か丈夫だわ!?(しっかりしてください、大丈夫ですか!?)」
「ひぎぃぃっ!」
私は立ち上がることも出来ず、この女の声に優しく耳を犯され、そして意識を刈り取られてしまった。薄れ行く意識の中、頭の角を消したのはせめてもの抵抗だ。
ショスピエール・フラッパー、一生で二度目の不覚。
――――
自分が意識を失い、そして意識を取り戻したことに気付く。
視界が暗いのは目をつむっているからだろう。
「ここは……」
柔らかい布団の上に寝かされており、体には分厚い毛布がかけられていた。
出来ることらば重石でものせていてほしかった。
「豚ぁ!(あっ!)」
「はぅっ!?」
一瞬で全てを思い出した。
私はこの女によって快楽の渦へと突き落され、気を失うまで追い詰められたのだ。そして今もまた気を失うところであった。
「ここは……どこだ」
様子がおかしい。相手は人族の女だ、何故この女は私を拘束する事無く寝かせていたのか。
「体の汚れがない、それに魔力が回復しているだと……」
女は何故かほっとした表情を見せ、小さな紙に何かを書いている。
『体調はよくなりましたか?』
どういう意味だ。何故この女は喋らない。喋らないことも不思議だが、喋って貰えないことに不満を覚えている自分も不思議だ。
「貴様が私を?」
言葉短めに問いを投げかける。
この部屋とその身なりを見るに、この女は人族の貴族に関わる者とわかる。人族は小賢しい生き物だ。特にそれが貴族ともなれば尚のこと。この短い言葉の意味も、多少の教養と察しがあれば、言わんとすることは伝わるはずだ。
『私が薬草を煎じて傷口に塗り込み、体も誠に勝手ながら拭かせていただきました』
顔を赤くして私を睨みつける女。その視線が私の股へと移動していく。いかんぞ、そのきつい目は駄目だ。見られているだけで腰が震えてしまう。
『殿方の体を好んで触る、ふしだらな女だとは思わないでください』
「ふむ……」
体を拭いたことを照れて恥ずかしがっているのだろうか。
なるほど、さてはこの女は生娘か。生娘の割にはいい才能を持っているではないか。特にその鋭き目つきは極上のものだ。
「助かった。私はショ……」
名乗ろうかというところで言葉を止める。この者に正体を明かし、それが勇者達に知られてはまずいのだった。
「私の名はピエール。見ての通り旅の者だ」
『そうでしたか。私はミレーヌと申します。この様に筆談になってしまうことをお許しください』
ふむ、喋れぬという訳ではないはずだが。
私を罵倒し興奮させ熱狂させた乱暴な言葉の数々、あれが夢幻だとは思えない。なによりつい今しがた豚と言われた気もする。
「構わぬ。それよりもここはどこだ」
すらすらと文字を紙へと書き込むミレーヌ。紙は大変貴重な物だ、いくらこのミレーヌという女が貴族であっても、このようなことに使うなどありえない。この女が余程奇特な者なのか、あるいはそれだけの理由があるかだ。
『ここは魔国フエと隣接した辺境区、ボイジーです』
なるほど、随分と歩いたつもりであったが、まだそこまでではなかったようだ。体の欠損を治癒しながらでは、それも仕方あるまい。
『ピエール様は何故あの森で?』
まずいな、それを答えるわけにはいかない。いっそこの女、ここで殺してしまい、この屋敷を一時的な隠れ家としてしまうか。
「……」
「……」
馬鹿な事を。介抱された恩を仇で返すなど、魔王として、魔族としてあってはならぬことだ。
だが正直に話すこともできない、上手く誤魔化さねばなるまい。
そういえば先程からミレーヌは筆談ばかりで言葉を発しようとしない。何か理由でもあるのだろうか。
「ミレーヌ、と言ったな。何故貴様は言葉発せぬ。喋れぬというわけでもあるまい」
「黙れ……(それは……)」
「はいっ」
慌てて口を手で塞ぐミレーヌ。私は悦びに打ち震えながら口を閉じる。
ミレーヌの言葉は一々胸と股間に効いてしまう。これが運命というやつなのか。それにあの鋭い目つき。見られるだけで腰が抜けてしまいそうではないか。
端的に言って好みの女だ。
『魔女の呪いを受け、喋ることができなくなり、同時に視力を奪われたのです』
なるほど、そういうわけか。喋れば暴言に変わり、目つきが鋭いのは視力を弱らせられたからということか。
全く目が見えないというわけでもないので、能力の低い魔女にでもやられたのだろう。確かにあの森には、魔女が何人かいたはずだからな。
「そうか、それは悪いことを聞いたな」
頭を下げ、素直に自分の非を認める。
自身が魔王であるからといって、傍若無人に振る舞ってもいいというわけではない。ここは政治的な場ではないのだ、私の下げる頭には、一つの知能ある生物としての価値しかない。だからこそ心を込めて謝るのだ。
「犬畜生が人間様の言葉を喋るか!(そんな、おやめください!)」
「くふぅーん!」
たまらん。まさか謝罪の言葉も暴言で返してくれるとは思わなかった。段々と病み付きになってきてしまったぞ。いやもとより罵られるのは大好物なのだが!
『すみません、私が喋るとどうしても汚い言葉になってしまうのです。そのせいで屋敷で働いていた者もいなくなり、お父様とお母様は別の屋敷へと移られてしまいました』
「なんだと?」
人族は呪われた子を捨てるのか。魔族ならばその子を守り、解呪するためにあらゆる手を尽くすものだが。
「くだらん。呪いを受けた子を捨てる親など、端から親としての資格などないわ。私には遠慮する事無く言葉を紡ぐがいい」
むしろどんどん喋ってくれ。
今すぐ罵ってくれ。
「調子に乗らないでくださる……(そんな……)」
「ふひぃ!」
やはりこの娘の言葉には雷が宿っているようだ。魔力が回復しているお陰でまだ耐えることができるが、それでも腰の疼きは抑えることができない。実際雷の魔術を落とされたことはあるが、これほど強烈なものではなかった……素晴らしい、実に素晴らしいぞ!
「構わぬ。確かミレーヌという名だったな? 安心しろミレーヌ、私はその程度の暴言や誹り罵りでは気分を害したりはせぬ。そこらの小物と同列にしないでいただきたいものだな」
むしろ極上のご褒美である。
「豚としての自覚があるようね……(そんな方がいらっしゃるとは思えません……)」
「その通りですっ……」
よいぞぉぉお!
これはよい拾いものをした。
いや拾われたのは私だが、細かい事はいい。しばらくはミレーヌの世話になるべく、どうにかして仲を深めねば。女の気を引くなど経験のないことだが、私はフエの魔王ショスピエール・フラッパー、不可能を可能とする男だ。如何様にもして見せよう。
「ミレーヌ、貴様の気が進まぬと言うならば無理強いはせんよ。だが、そんな生き方は疲れるだろう。しばしの間だ、私には遠慮なくその口を使え。私はそれを許せる者だ」
それとなくここに住まわせてくれと言ったつもりなのだが、強引すぎたか。
「えっ? ううっ……うぅぅ……」
泣いてしまったか。
泣き声は普通なのだな。
だが何だ、この胸に込み上げる気持ちは。その涙を拭き、愉悦と嘲りの混じった表情にしたくなったぞ。




