怪盗現る
「大変です!」
私は、普通のものは許し無く立ち入りの出来なくなっている特別な扉を、いとも簡単に開けると、ノックもしないで中へと入った。慌ただしく中に入ると、いつものように長い髪を腰あたりでひとつに結び、机の上には何十もの書物を広げ、優雅にお茶をすすりながらその書物に目を通す、部屋の主の顔を見た。落ち着き払っているこのお方の名は「ルシエル」という。フロート国の誇る魔術士部隊「レイアス」に所属する魔術士のひとりだ。
いや、ただの魔術士ではない。ルシエル様のその力は、「世界最強」と謳われ、世界中に響き渡っている。
そう、その善人の塊であるはずのルシエル様のことについて、今日、信じられないことを街で耳にしたのだ。そのため私は、街から走って城へ戻り、その足で国王の下ではなく、まずはルシエル様のもとへと慌てて来たのだ。
「カガリ、どうしたんだい? せわしいね。埃が立つよ?」
そういうと、ルシエル様は再びお茶を口にされた。湯飲みを出すと、そこに新しくお茶を注ぎ、私にも飲むよう勧めてきた。
「さぁ、お茶でも飲んで落ち着きなさい」
「は、はい……」
とりあえず私は、そのお茶をいただくことにした。だがしかし、こんなところでお茶をすするために、ルシエル様のもとを訪れたのではない。すぐに本題へと戻りたかった私は、お茶をゴクゴクと一気に飲み干すと、タン……っと机に湯のみを置き、ルシエル様の顔を覗き込んだ。何事かと、ルシエル様はわずかに顔を傾げていた。
「どうした、カガリ。何かあったのかい?」
「えぇ、ありましたとも。ルシエル様……念の為、お伺いします。昨晩、街へは行っていませんよね?」
「カガリ。街とはどこのことを言っているんだい? あまりにも多くあるではないか」
私は、ハッとして、すぐに訂正した。確かに、「街」だけでは大雑把過ぎるところがある。
「城下街の隣、スタリーというところです」
「あぁ、スタリーね。それこそ、おかしな話だ。私はこの一週間、違う大陸での任務があり、今朝、フロート城へ戻ってきただろう? その土地には、昨日は訪れていないよ」
それを聞いて、私は「確かに……」と、頷いた。そしてすぐさま、首を横に振った。そのことは分かっている。でも、よからぬ噂がスタリーにて立っているのだ。
「ルシエル様。私は朝から今まで、スタリーに行っていました」
「知っているよ」
「そこで、ある噂を耳にしました」
「噂?」
「はい」
私は、そんなことはないと思いながらも、一応尋ねた。確認を取らなければいけない気がしたのだ。
「街に、怪盗が出たそうなのです」
「それは物騒だね」
「その怪盗の名は、ルシエルというそうです」
「そうかい」
「……」
何故、ここまで反応が薄いのかと、私は思わず身体を硬直させた。弟子である私がここまでたじろいでいるのに、「ルシエル」様本人は、何故この落ち着きようなのだろう。私は口をパクパクとさせ、次の言葉を探していた。この薄い反応は、予期していなかったからだ。次の語はすぐには出てこなかった。
「何か、問題でもあるのかい?」
「ルシエル……様なのですか、もしかして」
私はてっきり、ルシエル様の偽者が現れ、怪盗なんていうものをしているのだと思った。しかし、どうやらルシエル様本人であったようだ。それならそれで……問題なような気もする。私は、何を論点にするべきなのかを、もう一度探そうと思った。
「私が怪盗? カガリ……お前は、私が怪盗をするとでも思っていたのかい? それは心外だよ」
「えっ……あ、あの、ルシエル様?」
「なんだい?」
「ルシエル様では、やはり無いのですね?」
「愚問というんだよ、そういうことは」
私はどこかでほっとしている自分を感じながら、それではと部屋を出て行こうとした。すると、それをルシエル様が止めた。私は何かと思い振り返り、足を止めた。
「結局お前は、何をしにここへ来たんだい? そんなことを確かめに来たのかい?」
「そう……ですけど。何か、問題でも?」
その言葉はまたしても、ルシエル様にとっては満足いくものではなかったらしい。むしろ、私への評価は減点となる一方のようだ。
「お前はこれまで、私の何を見てきたんだい? もう二十七にもなるのに。いつまでも、子どもではないんだよ?」
その言葉は、私の自尊心を傷つけた。もとより、そこまで高くは無い矜持だが、それでもまったく無いという訳でもない。
確かに、私はルシエル様とは比べ物にならないほどの子どもだと思う。実際の年の差はたった十。しかし、ルシエル様は超越しすぎているところがある。何事に関しても……だ。そこは、認めざるを得ない。しかし、ルシエル様にだって、下積み時代というものがあったはずなのだ。生まれたときから「完璧」なものなんて、存在するはずがない。
私は、未だ育ての親のような存在である、ルシエル様に認めてもらえる、一目置かれるような存在には、なれていない。程遠い。それは分かっている。けれども、こんな言われ方をされるなんて、それこそ心外というものだ。
「私は、ただルシエル様のことを心配しただけです! ルシエル様が問題ないのであれば、構いません!」
それだけ言い切ると、私は再び部屋を跡にしようとした。しかし、自分の中で疑問が残った。
(本当に……これで、いいのか?)
ルシエル様は怪盗ではない。本物の怪盗が別にいる。それも、「ルシエル」という名を語っている。
いや、語っているだけでもない……模っているのだ。ルシエル様の容姿を真似しているようであった。
街の者の証言によると、その者は額に大きな刀傷を持っていたそうだ。それは、ルシエル様の持っている古傷と、同じものである。だからこそ、「ルシエル」と聞いて、師匠のことを真っ先の思い浮かべたのは私の方なのだ。それが、師匠のことを疑うという行為になったとしても。
「失礼しました……」
後ろ髪を引かれるような気がしながらも、このまま混乱して此処に居ても仕方がないと踏んだ。
「……」
ルシエル様はそれ以上、言葉を続けなかった。
私はもう一度、スタリーへ向かおうと決めた。靄がかかっているならば、消せばいい。心配の種をルシエル様に植え付けるのではなく、たまには弟子の手で解決してもよいのではないかと考え直した。いつも、いつも、ルシエル様に心配をかけているのは私だ。だからきっと、ルシエル様はいつまでたっても、私を子ども扱いされるのだと、自己分析してみる。
茶色のブーツは泥に濡れていた。先ほどまで外は雨で、地面がぬかるんでいた為だ。この時代には、「傘」というものがない。そのため、ずぶ濡れになって城へ戻り、その足でルシエル様のもとを訪れた。白のコートにも、走った際に出来た泥の跳ねた形跡が残っている。髪は濡れて、茶色の髪からは水滴が止まることなく落ち続けていく。空色の瞳に映る空は、今日は相変わらずくすんだ灰色。このところのフロート情勢を表しているかのようであった。
「スタリーへ行くのかい?」
「えぇ、そうです。ルシエル様の汚名を返上しなければ……」
「そんな真似、しなくてもいいから此処に居なさい」
「でも……で、え、ルシ……ルシエル様!?」
「何だい、今更」
まるで気配がなかったはずなのに、ルシエル様は突如として私の背後までやってきていた。そこまで私は雑念にとらわれていただろうか。それとも、魔術でここまで転移してきたのか。
「はい、タオル」
バサッと私の頭には、大きなタオルがかぶせられた。ふわふわとしたその素材のタオルは、ルシエル様が好んで使われているものであった。私はありがたくそれを受け取ると、あと少しで城外という中、ぎりぎり屋根のある場所で足を止めることとなった。
「どうして此処に? 部屋でゆっくり読書されていたじゃないですか」
「お前が風邪を引くと思ったからね。それに、なんとなく。お前はまた外へ行くと思ったから、後を追ったんだよ」
「そう、ですか……」
私は少し照れて、顔を下げた。本当に父親のように慕っているお方だ。このように、自分の身を心配してくださるひとなんて、この世界中にそうは居ないので、こころからありがたく思った。タオルで髪を拭き、顔の水気を取った。
「でも、です。このまま放ってはおけません。ルシエル様。街のひとたちは、勘違いをしてしまっているのですよ! ルシエル様が悪者扱いされるなんて、私は嫌です!」
「気にしなくていいんだよ。問題ない」
どうしてルシエル様がここまで言い切るのか、私には分からなかった。もしも自分が……いや、ルシエル様の例えに出来るほど、私はひとから好かれていないし、人間も出来ていないので変な話になるが、仮に、私がルシエル様の立場なら、その怪盗を捕まえて、すぐにでも大人しくさせなければならないと思うのだ。だからこそ、ルシエル様の判断は私には分からなかった。
ブラウンのストレートの長い髪は濡れることなく、海のように深い青い瞳は、慈愛に満ちたものである。私には出せない輝きがあった。ルシエル様が言うならば、本当にそうなのではないかと、不思議と思えてくるのだ。
「さぁ、本当に風邪を引いてしまうよ。お風呂にでも入りなさい。自由に使えないのであれば、私の部屋で入ればいい」
「は……はい」
私の実の親、弟はもう居ない。殺されてしまっている。それからは、このフロート城が私の居場所となっているが、私はただの飼われた犬。虐げられている犬だった。だからこそ、部屋は畳一畳ほどの広さしかなく、お風呂も他の兵士のように交代制ではなく、誰も入っていない深夜に数分、カラスの行水のごとく、済ませることを余儀なくされていた。しかし、ルシエル様は特別待遇。部屋も誰よりも大きくて、ルシエル様が勝手にアレンジしている。お風呂も、ルシエル様の部屋の中に造られていて、いつでも自由に使える仕様だった。お風呂どころか、キッチンまである。ルシエル様は、他の兵士とは一緒に食事することはなく、自室で自分で料理を楽しむ趣味があった。食事を大概パンで済ませている私に、手料理をよくふるまってくれていた。
「明日には、雨は上がっているだろうから。明日、一緒にスタリーへ行こう。カガリ、明日は何時からなら都合がいい?」
「夕刻からなら。報告書がたまっているんです」
「珍しいね。報告書を整理することは好きなんじゃなかったのかい?」
「趣味じゃないですよ」
私は大きくため息を吐いた。此処のところ、ずっと任務で走り回っていた為、ひとつ、ひとつ報告書をまとめる余裕がなかったのだ。ようやく怒涛の外回りが終わったと思ったら、スタリーにて怪盗の噂を耳にしてしまって、休まる思いがしなかった。
「誰かに見られる前に、部屋へ移るよ」
白いシャツ姿のルシエル様は、私の手を取ると小さく言葉を発した。
「転移」
その瞬間。私たちはルシエル様の自室へと戻っていた。ルシエル様の十八番である魔術のひとつ。瞬時に思い描いた場所へと移動できる優れものだ。ただし、行ったことのある場所にしか、移動は出来ないらしい。詳しい術の仕組みは、私が魔術士ではないため分からないのだが、その場所の空気を読み取って移動しているらしい。この魔術は、とても高度な技術と体力が必要ということで、今のところルシエル様以外でこの技を使えるものは、確認できていない。
「夕飯の支度をするよ。今日は一緒に食べないかい?」
「いただきます」
「じゃあ、先にお風呂に入るといいよ。本当に、風邪を引いてしまうよ?」
私はタオルでワシャワシャと髪を拭いてから、ルシエル様の顔を見た。とても穏やかで、にこやかな笑みを浮かべている。
「いいんですか?」
「勿論だよ。何がいい?」
ルシエル様は、ずっと自炊されてきている。どんなものでも作れるし、味も美味しい。家庭的な味を好んで作られていた。
「温かい料理なら、何でも」
「欲がないなぁ、カガリは。じゃあ、クリームシチューにでもするかい? ちょうど、良いサイズの芋をもらってきたんだ」
「美味しそうですね」
ルシエル様は、フロートの兵士としては珍しく、民から好かれている存在だった。ルシエル様の人となりを知っていれば、それは当然のことだと言える。ルシエル様は、どんなひとに対しても平等であり、差別的な考えは一切持っていない。だからこそ、誰からも疎まれている私のことも、一度だって冷遇したことはなかった。それどころか、息子同然に接してくれている。
「お湯なら沸いているから。着替えも、用意しておくよ」
「ありがとうございます」
私はそういって、ありがたくお風呂を借りることにした。雨に濡れた身体は、確かに冷えており、このままでは風邪を引きそうだった。