封鏡図書館Ⅴ
「これが。……現実だ」
人形の残骸を足で踏みつぶし、シュウは言葉を噛みしめるように一人、つぶやく。
力を抜いて崩れる様に座り込むと、残骸で皮膚を切ってしまい足から血が出たが、もうそんなことはどうでもよかった。
――今更なんだ。理由を知ったからなんだ。どうせ帰れないことは、分かってたんだ。この世は理不尽だって、分かりきってただろ。
「ほんとに、帰れないんだな」
シュウは涙を流して、天井を見上げる。
――あの日ここで生きていくって、誓ったはずなのに。俺はまだ、受け止めきれていなかったんだ。こんなの、すぐに受け止められるわけなかったのに、俺は受け止めたふりをして、進もうとした。
流れてくる涙を袖で拭って、止める。
――どこか浮いてる感じはしてたんだ。ふわふわ、空中に浮いてるような。なぁ。足を地につけるって、どうすればいいの。
虚ろな目を閉じて、眉根を寄せて、
――歩いてくしか、ないんだろ。どーせ分かんなくても、生き方なんか分かんなくても、時間は進む。止まってくれない。どんなに怖くても、歩くしか道はないんだろ。
「なぁ、ここから出してくれ」
座ったままか細くつぶやく。
――辛くって、逃げ出したくなったら、また立ち止まって。でも逃げらんないから、またきっと進むんだろ。……辛いなぁ。怖いなぁ。それ。怖くて、震えそうだ。
自身の両手を見つめてから、視線を目の前の残骸に固定した。
――もう八つ当たりは、十分だ。
「ここから出せ。くそ図書館」
全て毒を吐きだしたような、とても穏やかな声音だった。
心は荒涼としていて、それでいて澄んだような、疲れ果ててしまったような、いろいろなものが混在している。それらは麻痺しているかのようにとても鈍い。
『我の知らない知識を申せ』
――知らない知識。 ふん、お前の知らない知識なんか、山ほどあるっての。
「俺のいた世界の人間に、魔臓なんて臓器は存在しない」
瞬きすると、シュウは鏡に吸い込まれる前の図書館の最上階にいた。床に座り込んだままのシュウと、三角座りしていたシェリーと視線がかち合った。
しばし無言で見つめ合う。シェリーは少し目を見開いて、シュウは疲れたような目で見返した。
鏡の外に帰ってきた事実に何の感動もなく、唯一感じたのは疲労感だけだった。
シェリーは探るような目つきで問う。
「……あんた、泣いたの」
シェリー自身でさえ驚くような、優しい声音だった。
「……ああ、みんなは?」
シュウは頭の回転が鈍くなっている気がしたが、それでも答えた。
「まだ帰ってきてないわ。あたしがここに帰ってきてからもう、一時間以上も経つのに」
シェリーは窓から外を見る。空は青く、まだ陽は落ちていない。
「……いつ、帰って来るのかしら。それよりあんたは、何があったのよ」
不安そうに耳をたらして、問いかける。
シュウはつらそうに目を伏せた。
「ここって……理不尽だな」
シュウの目に悲しみの色が動いたのを見て、シェリーは何も聞けなくなった。
「……そうね。…理不尽よ」
シュウはその言葉を聞くと、壁にもたれて項垂れ、何も話さなくなった。
時だけが過ぎていく。シェリーの不安は、陽が落ちていくとともに増していった。
***
窓の外が夕焼けに燃えていた。
シェリーは何時間も、外を見たりシュウの様子を窺ったりして三人が帰って来るのを待っていた。しかしいつになっても帰って来ず、普段ならば美しいと思えるはずの赤が今日は不安を増長させた。耐えきれなくなったように、シェリーが口火を切る。
「ねぇシュウ。いくらなんでも帰りが遅いわ。もう夕暮れよ」
焦燥を滲ませて主張すると、シュウが疲れた顔を上げた。
「もう、そんな時間か」
窓の外を見て、鏡に目をやった。
――最後の問いは、知らない知識を教えろ、だったな。
「シェリーは、どうやって出てきたの?」
「あたしは、新しい知識を言えって言われたから何度か答えてみたんだけど、駄目だったから、前にあんたが教えてくれた『虹が出来るのは、太陽の光を雨粒が反射するから』っていうのを答えたら、ここにいたの」
「他にはどんな答えを言った?」
「あたしの村の名前とかあたし個人のことを言ってみたりしたわ。でも駄目だった」
「みんな、最後の質問に答えられてないのかもしれない。いや、答えても出してもらえないんだ」
シュウは腰を上げた。深く息を吸って、ゆっくりと吐きだす。そうすることで覚悟が決まったのだろうか、決然と言い放った。
「俺はもう一度、鏡の中に入る。……シェリー、待ってるか?」
シェリーは不満げにシュウを見上げて、立ち上がった。
「……意地悪な質問ね。行くに決まってるでしょ」
二人は再び鏡の前に立つ。自分たちの姿を鏡の中に確認した瞬間、最初に来た時と同じ真っ白な空間に居た。お互い目を見交わして、シュウが口を開く。
「俺たちをベルの所へ行かせてくれ! それが望みだ! 知識ならいくらでもくれてやる!!」
『望みを叶えよう』
二人は明るい海の底で、海色の椅子に座っているベルを見つけた。
ベルは目の前に突然現れた二人に驚いたのだろう、目を丸くして固まった。そして椅子を倒す勢いで立ち上がるとシェリーに抱きついた。目には涙が浮かんでいる。
シェリーはベルを支えて、
「もう大丈夫よ、ベル」
安心させるように、頭を撫でた。
『我の知らない知識を申せ』
「星が宇宙から消える時、爆発する。知ってたかよ?」
三人は、気づかぬ間に図書館の最上階にいた。
「で……出られたん、ですか」
ベルがその場にへたりこむ。
「そうよ。出られたの」
「残りは二人だ。どうする」
「あたしは行くわよ。ベル、ここで待ってられるかしら?」
「えッ」
ベルは困惑したように二人の顔を交互に見て、部屋を見回す。つと表情を引き締めた。足に力を込めて、自力で立ち上がる。
「私も、行きます。足手まといにならないように「大丈夫だ。俺が質問に答えればいいだけだからさ」」
シュウが遮る様に言って鏡の前に立った。
「あ、勝手に! ベル早く」
ベルとシェリーが慌ててシュウの隣に並ぶと、次にはまた白い空間の中にいて、シュウが叫んだ。
「ニースの所に行きたい!」
『望みを叶えよう』
「レパートリーないのかしら。いつもそれね。語彙力の欠如かしら?」
「図書館ですから、語彙力はあると思います」
「いや、そういうんじゃないだろ。決まり文句なんじゃねぇの?」
三人は星の瞬く暗闇の中で、薄青に発光している階段に立っていた。
「何ここ。…落ちたらと思うと血の気が引くわね。底が見えない」
「上の方に誰かいるな。寝転がってねーか? あれ。のんきだな、出る気あんのか」
シュウは先に階段を登りだす。
「ニースでも脱出できないなんて事あるのね。珍しいわ」
「そうですね、でも図書館ですから、私も何を言っても出してもらえませんでしたし」
三人は間違って足を滑らせないよう、慎重に登っていく。
寝転がっていたニースは登ってくる三人に気づいていたようで、特に驚いた様子も見せずにそれぞれの顔を横目で見た。
シュウがニースを見下ろして、口を開く。
「ニース。いや腹黒紳士、迎えに来たぞ。まったく手間のかかる奴だ」
「いつも面倒事を起こすのは君とライトでしょ。あと腹黒紳士は余計だよ。……それに、迎えに来なくてもよかったのに」
「迎えに来なくても良かった? どういう意味よ」
「あっもしかして、ここが綺麗だからずっといたんですか? 出ようと思えばいつでも「違うよ、ベル」」
ニースはおもむろに立ちあがる。
――何を言ってんだこいつは。迎えに来なくても良くて、どうやって出るつもりだったんだよ。
「外に出ても、苦しむだけだよ。……僕はね」
ニースが床から闇へ足を踏み出し、
――底知れぬ暗黒へ消えた。




