封鏡図書館Ⅵ
「っ! まて!」
シュウはとっさに手を伸ばすが届かず、ニースの後に続いて飛び降りてしまった。星の瞬く闇底へ落下していく。
「なっ…何し……君は! バ…なの!?」
声が風に飛ばされ、切れぎれにしか聞こえない。
「はぁ!? お前…何し……だよ馬鹿…ねぇの…俺まで…巻き込…な!!」
「君が勝手に…巻き……れた…でしょ!」
二人は、真っ暗闇の中でお互いの顔どころか、もはや何もかもが見えなかった。ゆえにどれ程の速度で落ちているのか、見当もつかなかった。しかし髪と服が風に強くはためいていることから、このまま底に叩きつけられれば、どうなってしまうかは理解できた。そもそも底が存在しているのかどうか、それは分からないが。
上から煌々と光る眩しい球が落ちてきて、暗闇の中に二人の姿を浮かび上がらせる。
「…かマジ下見え……えぐっ!!」
「う゛っ」
と同時に落下も止まった。明るい球とともに落ちてきた黒い線のようなものが、体に巻き付いている。
急に止まった衝撃で情けない声を出した二人は、上を見上げた。
「これ…シェリーの……魔法だよね」
遠く上の方で床から身を乗り出しているベルとシェリーがいた。
二人の身体がシェリーの魔法――這う者――によってゆっくりと引き上げられていく。
「あー…助かった……」
シュウは安堵のため息を漏らした。
無事に二人が薄青い床に戻って来ると、シェリーの強烈なビンタに見舞われた。
「何してるのよ!! 馬鹿!!」
「ごめ、なはい」
「別に助けてなんて言って…」
シェリーが右手を振り上げる。
「すみませんでした!」
ニースが両手を前に突き出して叫ぶように謝罪した。
シェリーはゆっくりと手を下ろす。しかし目はつり上がったままで、ニースを睨んでいる。
ベルがふいに、ニースの服の袖口をきつく握って隣に座った。
「え? ベル、何?」
「ニースが落ちたら私も一緒に落ちてしまうので、絶対に止めてください」
決死の表情で見つめるベルに、ニースは困ってしまったようで軽く嘆息した。
「わかったよ……」
観念したように身体から力を抜き、床に胡坐をかく。
「で? どうして落ちたのか、理由はあるんでしょうねぇ? まさか、あんたが落ちてあたしたちが困らないとでも思ったのかしら? そんな訳ないわよねぇ? あたしを納得させられるような理由がきっとあるんでしょうねぇニースさん?」
シェリーが仁王立ちでニースを見下ろし、なかば脅すように問う。その鋭い怒気にニースは若干身を引いた。
「そ、その、ほんとに、ごめん」
「シェリー、きっと理由があったはずですから、そんなに怒らなくても、ね、そうですよね」
「そ、そうだよ、理由はあるんだ」
「さっさと言いなさい」
シェリーは二人の前にドカッと座る。シュウはいつの間にかシェリーの隣に居て、とばっちりを回避できたようだ。
「なんでいきなりあんな事したんだよ。ニース。外に出ても苦しいって、どういう意味だ」
答えるまで逃がさないとでもいうような三人の視線に短く嘆息すると、言いずらそうに話し出した。
「笑わないで、聞いてくれるかい」
「? もちろんだ」
「ええ」
「大丈夫です。笑いません」
答えを聞いても思い迷うように三人の顔を見回し、今度は深い深いため息を吐いた。
「……君たちは、どうして、生きてるの」
目を伏せて、質問したきり口を噤んでしまった。
それを聞いた三人は面食らったようで、すぐに返答できなかった。
――どうして、生きてるのかだと? そんなこと、…いや、こいつにとってはそんなことじゃないのか……。けど、思いつめるほど悩んだとしても、飛び降りまでするか? もしかしたら死んでたかもしないのに。答えが見つからなくって、死ぬほど……、そこまで悩むもんなのか? 俺はそんなに真剣に考えた事、ないぞ。……生きてる理由、か。生きながら探すとかじゃ駄目なのか。
「あたしは、……理由というか、やりたい事ならあるわ」
「それって何?」
「……あたしの、……いえ、獣人の力を、出来るだけたくさんの人に認めさせることよ」
ニースはその答えを聞くと小さく、そう、とだけ返した。
「お前の望みは生きてる理由を知りたい、だったのか?」
「違うよ。僕の望みは……価値を知りたい、だよ」
「価値、ですか……」
ベルが沈んだ声で反復した。
「お前は…、自分には価値がないとでも思ってんのか?」
「ないよ」
潔いまでにきっぱりとした返事――自己の否定――だった。
シュウは眉をひそめる。
――断定だ。悩むような素振りもなく――ない――と断定した。どうしてそこまで言い切れる。
「どうして、ないなんて思うのよ」
「僕は、フォリア家の跡取りだ。ただ、それだけ。……それだけだよ。代わりならいくらでもいるのさ。僕がいなくなったら叔父さんの子供が養子になるのかもね」
「あたしたちにはあんたの代わりなんていないわ。あんたの親は、……どんな人なの」
ニースの瞳にいっそう暗い影が差した。
「あんなの、……親、なのかな。僕がいなくなったら、跡取りがいなくなったって騒ぐような人たちさ」
シュウは思案するように、額に手を当てて黙っている。
――なんとなくだけど、分かった気がする。こいつには、ニースには、親の愛が足りてないんだ。本来こいつを一番に認めるはずの存在が、こいつをほったらかしにしている。衣食住は貴族だから、親がしなくても使用人がするだろう。身体の成長は、それでやってこれた。けど精神的な部分を成長させるのは、親だ。おそらくほったらかされたこいつには――自分を認める――という精神的に大事な部分の成長が、まだできていない。
自分を認めていないから、肯定できていないから、価値を見いだせない。
長い沈黙の後、ベルが言葉に詰まりながら話しだした。
「あの…ニースには、その……親からの承認が、足りてないんだと思います。私も、どうしても存在価値が分からなくなる時があるので。だから、私の望みは、必要とされたい、でした」
ベルは何かに耐えるように、床をじっと見つめて口を結んだ。そんなベルを、シェリーがやんわりと抱きしめる。ベルは慌てているが、引きはがそうとはしない。
「ベルはあたしに必要よ。安心なさい」
その言葉一つで、ベルの目が潤んだ。たったそれだけの言葉で泣きそうになる程に、ベルの心は切羽詰まっていたようだった。
シェリーは手慣れたふうにベルの背をポンポン叩く。
それを見やってから、シュウが口を開いた。表情も声も、真剣そのものだった。
「ニース、お前、俺と唯一無二の親友になってくれ」
ニースは無表情にシュウを見返す。
――ニースには強力な繋がりが必要だ。……俺も、この世界に足をつけるための繋がりを求めている。誰でもいいって訳じゃないんだ。俺はこいつを物凄く信用している。命がけで、俺とライトを守ってくれたんだ。
「俺はお前を信用してる。だから、俺とずっと友達でいるって約束してくれ。
お前、良く頑張ってるよな。喧嘩した時も剣の素振りしてた。権力に驕らない努力家だ。正直尊敬してるよ。
フォリア家のために、自分がするべきことをよく分かってる。貴族の役割も自分なりに考えてる。
……いつも冷静で判断力に優れてて、腹黒くて、不実が嫌いで、ちょっとむかつくくらい所作が綺麗で、人に頼るのが下手で、ほんとは寂しくて仕方ない、俺たちの友達だ。
お前の代わりなんて、俺にも、シェリーにもベルにもライトにも、絶対にいない。お前がいなくなるなんて、想像もしたくない。だから、お前を俺が支えるから、死ぬな。なんでも聞くから。辛かったら頼れ。毎日でも頼れ。いくらでも聞いてやるよ。絶対に支えてやるから」
ニースは顔を泣きそうに歪ませて、うつむいた。
「ほん、とに? そんなこと言って後悔しない?」
「しない」
「僕、性格ひん曲がってるよ」
「知ってる。だから何だよ」
「支えるなんて軽く口にしない方が」
「俺は本気だ。二言はない」
ニースは顔を上げると、投げやり気味に言い放った。
「もし僕を裏切ったら、血祭りにしてやるから!」
空気がシンと静まり返り、ベルもシェリーも目を丸くしている。
「ふっはっはっはっははははは」
「なっ何が可笑しいの!」
「あはははは! お前、今まで大人ぶってたのかよ? 年相応な言い方に安心したよ、っははは」
「っと、年相応って、同い年でしょ」
「ああ、俺一個上だから。17歳」
「えっ…そうだったんですか…?」
「ベル、騙されちゃだめよ。こいつがあたしたちより年上なわけないじゃない」
「え。本当なんだけど」
「シュウ…。嘘は、良くないと思いますよ?」
シュウの年齢が一つ上であることは間違いないのだが、日ごろの行いのせいか誰も信じようとしなかった。
シェリーが立ち上がって、ベルに手を差し出す。シュウとニースにも立つよう促した。
「さぁ、一段落したなら出るわよ。いつまでもこんなところで話すより、出てからの方が落ち着けるわ。それにライトも待ちくたびれてるわよきっと。あとニース、あたしにも頼りなさいね?」
「わ、私も! 話を聴くのは得意です!」
ニースは穏やかに笑みを零して、けれど困ったように頷いた。
「何よ。信用してないの? 女に二言はないのよ」
「シェリーかっけぇ」
「わ、私も二言ないです! 大丈夫ですよ、私もニースの支えになりたいんです!」
ベルの必死な訴えと、シェリーの無言の圧力に屈したのか、ニースは少し嬉しそうに微笑んでお礼を言った。
「よし、おい図書館!」
『我の知らな「宇宙では酸素が少ないから呼吸できない!」』
「……酸素って何よ」
少しの間の後、四人は図書館の最上階に戻ってきていた。
「ライトはやっぱまだ帰ってきてねぇな。もういっちょ行くか」
シュウが鏡の前に立つ。ベルとシェリーがその横に並び、ニースは何の説明もなしに事態を察したのか、無言でシュウの隣に立った。
空は紫色に染まり始め、夜の気配が忍び寄っていた。




