亡霊の森
皆が寝静まった後、俺とライトは部屋を抜け出した。足音を最小限にとどめ先生たちの部屋の前を通り、見巡りらしき人の目をかいくぐり、いくつもの難関を超えて裏口へとたどり着いた。
「おい、フォリア来てねーぞ」
ライトが左右に目を光らせる。腰をかがめてさながら盗人のようだ。怪しいことこの上ない。
「そのうち来るだろ」
俺はのんきに構えて夜空を見上げた。月のない暗夜に雲が立ち込めていて、晴れていたら満天の星空が拝めただろうなと少しがっかりした。俺は手持ちぶさたにペンライトをぐるぐる回す。
「お前、この前おれが遅れた時はそんなに優しくなかったぞ」
ライトが口をとがらせている。
「え、そんなこと覚えてたの? ……俺は俺のペースを乱されたくないだけだ」
「お前自己中?」
「お前にだけは言われたくねぇわ」
おっと、つい声が大きくなってしまった。
「君たち、本当に行く気かい?」
ライトが肩を飛び上がらせて振り向いた。俺はライトの後ろからフォリアが来るのが分かってたけど、あえて言わなかった。
「「行くに決まってるだろ」」
フォリアは額に手を当てて息を吐いた。
「「なんだ怖いのか」」
「怖くないって言ってるでしょ!」
俺たちはぎょっとして口に手を当てる。
「お前でかい声出すなよ」
周囲を気にしながら小声で注意する。
「先生に見つかったらどうすんだ!」
ライトを叩く。てめーもでけーよバカか。あ、バカだった。
「まったく……、起床時間は6時、それまでに戻らないと他の人にばれるよ」
「そんなにかかんねぇよ。行こう」
俺たちはまず庭園を通り抜け、最初に転移してきた小高い丘まで登った。花畑をまっすぐ突っ切ると暗い湖に邪魔されたので回り道をして、なんとか森へ到着した。
大木が立ち並び、鬱蒼と生い茂った森は森閑としていて一寸先は闇だ。森から冷気が漂ってくる。
「ペンライトじゃ心許ないけど、おれのときめきは抑えられない」
「いいからさっさと行け」
「いえっさー」
ライトが森に足を踏み入れる。ペンライトだけを頼りに、膝丈くらいまでの草を踏みつけ進んで行く。
それに続いて俺とフォリアも森の中へ入った。
多種多様な草が足元を覆いつくしているので物凄く歩きづらい。草陰に隠れた木の根に何度も足を取られそうになる。
変わり映えのしない景色を進んでいると、俺たちの進路を塞ぐように大木が倒れていた。苔の生えた倒木に乗っかり、ジャンプして降りる。
「いでっ」
ライトが着地した瞬間にこけた。
「くそー根っ子め」
フォリアは慎重に降りてくる。
「気をつけなよ。ジャンプなんかするからっう゛」
滑るように転んで尻餅をついた。俺とライトは無言でファリアを見守る。
「……なに?」
フォリアは手を払って、転がったペンライトを拾う。
「気をつけろよ。もたもたするから」
「うるさい」
ライトを先頭にしてまた歩く。
途中、青白く光るキノコを見つけライトが掴もうとしたが、フォリアに止められた。
「待って、それは触らない方がいいよ。痒くなるからね」
「お前は何でも触ってみないと気が済まないのか」
「痒くなるキノコ……」
聞いてねぇ。興味津々に顔を近づけ観察しているライトを追い越し、生え放題の草を踏んづける。ペンライトの先には何も映らず、暗闇だった。
――え? 何もなっ!!
右足が空に沈む。
「っ」
落ちると確信した時、背中の服を強引に掴まれ地面に引き戻された。服を掴んだ誰かと一緒に転倒する。
「っ危ないでしょ! 何してるの!」
「フォリア……ぁ、ありがと」
俺は唾を飲み込んだ。あのまま行けば、……落ちていた。真っ暗闇の底へ。心臓が早鐘を打って、底を覗いた足が震える。
「大丈夫か」
ライトが眉をハの字にして、俺に手を差し伸べた。
「ああ、」
俺は手を掴んで立ち上がる。ぶるっと身震いした。
「おれがキノコなんか見てたから、悪いな」
「え、そこ?」
「この先に道はないね。おそらく峡谷じゃないかな。水の音がしないから」
フォリアが暗闇を覗き込んで言う。危なっかしいな。
「戻れよ。……峡谷か。もしくは、水の音も聞こえないほど深い渓谷とかか?」
「……どうだろうね」
フォリアが俺とライトの目を順番に見て言った。
「もう十分でしょ。君は今死にかけたんだ。帰るよ、 いいね?」
静寂に包まれた森の中に、フォリアの真面目な声が響いた。
否応なしにフォリアが俺たちの肩を押す。
「なぁ……おかしいと思わねぇ?」
押されたライトが立ち止まり、いつになく険しい表情をしている。
ペンライトを自分の顔に当ててるからちょっと怖い。
「何が」
早く言えと急かしてみる。
「さっきから、物音ひとつしねぇ」
「「……」」
俺たちが黙ると辺りは静まり返り、冷ややかな空気はそよとも動かない。
俺たちは無言で目を見交わせる。
「……確かに、動物の1匹や2匹いてもいいはず、だよね」
フォリアは木の上や地面を見渡す。
「虫の声も、しないね……」
そういえば森に入った時からずっと、異様なほど静かだった……。
急に気味が悪くなって全身が総毛立つ。
――……リーン……
俺とライトは息を呑む。
フォリアは唇に人差し指を当てて、目だけをきょろきょろと動かしている。
――……リーン……リリーン……
心なしか、冴えた鈴の音が近づいているような気がする。
俺も遠くを見ようと目を凝らすが、ペンライトは足元を照らすだけで役に立たない。
鈴の音は全方位から聞こえるような、一方向から聞こえるような、奇妙な鳴り方だった。
――リーン
俺の背後からの音に心臓がひっくり返って振り向きながら後ずさる。喉が詰まって声も出ない。フォリアにぶつかって巻き込むように後退した。
そこにいたのは、顔は人間に似て、胸から下は鳥のような白銀色の生物だった。人の顔からごつい嘴が伸びていて、身長は俺より少し大きい。
「ルブラ、だね」
フォリアが呟く。同じく後退していたライトが聞き返す。
「ルブラ? こいつが音の正体か!?」
「そうだよ。まだ子供のようだけど、なめてかかると死ぬよ」
――この大きさで子供かよ。
「死ぬって、……でもこの森には弱い魔物しかいないって先生たちが」
ライトの声を遮ってフォリアが答えた。
「ルブラは自ら人前に姿を現したりしないよ。だから報告されてなかったんじゃないかな。……どうして今、僕らの前に出てきたんだろうね」
――リーン……
ルブラは鈴の音とともに、シワが寄った鳥の足を一歩前に出した。俺は後ずさりたくなるのを堪える。
鈴の音を聞いたものは闇に引きずり込まれる、だったな。
「……異常な静かさに気づいて、他の人も引き返したんだろうな。けど鈴の音だけは聞こえてた」
「報告がなかったのは、ルブラに遭遇した人は全員死んだから、だね」
フォリアの言葉に背筋が寒くなった。
こいつはそんなに、強いのか。俺たちは安易に森に踏み込んで、今更後悔したって遅いんだ。
カサカサと葉の擦れる音がする。ルブラは少しずつこっちへ近づいて来てるんだろう。
「ルブラってもともと片翼か!?」
俺はいつでも魔武器を取り出せるように、腕輪に手を這わせた。
「いや、両翼だよ。だけどルブラの羽は高値で取引されるからもがれるんだ。……一度もがれたら、元には戻らないけどね」
――ハ……ネ……カエ……シ…テ……
ルブラが声帯を震わせて声を発した。それはオルゴールのように不安定で不気味な音色だった。
「こっこいつ、話せんの!?」
「少しだけ言葉を覚える奴もいるさ。けど、知能は低いよ」
フォリアがいつまでも冷静に答えてくれるから、俺もライトもまだ落ち着きを保っていられるのかもしれない。
――ニオ…イ……シナ…イマ…ナ…ニ……オイ…シ…ナイ……
「何言ってんだこいつ!」
――ヒ……ト…ナイ…イ……ジョ…ウ……
ルブラは俺に狙いを定めたのか、突として駆け出した。
「黒い弾丸」
俺の放った魔法はルブラに直撃する。しかし傷一つ負っていない。
俺は退きながら手をかざす。
「闇沼」
「氷嵐」
同時にフォリアも唱えた。
ルブラが沼にはまった。もがいているところへ氷の破片が襲いかかる。
ルブラが盾にした片翼に破片が突き刺さり血が滲んだ。
ライトが斬りかかるが翼の一振りで吹っ飛ばされ、同時にルブラの翼に刺さっていた破片は地面へ散らばり、沼も消えた。
「ライト! 大丈夫か!」
「っああ!」
遠くから返答があった。けっこう飛ばされた様だが声は力強い。
ルブラは翼から細く血を流しているものの、目をぎらつかせて俺を凝視している。
「サイガ! アリミヤ! 先生を呼んで来い!!」
「はぁ!? そいつどうすんだ!」
「火柱」
ルブラを火柱の中に閉じ込める。けど身体を回転させて吹き飛ばしやがった。
「こいつは僕が止める! だから行け!」
「馬鹿言ってんじゃねーぞフォリア! あいつが狙ってんのは明らかに俺だ! 呼ぶならお前らが行け!」
「雷狼」
ライトの雷狼がルブラに突っこんでいくが、すこし焼け焦げを残しただけだった。
「今の僕たちじゃ敵わない! でも君たちよりは戦えるさ!」
「でも!」
ライトは引き下がらない。……誰が俺より戦えるって?
突如、恐ろしいほどの絶叫が耳を切り裂いた。
ルブラは片目からおびただしい量の血を流し、目に刺さっているナイフを取り除こうと暴れるが、よけいに奥へ入り込んでいく。
「誰が! 俺より戦えるって!?」
俺はダガーナイフを右手に声を張り上げた。
しかしフォリアはルブラから目を離さず、緊迫した面持ちで様子を窺っている。
俺も気を引き締め直して注視した。
ルブラは翼を縮こませたかと思うと、梢を震わせるような金切声を響かせて翼を振り払う。
俺は咄嗟に腕で顔を庇った。烈風が白銀色の羽を伴って俺たちの身体を切り裂いていく。鋭い羽が足に刺さる。踏ん張っていられなくなった俺は後ろの大木に叩きつけられた。視界が赤く染まる。頭に手をやると温かい血が流れ出していた。
「ぐぅっ」
すぐ近くで呻き声がし、草をかき分けると腹を赤く染めたライトが横たわっていた。腹に刺さった白銀の羽に血が付着している。
「ライト! おい!」
体のあちこちから血を流しているフォリアも駆け寄ってきて、ライトを一目見て言った。
「アリミヤ、サイガを背負って森を抜けろ。早く」
――フォリアを一人にするわけには。
「いや、お前がライトを背負え」
――全属性使えば、俺一人でもなんとかなるかもしれない。
「君は強情だね、頭から血を流して君も重傷なんだよ?」
「お前1人残ったって死ぬだろーが」
「君より強いさ」
「お前も強情なんだよ!」
「待って、くだらない喧嘩をするつもりはないよ」
烈風に乗った鋭い羽が、葉を切り裂いて来るのが見えた。
俺たちは即座に大木の幹に身を隠す。もちろんライトも抱えて引き込んだ。
「フォリア家が何のために存在しているか、君は知ってるかい」
「なんの話だよ」
「フォリア家の役目は国民を守る事。戦争時、あるいは魔物が暴れた時に前線に立つのがフォリア家だ。だから僕は退かない。退かないよ。君たちを守るのが僕の役目だからね。分かったらさっさと行け!!」
フォリアは言い捨てて木々の隙間からルブラを狙う。だがルブラは厄介なあの片翼で攻撃を蹴散らしている。
俺は上着を脱いでライトの腹の出血箇所に巻き付けていく。
「う゛っがぁっ」
「痛いか、ごめん。すぐに連れてくから。絶対に助けるから」
羽が動脈を切っていたら怖いので、羽には触れなかった。上着で縛ると出血はいくらか収まり、少し落ち着きを取り戻す。
「フォリアんとこっ、はっ、いけっ」
ライトの額から玉のような汗が吹きだしている。
「待ってろ。すぐ終わらせてくるから」
俺は木の陰から飛び出した。




